2005年11月27日

ハロッズによろしく

ハロッズによろしく

【人間→テディベア】

 

学生の本分は勉強だって言うことはよく分かっている、つもり。でも、学校にそれだけが目的で来ている生徒が果たして何人いるだろうか? 少なくても私は勉強だけのために学校に来ているわけじゃない。勉強も嫌いなわけじゃないけど、 とりわけ私は頭がいい部類には残念ながら入らず、かといって成績が地を這うわけでもない。言ってしまえば私は普通。 何処にでもいる普通の女子高生。平均的な成績に平均的な運動能力、平均的な顔。・・・何か1つでも才能が有れば、売りになるんだけど、 残念ながらそれがない。だから普通に学校で授業や部活をしても全く楽しくないから、学校に行くのが辛い時期もあった。けど、 こうして私は学校に通ってる。学校に通いたくなる理由を見つけることが出来たからだった。・・・今は丁度9時30分。 1時間目がもう少しで終わるこの時間。窓際の席はそれを見るためには絶好のポジションだった。私は授業なんか耳に入らず、 窓の外ばかり見ていた。そして、彼は現れる。

 

校門からゆっくりと面倒臭そうに歩いてくる男子生徒。髪は茶に染まり、学ランは全ボタン開き、 中に来ているのはワイシャツではなくだぶだぶのトレーナー。勿論校則違反である。というか、 当然この時間にそこを歩いているということは遅刻である。しかしそれを物珍しがるものはいない。 彼がこの時間に来るというのは毎日のことであり、最早誰もが知っていることで、 教師も注意こそするものの今更言う必要もないという諦めと呆れが混じった心情のため、彼を咎める者はいなかった。 やがて彼は校舎に一度消える。それから10分ぐらい、丁度授業が終わるか終わらないかのタイミングで私たちの教室のドアがガラっと開いた。 そこにはさっきまで校舎前を歩いてた彼が現れた。つまり、彼と私は同じクラスである。

 

「柊、1時間10分の遅刻だ」

「分かってますよ、言われなくても」

 

教師の問いかけに彼はそう応える。これも決まりのやり取りだ。そして彼は教室の中をたるそうに歩き、私のほうに近付いてくる。・・・ いや、私に近付くというか、彼の席が隣なだけなんだけど。彼はイスを引き、ゆっくりと腰をかける、 その瞬間にチャイムがなり1時間目の終了を告げる。授業終了の挨拶を日直の号令で行うが、彼は立つこともせず、 持ってきたカバンを枕に机の上で寝る姿勢を取っていた。しかし教師も注意しない。無駄だから。 そして教師が出て行くと10分間の休憩時間になる。私は隣で眠そうにしている彼に話しかける。

 

「柊・・・どうだった?昨日貸したゴスペラーズのアルバム」

「・・・ん?・・・あぁ・・・聞いてない・・・家帰ってからすぐ寝たし」

「で、また今寝るの?」

「るさいなぁ・・・古河・・・来週には聞いて返す・・・から・・・」

「じゃあ、その前のケミストリー、早く返してよ」

「・・・ZZZ・・・」

「うわ・・・寝たし・・・本当に」

 

彼はカバンを抱きかかえるようにして、静かに寝息を立てている。私はそんな彼をしばらく見つめて、その後次の授業の用意を始めた。

 

 

・・・そんな彼に、こんな想いを抱いてしまったのはいつからだったろうか。実は中学の時も1年の時に同じクラスになったことがあった。 中学時代はこれほど酷くはなかったが、しかしその頃から遅刻の常習犯でよく教師に怒られていたのを覚えている。 その時は何とも思っていなかったはずだ。多分、高校1年でまた同じクラスになった時、彼の顔を間近で改めて見る機会があったときに、 この想いが芽生えてしまったと覚えている。・・・別に私は顔が全てって考えの持ち主じゃないけど、彼の顔は、 少しダサい言い方すれば100点満点中の120点だ。女子に限らず、老若男女誰が見ても、間違いなくイイ男だと思うだろう。 そのためか中学時代から彼に告白する女子は後を絶たない。が、振られる女子も後を絶たない。 どうやら言い寄ってくる女子全てを断っているらしく、噂では既に彼女がいるから断っているというのも流れたが、彼の男友達に言わせれば、 どうやら彼は本気で女に恋愛感情を持てないらしい。そこに彼のこの面倒臭がりな性格が加味され、 これだけ女子に好かれているのに取り巻きが出来る事はなかった。勿論、「柊クン秘密親衛隊」みたいなのはありそうだけど。

