トランスフルパニック! 第4話「灯る悪夢」
【人→ポケモン】
全てのものにはタイミングが存在している。いいタイミングもあれば悪いタイミングもあって、 都合の悪いことに多くの場合タイミング自体を自分で判断したり調整したりすることが出来ない。だけど、 そのタイミングの良し悪しがそのままその後の出来事の良し悪しに直結してしまうことだって多い。だとしても、 それが最後のタイミングではないのだから、少しでも前に進む努力をすれば、また次のタイミングに出会えるはずだ。きっとそのタイミングが、 良いものであることを願って。
芸能界って言うのは厳しいところだ。芸能人がいて、マネージャーがいて、事務所があって、テレビ局があって、スタッフがいて、 ファンがいて。兎に角沢山の人の感情と思惑が複雑に渦巻き交錯している。長くこの業界にいるベテランでさえ、 息苦しく感じることだってある厳しい世界。経験が浅く若い者には、余計にプレッシャーが重く圧し掛かる。 それがお昼の人気生放送番組とあれば、尚更だった。
「グループ卒業後は・・・あぁそう、初登場?へぇー、滝元あかりちゃんですどうぞー!」
司会者の大きな声と共に軽快なジングルが鳴り、スタジオの袖から一人の少女が姿を現す。それを待つか待たないかのタイミングで、 会場に歓声が響いた。彼女がきちんとスタジオの真ん中まで来て、手を振りながら微笑むと、その歓声は更に強くなる。
「お久しぶりあかりちゃん」
「お久しぶりです!」
「グループで最後に来たのが?1年5ヶ月前?あそうーそんなになる?」
「そうですね。でも、他局の歌番組の方で半年前に」
「あーあれあっちか」
大勢の観客に、そして生放送であるこの番組は全国の視聴者にも見られている状況となるが、 少女は別段緊張した様子も見せずベテランの司会者と親しげに談笑し始めた。そのはず、小学生の頃からアイドルグループに所属し、 今年で芸歴は4年。この司会者とも何度も会っており、滝元あかりにとっては特別難しい仕事ではなかった。
ただ一つの問題があるとすれば、今日あかりは、少しだけ風邪気味ということだった。しかし、彼女の明るく元気な受け答えに、 彼女が風邪気味であることに気付いて人は殆どいなかった。
「大丈夫?あかりちゃん、体調の方は?」
CM中、そう声をかけてきたのはマネージャーだった。今この場で、あかりが風邪気味であることを唯一知っているのは、 彼女を管理する立場である彼だけだった。
「はい。大丈夫ですよ、思ったよりも」
「ならいいけど、無理だけはしないでね?」
「わかってますって」
鼻声にもならず、いつも通りの口調で答えるあかりを見ていると、マネージャーも要らぬ心配だったかと、安堵のため息をついた。 この様子であれば、とりあえず放送終了までは何事もなく終わりそうだと判断できたからだ。あかりの様子次第では、 CM明け以降のコーナーには出演しない可能性もあったが、周りのそんな不安を跳ね飛ばすぐらい、彼女の状態は安定していた。
「あかりちゃん、そろそろスタンバイお願いしまーす」
「はーい!」
スタッフの呼びかけに、あかりは元気よく答えるとスタジオの方へと向かっていった。
「CM明けまーす!5!4!・・・」
出演者が全員スタジオに戻ったのを確認するとADは大声でそう叫び、観客に拍手を促した。 そしてカメラのランプが赤く転倒したことを確認した、コーナーMCを担当する共演者がコーナー名を叫んだ。 そしてあかりの方を見て言葉を続ける。
「滝元あかりちゃんには引き続きコーナーに参加してもらいまーす」
改めて紹介されたあかりは笑顔で小さく頷く。観客からは再び拍手が沸いた。その元気そうな表情に、 やはり誰も彼女の体調が万全ではないとは思わなかった。あかり自身も。
しかし、舞台の上で大物タレントと並ぶその緊張や観客に見られ続けるプレッシャーによって精神的に、 そして常にライトに照らし続けられる中でただ立ち続ける状況で肉体的に、あかりの弱った身体は少しずつ体力を奪われていった。・・・ 次第に身体が熱っぽくなっていく。そして熱は、あかりの思考をぼやけさせてしまう。
(うう・・・だめだ、番組に集中しないと・・・!)
