2008年01月14日

天使の面影

「天使の面影 -モノクローム・ビースト 六×五-」

【人間→獣人】

for 由薙六瑪様

乾燥した冷気が、僕の肺に流れ込む。呼吸をする度に、息まで凍りそうな冬の夜の寒さに、僕は肩をすくめた。そして腕時計に目をやった。 短針は8時を回っている。

 

「何か、用事でもあったの?」

「え?」

「時計、気にしてるから」

「あぁ、いや……もうこんな時間なんだなと思って」

 

僕は時計から目を離し、声をかけてきた彼女のほうを振り向いた。その瞬間、彼女の髪がなびいた。僅かに降る雪が、 艶やかな濃紺の長い髪に付いたため、それを払ったようだ。かすかな水滴が彼女の周りに散り、月の光を受けきらきらと輝く。……まるで、 彼女自身が輝いているかのように見えた。

 

「蓮、どうしたの?ぼぅっとして」

「……何でもないですよ、鷹子さん」

「そう?ずっとこっちを見ていたから」

「何でも、ないですよ」

 

ただ、実際のところは何でもないことはないため、僕はわざと笑って見せた。彼女は小首をかしげながら「それなら、いいけど」 と小さく呟いて、僕から視線をそらした。彼女の視界に僕の姿が入っていないことを付くと、僕は小さくため息を漏らし、雪の舞う空を見上げた。

 

高校生の男女2人が、夜の8時ごろ、僅かに雪の降るなかで2人っきり。ロマンチックといえばロマンチックかもしれない。 僕たちのいるところが、街外れにある、痩せた木ばかりが並ぶ貧相な林でなければ。

 

「一条さん達は今頃……廃獣と戦ってるんでしょうか?」

「恐らくはね。私達も気を引き締めないと」

「そう……ですね」

 

彼女は僕のほうを振り向くことなく、寒さでかすかに震えた声で、しかし淡々と答えた。僕も、彼女の目線と同じほうに眼を向けた。…… 一条さん達とは、大分距離が離れているのだろうか。音も、姿も、”匂い”も感じない。ただ、風が木々の間を駆け抜ける音が、 虚しく僕の耳を騒がせる。

 

……いや、虚しいのは僕の心か。廃獣が現れたという報を受けて駆けつけてみたものの、他の皆が戦う中で、僕と鷹子さんだけが、 一条さんから待機を言い渡されていた。

 

「よほど、私たちのことを信用してないのかしら」

「そうじゃないですよ、多分。……待機ってことは、戦いには備えておけっていうことでしょうし」

「一条さんは、言葉が少なすぎるわ。……だから誤解を生むのよ」

 

それを貴女が言うんですかと、僕は思わず突っ込みたかったけど、あえて口にはしなかった。口に、出来なかった。 彼女が何処までの意図でそう言ったのか測りきれなかったからだ。

 

時々僕は見失う。彼女の心を。

 

幼馴染として、長い間彼女の事を見てきた。多分、他の人が見たことの無い彼女の表情を僕は色々知っている。それでも、 彼女を深い部分では理解できずにいた。その”心の計れなさ”が、彼女の強さであり、魅力であるといえば、そうなのかもしれないけど。 僕は胸の内側で静かに暴れまわる色々な言葉と思いを、少しの間だけ目を瞑って落ち着かせると、少しの間をおいて呟いた。

 

「……冷えますね、今日は」

 

言った直後に、自分でも何を言ってるんだろうと呆れてしまい、白い息を大きく吐いた。彼女は、真面目な顔を少しだけきょとんとさせて、 すぐに「そうね」と答えた。そしてすぐに、沈黙が僕達を包み込んだ。

 

「蓮は、どう思っているの?」

 

沈黙を先に破ったのは、鷹子さんだった。やや俯き加減で、かじかむ手をこすり合わせながら僕に問いかけた。「何がですか?」 と問い返すと、「待機を言われたこと」と即答した。

 

「……僕が待機させられたことについてですか?それとも、鷹子さんが?」

「両方よ」

「……それは、僕の正直な感情で喋っていいことですか?」

「幼馴染の私に、正直じゃない感情で喋るつもりってこと?」

 

彼女に聞き返され、僕は少し口を閉じた。何を、どう言おうか、少しだけ考えていた。だけど彼女の言う通り、僕は彼女に対しては、 素直に喋ることしか出来なかった。

 