 

・・・我ながら、とんでもない男を好きになってしまったと思っている。しかし、 好きだという感情はどうにかして止められるものじゃない。彼に幻滅でもすれば別かもしれないが、 兎に角今は彼のことを考えるだけで頭がいっぱいで、彼のためだけに学校に来ているといっても過言じゃない。そんな私、 自分で見てても明らかにイタイけど、惚れた弱みって奴だろうか・・・違うか・・・まぁ、兎に角この思いを伝えられずにもがいている訳で。 告白すれば早いのは分かっているけど、ウン百という前例を聞いちゃってるのでどうも気が進まない。 席が隣になったのをいい事に頻繁に話しかけ、CDなんかを貸したりして共通の話題を探るけど、どうも手ごたえがなかった。 そうなるとむきになって彼の趣味を探ろうとする私、ダメだ、何だか泥沼。

 

 

 

この日も彼からまともに情報を聞きだすことが出来ず・・・ていうか彼はずっと寝てたし・・・、途方にくれて帰路につく私。 オレンジに輝く夕日が何だか、切ない。彼の本当の趣味や、好きなタイプなどが分かれば、もっと近づけるんだろうけど、 徹底的に彼の周りを洗ってもまともな情報が出てこなかった。というか、彼の家には男友達でさえ入ったことがないらしく、彼の真の正体・・・ と言うのは大袈裟だけど、誰も他人を家に入れないのは、それなりの理由があるのではないかとよからぬ推理を立ててしまう。

 

何か一つ、きっかけでもあればなぁ・・・。私はとぼとぼと通学路を家の方向に歩いていく。その時、ふと道端に何か輝くものを見つけた。 ・・・恋する女子高生とは言え、そこは人の子。思わず小銭かと思ってそれを手にとって見る。が、期待は外れた。 コインであることには違いないが、日本円じゃない。他の国の通貨でもなさそうだった。何のコインかは分からなかったが、 とりあえず私はそれをポケットに入れてそのまま帰路を再び歩き出す。そして家についてからもう一度そのコインを取り出し改めて眺めてみる。 汚れているが、重みからするとアルミのような金属じゃない。ずっしりと重いそのコイン。ひょっとして、ひょっとすると金貨? などと考えた私は淡い期待を抱いて濡れた布巾を用意し、そのコインを拭き始める。ある程度磨くと輝きがどんどん増していくので、 私は益々力を入れてこすっていく。しかし、そのうちにコインに異変を感じる。いくら綺麗に磨いているからといって、 輝き方が普通じゃないのだ。コインは金属だから、当然光源がなければ光らない。しかしこのコインは、驚くことに自ら光を発しているのだ。

 

私は驚いてコインを手放すが、そのコインは地面に落ちることがなかった。何と宙に浮いているのだ。 私はあまりに無茶苦茶な展開に思わずこれが夢かと疑いたくなった。しかし自分が寝た記憶はないし、 今の自分の間隔は目が覚めている状態のモノで間違いなかった。じゃあ、目の前のこの光景は一体何?私はパニックに陥っていた。 そんなこと考えている間にもコインには更なる変化がおきていた。徐々に光が集まり、コインの上に何かの姿が浮かび上がっていく。 その姿を見た私は思わず呟いた。

 

「・・・妖精・・・!?」

 

・・・もし他人が妖精を見たなんて話をしたら、間違いなく私は笑い飛ばすんだろう。しかし、小さな人のような身体に薄く透明で、 虹色に輝く2対の羽を持つそれを、妖精と呼ばずに何と呼べばいいのか。やがてそれはゆっくりと目を開くと私を見るなり一言発した。

 

「あ・・・チャオ!」

「・・・どうも」

 

・・・って何普通に挨拶してるんだ私!突っ込みどころ満載じゃないか!

