2008年01月04日

μの軌跡・逆襲編 第16話

μの軌跡・逆襲編 第16話「序幕」

【人間→ポケモン】

 

近づいただけで、軽い頭痛と耳鳴りを感じる。それほどの威圧感をかもし出すポケモンを、アリナは他に知らなかった。 ピジョットの姿で翼でバランスを取りながら風を切り、宙にたたずむミュウツーに意識を払いつつアリナは、ゆっくりと辺りを見渡した。・・・ 自分が率いる部隊のポケモン以外のポケモンが見当たらないか確認していた。特に、さっきミュウツーに無謀に向かっていったあのバシャーモが、 またやってこないかどうか気にしていたのだ。

 

(下手に飛び出されれば・・・邪魔になるな・・・)

 

バシャーモ1匹が割り込んだところでだめになってしまうような作戦ではないが、 計画に無い出来事が有るとそれだけ作戦の成功率は下がってしまう。ましてや、これからあのミュウツーと対峙しなければならないのだ。 余計な心配は極力しないようにしたかった。

 

『キサラギ部隊長。2匹遅れているポケモンがいます。隊列を組みなおしますか?』

 

不意にアリナの後ろからポケモンの鳴き声が聞こえてきた。アリナはピジョットの広い視野でそのポケモンの姿を確認する。オオスバメ・・ ・アリナのポケモン部隊の一員であるアロ・ダス・グロゥシュヴァルベだった。

 

『2匹・・・いや、そのままで構わない。この時点で動きに遅れが出ているなら、彼等に作戦遂行は無理だ。あぁ、 離脱を命じる必要も無い。放っておけ』

『了解です。それにしても困ったものです。ミュウツーを前に萎縮するのは分かりますし、 このプレッシャーから来る不快感も止むを得ないでしょうが、それで作戦行動が疎かになるなどもってのほかです。 ましてキサラギ部隊長に率いていただけるというだけでも誇り高いことなのに、それをみすみす汚すなど』

『アロ、お前は喋りが過ぎる。・・・それに私に近づきすぎだ。隊列が乱れている』

『失礼しました。ですが、キサラギ部隊長に何かあった時に真っ先にお守りしたいと思いまして』

『私に何かあると、思うか?』

『失礼しました。確かに今のは軽率でありました。しかし、私のキサラギ部隊長に対する率直な感情だと思っていただければ幸いです』

 

アロはひとしきり喋りきると、アリナが応えるのを待たずに速度を落とし、 隊列の中の本来飛んでいるべき場所へと満足気な表情で戻っていった。

 

『・・・ミュウツーを前にして臆することないその度胸は、大したものだが・・・』

 

ピジョットは、後方に見えるオオスバメを見ながら小さくため息をついた。アリナにとってアロ・ダス・ グロゥシュヴァルベは今の部隊の中でも、最も付き合いの長いポケモンだ。アリナがアルファである自分を長とした部隊を作る以前から・・・ アリナが普通の人間だった頃からの付き合いだった。彼の長い名前も、アリナがつけたものだった。

 

『あの喋りさえ無くなれば、まだまともなのだが・・・まぁ、しかし・・・』

 

しかし、それではアロらしくないな・・・アリナはくすりと笑いながら、一つ翼をはためかせた。アリナもまた、 ミュウツーを前にして臆することは無かった。普通のポケモンであれば、その力の差に気付きた時点で、怯えてしまうだろうが、 アリナは人間の冷静さと思考能力を持っている。真っ向からぶつかりさえしなければ、力の差など関係が無いことを知っている。

 

(ミュウとMT4を引き離す。・・・つまり、ミュウからMT4を引き離すか、MT4からミュウを引き離すか・・・)

 

どちらにしても、困難な作業だ。ミュウはミュウツーほどの威圧感を感じないが、それは敵意を表に出していないだけ。ともすれば、 ミュウの方がミュウツーよりも強い可能性もある。だが、間違いなく反撃を受けるであろうミュウツーに向かっていくよりは、 ミュウに向かっていった方が被害は少なく済む可能性は高い。

 

とはいえ勿論、それも簡単にはいかないだろう。激しい戦いを繰り広げているミュウとミュウツーもまた、 こちらに近づきつつあるピジョットを先頭としたポケモンの群れは既に確認していた。

 

(動きが統率されている・・・組織のポケモンか)

 

MT4は整然と並ぶポケモン達をみて、そのことに気付いた。野生のポケモンがああも綺麗に並ぶことは無い。 余程訓練されているように見える。

 

(・・・ソウジュが我を連れ戻すためか、或いは・・・)

 

一瞬ピジョットの方を振り向いた後、すぐにミュウの方に振り返る。・・・或いは目的は、MT4ではなく・・・。

 

『・・・狙いは、僕かもしれない。そう思ってるの?』

「ソウジュは・・・我に憎しみを抱いている。・・・まして、ソウジュにとって我は邪魔な存在。ミュウのデータならば・・・ ミュウそのもので取れば確実でもある・・・」

『君はやっぱり、人間の気持ちを理解していない』

 