そう思い、辺りには気付かれないように静かに、しかし大きく鼻から息を吸い込んだ。しかし、 多くの観客が入ったせいか少し埃っぽいその空気を吸い込んだ彼女の鼻は俄かにむずむずし始めた。今は本番中。そう思って必死にこらえたが、 抑え切ることが出来なかった。
「ァ・・・ッシュン!」
その一瞬、場が俄かに静まり返り一斉にあかりのほうを見た。そして、口元を押さえるあかりの姿を見て、誰からともなく笑いが起こる。
「あかりちゃん!本番中だよー!」
出演者の一人がからかうように笑顔でそう言い放つと、あかりの顔はうっすらと赤くなり、身体が熱くなるのを感じた。 周りにつられながらあかり自身も笑っていたが、内心では恥ずかしさから鼓動が早くなっていた。
やがてすぐに、話題はあかりのくしゃみからは逸れて、話の軌道は元に戻り何事も無かったかのように番組は続いていく。 あかりの気持ちの高揚も、この間に落ち着きていく・・・はずだった。しかし時間が経てば経つほど、 あかりの身体を覆う熱っぽさは更に増していった。
(だめだ私・・・番組に集中しなくちゃ・・・!)
あかりは心の中でそう言い聞かせながら、自分の手を口元へと運び、緊張を払おうとするかのように口元を拭った。・・・だが、 その時何か違和感を覚えた。口に触れた手の感覚が、いつもと微妙に違う気がしたのだ。いつもよりも手が小さく、熱っぽく感じたのだ。 疑問に思ったあかりは、ふとその手を見直した。・・・そして、少しの間思考が止まった。
(何・・・これ・・・!?)
あかりは目を疑った。確かに自分の手を見ているはずなのに、その形も色も、自分の・・・いや、人間の手とは全く違っていたのだ。 オレンジ色の鮮やかな皮膚に覆われ、人間の手よりも小さく、指はたった3本で指先から小さく、だけど鋭く白い爪が伸びている。 まるで爬虫類のようだった。
「ッ・・・!?」
あかりは思わず叫びだしそうになったが、今は生放送中。カメラも回っている。必死で言葉を押し殺した。とはいえ、 このままこんな手の状態で収録を続けることも出来ないと思い、タイミングを窺いつつ、何とかスタジオの外に出れないか考えていた。
しかし、あかりはすぐにスタジオの外に出なかったことをすぐに後悔した。こうして待っている間にも、 彼女の身体は変化し続けていたのだ。そのせいなのか、身体の熱っぽさが更に増していき、自由がきかなくなっていく。
「うぅ・・・」
「・・・あかりちゃん?」
かすかな唸り声を上げて身をかがめるあかりに、横にいた共演者もその異変にようやく気がついた。そして恐らくあかり以上に、 彼女の異常事態の進み具合に気がついただろう。彼女の皮膚の変化は既に手だけではなかった。首筋まで皮膚の変色は進んでおり、 しかもそれは徐々に顔のほうへと広がっていた。
「あ、あかりちゃん!?」
隣の共演者が、思わず大きな声で叫んでしまい、他の共演者や観客、スタッフ・・・そしてカメラマンが、 一斉にあかりの方を振り返ってしまった。
そう、カメラマンも振り返ったのだ。勿論、カメラと共に。そしてその瞬間、 うずくまるあかりの服から煙が立ち込めているのを確かにカメラは捉えた。
(何・・・私、どうなっちゃってるの・・・!?)
身体の熱が更に増し、思考が追いつかなくなっていたあかりには、すでに出演者や観客の悲鳴は聞こえていなかった。代わりに、 自身に起きている変化は、見えていないはずなのに不思議と感じることが出来た。
彼女の身体は既に大分小さくなっており、だぶだぶと服は彼女の身体からずり落ちる。しかし、その内側からあらわになった彼女の身体は、 人のそれでは最早無かった。ほぼ全身があのオレンジ色に変色しており、おなかだけがクリーム色がかった白色の皮膚になっていた。 靴を破いて現れた足は、手と同じように鋭い爪が3本伸びており、脚も短くなっていた。
すっかりずり落ちてしまった服だったが、やがてそこに突然炎があがった。さっきまで出ていた煙は、 服がくすぶっていたことで出ていたのだ。そして、燃え尽きた服の下からは、にょろっと長い尻尾だったのだ。しかも、その先には炎が宿り、 激しく燃えていた。
感覚が遠のき始めていたあかりに、周りの声は聴こえ無かったが、周りが自分に向ける視線は感じていた。
(いや・・・見ないで・・・!)