「……僕が待機させられたことは、ちょっと悔しいと思ってます。……僕は、皆より弱いし……勇気も無いし……だけど、 だから一条さんに待機って言われて……やっぱり、足手まといなのかなとか……余計な事、考えたりはしてました」

 

鷹子さんは、僕の方をじっと見ながら、僕の話を聞いていた。僕は少しだけ恥ずかしくなって、顔をやや俯き気味にしながら、 言葉を続けた。

 

「でも、鷹子さんが……待機したことは、少しだけ、ほっとしてます」

「どうして?」

「鷹子さんが、傷つくところ、見なくて済むからです」

 

言いきる僕の顔は、俯いていたから鷹子さんには見えなかっただろうけど、自分では少し顔が熱くなっているのが分かった。多分、 うっすらと赤くなっていると思う。すると突然、そんな僕の頬を鷹子さんが優しく触れてきた。冷え切った彼女の手は冷たくて…… 僕の顔が熱くなっていたせいもあって余計に冷たく感じて、飛びのくように後ろに下がった。

 

「よ、鷹子さん、何ですか!急に、その……」

「……寒さのせいかしら。人肌が恋しくて」

「か、からかわないで下さい!」

「からかってるつもりは無いわ。……貴方が私に対して正直になれるように、私も貴方には正直になれるのよ。知らなかった?」

「えっ……!?」

「……最近戦いが続いていたからかしらね。少し、気持ち的に参っているのかもしれない」

 

驚きばかりが重なっていく。確かに、彼女は珍しく、気持ちが弱っているのかもしれない。彼女が弱音を吐くところなんて、 僕だって殆ど見たことが無かった。弱音を吐くのはいつも僕で、鷹子さんはそんな僕をいつも叱ったり励ましてくれたりした。

 

無理も無いかもしれない。僕達は獣人として覚醒した。だけどそれはつい最近の話で、ついこの間までは他の人間と同じように、 普通に高校生として暮らしていたんだ。廃獣の問題は知っていたけど、それは僕達に関係の無い世界の話だって、どこか割り切っていた。 目をそむけていた。それが、今では日々廃獣と戦っている。体に、心に、負担がかかっていないはずは無かった。

 

だけど、あの日廃獣に学校を襲われ、多くの友人が廃獣に傷つけられたあの時から……獣人として戦う力を得てしまったあの時から、 僕達はもう戦う運命から逃げられなくなっていた。それは、獣人に変身するから仕方なく、と言う意味じゃない。 目の前で大切な存在が傷ついていく様を、ただ何も出来ずに見ていることしか出来ない虚しさと恐ろしさを知ってしまったから。だから僕は、 戦わずにはいられなくなった。もう、誰も傷ついてほしくないから。自分が無理してでも、傷ついてでも守りたい人が、僕にはいたから。

 

「ごめんなさい。……すぐに、気持ちを切り替えるから」

 

そう言って彼女は僕に背を向けて、やや頭を上に向けながら、目元を腕で覆った。その姿が、何時になく小さく、女性らしく見えた。

 

時々僕は見失う。彼女の心を。

 

だけど、すぐに思い出す。彼女の心の底にある、優しさを。

 

鷹子さんは何も、感情が無いわけじゃない。表現が苦手なだけなのだ。彼女の強さは、彼女の弱さの裏返しなのだ。それを僕は知っている。 だから、人よりも傷つかないように見えるその内側で、誰よりも傷ついてしまうことも、僕は知っていた。そんな彼女に、力も気も弱い僕が、 出来ること。

 

「……鷹子さん」

 

気付けば僕の腕は、彼女の背中から彼女を包み込むように回り込み、僕は彼女を抱きしめていた。

 

「蓮……!?」

「……少しだけ、こうしてましょう?お互い……寒くなくなるはずです」

「……そうね、これなら……顔も見られなくて済むし……」

「え?」

「何でも……ないわ」

 

彼女は、眼に当てていた腕を下ろして、その手で僕の手をそっと優しく触った。その手は、まだ少し冷たかった。緊張と彼女への思いで、 妙に温かくなっていた僕の身体とは対照的に、彼女の身体は冷え切っていた。だけど、こうして包み込むことで、 彼女の身体が温まっていることが、肌の血色を見ても分かった。……こうすることで、彼女の心も温かく包み込むことが出来ているだろうか。 そんな時、彼女が小さく呟いた。