 

「えぇと・・・何?」

「・・・何・・・って何が?」

「いや、あなた・・・何者?妖精?」

「あれ?コイン見なかったの?ダメだよきちんとコインに書かれている文字を見なきゃ」

「・・・文字?」

 

そういって私はコインを見る。確かに文字が書かれてあるが、日本語ではないし、見たこと無い文字だった。

 

「ゴメン、これ何語?」

「何語・・・ってヘブライ語に決まってるじゃん」

「読めるかぁ!」

 

思わず声も大きくなる。妖精はその声に驚き目を丸くする。

 

「なんか・・・凄い理不尽に突っ込まれた・・・」

「いや、普通の日本人はヘブライ語は読めないから」

「日本?・・・あぁ、ヤパンね」

「いや、ヘブライ語はいいから・・・」

 

妖精は私の話を聞いてるのか聞いてないのか、ゆっくりと周りを見渡しながらしばらく無言でそこにたたずんでいたが、 急にこちらを振り返り話しかけてきた。

 

「・・・一つ言っていい?」

「・・・何?」

「僕、妖精じゃないんだけど」

「・・・じゃあ何?」

「言ってみれば、コインの精、かな?アラビアンナイトのランプの精みたいなモンで」

「精霊ってこと?・・・じゃあ願いとか叶えて貰えるの?」

「まぁ・・・有るの?何か願い事」

「心読めるんでしょ?・・・だったら私の口から言わせないでよ」

 

そういって私は喋るのをやめる。コインの精は、そんな私に不満そうな表情を浮かべるが、 やがてゆっくりと目を閉じて私にその小さな手をかざし、しばらくそのまま動かなくなったかと思うと、再び目を開けて、 少しにやけた目で私を見つめて呟いた。

 

「・・・恋愛成就・・・お約束だね」

「だから言いたくなかったんだ・・・!」

「まぁまぁ・・・でも困ったな。恋愛を、というか人の気持ちを変えることは僕の魔法でも出来ないし」

「いいよ、はなから叶う恋だと思ってないし」

「そうなの?・・・その割には辛そうだけど?」

 

コインの精にそう言われて、私は返す言葉を失ってしまった。叶わぬ恋だと分かっていれば、諦めがついていれば、 私は何もこんなことしていない。振り向いて欲しいんだ。だから彼を調べるし、彼に近付くし、それでも短くならない距離感に、 私は辛いと感じているんだ。

 

「・・・でも、貴方に何が出来るの?」

「直接彼の気持ちを変えることは出来ないけど、それ以外だったら大体は」

「・・・じゃあ、彼の趣味とか、好きなタイプとか、調べることって出来る?」

「勿論。それでいいなら。待っててすぐ調べてくるから!」

 

そう言ってコインの精は窓から勢いよく飛び出して行った。そして数分後、彼は再び窓から私の部屋に入ってきた。

 

「調べてきたよ、彼のこと」

「本当?じゃあ聞かせてよ」

「それよりもさ、彼のこと知りたいんでしょ?」

「え?うん、だから貴方がみてきたのを教えてくれれば・・・」

「それでもいいんだけど、直接目で見た方が早いんじゃないのかな?」

「目で見る・・・って?」

「彼が好きなタイプは調べてきたからさ、その姿になれば彼の家に入る事だって簡単だし」

「え!?」

 

コインの精の提案に私は思わず声を上げてしまう。今まで誰も入ることが出来なかった彼の家に入ることが出来る。 これは願ってもないことである。しかし、念のために聞いてみる。

 

