μの軌跡・逆襲編 第5話「震える森」
【含TF(人間→ポケモン)】
そこは何も無い空間。何も無いというのは、物が無いというだけでなく、概念として重力や光や音、上下左右といった方向感覚、 人間の五感によって感じられる全ての感覚、そういったものさえ無にかえる空間。セイカはそこに自分がいることに気付いた。 宙に浮いているような、落ちている様な錯覚も覚えたが、自分の位置という概念すら存在しない世界。 セイカは辺りを見回し異様な光景にただただ唖然としていた。
(これは何・・・?夢・・・なの・・・?)
ここが何処なのか必死で周りを見回したり、手足を動かしたりしたが、何も見えず何も触れず、ただただ時間と体力だけが失われていく。 いよいよなすすべなく体の動きを止めた時、まるでその時を待っていたかのようにセイカの目の前に青い光がぽぅっと現れる。 そしてその光の中に小さな影がいることに気付く。その姿をセイカは知っている。
(え・・・?)
それはポケモンになってしまったときの自分の姿、つまりミュウの姿だった。その時セイカは、ふとした思いが頭を巡り、 ミュウの体から溢れる光を頼りに自分の体を探る。視覚が完全なものではないが、指の感覚、体を動かしたり触れたりしたときの腕や脚の長さ。 その重み。それは、人間の姿だから感じられる感覚。
(それって・・・!?)
姿を明確に確認できない以上断言は出来ないが、多分今の自分は人間の姿。すると目の前にいるのは・・・。 セイカはふと頭に思った言葉を口に出す。
「・・・本当の・・・ミュウ・・・?」
ミュウは答えない。ミュウは静かに微笑んだかと思うと、その周りの光が弱くなりミュウの体も薄れていく。
「待って!教えてほしいの!どうして、どうして私がミュウになったの!?」
セイカは消えようとするミュウに必死で問いかける。ミュウは消えようとする間際に、小さく呟いた。
『僕を・・・見つけて・・・』
「え・・・?」
セイカが驚きの表情を見せた時には、光は再び消え去り無の世界に戻っていた。 しかししばらくすると浮遊状態のようだった感覚が急に重力に似た力が全身にかかりどこかに落ちていく錯覚に陥った。
「待って!どういうこと!?貴方は・・・ミュウは・・・!?」
セイカは何も無い空間に向かって叫び続けた。
しかし、次の瞬間急に世界が明るくなった。と同時にあらゆる意識がハッキリする。 聞きなれた鳥ポケモンのさえずりや風で木々が揺れる音。その風が運んでくる森の香り。そう、 そこはセイカが生活をしている森の中の草むらだった。
(夢・・・だよね・・・?)
意識はハッキリしているが、あまりに異様な夢だったため少し頭が混乱している。少し心を落ち着けて頭を整理する。 そして改めて自分の姿を見つめなおす。さっきまでのような人の姿ではなく、夢に出た自分の姿、ミュウの姿であることを再確認した。
(やっぱり・・・夢か・・・)
奇妙な夢だったが、しかし少しの間だけでも、夢だとはいえ人間の姿に戻れたことで彼女の心はどこか希望があった。 夢であったとしても人間に戻ることが出来たのなら、もしかするともしかするかもしれない。
(希望は捨てないで・・・ってことなのかな・・・?)