 

「ずっとこのまま……」

「……このまま?」

「時が止まれば、良いのに」

「……時が止まれば……笑うことも、泣くことも出来なくなりますよ?」

「……時々、意地悪よね。蓮は」

 

彼女の声は、いつもの素っ気無い声に戻っていた。……だけど、それを聞いて僕はほっとした。鷹子さんが少し、 落ち着きを取り戻した証拠だったから。僕はゆっくりと彼女から離れようとした。……その時だった。

 

急に、背筋を突き抜ける寒気。それは寒さのせいじゃない、もっと別のものだった。僕は慌てて鼻をひくつかせる。…… かすかに感じた嫌な匂い。匂いだけで分かる、悪意と憎悪の強さが。その瞬間、僕の目はエメラルドのような鮮やかな緑色に変化し、 鼻先もまるで動物のように黒ずんでいた。そして、顔を白い獣の毛が覆っていく。……敵に気付いたことに条件反射したらしい。 僕の身体は人間でなくなりつつあった。

 

「どうしたの、蓮!?」

「……廃獣です!……3、4……いや、5体!一条さんたちの方に!」

「わかったわ!」

 

僕が全てを言い終える前に、既に彼女は動いていた。……人間の姿でなくなりつつあったのは、僕だけじゃなかった。 素早く上着を脱ぎ捨て、現れたその肌は既に、人間の肌ではなくなりつつあった。柔らかで美しい、やや緑がかった白い羽毛が、 全身を包み込んでいた。特に腕からは大きな羽毛が並び、瞬く間に彼女の腕は翼と化した。

 

「5匹は……散開しながら北北西に時速で15!鷹子さんは、大きく旋回して西南西から回り込んでください! 僕は廃獣たちの後ろから追います!」

「蓮も気をつけて!」

 

そう答える彼女の口は、既に人のものじゃなかった。鮮やかな黄色の、鋭いくちばしが彼女の顔の真ん中からすっと伸びていた。脚も、 鳥の黄色い鱗で覆われている。……人の面影は、青くたなびく長い髪と、輝く瞳ぐらいだろうか。既に彼女の姿は、鷹の鳥人と化していた。 彼女は大きく翼を広げると、一瞬にして空高く舞い上がった。……さっきまで、弱音を吐いていた少女は、何処にもいなかった。

 

そしてその時には僕の顔も、既に大きく変化していた。口元は前に伸びイヌ科のマズルへと変わっている。僕が素早く服を脱ぐと、 僕の肌は全身白い毛で覆われていた。お尻の辺りからは、尻尾まで生えている。手足の指先からは、鋭い爪が伸びている。その姿は、 犬の獣人と化していた。僕は耳と鼻を動かしながら、脚に力を込めて走り出す。また始まる、戦いに向かって。

 

……本当なら、彼女に戦いなんてして欲しくない。彼女が戦わなければ僕は彼女の傷つくところを見なくて済む。だけど、 僕には鷹子さんを止めることなんて出来なかった。

 

それは、彼女の戦う理由もまた、僕と同じだから。普段口にすることは無いけれど、傷つく人を放っておけない優しさが彼女にはあって、 だから戦おうとする姿勢は、僕と同じだから、止めることなんて出来るはず無かった。

 

僕は、走りながら、意識は前を走る廃獣に向けたまま、そっと視線を空に上げた。その目線の先には、大きく翼を広げ、 長い髪をたなびかせながら空を飛ぶ、美しい鳥人の姿があった。

 

「……まるで、天使みたいだな……」

 

優しく、強く、美しく。翼を持った彼女のことが、僕には確かにそう思えた。

 

「……きっと、いつか戦いは……終わりますよね……?」

 

誰に聞くでもなく、僕はそっと呟いた。或いはその願いが、僕の目の前を飛ぶ天使を通じて、 本当に天に届くことを祈りたかったのかもしれない。……だから、僕は決意できた。これからも辛い戦いを続けることを。彼女を……鷹子さんを、 絶対に守りぬくことを。

 

そして僕はまた少し加速しながら、自分の毛と同じ真っ白な森の中を駆け抜けた。迷わないように、願う未来に向かって。

posted by 宮尾 at 17:52| Comment(2) | 短編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
宮尾様、こんばんは。シリウスノートの由薙六瑪です。

