μの軌跡・幻編 第4話「巡る過去・交わりあう光」
【含TF(人間→ポケモン)】
「じゃあ、気をつけて行ってくるんだよー!」
ドクがドアのところで手をふりながら大きな声で叫んだ。リヒトもそれに答えるように小さな手を大きく振り、 タツキはその横で上体を倒し深々とお辞儀をした。そして顔を上げ改めてドクと、その後ろの建物を見る。それは小さな診療所だった。 彼女がここで目覚めてから1週間が経過した。中にいる時から大きな建物ではなさそうだとは思っていたが、 改めて外から見てみるとかなり小さな建物だった。しかしそれでも、そこにドクは1人きりで・・・今はタツキと2人暮らし・・・ 1人と1匹暮らし?をしているだけなので、例え小さくても、1人の男が細々と切り盛りするポケモン診療所としては十分な大きさなのだろう。
『ん〜!やっぱ外は気持ちいいね!』
思えばタツキはさっきとは逆に上体を反らし、太陽の光と風を全身で浴びるように伸びをする。何もかもが1週間ぶり。 何だか周りの全てが新鮮に感じていた。
『ほらほら、伸びてないで早く行こうよ。このままだとドク、永遠に手をふり続けそうだ』
リヒトは横においていた小さなリュックを背負い、下り坂を歩き始めた。
『分かってるよ、でもいいじゃない。1週間も幽閉されていたんだし』
『いやいや、幽閉って。第一無茶なリハビリをしなければもう2~3日は早く出れたかもしれないじゃないか』
『それは無理。あの特訓があってこその今の私なんだから』
そういうとタツキもリヒトのほうを向き、体の下部から尻尾にかけての筋肉を器用に動かし、前進する。 足と言う概念が存在しないハクリューの体を使いこなすにはかなり苦労したが、慣れればなんてことはない。 2本足で歩くよりも大分疲れはするが、それだけだ。人との会話、今の生活だとドクとのコミュニケーションがうまく取れない点を除けば、 意外とこの体で生活することに、当初思っていたほどの苦労はなさそうだった。 1週間も有れば人はポケモンになってもそれなりにやっていけるようだ。
『でも・・・何なのその荷物は?』
タツキはリヒトの背中のリュックを見て問いかけた。子供用、いやそれよりも小さな、 まるでぬいぐるみ用のおもちゃのような小さなリュックは何を入れているのか分からないが、パンパンに膨れ上がっていた。
『へへ・・・散歩と言えば!勿論おやつでしょ!』
『ピクニックか?私の退院祝いはピクニック気取りか?』
『まぁまぁ・・・美味しいポケモンスナック揃えてきたからタツキにも分けてあげるからさ・・・?』
『んん・・・まぁ・・・』
美味しいポケモンスナック・・・そうは言われても食欲が湧かなかった。いや、 ポケモンになった今のタツキが食べればきっと美味しいと思えるのだろうが、いまだにそこら辺の感覚は人間のままだし、 人間だった自分がポケモンとしてポケモン用のものを食べなければならないと言うのが、少し抵抗があった。
『少なくとも、ドクの作る流動食よりかはマシだと思うよ?』
『そうだね・・・しかし、よくもまぁそんなに用意できたね・・・どうやって集めたの?』
『・・・徳?』
『・・・・・・・・・・・・・・・』
タツキは無言でリヒトを追い越しすいすい進んでいった。
『あぁ!待って!言うから!言うから待って!』
後ろからリヒトが焦って四つ足で駆けてくる。タツキはぴたっと体を止めてリヒトのほうを向きなおす。
『・・・で?どうやって集めたの?』
『・・・と、』
『・・・・・・・・・』
『い、いや!徳・・・は言いすぎだけどさ、皆が分けてくれるんだよ!この島の人たちが!』
『どうして?』
『そりゃあ、ピカチュウはポケモン界のアイドルだからっすよ』
『・・・この島の人たちが皆いい人ってことね』
『い、いやだから僕がみんなのアイド・・・』
『この島の人たちが皆いい人ってことね』