「その姿になるって・・・どうやって?」

「僕の魔法なら簡単だよ。殺生、蘇生、精神操作以外は何でも出来るんだよ」

「つまり、私が彼のタイプの姿に変身するってこと?」

「そういうこと。どう、やらない?」

「急に言われても・・・」

 

確かにチャンスであるには違いないが、どうにも決心がつかなかった。そんな私を見かねたコインの精が口調を強く語りかける。

 

「どうしたの?今を逃したらもう彼の家に入れるチャンスなんて無いかもよ?」

「そりゃあ・・・そうだけど・・・」

「大体、本当に彼を好きなの?」

「それは・・・勿論・・・!」

「じゃあ、もう決まってるでしょ?」

 

・・・そうだ。決まっている。今決めなきゃ、きっと後で後悔する。一生ただのクラスメイトで終わってしまう。

 

「・・・わかった。その話、乗ったわ」

「じゃあ、善は急げだね!早速彼の家に行こう!」

 

そういって彼は再び私に手をかざすとその手からコインから出ていたような光が溢れ始める。

 

「な、何!?」

「まぁ、いわゆるワープってやつ?危ないからあまり動かないでね」

「ちょ、今から行くの!?」

「有言実行!即断即決!やるっきゃないでしょ!」

 

妙に張り切っているコインの精が放つ光が私の体を包み込むと、私とコインの精の身体は壁をすり抜け私の部屋から飛び出した。 私の部屋には静けさだけが残ることになった。

 

 

 

「・・・と、彼の家にあっという間に着いたわけだけど」

 

本当に光の速さとでも言うのだろうか、私たちは柊と書かれた表札がかかっている1軒の家の前に立っていた。 しかしもう夕方だというのにまだ家の中は暗い。

 

「彼はまだ帰ってきてないよ。さっき見つけたのはここから離れた通学路の橋の上だったから、 もうしばらくしたらここに帰ってくるはずだよ」

 

コインの精はそういってあたりの様子を伺っている。

 

「・・・何そわそわしてるの?」

「だって、これから変身させなきゃいけないんだから、そのシーンを誰か人に見られたらまずいでしょ?」

「・・・変身もこれからするの?」

「・・・よし、今だったら誰もいないしさっさとやっちゃうか!」

「ってえぇ!?もうやるの!?」

 

私に驚く隙も与えず、コインの精はさっきと同じように手をかざし、私のほうに手を向ける。 すると今度はその手に光が集まっていき球体となっていく。ある程度の大きさになったところで彼が口を開く。

 

「じゃあいくよ!」

「ちょ、ちょっと待って!まだ心の準備が・・・!」

「えい!」

 

コインの精は私の言葉なんかまるで聞くつもりも無いらしく、掛け声と共に自らの手に生まれた光の球体を思いっきり私めがけて発射した。 それは当然避けれる距離に無い私の身体にすぐにぶつかり、その瞬間光は分散し一瞬にして私の体を包み込んだ。そして直感的に感じた。 その光に触れた瞬間からが変身の始まりだと。しかし、どんな姿になるのか聞いてもいない私は不安で仕方が無かった。・・・その不安が、 まさか的中するとは考えたくなかったが。

 

「・・・何これ!?」

 

私は自分の目を疑った。私はふと自分の左手に目をやっただけだが、その手が明らかにおかしかったのだ。手の甲に、 何と毛が生じているのだ。しかも、薄く淡いピンク色の。ひょっとして何かの動物に変えられるの?私は一瞬そう思ったが、 その毛の質を見ると何か違うのだ。動物の毛というよりもどこか人工的な・・・毛糸のように見えたのだ。・・・そう見えただけならよかった。 しかし、私は思わず気になり、まだ変化の無い右手でその毛を触ってみる。・・・そのふわふわ感は、動物が持つ自然な物ではなかった。 まるで何かの生地を触ったような感触。というか、私の体のその部分だけが皮膚ではなく完全にそういう生地になってしまっていたのだ。

 

「ちょっとぉ、どういう事!?」

「彼のタイプに変身しているだけだよ?」

 