イブの声が、MT4の頭の中に響く。MT4は表情を変えず、しかしやや眼光を鋭くしてなお、ミュウと見合った。

 

『人間は君が思っているよりも、研ぎ澄まされた心を持っている。・・・特にサラは・・・ある意味、一番人間らしい人間だと思う。 自分の欲望のために生き、そのために自分の心とぶつかり合って悩んでいる。・・・研究所で始めてみた時から・・・12年前から、 ずっとそうだった。・・・その結果が、君の存在だ』

「・・・我は、我だ。他の何でもない・・・我は・・・我だ・・・」

 

そう語るMT4の声が、やや小さくなったことにイブは気付いていた。或いは、MT4もまた、自分の存在に悩んでいるのかもしれない。 だからこそ、自分が自分であることに執着をしているとも考えられる。何かに囚われた執念は、人もポケモンも、 或いはそのどちらでもない存在でも、変わりはしないもののようだ。

 

『・・・でも、君の心の存在は・・・だからこそ、やっぱり不自然なんだ。・・・水は器が無ければ形をとどめておくことが出来ない。・・ ・氷にでもすれば、別だろうけど』

「・・・イブ・・・やはり我は愚かだった。・・・お前に何かを求めた我は愚かだった。・・・お前は、人間に毒されている」

『・・・否定しない。でも、だからこそ僕は僕でいられる。君にそれが・・・』

 

イブは向かい合うMT4に何かを諭すような口調で言いかけた瞬間だった。・・・その瞬間、イブは・・・ミュウは、 MT4に何かを伝えようという意識が、MT4はMT4で、イブの言葉からの動揺のせいで意識が僅かに揺らいでいたのだろう。 さっきは互いに気付くことができた、あのバシャーモの気配に気付かなかったのだ。バシャーモが、 下から飛び上がりこちらに向かってきたことに。

 

「ッ・・・何度も、しつこい奴だ!」

 

MT4は、向かってくるバシャーモに対してすぐに迎撃体制をとろうとしたが、ふと、 バシャーモの上昇してくる角度が先ほどとはやや違うことに気付いた。・・・MT4に向かっていない。その先にいるのは・・・。

 

「く・・・イブが狙いかぁ!」

 

既にミュウの傍までのぼりつめたバシャーモ。ミュウはそのあまりに突然のことに、 思わず何も出来ずにその場にとどまり続けるだけだった。そして、バシャーモはその手でミュウを突然抱きしめると、 そのまま重力に惹かれるようにして下降していった。

 

「逃がすかぁ!」

 

MT4はとっさに、共に落ちていくバシャーモとミュウを攻撃しようと、腕を上げて狙いを定めようとした。・・・しかし、 何故かそこから先の行動が取れなかった。腕を上げたまま、得意のあのエネルギー弾を出すことを躊躇った。

 

(どうした・・・我は・・・何を、躊躇っている・・・!?)

 

MT4の中で、初めて自分に対する動揺が生まれていた。先ほどまで、容赦なく攻撃していたミュウとバシャーモ。共に、 攻撃をすることに何の迷いも無いはずだった。なのに、今のMT4にはそれが出来なかった。

 

『・・・放せ、僕は・・・MT4に伝えることがあるんだ』

 

そしてイブは、バシャーモの腕の中で冷静に呼びかけた。しかし、バシャーモが応える気配は無い。気になって頭を上げたミュウは、 自分を抱きかかえるバシャーモの目に、意思の光が宿っていないことに気付いた。

 

(このバシャーモ・・・無意識で僕を・・・?)

 

イブははっと気付き、そしてとっさに辺りの気配を探り始めた。・・・誰が、何処にいるのか。探って確かめる必要が有った。 研ぎ澄まされたミュウの感覚なら、容易ではないが、それが可能だった。・・・そして、この森にいるはずの、 一人の人間の気配が消えていることに気付く。そして、今自分を抱きかかえる子のバシャーモの気配が、その人間の気配に似ていることも。

 

(・・・このバシャーモ・・・ロウトなのか・・・成る程・・・ようやく、合点がいった・・・)

 

イブは心の中で1匹、納得していた。イブの中で、何かのパズルが解けたようだった。そして、 空で戸惑い漂い続けるミュウツーの姿を悲しげな目で見つめながら、ミュウは小さく呟いた。

 

『セイカ・・・人は例え心を失っても・・・その心が放っていた光は消えないんだ・・・光は・・・消えないんだよ・・・』

 

そう呟くミュウの目が、再び何処か虚ろになっていく。気配が穏やかになり、力も抜けていく。・・・そしてしばらくすると、 ミュウの目に別の光がゆっくりと宿り始める。そして、さっき自分が語った言葉に応えるように小さく呟いた。

 