タツキはいつものように笑顔でリヒトに問いかける。その目は、やっぱり笑ってない。それを見たリヒトは小さな声で、
『・・・はい』
と答えるしか出来なかった。そのまましばらく無言で2匹は歩いていったが、不意にタツキから言葉を切り出す。
『・・・島・・・でいいんだよね?』
『え?』
『いや、ここは島なんだよね?』
『うん』
『なんていう島なのか・・・は知らないんだったっけ?』
『うん・・・考えたことも無かったし』
『・・・人のいるところだったら、地図ぐらいあるかなぁ・・・?』
『地図?』
ここが小さな島だという事はリヒトから聞いていた。しかし、一体何処の島なのだろうか?タツキがフェリーから落ちたのは、 確かイズの沖。位置としては近くに島などは無かったはずだった。近くとすればイズ諸島の何処かだろうか。
『せめて、ここが何処なのか分からないと・・・何だか気が落ち着かなくって』
『そういうもんかな・・・?』
『え?』
『・・・物事が分からないって・・・そんな・・・辛いことかな・・・?』
リヒトの足が止まる。苦悩。というほどではなかったが、自分の中で何かがかみ合わない歯がゆさが表情に滲み出ているようだった。
『・・・ごめん』
タツキは、そう一言呟いた。触れてはいけないラインだった。勿論、話の流れがそっちにいくとは考えてなかったし、 リヒトも気にしなくていいと言ってくれているが、しかし。
『・・・ほら見えてきたよ』
『え?』
そう言うとリヒトは前を指差す。その先には広い砂浜。左右を崖で囲まれた入り江に穏やかな波が寄せては返しての繰り返しを続けていた。
『ここが・・・僕にとって・・・あと、タツキにとっても・・・始まりの場所だよ』
『ここが・・・?』
『まぁ・・・話をすればなんとやらってね・・・』
2匹はそばにある緩やかな坂を下りて砂浜に立ってみた。海を旅してきた波と風が、優しく出迎える。
『・・・僕の記憶はここから始まっているんだ』
『・・・』
『それ以前に僕が誰だったのかなんて・・・それは今の僕には関係のないことだし』
『辛いと思ったことは・・・ないの?』
リヒトは海の向こう側を見つめている。時々海のポケモンが飛び跳ねるのが見える意外、海は静かだった。
『・・・記憶の重みさえ思い出せない今・・・自分が辛いのかどうかさえ分からない・・・でも・・・』
『・・・でも・・・?』
『知らないんだったら、知らないままでもいいのかもしれないって・・・思っている』
『どうして?』
『・・・さっき言ったよね。僕の記憶はここから始まったって』
『・・・うん』
『だからさ・・・ここからが、僕なんだ。それ以前の僕が、どんなピカチュウだったか・・・それが分からなくて、 今日までこの島で生きてきて困ったことは無かったし・・・それに・・・』
『・・・』
『知れば・・・きっと戻れない気がする』
『・・・今の自分に・・・ってこと?』
『うん・・・前の僕に戻ると言うことが・・・今の僕でなくなるってことじゃないかなって・・・それも結局、 記憶を失うって言うのと同じことなのかなって』
『・・・それはそれで・・・辛いかもしれないね・・・?』
タツキも海を見つめる。きっとこの向こう側には、自分がいたがある。同じように、リヒトもこの海に流れ着いた存在。 そういう意味では同じ境遇と呼べるだろう。
『・・・正直、タツキを初めてこの浜辺で見たとき・・・嬉しいような、怖いような感じがしたんだ』
『え・・・?』
リヒトはタツキのほうを見上げる。タツキもまた、彼のほうを見つめる。そして目が合った瞬間、思わずリヒトは目をそむける。
『・・・自分と同じように海から来たポケモンだったら・・・もしかしたら自分の事知ってるんじゃないかって・・・思ってみたり』
『もしそれで私がリヒトのこと・・・というよりも、その前のピカチュウを知っていたら・・・どうなっていただろうね?』
