μの軌跡・幻編 第3話「生まれた絆・新たな居場所」
【含TF(人間→ポケモン)】
「・・・うん、これでよし、と」
ドクはそう言って、ハクリューの体に薬を塗り終えた。少ししみるのか、ハクリューの表情は僅かに険しくなっていた。
「大分直ってきたし、もうそろそろ自力で動けるようになると思うんだけどな・・・まぁ、まだまだ安静は必要だけど」
ドクはタツキを見て呟きながら、薬を片付けて部屋から出て行った。 ハクリューになってしまったタツキがドクの元にやってきてから3日が経った。 最初に目覚めた時はハクリューになってしまった戸惑いで気に留めていなかったが、 考えてみれば人間だったときにあれだけの怪我をしたのだから、ハクリューになってもその怪我が治っているわけではなかった。 徐々に意識が落ち着いてくると全身を猛烈な痛みが襲ってきてその夜は眠ることも難しいほどうなされてしまい、ドクに睡眠薬を処方してもらい、 ようやく眠りに付くことが出来た。しかしその後、ドクの治療とポケモンの回復力の高さが相まってか3日目ともなると痛みは殆どなくなり、 ある程度体を動かすことが出来るようになってきた。
(・・・とは言ってもなぁ・・・)
体を動かせるようになったとしても、それを操るのは容易ではなかった。まず、根本的に四肢がないことが最大のギャップだった。 意識しなければなんてことは無いのだが、一度手足が無いことを意識しだすと全身に違和感が染み渡りもうどうにも止まらなくなってしまう。 あるはずのない手足があたかもそこに有るかのような感覚がどうやっても抜けない。 最も14年手足が有って当然の生活をしている中で突然それを失ってしまったのだからやむをえない。
しかし、手足を使えないことはただそれで済む問題でもない。今まで手足を使ってしていた行為は、体のほかの部分を使うしかないのだ。 体を起こす、という何気ない行為でさえ手足がないとまるでその難易度は違ってくる。特に細く長いその体は、 人間のように腰や胸といった体の要となる部分が存在せず、何処を基点にして体を起こせばいいのか感覚がつかめない。 筋肉の力の入れ方もまるで違う。人間だったときの、背筋のあたりに力を入れると上体がぐっと起きて目線が高くなるが、 そのバランスを維持するのもなかなか難しい。起き上がったと思ったらすぐに重力に負けて横に倒れこんでしまい、壁に体をぶつけてしまう。 その時とっさに手を出して自分の体を支えようと考えてしまう。習性と言うのは恐ろしい。
『・・・まだやってたの?』
何度も何度もそれを繰り返していると、いつの間にか横にはピカチュウがちょこんと座ってそんなハクリューを面白半分、 呆れ半分というような表情で見ていた。
『リヒト・・・いつからそこにいたの?』
タツキは壁にもたれたままリヒトを見る。思い通りに行かない苛立ちからか、表情が穏やかではない。 それを見たリヒトは瞬間的に笑顔をやめてごまかすために顔を横に向けた。
『・・・大分前から』
波風立てないようにと、自然と口数が減る。タツキは壁に力を入れ、反動で起き上がるとそのままゆっくりと恐る恐る上体を倒れこませて、 寝そべる格好になる。
『・・・本当に・・・人間だったみたいだね』
『・・・何よ急に』
『いや・・・やっぱ本当のハクリューはいくら怪我したからといって、体を動かせるようになるまでここまで苦労はしないだろうし』
『鈍いハクリューかもしれないよ?』
『ああそうか』
『いや、あっさり納得するところじゃないでしょ』
・・・ここにいて一つ上達したといえば、ツッコミだろうか。体を動かすことは死活問題ですらあるのに、 自分の成長は要らない方向に向いてしまったようで、違う意味で泣きたくなってくる。
『いやいや、自分から言っといてそれは無いでしょ』
『どう考えたって話の流れからいけばフォローするところでしょ?』
しかし、何だかんだで会話をしていると自然と笑みがこぼれてくる。笑えるようになったのも、 或いはここで変わったことの一つかもしれない。思えば、家族を失ってからずっと笑っていなかった気がする。別に周りが全て敵とか、 信じられなくなるとか、そこまで絶望的になることは無かったけど、 ただあの頃の自分は何か胸に出来ただだっ広い空間に一人で何もせずにぼうっと立ち尽くしているような満たされない感覚が強かった。きっと、 あれが孤独なのだろう。そういえばここに来てから、あの空間を自分の心の中に感じたことは無かった。
(結局・・・孤独じゃないからだよね・・・?)
今まで家族がいてくれた距離にリヒトとドクがいてくれる。家族の思い出が詰まったあの頃の我が家はもう無いけれど、きっと、 ここは新しい家だと思っていい場所なんだ。わずか3日という短い期間で生まれた新しい絆。あれだけ凍てついていて、 自分自身で嫌っていた心の中が、今は何だか暖かい。
『・・・まぁ、もう少し体が動かせるようになったらさ』
『ん?』
『ここ出て散歩でもしにいこうよ』
『いいね、私歩くの好きなんだよね・・・ずっとここでじっとしていても体に悪いし』
『・・・病院なんだから、体に悪いことはないんじゃないの?』
『っ・・・!』
・・・ツッコマれた。ツッコミを入れるのは3日間で上達したが、ツッコミを入れられるのはパターンが少ないためどうも慣れない。いや、 別にボケたわけじゃないんだから、普通の会話として流していいのでは?じゃあ普通の返事をすればいいのか?しかし、返しの言葉が出てこない。 そうこうしているうちに、リヒトが話を続ける。
『・・・まぁ、外の空気を吸えば、少しは気持ちも落ち着くんじゃないの?』
『・・・そうだね』
『じゃあさ、早く動けるようになりなよ。この島を案内するからさ』
『わかった、努力するよ』
『それじゃ、今日はもう帰るよ』
そういってリヒトは窓を器用に開けて、ひょいとサッシに飛び乗り小さく手を振る。タツキは再び体を起こし、首・・・ と言うより状態を僅かに傾けることでそれに答えた。開いた窓からさわやかな風と暖かな光が入る。まだ8月中旬。 西に傾いた太陽が小さな部屋を明るく照らしていた。
μの軌跡・幻編 第3話「生まれた絆・新たな居場所」 完
第4話「巡る過去・ 交わりあう光」に続く
というわけでかなり短い第3話。本当はこの後の第4話、第5話とひと繋がりなんで、内容的にはこの3話が1話に該当するのですが、ちょっとバランス調整です。しばらく幻編は中身が薄そう。。。その分逆襲編で中身を濃くしたいです。。。
2つの物語を同じ時系列ですすめてるので、内容が片方によってしまうのはしかたないかと…。でも最終的にはリアリティがあっていいと思います。
お褒め頂き光栄です。都立会様の黒い獣でのリアルな表現を見て、意識してみました。手足が無いって考えただけでも不便そうなので、上手く表現できればと思います。