『・・・イブ・・・』

 

ミュウは、その名を呼んだ。それは既に、ミュウの身体を動かしている意識が、イブではないことを示していた。そして、 ミュウはその目から涙を少しこぼしながら、更に言葉を続けた。

 

『・・・やっとわかった。貴女が何処にいるのか・・・イブ・・・ずっと、ここにいたんだよね・・・』

 

ミュウは、片方の手で涙を拭いながら、もう片方の手で、自分の胸をそっと押さえた。脈打つ自分の鼓動を、その手に感じた。 それと同時に、ぽぅっと温かくなる不思議な感触。優しくて、哀しい、胸の高鳴り。・・・確かにそこに、もう一人の彼女がいた。

 

『ずっと、守ってくれていたんだ・・・ずっと、私たちは・・・私たちだったんだ・・・』

 

その声は、ミュウ自身以外にはバシャーモにしか聞こえないほど小さかった。そしてそのバシャーモも、 今は他のポケモンの言葉など耳に入る状態じゃなかった。バシャーモはただ、腕の中のミュウをミュウツーから守るように、 重力に引かれて落ちていくその身体をぐっと屈めるだけだった。

 

(バシャーモが・・・ミュウを守った・・・!?)

 

その光景に驚きを覚えたポケモンは、何匹かいた。ミュウ自身もそうだし、ミュウとミュウツーを引き離そうとしていたピジョット・・・ アリナもそうだった。

 

『・・・不本意ながら・・・目的は達成されたか・・・』

 

折角意気込んで飛び立ったにもかかわらず、作戦を遂行する前に既に目的が完了してしまったアリナは、 やや拍子抜けと言う表情で下に落ちていくバシャーモを見ていた。その時不意に、再びオオスバメがアリナに近づき、声をかけてきた。

 

『どうしますか、キサラギ部隊長。これでは我々の面子が立ちません』

『面子など、任務が終わればどうとでも立ててやる。・・・あくまで、段階の一つが、遂行不要となっただけだ。むしろ状況は好都合。 我々の本来の目的を見失うな』

『失礼しました。確かに面子など気にしてる場合ではありませんし、 我々の本来なすべき事はミュウとミュウツーを引き離すこと自体ではなく、ミュウの捕獲でしたね。ミュウツーとミュウが揃って近くにいない今、 次のフェイズに突入したと解釈します。至急、あのバシャーモとミュウを何匹かの隊員に追わせます』

『任せる』

『光栄です』

 

オオスバメは速度を落とすと、彼の後ろを飛んでいたポケモンに指示を呼びかけていた。こういう時の彼の行動の迅速さが、 アリナにとって心強かった。

 

(しかし、あのバシャーモ・・・アルファの気配がしたが・・・)

 

アリナは再びその目線をバシャーモへと向けた。アルファであるアリナには、相手が普通の人間なのか、普通のポケモンなのか、 それともアルファなのか、感覚で区別することが出来る。・・・そして、あのバシャーモからは確かにアルファの気配がしたのだ。

 

(あの様子だと目覚めたばかりのアルファか・・・)

 

自我を持たない状態で暴走する。なりたてのアルファが陥りやすい状態だ。

 

(・・・まさか・・・な)

 

アリナの脳裏に一瞬、今行方が分からなくなっている仲間、ロウトの名が浮かんできた。・・・ あのバシャーモがロウトだという可能性は十分に考えられる。今までロウトからはアルファの気配を感じなかったが、 アルファの能力に目覚める前であれば、その人間からアルファの気配は感じづらいことがある。それに、今この森の中で、 自分たち以外に人間の気配は感じていなかったはず。・・・もしかすると、もしかするかもしれない。アリナがそう考えていた、その時だった。

 

ミュウを抱きながら急降下を続けるバシャーモ目掛けて、MT4が一気に加速して追いかけ始めた。 追い討ちでもかけるつもりなのだろうか。いずれにしても、今ここでMT4とミュウが近寄れば、折角のチャンスを失うこととなる。

 

『行かせるかっ!』

 

ピジョットはとっさに翼を大きくはためかせ、一気に加速しミュウツーの進路を遮るように割り込んだ。 MT4をミュウへと近づけてはいけない。MT4は、ここにとどまらせておかなければならない。

 

「邪魔を・・・するな!」

 

ミュウツーの顔に、怒りと、かすかな焦りが浮かんでいた。・・・冷静さを、失いかけている様子だった。それはある意味、 アリナにとっては好都合だったかもしれない。冷静な判断力を欠いてくれれば、それだけMT4はミュウを追おうとはしないだろうから。・・・ もっとも、危険な諸刃でもあった。ミュウツーの怒りが・・・ エネルギーとなってあふれ出ていることにアリナが気付くことに時間はかからなかった。・・・もし、ミュウツーの持つ強大なエネルギーを、 MT4が制御できなくなったら、アリナはひとたまりも無いだろう。まさに、生死を賭けた、危険な状況に置かれていた。