あかりは、そう言ったつもりだった。・・・だが、その声はそこにいた誰の耳にも・・・あかり自身にも、人の言葉には聴こえなかった。
「カゲ・・・カゲェ・・・!」
(何・・・この声・・・!?)
あかりは慌てて自分の口元へと手を当てた。・・・だが、その口元も、殆ど彼女の顔の原形をとどめていなかった。顔全体が丸みを帯び、 鼻先が前へと突き出していた。口は大きく裂け、その中には鋭いキバが生えていた。髪の毛もいつの間にか消えてなくなり、 オレンジ色の丸い頭がスタジオの照明を受けて輝いていた。・・・そして、あかりは自分の変化がもう終わっていることに気が付いた。 全身を襲うだるさ、回らない思考、しかしそれでも、あかりは自分の姿を確認したかった。自分に何が起きているのか。 確認せずにはいられなかった。
そして、ふと観客席の方を見ると、カメラがこちらを向いていることに気付く。その下に、確認用のモニターが置いてあり、 そこに自分が映っていることも。・・・尤も、映っていたのは彼女の知っている彼女の姿ではなかったが。
「カゲェ・・・!?」
『嘘・・・!?』
小さなディスプレイでも分かる。それは人間じゃない。ぱっと見は恐竜の子供のようなその姿。オレンジ色の鮮やかな皮膚が、 スタジオの照明を反射して一層映えていた。ただ立ち尽くし呆然とする、その表情。開いたままの口元には白い牙が光り、 青い瞳は驚きと戸惑いで移ろい、次第に潤み始める。そして、あかりは何か糸が切れたようにその場にゆっくりと倒れこんでしまう。
『嘘だ・・・私が・・・ヒトカゲ・・・私・・・ポケモンになっちゃったの・・・!?』
倒れた後、自由が利かない身体で、あかりはゆっくりと自分の手を自分の目の前へと運んだ。しかし、その手はやはり・・・ 図鑑ナンバー004のポケモン、ヒトカゲのものだった。人間がポケモンになってしまう。そんなことありえないはずだ。しかし、 あかりは現にヒトカゲの姿へと変化し、それを共演者たちも、観客も・・・そして、カメラを通じて全国の人間が見ていたのだ。 あかりは両手で自分の頭を抱えるようにしながらうずくまり鳴き叫んだ。
『撮らないで・・・見ないで!私は・・・違う、私は・・・ヒトカゲなんかじゃない・・・ポケモンじゃないの!やめて・・・やめてぇ!』
それは誰の耳にも、意味を持つ言葉としては聴こえていなかった。ただ、聞き覚えの無い奇妙な生き物の耳障りな声でしかない。しかし、 その悲壮な叫び声に共演者の一人がようやく冷静さを取り戻し、目の前のヒトカゲが何を叫んでいるのかおおよそ理解し、 慌ててカメラの前に飛び込んで大声で叫んだ。
「止めろ!上!聴こえてるだろ!?・・・カメラ!流すな!」
カメラを指差し、観客席の後ろのスタッフルームを睨みつけながら叫ぶその声が響いてしばらく経ち、 ようやく全てのカメラのランプが消えた。だが、会場と出演者に広まった動揺はすぐには収拾が付かなかった。ようやく、 あかりのマネージャーがスタジオに上がり、変わり果てた姿の彼女を見て小さく呟いた。
「あかりちゃん・・・大丈夫?」
「カ・・・カゲェ・・・」
ヒトカゲは虚ろな目でマネージャーの姿を確認すると、そのまま目を閉じて全身の力が抜けたように、手も足も、尻尾もだらんと垂下げた。 ・・・どうやら気を失ってしまったようだった。
「あかりちゃん!?しっかりして、あかりちゃん!」
マネージャーの問いかけにも、ヒトカゲは反応しなかった。ただ哀しそうな、悔しそうな、苦しげな表情に、 一筋の涙がこぼれるだけだった。マネージャーは彼女の小さな身体を隠すように、そっと自分の着ていた上着をかけ、 ヒトカゲが目を覚まさないように優しくゆっくりと抱きかかえた。もちろん、尻尾の炎に触れないように気をつけながら。
「とりあえず・・・楽屋に連れて行きます。・・・関係者以外、帰らせるようにしてくれますか?」
マネージャーは近くにいたADにそう告げ、そのADが戸惑いながらも小さく頷いたことを確認すると、 ヒトカゲを抱きかかえたままスタジオを後にした。
(あかりちゃん・・・どうしてこんな姿に・・・!?)