コインの精は目を丸くして、今更何を聞くのかと言う顔でこちらを見ていた。そしてコインの精を見ていて油断した瞬間、 私の体の変化が加速を始めた。その毛糸が手の甲だけでなく全身に渡って生え始め、私の肌色の皮膚が徐々に薄桃色の毛糸で覆われていく。 そして手を見ると、その指がどんどん短くなり、最終的には完全に消えてなくなり私の手はただ丸いだけになってしまった。手のひらは、 他の部分とは違い白くツルツルした生地が覆われる。手の変化が終わるとどんどん他の部分に変化が及んでいく。 私は何とかそれに抵抗しようとするが、変化が進むにつれて、何故だかどんどん体の自由が利かなくなっていく。身体は徐々に小さくなっていき、 私が着ていた服も、今の私にとってはただ重いだけの布になっていた。体の変化はというと、 足も気付いた時には既に手と同じようになっていたし、お尻の部分には丸く小さな尻尾がちょこんといつの間にか出来ていた。 顔も皮膚から生地に変わって毛糸で覆われて、鼻先が黒くなり顔から少し盛り上がっていた。 その鼻の上に黒く丸いプラスチックが左右に1つずつ輝いている。つまり、これが目だ。そして耳は小さく丸く、左右にちょこんと生え、 右耳にはピンク色の布で作られた花が付けられて、首元にはチェックの柄のリボンが結んであった。

 

『ちょっと!何これ!?』

 

私はそう叫んだつもりだったけど、もう私は声を出すことどころか、動くことさえ出来なくなっていた。

 

「こんなところに女の子の服が散乱してるのは不自然だから・・・っと」

 

コインの精はそういって、中身を失った私の服に触れると、服は一瞬にして消えてなくなった。そしてそこにいるのは・・・いや、 あるのは薄いピンク色の柔らかな毛を持つ、小さく可愛らしいテディベア。・・・信じたくないが私はテディベアになってしまった。 生き物ですらない。身体を動かしたくてもどうすることも出来ずにただそこに座り続けることしか出来ないのだ。 不安とパニックから私は強い口調でコインの精に問いかける。

 

『どういうこと!?私、テディベアになっちゃってるじゃない!』

「だから、彼のタイプだってば。きちんと彼の心を見てきた結果だし」

『意味がわかんないよ!タイプがテディベアってどういう意味よ!?』

「いやだから・・・あ、ほら。噂をすれば帰ってきたよ」

 

彼はそういって道の向こう側を見る。私もそちらを見ようとしたが、考えてみれば首が動かない。 辛うじてギリギリ彼の姿がプラスチックの瞳に映る。相変わらず面倒臭そうに彼はゆっくりと歩いてきた。そして彼が私の目の前まで来たときに、 彼は私の存在に気付いたらしく、こちらのほうを見つめている。

 

「テディベア・・・?何でこんなところに・・・?」

 

明らかに不自然に放置されているテディベアを見て彼は訝しげに私を見つめるが、やがてそんな私を片手でひょいと持ち上げると、 すっと胸元に抱きかかえたのだ。・・・ヤバイ。かなり有り得ないシチュエーション。いわゆるとりえの無い地味な私が、 学校一の男に抱かれている。彼の呼吸が聞こえてくる。彼の心音が聞こえている。 この男とここまで至近距離で接した女はきっと私が初めてなんだろう。これで・・・私がテディベアの姿でなければいいんだけど。 哀しいかな今の私は声も上げられない、動きも出来ないただの布で出来たクマのぬいぐるみ。人間の私だったらものすごい心音で、 血液もものすごい全身を走り、きっと真っ赤なんだろうけど、今の私はピンク色で無表情な顔を彼の胸に押し当てている。 腕に抱えているテディベアがまさかクラスメイトの私だとは考えもしない彼は、そのまま家のドアを開け、自分の部屋に入ると、 私を机の上に置き私の目の前で窮屈な学生服を抜き始めた。

 