 

(・・・ようは、奴の注意を引けばいい・・・隙が出来る一瞬までの間、冷静さを取り戻させなければいい・・・)

 

アリナは無表情かつ落ち着いた様子で、MT4を見つめながら頭の中でそう考えていた。MT4が本気を出せば、 ピジョットが敵う筈は無いだろう。だから少しの間だけMT4の注意を引き、意識をミュウに向けさせない。それが、 今のアリナに出来る最大の仕事だった。

 

『組織からお前の捕獲の命令が出ている。悪いが、大人しくつかまってもらおうか!』

「捕まえる・・・この期に及んでまだ、組織は我を捕まえようというか!」

 

アリナのついた嘘に、MT4の苛立ちが増しているのが良く分かった。ピリピリ、と言うよりも最早、肌が引きつるほどの威圧感と緊張感。 頭痛が、不快感が、激しさを増す。・・・アリナにとっての挑戦は、後は少しでも長い間正気を保つことだった。

 

(気に・・・喰われちゃだめだ・・・!)

 

アリナは翼をはためかせながら、自分に言い聞かせた。先ほどまでの慌しさとはうって変わった、緊迫した静けさが空に蔓延していた。

 

空が静まる一方で、地上は慌しくなっていた。

 

『チコリータ、おい!しっかりしろ!チコリータ!』

 

カイリキーのイルが、うずくまるチコリータのエリザを呼びながら、エリザの身体を揺さぶっていた。

 

『お前が・・・マスターを止めるんだろ!?ミュウを止めるんだろ!?どうにかしろ!・・・頼むから・・・お前しか頼れないんだぞ・・・ 俺だって・・・!』

 

イルの表情は何処か悔しげだった。ロウトを助けたい、しかし自分にはどうすることも出来ない事実。どうにかするには、 イルはあまりに事情を知らなさ過ぎた。何故ロウトがバシャーモになってしまったのか、 何故このチコリータが敵であるはずのロウトを救おうとするのか、そして何故今この空でミュウと呼ばれるポケモンが、 ミュウツーと言うポケモンと戦っているのか。イルは、あまりに何も知らなかった。そして・・・恐らく目の前のチコリータはその全て・・・ そういわないまでも、殆どを理解しているはずだった。しかし、先ほど突然何か意味の分からないことをわめいたかと思うと、 急に黙り込んでしまい動かなくなってしまったのだ。

 

『お前以外に・・・誰がいるんだよ・・・誰が、マスターを助けてくれるというんだ・・・!』

 

切実だった。その言葉に、今のイルの全てが詰まっていた。だが、チコリータは応えない。・・・応えられなかった。先ほど見えた、 不可解なヴィジョン。そのせいで、その僅かな一瞬でエリザの心身は一気に疲弊していた。元々積もっていた、疲労もあった。 それらはエリザにとって言い様の無い大きな負担をかけていたのだ。

 

『くそっ!』

 

イルはチコリータに一旦見切りをつけて、再び空を見上げた。そしてあのミュウツーに向かっていったロウトの姿を、 バシャーモの姿を探した。・・・しかし、すぐには見つからなかった。イルは先ほどまでチコリータの方を向いていたから気付かなかったのだ。 そして、空から落ちてくるバシャーモの姿を見てようやく把握する。バシャーモがミュウツーではなくミュウに向かっていったこと。そして、 そのミュウを捕獲したことに。

 

『マスターが・・・ミュウを助けた・・・!?』

 

イルのその言葉を聞いて、それまで微動だにしなかったチコリータの身体がピクっと動いた。そして、小さなその口を、更に小さく動かす。

 

『ミュウ・・・セイカ・・・?』

 

エリザはゆっくりと頭を上げて、涙で余計に赤くなったその瞳でしっかりとバシャーモを、 そしてその腕に抱えられているミュウの姿を確認した。そして、その表情ははじめ驚きのものだったが、徐々に彼女の表情が変わっていった。 再び彼女の目には涙が溢れ、唇は何かを言おうとして言えずにいるのか、小刻みに震えていた。そんな彼女の数歩前で、カイリキーのイルは未だ、 状況を飲み込めずにいた。

 

『・・・何がどうなっている・・・何で・・・マスターがミュウを・・・まさか、無意識のうちに任務として・・・ 捕獲しようとしているのか・・・!?』

『・・・違う・・・確かにそれも、あるかもしれないけど・・・それだけじゃない・・・』

『違う・・・?チコリータお前・・・何か知っているのか?』

『約束・・・だったの』

『・・・やく・・・そく?』

 

イルはチコリータの方を僅かに振り返りながら横目で彼女の姿を見つつ問いかけた。チコリータは小さく首を縦に振り、 少し間を開けてから言葉を続けた。

 