セイカはしばらくそのまま考えていたが、やがてウン、と小さく頷くと体を起こし意識を集中させて体を宙に浮かせた。 彼女がポケモンになってしまい、この森で暮らし始めてから1週間が経った。初めは不安定だった空中浮遊も、 流石に大分慣れてきて長時間浮くことや、ある程度のスピードで飛び回ったりできるようになってきた。彼女は草むらを抜け、 森の中を突き進み近くの岩場に向かう。そこには山の上流から流れてきたと思われる水が沸いていて、 この森のポケモン達の大半は目覚めたらそこで水を飲んだり顔を洗ったりするのが日課になっていた。 セイカもそれに倣いこうして毎日岩場に行っているが、岩場に着くとそこには先客がいた。
『あ、セイカ!おはよ!』
『おはようエリザ』
岩場から溢れる水が作り出した小さな岩の器に口をつけ水を飲んでいるチコリータが元気に挨拶してきた。そして語りかけてくる。
『今日は遅かったね?』
『うん、ちょっと変な・・・夢を見て』
『変な夢?』
セイカもエリザの隣に降り立ち、小さな手で水をすくい口へと運ぶ。高い山の遥か上から、長いときを経て時に土の中、 岩の中を旅してきたその水はただ澄んでいるだけでなく、 冷たく清らかで一口飲むだけで閉じていた感覚が全て広がっていくような爽快感があった。 あの夢で感じていたモヤモヤして心に引っ掛かっていたものも晴れていくようだった。
『変な夢ってどんな?』
『うん・・・自分が人間の姿に戻っていて、目の前にミュウがいたの』
『セイカとは別に・・・?自分とあったって事?』
『あれは・・・自分のような気がするけど・・・でも最後に自分のこと僕って行ってたから・・・』
『・・・セイカってメスだよね?』
『うん・・・』
メス、と言う直接的な言葉に一瞬言葉が止まる。確かにポケモンなのだから女と呼ぶよりはメスと呼ぶほうが正しいのだが、 結局人間だったセイカにとってメスと呼ばれることが何となく抵抗があった。
『でも、僕って言ったってことは、オスなのかな?夢に出てたミュウは』
『多分ね・・・』
『何だろねそれ・・・まぁ、難しく考えないで、今日も楽しく行こうよ!ポジティブポジティブ!』
『うん・・・そうだね』
エリザはそういうと森の中に駆け出し頭の葉を揺らして招く。セイカはもう一度ゆっくりと水をすすり、そして口の周りを手で拭いた後、 エリザの後を追った。この森に来てから、何もかもが新鮮だった。ポケモンとしての生き方が分からなかったセイカは、エリザやジュテイ、 他のポケモン達に色々聞きながら、食べられる木の実や草の見分け方をはじめとして様々な生きる知恵を学んできた。 学ばなければ生きていけない。勿論ポケモン達は優しく接してくれるが、決して甘やかしはしない。 まるで親が幼子を見守るように彼らはセイカの成長を見届けていった。エリザはそんな彼女にとって時に友人、時に姉のように接していき、 彼女たちの関係は日々親密になっており最近では森でも有名なコンビとして話に出るようになってきた。
セイカはエリザが何故自分にそこまで親身に接してくれていたのか、はじめは分からなかったがある時ふと、 ポケモン達が話しているのを聞いてエリザもまたこの森に流れ着いてきた、外から来た存在だと知り、 彼女だから心細い自分の気持ちが理解できるのだろうと感じた。勿論、知ってしまったことをエリザに伝えるつもりは無い。 エリザもその話をセイカにする様子も無い。親友になっても話せないことが多いのは人間もポケモンも同じだった。 セイカにだってエリザに言えない事もある。でも、きっといつかは・・・。
『さぁて、早速何して遊ぶかな?』
『うーん・・・』
エリザが楽しそうに葉でリズムを刻みながら横に浮かんでいたセイカに問いかけてきた。セイカは口に手をあて悩む仕草をする。 やがて互いに色々意見を出し合いながらも、結局話が脱線をはじめ気付いた時にはただの雑談になっていった。でもその雑談が楽しかった。 静かな森の中に2匹のポケモンの楽しそうな鳴き声が響いていた。
「・・・で?あれがそのポケモン?」
「そゆこと・・・綺麗なポケモンだろ?」
「確かに見慣れないポケモンだな・・・」
崖の上からチコリータの横に浮かぶ珍しいポケモンを人影が見つめていた。そのうちの1人、若い女が横にいた若い男に問いかける。