・・・凄い。

 

あ、いや、体つきが、という意味で。いやらしい意味でなくて。顔つきだけじゃなくて体つきも締まった身体で男らしい。 見れば見るほど惚れ惚れとする。本当に非の打ち所が無い。こんな彼に弱点なんてあるんだろうか・・・いや、 別に弱点探しに来たわけじゃないけど。頭の中で自分の心音の速さを想像しつつ、彼の行動をその丸い瞳に焼き付ける私。 誰も入ったことが無いと言われる彼の家、言ってみれば前人未踏の秘境に乗り込んでいる私なわけで。私は彼を見つめるばかりだったけど、 彼がふぅっと小さくため息をつくとベッドのほうに歩きその上に座る。私も可能な限り視野に彼を捉えるが、 ベッドの上を見たときに一瞬目を疑った。そして、その後彼が発した言葉にも驚きを隠せなかった。

 

「ただいまクレア・・・ただいま、ゼルダ」

 

彼のベッドの上に置かれていたのは多数のテディベアだった。そしてその一つ一つを女性の名前で呼び挨拶をしていく彼。

 

・・・。

 

言葉を失うって言うのはこのことなんだろうね。私は彼の意外な行動に驚きを隠せなかった。 確かにコインの精の言っていたことは間違いではなかった。これで女に興味がもてない理由もハッキリしたし、 男友達を家に招かなかった理由も分かったわけである。彼は、そういう趣味だった。そして一通り”彼女” たちに挨拶を済ませた彼は私のほうを見て一言ささやく。

 

「そうだな・・・お前にも名前をつけないとな」

 

そういって彼はまた私を持ち上げてベッドの上の他の彼女たちの横に置く。 周りを見ると私と同じ様な姿のテディベア達が微動だにせずそこに座っていた。当然それらは本物のテディベアであり、人の心は宿っていない。 しかしこうして動かないほかのテディベアを見ると、 今の自分も他の人間にはこういう風にただのテディベアにしか見えないのだろうと考えると少し怖くなってくる。 そんな私の不安に気付くことなく彼は私をしばらく無言で見つめ続ける。・・・そしてまた私を持ち上げると、 今度は身体をあちこち触ったり見たりして私を調べる。・・・これはかなりヤバイ。だって、テディベアの体とは言え、つまり、わたしは、全裸。 そんな私を意中の彼が全身を触りまわし見回す。・・・ダメ、私のボルテージは一気に加速していく。 この場合は逆に動けない体で助かったとさえ考える。だってもし動けたら、このままだったら私、何してるか分からない。 って自分で何言ってるんだか。

 

「タグは無いから手作りか・・・?しかし出来は製品クラスだし・・・」

 

当然私のそんな思いは彼には伝わらない。伝わらなくていいけど。

 

「・・・しかし、可愛いなお前。動くことが出来ないのは勿体無いよな」

 

そう言って彼は再び私をベッドの上に置く。しかし、今度は座らせるのではなく仰向きの状態で。 そして彼はその上に覆いかぶさるような姿勢になる。・・・チョット待って!これって!?

 

「・・・普通、始めて会った奴とこんなことは絶対しないんだけど・・・」

 

そして彼の顔がゆっくり私に近付いてくる・・・ヤバイ!絶対にこれはヤバイ!何とかしなきゃいけない、 けど当然今の私には抵抗どころか動くことさえ出来ないわけで。ただただ私の心だけがグルグル回るだけで、彼は止まらない。 そしてついに彼の暖かな唇が私の柔らかな毛で覆われた口に触れ合う。・・・触れ合った瞬間、 不思議と私はそれまでパニックだった自分が嘘のように心が落ち着いてしまった。これが、彼の唇。彼の鼓動。彼の体温。 動くことの出来ない私は、言葉どおり彼に身を完全に任せた状態だ。これはこれで、構わないかもしれない。例え自分がテディベアであっても、 彼と重なっている瞬間は、幸せそのものだ。・・・いや、やっぱりイタイけど。けど、だけど・・・。しかし、 ふとそんな時に自分の体が光に包まれ始めていることに気付く。・・・これって、もしかして・・・!?