マネージャーだって、自分の担当するタレントが突然ポケモンになってしまったことに戸惑いと驚き、不安は当然あったが、 それ以上に彼女のマネージャーとして彼女を守らなければならないという使命感の方が強かった。彼があかりを守らなければ、誰が守るのか。 その思いだけが彼を突き動かしていた。
(そうだ・・・僕がしっかりしなきゃ・・・僕は滝元あかりのマネージャーだろ・・・!)
マネージャーは、胸の中の小さな彼女をぎゅっといっそう抱きしめた。辺りが未だ騒然としていたが、 彼の心だけは静かに研ぎ澄まされていた。
(・・・あれ・・・ここ・・・どこ・・・?)
ふと、あかりが気がつくとそこはなにやら暗くて何も無い空間だった。辺りを見渡しても誰もいないし何も無いし、音も全く聞こえない。 ただひたすらに静かだった。あかりは何故かすっきりとしない頭を、片手で抑えた。・・・そして何を思ったか、 はっとした表情でその手を目の前に運び、その姿を確認する。だが、それは勿論彼女の手以外の何物でもない。そこにいるのはいつもの服を着た、 いつもの滝元あかりだった。あかりはほっとした表情を浮かべて腕を下ろした。
(・・・え?何で私・・・こんなことで安心してるの・・・?)
あかりは、不意に自分の意識と記憶が曖昧であることに気がついた。どうも、話が繋がらない。何故自分はこんなところに居るのか。・・・ 思い出そうとしても、何かに邪魔されるかのように記憶を辿ることが出来ない。・・・その時だった。今まで誰もいなかったその空間に、 突然誰かの人影がふっと沸きあがるように現れた。あかりが目を凝らしてその姿を確認する。・・・それは、あるテレビ局のディレクターだった。
「あかりちゃん・・・まさか、君がこんな形でウチの番組を潰すとは思わなかったよ」
(え・・・私が・・・番組を潰した・・・!?)
初めは、そのディレクターの言っていることが分からなかった。しかし、徐々に、自分が大変なことをしてしまったのではないか、 と言う記憶が戻り始める。それが何であったのか、一向に思い出せないが。
すると今度は別の方向から、また別の影が姿を現した。
「体調管理一つろくに出来ず、その結果あんな姿になるなんてな・・・タレントの、いや・・・芸能界の恥だな」
それは芸能界を代表する大物タレントだった。・・・そうだ、あかりはさっきまで、この人と共演していたのではなかったか。
(ちょっと待って・・・あんな姿って何・・・!?)
あかりは突然現れた2人の影に聞きたいことがあったが、それを切り出す前に今度は次々と影が現れ始める。・・・だが、 今度の影はあかりの見知らぬ人間ばかりだった。
「滝元あかり、あんな姿になっちゃってかわいそー」
「応援してたのに超ショック」
「あれじゃもう無理だな」
「芸能人として終わったな」
「ていうか、人として終わり?」
心の無い言葉が、あかりの周りを飛び交った。知らない顔たちが知らない表情で呟くその様子は、 あかりに恐怖を感じさせるのには十分だった。
(やめて・・・私が・・・何をしたって言うの・・・私が悪いなら謝るから・・・誰か教えてよ・・・誰か助けて・・・!)
あかりはそれらの人間を振り切るように、暗い何も無い世界で駆け出した。走っても走っても変わらない景色。それでも、 あかりは逃げ出したくて必死で走っていた。何も聞きたくない。何も見たくない。あかりは両手で耳を押さえ、目を閉じてただただ靴を鳴らした。 ・・・すると突然、どんっと前に衝撃を感じると、跳ね返されるように後ろに倒れこんでしまう。あかりが恐る恐る目を開けると、 そこにはマネージャーの姿があった。マネージャーは凄く冷たい瞳であかりを見下しながら強い口調で語りかけた。
「残念だよ、あかりちゃん。・・・こうなった以上、事務所として君を売り出すのはもう無理だ。・・・君はもう、終わりだよ」
「・・・そんな、待ってください!どうして・・・!?」
「・・・その声も、その姿も・・・芸能界にいられなくなった君には不要だな。・・・君にはもっと、お似合いの声と姿があるだろう・・・ ?」
「え・・・!?」
マネージャーのその言葉を聞いた瞬間、あかりの身体が急に熱くなり鼓動が早くなる。
「もう君は人間じゃないんだ。人間の姿なんていらないだろ・・・?」
(違う・・・私は人間だ・・・!)