『ロウトとの約束・・・”ミュウを守る”って。・・・”誰よりも、何よりも、ミュウを守って”・・・って・・・』

『マスターと・・・誰との、約束なんだ?』

『・・・私』

『・・・わたっ・・・ちょっと待て、それはどういう・・・!?』

『3年前、私とロウトが交わした約束なの!・・・ロウトも・・・私も、人間だったときに・・・!』

 

私も、人間だった。

 

その前後のチコリータのセリフを、イルは確かに聞いていた。聞いていたが、イルの頭に確実に残ったのは「私も、人間だった」 というフレーズだけだった。しかしイルはようやく、少しだけだが状況を理解し始めた。ミュウを追い始めてからの約十日間、 ミュウを追えば追うほど人が変わっていったマスター・ロウト、同じ手持ちポケモンでありながら、 ミュウを捕獲する命令には従わずに意味深なことばかり口にしてきたハガネールのガルガ。その原点が何なのか・・・誰なのか。 僅かではあるが理解した。

 

『・・・お前が・・・マスターと交わした約束?・・・そのために、マスターは悩んで、傷ついて、ポケモンになってしまって?・・・ 全部・・・お前のせいだってことじゃないのか・・・!?』

『・・・』

『否定・・・しないんだな・・・』

『私は・・・ただ、ミュウを・・・セイカを守りたかった・・・ロウトを辛い目にあわせるつもりなんて無かったの!』

『・・・マスターのところに行こう』

『え?』

 

急に、話の流れを変えたイルに、エリザは思わず拍子抜けした表情で小さな声を上げてしまった。

 

『お前とマスターが交わした約束について、俺は何も知らないし、お前が何者なのかも全く分からない。・・・だが、 マスターが悩んだり傷ついたりしたことを・・・俺が責める道理は無い。・・・マスターと直接話をしてくれ。折角・・・ 同じ様にポケモンになって、話が出来るようになったのだからな』

『カイリキー・・・!』

『けじめは、お前でつけるんだ。・・・もっとも、まずはマスターの自我が戻るのを待つほうが先になるが』

 

そう言ってカイリキーはバシャーモが落ち行くその先に向かって、ゆっくりと小走りを始めた。チコリータは、 すぐには動き出さず少しうずくまって考え事をしていたようだが、ようやくその頭を上げて、 しっかりとその瞳で落ちてくるバシャーモの姿を確認すると、勢いよく地面を蹴ってカイリキーの後を追った。・・・しかし、 その瞳こそしっかりと先を見据えたものであったが、一方でその表情は晴れてはいなかった。

 

エリザが突然目にした謎のヴィジョンに、エリザは戸惑いを隠せなかったのだ。それは、エリザ自身に起きた出来事であるのにも関わらず、 エリザ自身がその現象について何の知識も持ち合わせていないという、不安だった。それは、ある意味今まで記憶を失っていた時に、 その記憶に抱いていた不安に近いかもしれない。だが、記憶とあのヴィジョンとでは性質が違う。記憶はあくまでもエリザのものだが、 あのヴィジョンは間違いなく別の誰かのものだった。

 

(私に・・・私の知らない何かが起きている・・・)

 

何故あんなものが見えたのか。考えても分かるはずも無かったが、考えずにはいられなかった。・・・もしかすると、 自分がポケモンになったことは・・・人間からチコリータになったことは、想像以上に自分に大きな影響を与えているのかもしれない。 エリザはそう思いをめぐらせていた。

 

『・・・見ろ、降り立つぞ・・・!』

 

そこに、イルの声が響いた。エリザははっとしながら顔をあげた。既にバシャーモは地面スレスレまで降りてきていた。しかし、 既に身体がボロボロのバシャーモには、加速しきった自分の身体を支えられるほど、足に力が残ってなかった。 それを自分でも無意識のうちに分かっていたのか、バシャーモはその身を傾けると、肩から滑り込むように仰向けになりながら地面へと着地した。 大きな音と砂煙を上げながら、バシャーモの身体は地面を数メートルほど滑るとようやく動かなくなった。

 

『マスタァァーッ!』

『ロウトッ!』

 

2匹は、急いでバシャーモの傍へと駆け寄った。イルは急いでバシャーモの状態を確認する。 その腕にミュウを抱いたままバシャーモは微動だにしなかったが、イルがバシャーモの口元に手をやると、 辛うじて息をしていることが確認できた。しかし、軽くゆすっても目を覚ます様子は無く、意識は飛んでいるようだった。

 

『ロウトッ・・・!』

『マスターは、俺に任せろ』

『ッ・・・でも・・・!』

『・・・お前には、もう1匹・・・相手にしなきゃいけない奴がいるだろ?』

 

カイリキーの目線は、バシャーモの腕に抱かれているミュウに向けられていた。ミュウはしばらく目を閉じたままだったが、 やがてゆっくりとその目を開けた。そして、静かに呟きながら、目の前のチコリータに向かった呼びかけた。

 

『エリザ・・・ごめんね・・・』

『・・・セイカ・・・セイカァッ!』

 