 

「・・・何だ・・・?」

 

彼も私から発せられている光に気付き、突然のことに戸惑っている様子で顔を私から離す。 私の体から溢れる光はその間にもどんどん強くなっていき、私を包み込んでいき、私の体は徐々に大きくなっていく。 そして段々と全身に戻っていく感覚と重力に引っ張られる感覚。全身の柔らかな毛は波が引くように消えていき、 光が落ち着いた時にそこにいたのは、テディベアではなく人間の私。・・・当然一糸まとわぬ姿で。 私はとっさにベッドを覆っていた薄手の掛け布団を掴み、それで全身を何とか隠す。

 

「・・・古河・・・!?」

 

流石に彼も私を見て複雑な顔をしている。・・・止むを得ないだろうなぁ。自分が拾ってキスをしたテディベアが突然人間になり、 それがクラスメイトでしかも隣の席に座っている奴だってなったら。多分、彼の頭の中を様々な思考がグルグルと回っているんだろうと思う。 精悍なその顔を崩すほど大きく開いた口はしばらく閉じることが無かったが、やがてある程度考えがまとまったのかようやく一言呟く。

 

「・・・言うなよ?」

「・・・はぁ?」

「いや・・・違う・・・チョット待て・・・」

 

・・・何が違うのか知らないが、動揺が手に取るように分かる。要は、 この趣味のことや今回の出来事のことを誰にも言うなってことなんだろう。・・・いや、私だって言いたくたって言えない。彼の家で、 全裸だったなんて、完全にそっちの話だと捉えられてしまう。彼は再び考え込み、再び口を開く。

 

「何で・・・テディベアになってたんだよ?」

「・・・言っても信じないと思う・・・」

「いや、テディにキス・・・したら、古河になったって時点で俺の中の常識超えてるから・・・ 別に今更おかしな話されても信じないわけにはいかないだろ」

 

・・・それも確かにそうだ。私はコインの精などこれまでの経緯を話す。勿論、私が柊を好きだって話はしないけど。 そして私は呼びかける。

 

「・・・いるんでしょ?」

「いるよ、ここに」

 

何食わぬ顔でコインの精が顔を出す。何を聞いても驚かないといっていた柊だったが、 流石に妖精のようなその姿はやはり目を丸くしていた。私はそんな柊を尻目にコインの精に問いただす。

 

「・・・どういうことか説明してもらえる?」

「何を?」

「何を・・・ってどうしてキスをしたら元に戻ったの?」

「あれ、言ってなかったっけ?」

「聞いてない!」

「まぁまぁ・・・王子様のキスで呪いが解けるのはおとぎ話じゃデフォでしょ?」

「デフォって・・・それより、服は?私の服。さっき消してたでしょ?」

「ほら、ここにあるよ」

 

そういってコインの精が手をかざすとそこには私の服が現れた。その服を急いで手に取り柊の方を見る。

 

「・・・見ないでよ?」

「見るかよ・・・!」

 

柊は私とは逆方向を見て目をつぶった。そのことを確認し私はベットから降り、下着から順に自分の服を着ていった。 全て着終えた後柊のほうを振り向く。

 

「・・・もういいよ」

「あぁ・・・」

 

柊はこちらのほうを振り返った瞬間、お互いに目が合ってしまう。 私たちはお互いに反らすことが出来ずそのまま見詰め合ってしまいしばらく時間を経過させるが、やがてどちらとも無く視線をそらす。 やっぱり直視できない・・・こんなことがあっちゃ。

 

「私・・・帰るね?」

「あ、あぁ・・・」

 

彼は私のほうを見ることなく、うつむいたまま小さく呟いた。私はそのまま彼の部屋を出て、玄関でコインの精に靴を出してもらい、 彼の家を後にした。私はその後、後ろを振り返ることなく早足で家に戻り、自分の部屋に入ると自分のベッドにどさっと横になった。 そして自分の唇に、指を当ててみる。ここに、彼の唇がさっき当たったんだ・・・。今更そう考えると、 顔が真っ赤になっているのが鏡を見なくても分かる。しかも一瞬とはいえ裸も見られてしまっている。 明日から彼にどんな顔を見せればいいんだろう・・・?