「しかしロウト、何でソウジュ主任はあのポケモンを欲しがっているんだ?」
「さぁね・・・研究に必要とか、この前のフェリーの事件に関係あるとかじゃないの?」
「恐らく後者だろうな」
2人の会話に、さらに後ろにいた中年の大男が割り込んできた。
「・・・その意は?」
「あいつの様子に変化が現れたのはあのフェリーの任務以来だ。何の任務だったか知らんが・・・俺やロウトまでかり出すのだ。 余程あのポケモンが必要なのだろうさ」
「ゼンジのオッサンがそういうなら、そうかもしれないね」
若い男、ロウトはそういうと双眼鏡をおろしゼンジと呼んだ大男の方を見る。女の方も振り返り話を続ける。
「確かに、忙しいこの時期にこの3人が揃うなんて、考えられないことだし」
「俺も驚いたよ。上から応援が来るって聞いてたけど、まさかアリナさんが来るなんてね」
「私だって来たくてきたわけじゃないぞ?」
アリナはそういいながらポケットからゴムを取り出し自分の長い髪を結う。
「しかしこれだけの森ならポケモンの数も多いだろうから、ソウジュもお前の部隊に依頼したのだろう」
「勿論。野生ポケモン相手なら我々が適任だろうし」
「じゃあ、周辺のザコはアリナさんの部隊に任せて大丈夫だね?」
「ああ」
「そして、俺とロウトで例のポケモンを抑える。異存は無いな?」
ゼンジがロウトの方を見るとロウトは元気よく頷いた。
「決まりだな」
「さぁて、久々のゲームだ。楽しまないとな?」
「ばか者が。仕事をゲーム呼ばわりするな」
3人は一言ずつ交わすとそれぞれ別の方に散っていき、森の中へと姿を消した。
いち早く森の異変に気付いたのは、やはりジュテイだった。正しく言えば、 セイカ達が謎のトレーナーに襲われた時から警戒するよう森中に呼びかけていたのだが、今この瞬間、 遠くの方で森のポケモン達の様子が変わったことに、この森の長と呼べる存在であったジュテイはすぐさまそのことを感じ取ったのである。
『・・・ジュテイ?どうしたの?』
丁度その時、森の中からエリザとセイカが現れる。2匹は何か楽しい話でもしていたのか、笑顔で目には涙も浮かんでいた。しかし、 ジュテイの緊迫した表情を見て2匹も何かあったことに本能的に気付く。
『森が・・・ざわめいている』
『え?』
そういわれ、2匹も意識を集中し辺りを探る。そして何か感じ取ったのか、エリザがジュテイに問いかける。
『・・・西の方?』
『そうだ・・・何かが動いている』
『・・・セイカ、どう?感じる?』
しかしセイカは首を横に振った。まだポケモンの体の感覚になれていない彼女には、まだそこまで鋭敏にはなっていないようだ。
『まぁ、仕方ないよね・・・まだまだこれから、分かるようになっていくよ』
エリザはセイカに一度笑顔を見せたが、すぐにまた緊迫した表情でジュテイの方を見る。
『でも、何なの?この感じは?』
『それはお前たちの方が詳しいのではないのか・・・?』
その言葉に2匹は顔を見合わせ、はっと気付く。
『セイカを襲ったトレーナー・・・?!』
『恐らくはな・・・』
そういうとジュテイは西の方を見つめる。そう、西の方には1週間前にセイカがポケモントレーナーに襲われた崖がある。 あれからあのポケモントレーナーにまた襲われないよう毎日少しずつ移動しながら場所をくらましていたつもりだったが、感づかれたのだろうか。
『だが、1人ではないな・・・かなりの数の人の気配を感じる』
『そんな・・・まさかセイカを捕まえるためだけに?』
『有り得ない事ではない・・・ミュウは古来から人々の神話に語られてきた幻のポケモン・・・求めるものが多いのは確かだ』
そういってジュテイはセイカの方を見る。セイカはそういわれると段々怖くなっていく。今の自分はポケモンとしか見られていないのだ。 どんなに人間だと主張しても、言葉の通じるポケモンには信じてもらえても、言葉の通じない人間たちのはきっと伝わらないだろう。
『もう、ジュテイ!セイカを怖がらせないでよ!』
『・・・ただ、ミュウの子には自分がどういう存在なのか理解して欲しいと思ってな』
ツルを震わせ怒るエリザに対しジュテイは表情を変えず答える。 その様子を見たエリザはツルを下ろしセイカのそばにぴったりと寄り添い呟きかける。
『大丈夫・・・セイカは私が守るからね?』