エリザは、自分のつるでバシャーモの腕を持ち上げ、もう一つのつるでミュウの身体をぐっと引き寄せた。ミュウはその短い腕で力なく、 柔らかにチコリータへと抱きついてきた。・・・温かかった。心も、身体も。

 

『セイカ・・・!』

『エリザ、ごめんね・・・私・・・』

『謝らなくていい・・・謝らなくていいの・・・!』

 

セイカの言葉を遮るように言ったエリザの言葉に、セイカは静かに小さく頷くだけだった。

 

『大丈夫・・・私が、守るから・・・ミュウツーから・・・私が守るから・・・』

『ありがとう、エリザ・・・』

 

セイカは静かに呟くと、エリザの身体をより強く抱き寄せた。2匹の身体がもう二度と離れ離れにならないようにしようかと思えるほど、 強く、優しく、抱きついていた。その一方で、彼女の瞳は横で倒れている、自分を助けてくれたポケモンのほうへと向けられていた。

 

『・・・そのバシャーモは?』

『あ・・・彼は・・・』

 

エリザはロウトについて説明しようとして、一瞬躊躇した。バシャーモの正体・・・ それは昨日までミュウであるセイカを捕らえようとしていたあのロウトである。昨日まで敵であったロウトが何故ミュウを助けたのか、 それをどのように説明すればいいか、上手くまとめられなかった。その様子に気付いたのか、先にセイカの方が口を開いた。

 

『・・・気を使わなくて良いよ。・・・ごめん、本当は・・・分かってるんだ』

『・・・え?』

『私を捕まえようとしていた、あの少年なんだよね?』

『どうして・・・それを・・・!?』

『それに・・・エリザの、”大切な人”なんでしょ?』

『ッ!?』

 

突然セイカの口から次々と語られる、意外な言葉にエリザはセイカから少しはなれて、顔を真っ赤にしながら反論した。

 

『た、大切な人だなんて!違うの!いや、違わないけど!でも違う!私たちはただの幼馴染で、たまたま幼稚園が一緒だっただけだし! そりゃ、その後離れてからも連絡取り合ってたけど!でも別に変な感情とか抱いてないの!うん!大切な人だなんて!全然違う!絶対違う! 断じて違う!いや、違わないけど!それに・・・!』

『あ、あのー・・・エリザ・・・?』

『それに・・・ロウトは、身体の弱い私を放っておけなかっただけ・・・特別な感情なんて無くて・・・私はそれに甘えていただけ・・・』

『エリザ・・・』

 

徐々にトーンダウンしていくエリザに、セイカはかける言葉が無かった。・・・セイカには友達が多かったが、 引越しや学校の環境の関係で、幼馴染といえる存在はいなかった。深い付き合いにある男友達もいなかった。だから、 エリザが抱えている切なさを理解はできなかったが、彼女の表情がどれだけ辛く苦い関係を送ってきたのか物語っていた。・・・ましてや、 一度は死別し、再会したときはエリザはチコリータになって記憶を失っていて、やっとロウトのことを思い出した矢先、 今度はロウトがバシャーモになってしまっていた。・・・昔話をするには、あまりに状況が変わりすぎていた。

 

『・・・でも、どうして・・・セイカがそんなことを・・・私と、ロウトのことを・・・知ってるの・・・?』

 

不思議そうな表情でセイカのほうを見つめるエリザに対して、セイカはその小さな手をそっと胸に当てて、 瞳を閉じながらゆっくりと応えた。

 

『・・・イブが教えてくれたの』

『イブ・・・セイカの中の・・・ミュウ?』

『うん・・・イブは、エリザが手術する前に、エリザと一度会っているの。・・・覚えてる?』

『・・・それが貴女の言うイブなのかどうかは分からない。・・・けど、確かに私は・・・ミュウを見たことがある。・・・ チコリータとの融合手術の前、父さんの研究室で・・・』

『その時に、ロウトも一緒だった。だから、イブがロウトの事を知っていたの。・・・ 他にもイブは研究所で色々な人に会っていたみたいだけどね。・・・父さんとか・・・母さんとか・・・』

『・・・ちょっと待って。そのイブの記憶・・・ひょっとして、セイカ・・・!』

 

エリザがセイカに対して、問い詰めようとしたその時だった。突然、激しい怒号が空から鳴り響いた。それと同時に、 さっきまで感じていたミュウツーの放つ威圧感が更に強まったように感じた。まるで倍になったような・・・。エリザははっとして、 慌てて空を見上げた。そして目を疑う。・・・成る程、ミュウツーの威圧感が、倍に感じられるわけだった。

 

『嘘・・・ミュウツーが・・・もう1匹・・・!?』

 

空には確かに、先ほどまでミュウが戦っていたCP150-MT4と呼ばれるあのミュウツーとは別に、 対峙するようにミュウツーが浮かんでいたのだ。その姿は、間違いなくミュウツーのものだが、ただ一点だけ、 頭部に機械的な銀色のヘッドギアを装着していること以外は。