 

一方で彼の意外な趣味を知ってしまったのも、顔をあわせづらい理由の1つだった。でも、あんな彼を見て、 結局私は幻滅をしていなかった。むしろ彼のそんなところを可愛いとか思ってしまっている自分に気付くとますます顔が熱くなる。でも、 テディベアに変身しなければ一生彼の唇を奪うことが出来なかったかもしれない。これが私たちにとって、いい1歩なのか悪い1歩なのか、 それは分からないけど、だれも踏み入ることが出来なかった彼の懐に強引にでも1歩入り込めた私達は、 明日からきっと何かが変わっていくんだろう。

 

「・・・あ、ケミストリー返してもらえばよかった・・・柊・・・明日学校来るかな?」

 

ふと、彼に貸したCDを思い出し、私は明日の学校が、少し不安だけど、 不思議と静かだけど今まで以上の希望を持っていけるような気がしていた。

 

 

ハロッズによろしく 完

posted by 宮尾 at 02:33| Comment(5) | ハロッズによろしく(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とうとう生物以外のものに手を染めましたよw

これも某チャット、というかリンクを張らせていただいた5°でテディベアの話が出てきたので書いてみました。

こうして自分はどんどんμの原稿を落としていくのでありました。。。連載作家だったら刎ねられてるよ(問題発言
Posted by 宮尾@あとがき at 2005年11月27日 02:38
どうも、久しぶりのロトトです(-▽-;)
こういうTFもいいですよね。海外のサイトでもぬいぐるみや「物」への変身が描かれているのを良く目にします。
動くことのできない彼女の心の描写もかなりリアリティがありますね…
…スゴイです<(__)>
後、余談ですが「ポケモン 不思議なダンジョン」を購入したんですが、最初にパートナーにしたチコリータの名前を「エリザ」にしていたり……(笑)
Posted by ロトト at 2005年11月27日 22:52
>ロトト様
お久しぶりですね。コメント有難う御座います。

>海外のサイトでもぬいぐるみや「物」への変身

元々自分は動物以外への変身は守備範囲ではなかったのですが、チャットで話が出て頭で想像したらこのシチュが出て来て「あ、イイ。コレ、イイ」と思ってそのまま筆を走らせてしまいました。。。

>パートナーにしたチコリータの名前を「エリザ」に

いやはや、光栄ですw
ゲームの世界でもエリザは元気娘であって欲しいです。ポケダン是非頑張ってくださいね!
自分は現在購入を検討中。元々ゲームを新品で買わない中古派の人間なので。。。しかし気になる。。。
Posted by 宮尾@レス at 2005年11月28日 23:13
初めまして宮尾さん!Skullです。
こういうTFは良いですね!これからも作品の執筆を応援しているので頑張ってください!

...できたら今度、ぬいぐるみや物への変身のサイトを教えてくれますか?なかなか見つからなくて...
お願いします!
Posted by Skull at 2005年12月30日 12:09
>Skull様
初めまして。コメント有難う御座います。執筆速度は遅いですが皆様に楽しんでいただける小説を書けるよう頑張っていきたいと思います。

>ぬいぐるみや物への変身のサイト

確かに獣化に比べると国内では供給が極端に少ないですね。。。海外では割と有りますが、ご存知かもしれませんがとりあえず有名どころですと、

http://foxx.furvect.com/
http://thrashwolf.cyoc.net/
http://kanada.tfcentral.com/

辺りでTF絵描きさんがモノTFを公開してますね。国内でも僅かですが需要が高まってますので、供給するサイトが増えるといいですね。
Posted by 宮尾@レス at 2005年12月30日 23:14
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