この度は企画へのご参加、ありがとうございました!!
まさか宮尾様にご参加頂けるとは考えていなかったので物凄くビックリしておりますが、ご参加頂けて本当に嬉しいです。

小説の方も、蓮と鷹子の微妙な距離感が魅力的な作品で、とても楽しく拝見させて頂きました。
私は鷹子の性格(ドライで感情表現が下手)が掴みにくくてやや書きにくいのですが、宮尾様の書かれる鷹子の描写は作者の理想的な鷹子そのもので、表現やセリフの使い方が凄くお上手だと思います・・・!
特に「……時々、意地悪よね。蓮は」のセリフは、鷹子の女らしさが集約されている感じがして、とても可愛らしく思いました☆

蓮も弱々し過ぎず、男らしい包容力や彼独自の冷静な思考が上手く表現されており、魅力的でした。
会話も多過ぎず少な過ぎずの丁度良い甘さで、微妙な距離感と二人の間の信頼感がとても心地良く感じます。

本編ではまだ出ていないので作者も性格を掴めていない二人ですが、このような素晴らしい小説で表現して頂けて、本当に光栄に思います。
宮尾様の書かれる二人は管理人の理想的な二人ですので、本編を書く際にも参考にさせて頂こうかと・・・(^^)

この度は企画へのご参加、そして素敵な作品をありがとうございました!!

★宮尾レス
由薙様、コメント有難う御座います!
今回の作品は、いつも楽しませていただいている由薙様へのお礼の気持ちも込めて、モノクロームビーストを私なりに表現させていただきました!
・・・が、他の方の作品を書かせていただくのは難しいですね(苦笑)。
鷹子さんが弱みを見せたり、蓮が積極的だったり、ちょっと空気感が本編と違うのではないかと思って、上手く二人の関係を表現できたかどうか心配しておりました。。。
なので、こうしてお喜びの言葉を頂き、逆に由薙様にご参考にしていただけるのは光栄です!
今後も、モノクロームビーストの展開、楽しみにしております!頑張ってくださいね!
Posted by 由薙六瑪 at 2008年01月14日 23:28
初めまして、宮尾さん。
柴田徹と言います。

実は去年の夏頃から――ウィンド・ウィルド・ポータブル(でしたっけ?)時代からこちらにご訪問しまして、毎日毎日楽しませて頂きました。
特に『ラベンダー・フォックス』やポケモン関係の方がお気に入りです。

こちらの方も、実は由薙六瑪さんのサイトからやってきまして、実は僕も『モノクローム・ビースト』の大ファンでして、それも六×五(特に連君)が一番のお気に入りでして、それでこの素晴らしい小説を読んで、ついに今回初めてカキコした所在です。

その蓮君の一人称小説で、蓮君のその時その時心境が恐ろしいほどリアルで、自然と納得した自分がいたりいました。個人的には今まで持っていた僕の中の蓮君のイメージとは違う所がなんだか新鮮とも思いました。こういうのもありかなあって……(笑)。
優しい心を持っているからこそ、大切な人達(当然鷹子さんの事も)を傷付く所なんか見たくないからこそ、闘わなくてな行けないという使命感が、ひしひしと感じ取れました。
そう言う所をはじめとする優しさが、この小説でも感じ取れました。

鷹子さんも、原作通りのクールでドライだが、本当は相手(勿論蓮君に対しても)の事をよく思っている所がよく伝わりました。
ただ、感情をうまく表現出来ないだけですものね。鷹子さんも、連君と同様な優しい心を持っているんだと思いましたね。僕は。

これからも、宮尾さんの素晴らしい小説と楽しい日記を楽しみにしています。
こんな自分ですがよろしくお願いします。
ではまた。

★宮尾レス
柴田様初めまして!コメント有難う御座います。
以前からお越しいただいていたようで光栄です!
柴田様も六×五がお好きなんですね!今回の作品は、微妙な二人の距離感を上手く表現できれば良いなと思って書きました。
元々のイメージとは若干違ってしまうとは思いますが、私は女性も男性も、魅力的に描きたくて仕方の無い人間なので、こういう感じになりましたw
以前柴田様がお書きになった六×五も拝見させていただいたことがあります。2人が互いを思う気持ちが上手く表現されていて素敵だなと想いました。柴田様の六×五への愛が伝わってきました☆
これからも柴田様の活躍も楽しみにしております。今後とも宜しくお願い致します。
Posted by 柴田 徹 at 2008年01月15日 10:45
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