 

『まさか・・・増援・・・!?』

『・・・待って、様子が違う・・・!』

 

セイカとエリザは、空の様子を凝視した。見ると、新たに現れたミュウツーの手は元々いたミュウツー、MT4へ向けられており、 そのMT4は右腕をかばうように、左手で押さえていた。その光景は、誰がどう見たとしても、 ヘッドギアをつけたミュウツーがMT4を攻撃したようにしか見えなかった。

 

『ミュウツーが・・・ミュウツーを攻撃・・・!?』

『仲間割れ・・・違う、多分あれは・・・!』

 

セイカが、ヘッドギアをつけたミュウツーについて何か語ろうとしたが、その言葉は再び鳴り響いた空の爆音に掻き消された。やはり、 ヘッドギアのミュウツーがMT4を攻撃していた。そしてさっきまでMT4と対峙していたピジョットは、 その戦いに巻き込まれないように慌てて翼をはためかせて、2匹のミュウツーと距離を置いた。そこへ、急いでオオスバメが寄って来た。

 

『キサラギ部隊長、大丈夫ですか?』

『アロ・・・あぁ、大丈夫だ』

 

ピジョットは翼をはためかせながら、オオスバメに応えた。そしてようやく姿勢を安定させると、 はるか遠くにいるソウジュの方を見つめながら呟いた。

 

『ソウジュ・・・MTVに、私ごと襲わせるとは』

『MTV?何ですか、その音楽専門チャンネルみたいな名前は?』

『・・・お前は本当に、一々余計だな』

『失礼しました。ですが、ここは一つ突っ込むべきところではないかと思いまして』

 

アロは、何故か満足気な表情で顔を上に向けた。アリナは一つため息をつくと、ヘッドギアをつけたミュウツーを見つめながら語り始めた。

 

『・・・CP150-MTV。・・・12年前のμ(ミュー)プロジェクト、その完成形・・・だそうだ』

『μプロジェクト?初めて聞くプロジェクトです。そんなものがあったのですか?』

『あぁ。どんなものなのかは私も知らないが・・・私たちが追っていたあのミュウも、MT4も・・・そしてあのMTVも、 そのプロジェクトの産物なんだそうだ』

『知らないという割には随分とご存知ですね。お調べになったのですか?何か興味を持つようなことでもあるのです?』

『・・・アロ』

『失礼しました。突っ込んだ質問でしたね。どうぞ聞き流していただいて結構です。私も聞かなかったことに致します』

 

そう言いながらオオスバメはピジョットから距離を取ろうとするが、珍しくアリナがそれを止めた。

 

『いや、すまないが少しだけ傍を飛んでいてくれないか?』

『どうかなさいましたか?まさかお怪我でも?』

『いや・・・身体はどうと言うことは無いが・・・修練が足りないな。・・・怯えて、翼がすくんでいる。 気をしっかり持っているつもりだが・・・バランスを崩してしまうかもしれない』

『分かりました。万が一の時には私がキサラギ部隊長のお体を支えさせていただきます。もっとも、 キサラギ部隊長より身体の小さい私に支えることが出来るかは分かりませんが』

『あくまで、万が一の場合だ。そうそう負けたりしないよ、私は』

『仰るとおりです。だから、私をはじめ、多くのポケモンが貴女に付いていくのです。人としても、ポケモンとしても、心も、身体も、 魅力的なのですよ』

『よくもまぁ、ぬけぬけと』

『先ほど申し上げたとおり、オスのポケモンとしての、本音ですから』

 

アロの正直な言葉に、アリナも流石に苦笑いしたが、すぐに真面目な表情に戻ると再びソウジュのいるほうを向いた。

 

『・・・MT4の注意を引き、ミュウと引き離す。その目的は果たされた。・・・あとは、MTVとソウジュ主任がやってくれる。・・・ 我々は一度離脱しよう』

『文字通り、高みの見物と洒落込みますか』

 

2羽のポケモンは翼を大きくはためかせて並びながら高度を上げようとした、その時だった。

 

『・・・何だ、あの影は?』

『ポケモンが倒れているようですね』

 

2羽のポケモンの目線の先、はるか下の地面に、小さなポケモンが倒れこんでいる姿を見つけた。

 

『懐かしいですね。確か私もああして倒れているところを、キサラギ部隊長に助けていただいたんですよね』

『・・・それはあれか?暗に私に”あのポケモンを助けろ”と言っているのか?』

『失礼しました。そういった意図ではなかったのですが』

『・・・気になるのなら、お前が見て来い』

『有難う御座います』

 

アロはそういうと、嬉々として地面へと向かっていった。

 

『・・・全く、私を支えると言った傍から・・・』

 