あかりは自分にそう言い聞かせようとした。だが、既に彼女の身体は・・・マネージャーの言葉を肯定してしまっていた。
彼女の身体が徐々に小さく縮み始めると、その全身の皮膚がオレンジ色に変色し始める。その手の指もあっという間に短くなり、 指先に鋭い爪が伸びる。
「いや・・・私は人間なの!ポケモンになんか・・・ヒトカゲになんかなりたくない!お願い止めて!誰か・・・誰・・・カ、止メ・・・ カ、カゲ・・・カゲッ!?カ・・・イ、イヤッ・・・助け・・・タス・・・カ・・・カゲェェッ・・・!」
泣き叫ぶ彼女の声は、虚しく変わり果てていく。助けを求めようと叫べば叫ぶほど、徐々に変わっていく自分の声を耳にしなければならず、 それはあかりにとってまるで拷問のように感じた。彼女が声を発する口も、徐々に大きく裂けていき、鼻先は前へと突き出し、 その顔は人のものから爬虫類のそれへと変化していった。
変化が終わると、そこにいたのはもう滝元あかりじゃなく、瞳から溢れ出るほどの涙をこぼしながら立ち尽くす一匹のヒトカゲだった。 いつのまにか、彼女の着ていた服も消えてなくなっていた。
「そう・・・君はもうヒトカゲなんだ。芸能人じゃ・・・いや、人間じゃないんだ」
「カ・・・カゲェ!?カゲェ・・・カゲ、カゲッ!」
「滝元あかりにはもう、人間としての居場所は無い。ずっとその姿で・・・一生ヒトカゲとして生きていくしかないな」
「カゲッ・・・!?」
一生ヒトカゲとして生きていく。
その言葉があかりに重く圧し掛かった。しかし、自分がヒトカゲであるという事実はあかりにはどうすることも出来なかった。 自分の姿を見回せば、オレンジ色の皮膚に恐竜のような体躯。尻尾に燃え盛る炎。声を出そうとすれば、 それは全てヒトカゲの鳴き声になってしまう。そこにいるのは、ヒトカゲ以外の何者でもないのだ。あかりは、 目の前が真っ暗になったような気がした。もう、誰も、何も信じられず頼れない。
(そんな・・・どうしてヒトカゲなの・・・どうして私がヒトカゲにならなきゃいけないの・・・!?誰か助けて・・・ この姿のままなんて、いや・・・一生ヒトカゲなんて・・・!)
「いやぁぁぁっ!」
あかりは大きな叫び声をあげながら飛び起きた。頬が熱く濡れている。呼吸が、随分と荒い。全身が、酷く汗ばんでいる。あかりは、 涙で霞む目を見開きながら、自分の手を確認した。・・・ぼやけて見えるが、少なくてもその色はオレンジ色じゃない。指もきちんと5本有る。 間違いなく、人間の手だった。
「ハァ・・・ハァ・・・夢・・・!?」
あかりは改めて自分の全身を確認する。長い手足、長い髪。14歳の少女らしい身体つき。・・・正真正銘、滝元あかりの姿だった。 胸を男性もののジャケットで隠されて、全身は薄い毛布に包まれている。その下には・・・何も身につけていなかった。
(・・・どうして、こんな格好・・・!?)
あかりはまだぼぅっとする頭で、今の自分の置かれた状況を確認する。・・・辺りを見ればそこは彼女の楽屋だった。
(そうだ・・・私生放送の収録中に・・・)
あかりは徐々に番組中に自分の身に起きたことを思い出す。・・・考えるだけでぞっとした。人間が人間でなくなる瞬間。 映画とかでそういうホラーは見たことがあったけど、自分がそれを体験するとは思っていなかった。だが、 それは余りに非現実的な出来事だったから、あかりはどうしてもすぐにはその事実を認められなかった。
(熱があったみたいだし・・・単に幻覚を見た・・・のかも。さっきのは夢だったわけだし・・・)
あかりの頭には、さっきの悪夢がこびりついていた。 自分がポケモンになってしまっただけで手のひらを反したようにひどい仕打ちをする人間たち。しかし、 もし本当にあかりがヒトカゲに変身したとしたら、彼等の反応も理解出来ないものではない。・・・いや、理解できるから、怖かった。
(でも違う・・・あれは夢だった・・・だから・・・全部夢なの・・・全部・・・!)
あかりは必死で自分にそう言い聞かせた。人間がポケモンに変身してしまうなんてありえない。 そう思い込むことで自分の気持ちを落ち着かせようとした。・・・だが、その時あかりの目は、一つのものを捉えてしまった。
(・・・あれは・・・?)