『・・・うん』
セイカは小さく声を出す。しかし、まただ。また自分はエリザに守ってもらうしかないのか。自分の無力さが彼女の心に強く影を落とす。
『兎に角、一箇所にとどまり続けるのは危険だ・・・安全なところへ・・・』
ジュテイが2匹を誘導しようとしたその時、目の前を突然何かが横切ったため、セイカ達はとっさにそれをよけた。 それは軌道を真っ直ぐに進み近くの木に刺さった。
『早いな・・・もうここに来たのか・・・?』
ジュテイが木に刺さったそれを見ると、それはとげのようなものだった。そしてそのとげが飛んできた方を見ると、 2人の人間の男と何匹かのポケモンがいた。そのうち、1人の男と1匹のポケモンには見覚えがあった。
『あの時の・・・!』
エリザが彼らを睨みつける。若い方の男は1週間前に彼女たちを襲ったトレーナーに間違いが無かった。
『またあったな・・・チコリータ』
男のそばにいたカイリキーがエリザに応える。エリザは即座に身構え戦闘態勢をとるが、 カイリキーは動く様子なくエリザとセイカのほうを見つめていた。すると彼らの後ろから大きな影が動く。いや、大きいなんてもんじゃない。 小さなセイカとエリザにとって見れば、まるでビル一つが動いているかのようだ。大きく強力な顎に鋭い眼光、長く大きな鋼の体を持つポケモン。 ハガネールは、しかしその外見に似合わず穏やかな口調で語り始める。
『そちらのフシギバナ。この森の長と見受ける』
『長と呼ばれるほどの存在ではないが・・・今はあえて否定しないでおこう。して、何だ?』
『結論から申させて貰おう。そちらのポケモンを我々に引き取らせていただきたい』
そういうとハガネールはセイカの方を見つめる。とっさにセイカはエリザの後ろに隠れ、エリザもまた彼女をかばうように身を前に出す。 ジュテイはその様子を一度チラッと見たあと、再びハガネールを見て話を続ける。
『・・・悪いが断る』
『それはどういうわけかお聞きしたい』
『・・・逆に問うが、お前たちはこのポケモンがミュウだと知って捕まえようとしているのか?』
『・・・なるほど・・・そういうわけか』
ハガネールは自分の中で何か合点があったのか、一匹で頷きそして天を仰ぎしばしそのまま固まる。 その様子を見ていた男のほかのポケモン達が彼に問いかける。
『何やってるんだよガルガ!お前一人で納得しているんじゃねぇぞ!』
『あぁ、すまんな・・・しかし、ミュウとはな・・・』
仲間達に言われて再びセイカ達を見つめる。そしてまたしばらく間をおきジュテイのほうに目を向けて問の答えを返す。
『ミュウが持つ意味を自分は理解している・・・しかし・・・人に従うポケモンである以上、避けて通れぬ道もあるのだ』
『・・・ならばこちらも、ポケモンとしての道理を通すまで』
そういうとジュテイとハガネールは互いに戦闘態勢をとる。その様子を見たほかのポケモン達も戦いに備え身構える。 それを見た男たちが互いに言葉を交わした。
「交渉決裂・・・だな?」
「・・・何故一気に攻め落とさなかった?油断していた奴らならお前の実力なら勝てただろうに」
「ネゴシエーションも重要なゲームの一つさ」
「ばか者が。これはゲームではないと何度言えば分かる?」
「分かってるって・・・ようはこの仕事を落とさなければいい。それだけだろ?」
そういって若い男、ロウトも指示を出す体制に入る。静かな森に突如張り詰める緊張感。その中で渦中の存在であるセイカだけは、 ただただ自分のおかれた状況と激しく巡る運命に戸惑うしかなかった。
μの軌跡・逆襲編 第5話「震える森」 完
第6話「放たれる蒼」 に続く
あとは前話のビスケット等も含め、ポケモンとしてメス呼ばわりされる事への抵抗とかもいいですね。主人公の心理が細かに感じとれます。優しく接するが、決して甘やかしはしないポケモン達との関係もイイです。
続き楽しみにしています。
>ポケモンの体の感覚になれていない
>前話のビスケット等も含め、ポケモンとしてメス呼ばわりされる事への抵抗
人間とポケモンとでは、根本的に常識の基準も違っていて当然で、主人公たちがそのギャップを感じて戸惑う様子が書ければと思い表現してみました。心理描写は細かくなりすぎると説明的になってしまうので、分かりやすい表現を心がけたいと思います。