『分からないけど・・・でも、これでいいんだと思う』
『・・・私は』
『ん・・・?』
『私は・・・リヒトのしたいようにするのがいいと思うよ?』
そういってタツキはリヒトの方を見つめる。リヒトの目にハクリューの笑顔が映る。ピカチュウのつぶらな瞳が黒く輝く。 リヒトはうつむき、しばらくそのまま何か考えていた様子だった。そして静かに顔を上げ、再び海のほうを見る。 そしてタツキに小さな声で問いかける。
『・・・逆に聞いてもいい・・・?』
『え・・・?』
『違う話なんだけどさ・・・』
海の風がピカチュウの耳と尻尾を揺らす。タツキはそのリヒトをじっと見つめる。
『リヒトって名前・・・どうして僕をリヒトって呼んだの?』
『・・・言っても怒らない?』
『怒るような内容なの?』
『いや、別にそうじゃないけど・・・』
再びリヒトが、そのつぶらな瞳をタツキに向ける。タツキは考え込んでいたが、やがて意を決したのか静かに語りだす。
『・・・弟の名前』
『え?』
『リヒトは・・・私の弟の名前なんだ・・・』
『うわ、タツキってブラコンすか?』
『違う!断じて違う!』
ハクリューは長い上体を乗り出しリヒトに向かう。リヒトは思わずその迫力にたじろぐ。
『わわ、ゴメンて!』
『もう・・・』
『でも・・・何で弟の名前を?・・・まさか弟がわりだとでも思って?』
『そうじゃないよ・・・ただ・・・』
『ただ?』
『ぴったりな名前だと思ってさ』
そういってタツキは再び体を起こし、太陽のほうを見つめる。
『リヒトは・・・遠い国の言葉で、光っていう意味なんだって』
『光・・・?』
『・・・リヒトを見たとき、明るく元気な様子見てたら、母さんから聞いたその話を思い出して・・・』
『それで僕に?』
『うん』
リヒトも太陽のほうを見る。夏の太陽は激しく世界を照らし、直視は出来なかったが、その光が今は何だか、 不思議とただ暑いだけではなく、まるで春の太陽のように優しい暖かさで自分たちを包んでいるかのようだった。
『・・・ありがとう』
『ん?』
『名前、気に入ってたんだけど、その話を聞いて、やっぱり自分ぽいなって思えてきたし』
『そう思うでしょ?』
そしてお互い見つめあい、微笑みあった。もしかするとリヒトも、タツキと同じように暗い心の世界にいたのかもしれない。 きっと求めていたのだ。自分とともに、明るい世界に旅立つ存在を。今の2匹の心に影は無かった。
『・・・いい風だね?』
『・・・うん』
『じゃあさ、早いけどおやつにしない?』
『早!さっきドクのところ出たばっかじゃん!』
『いいじゃんいいじゃん・・・こんだけあるんだから何度かに分けて食べないとね?』
『・・・じゃあ・・・私も食べようかな・・・?』
そういってリヒトとセイカはリュックに詰まった様々なポケモンスナックをあさり始める。 そして各々が自分で食べたいものを選んで食べようとしたその時、2匹は何か遠くが騒がしいことに気付いた。
『何?』
『行こう!おやつは後にして!』
そして2匹は坂を駆け上る。上にたどり着いた時に、騒動の原因に気付いた。この島の中心には、 青々とした木々が生い茂る小さな山があった。しかし、その山が今、紅の光に包まれていた。
『あれって・・・火事!?』
『・・・!あの山の、炎が出ている辺りには色々なポケモンがいるんだ!』
リヒトは叫ぶ。今そこで燃え盛っているのもまた、光に違いない。しかし優しさはなく、ただただ島の緑を飲み込んでいく脅威の光。 2匹はお互いに顔を見合わせ、同時に小さく頷くとその光の方へと駆けていった。
μの軌跡・幻編 第4話「巡る過去・交わりあう光」 完
第5話「炎の空・悲しみの雨(仮)」に続く
リヒトとタツキがポケモンスナックを食べようとリュックをあさる時、リヒトとセイカになってます