見ればそれは、あかりが番組収録中に着ていた服・・・だと思われる。すぐに確信できなかったのは、 随分と印象が変わっていたからだった。そのはず、彼女が着ていたあの服は、半分近くが燃え尽きており、残った部分も焦げ付いていたのだ。
そのことに気付いた瞬間、またあかりの中であの瞬間が思い出される。・・・あの服が燃えてしまったのは、 ヒトカゲになった彼女の尻尾に宿る炎が当たってしまったから、という事実。
(そんな・・・違う、あれは・・・私じゃない・・・!)
何度も何度も、あかりは状況を否定しようとした。自分がヒトカゲに変身してしまったと言う事実。それを否定できなければ、 あの悪夢と同じような仕打ちが現実にも待ち受けているかもしれないのだ。しかし、いくら自分に言い聞かせても、 状況証拠が揃ってしまっている。思い込みだけで救われるような、易しい現実ではなかった。あかりは、 どうしようもない現実の前にただ震えることしか出来なかった。
「・・・あかりちゃん、入ってもいい?」
不意に、ドアがノックされ男の人の声が聞こえた。あかりはびくっとしながらドアの方を振り向く。聞き覚えのあるその声。 マネージャーだ。
「・・・あかりちゃん?・・・まだ寝てるのかな・・・起きた気配がしたけど・・・」
恐怖から声が上手く出せないあかりの返事を待てず、マネージャーは静かにゆっくりとドアを開けて中を覗いてきた。瞬間、 あかりとマネージャーの目線がしっかりと合った。
「あ・・・やっぱり起きてた」
マネージャーはあかりに優しく微笑みかけて中へと入ってくる。あかりはおびえるようにして、 自分にかかっていた毛布をぎゅっと握り締めた。・・・その時、ふと自分にかけられていたジャケットを思い出す。改めて確認すると、 それはマネージャーのものだった。
「あ、それ。・・・流石に、僕が眠っているあかりちゃんの着替えをしたらまずいかなっておもって。かけるだけだったんだけど・・・」
マネージャーは恥ずかしそうな表情を浮かべるあかりを照れくさそうに見つめながらそう語った。・・・ さっきの悪夢のような冷たい瞳じゃない。いつもの、温かく自分を見守ってくれる彼の目だった。しかし、それはそれで切ないものがあった。
「私・・・あの・・・」
「・・・どうしたの?」
「・・・私、本当にあの時・・・ヒトカゲになっちゃったんですか・・・!?」
「あかりちゃん・・・」
「凄くぼんやりとしていて、上手く思い出せないんです。だけど・・・それが事実なら、私・・・!」
「・・何が事実だとしても、あかりちゃんはあかりちゃんだよ」
「え・・・?」
あかりは、マネージャーの思いがけないその言葉にあかりは、胸につかえていたモヤモヤしたものがふっと消えたような気がした。
「・・・滝元あかりはウチのタレント。・・・大人の話になっちゃうけど、あかりちゃんとウチは契約しているんだ。あかりちゃんにもし、 まだ・・・この状況でもタレントを続ける決意があるなら、僕は全面的にあかりちゃんをサポートしていく。・・・僕は、 滝元あかりのマネージャーだからね」
笑顔でそう言い切ったマネージャーの表情は何処か晴れやかだった。決してそれが、あかりに対する慰めや哀れみでなく、 心の底からあかりを信頼し、いい意味でマネージャーと言う仕事を割り切ってやっている彼の優しさと強さが、あかりの心を確かに打った。
「私・・・私まだ、ここにいていいんですね・・・!?人として、タレントとして・・・これからも・・・!」
涙が止まらなかった。ずっと抱えていた不安が、安堵と共に流れ落ちていくかのようだった。 自分がポケモンになってしまった理由も分からないし、もしかするとまたポケモンに変身してしまうかもしれない。それでも、 今この瞬間は少なくてもここに自分の居場所があることに、あかりは希望を見出していた。見捨てずに、 自分の傍に居てくれるマネージャーがいる。それだけで、あかりは心強かった。
だから、あかりは少しだけ忘れていた。自分が出ていた番組がどういう番組だったのかを。 彼女が気を失っている間に世界は大きく揺れ動いていたことを彼女はやがて知ることになるけれど、それはもう少しだけ先の話。
トランスフルパニック! 第4話「灯る悪夢」 完
第5話へ続く
お願い致します!!!