ある意味、信用ならないアロに呆れつつ、アリナは何処か複雑な笑顔でアロを見送った。・・・そして再びその表情を強張らせて、 別の方へと振り返った。2匹のミュウツーが向かい合う・・・殺伐とした空間を。

 

「・・・何故だ・・・ミュウツーである貴様が何故・・・ミュウツーである我を攻撃する!?」

「・・・systemはnot foundを返しました。その質問に対する回答は用意されていません」

 

そして空に残った2匹のミュウツーは、互いに対峙しながら言葉を交わした。

 

「ソウジュ・・・ポケモンを・・・人を弄んで、楽しいか!?聞こえているんだろ!?ソウジュ!」

「・・・指示受領確認。・・・実行検証。・・・systemはall greenを返しました。attack patternをsecond phaseの17-Cから順に実行します」

 

MT4の問いに対して、MTVは全くかみ合わない言葉を返した。それも、恐らくはMT4に対してではないようで、 ヘッドギアから伸びる、MTVの口元にあるマイクに向かって呟いているようだった。そして言い終わった瞬間、 MTVは予備動作も無くいきなりMT4へと向かって無数のエネルギー弾を撃ち、同時に自らもMT4に向かっていった。

 

「チィッ・・・!」

 

同じミュウツー同士、力は互角のはずだが・・・既にMT4は先にミュウとの戦いで力を大分使ってしまっている。そこに、 さっき不意打ちのような形でMTVに襲われ腕にダメージを受けた。・・・不利だった。

 

(負ける・・・我が、負ける・・・!?)

 

しかも、MTVの攻撃は容赦も、遠慮も知らない。無駄の無い攻撃を、機械の様に繰り出すばかりだった。

 

(・・・死ぬのか、我は・・・同じミュウツーにやられて・・・!?)

 

恐らく、MT4が始めて死を意識した瞬間だったかもしれない。傷ついていく体。打開できる力も策も残されていない。ただ、 攻撃を受け続けるだけ。避けることも、弾くことも出来ず。

 

(これが・・・我が望んだものの・・・結末なのか・・・)

 

薄れゆく意識。遠のく感覚。

 

(我が・・・我であることの・・・報いなのか・・・)

 

その光景は、決して見ているものにとっても心地良いものではなかった。一匹のポケモンが、成す術無くやられていく様。・・・ 様々な出来事で心が弱っていたエリザには、いささか刺激が強かった。

 

『・・・こんなの・・・ミュウの力は・・・こんなことのためにあるんじゃない・・・!』

『エリザ・・・』

 

空を見上げ、哀しげな瞳で呟くチコリータに、傍にいたミュウは伸ばした手を一瞬引っ込めて・・・少し俯きながら何かを考え、 そして再び、今度は両腕を伸ばし、チコリータの背後から抱きつくように腕を回した。チコリータは驚いたように、 抱きついてきたミュウのほうを振り向こうとしたが。

 

『振り向かないで』

『ッ・・・セイカ・・・?』

『ねぇ・・・初めて出あった時の事・・・覚えてる・・・?』

『な・・・何・・・急に・・・!?』

 

エリザはセイカの唐突な問いに戸惑ったが、少し間をおいて、俯きながら背中のミュウに応えた。

 

『・・・勿論・・・忘れるわけないよ』

『突然ポケモンになった私を助けてくれた。ロウトに襲われた時は私の力に気付かせてくれた。それからも、 捕まえられそうになった私を何度も助けてくれた。・・・ずっと、私を守ってくれた』

『・・・何故か分からないけど、私はセイカのことを守らなきゃいけないって・・・ずっと思ってた。出会った時からずっと。・・・ 記憶を取り戻して・・・私たちの本当の関係を知って・・・ようやくその理由が分かった』

『だけど、私はずっと守られてばかりだった。私にも、誰かを守り、救う力が欲しかった・・・だけど、さっき一瞬だけ、 私は願う力を間違えた。・・・あのミュウツーへの憎しみで力を暴走させてしまった』

『憎しみ・・・?』

『・・・母さんは、あのミュウツーのせいで死んだの』

『ッ・・・そんな・・・!』

 

後ろから抱き付いているセイカには、エリザの表情は見て取れないが、その後姿や、呼吸から彼女の動揺は痛いほど伝わってきた。

 

『・・・でも、ミュウの力が暴走したことで・・・私の中にいたイブも、本格的に目を覚ました。・・・イブの心も、記憶も・・・力も、 コントロールできるの。今は』

『・・・ミュウの力・・・』

『うん・・・だから・・・ごめんね・・・』

『・・・え・・・?』

『或いは運命なのかもしれない・・・けど、見ず知らずのポケモンであるはずの私に優しくしてくれた、守ってくれたエリザの心・・・ 私も見習おうと思うの』

『待って、セイカ・・・!?』

『私は・・・このミュウの力を、誰かを守るために使いたい。・・・そして今・・・守らなきゃいけないものが有るの・・・だから・・・ ごめん』

『セイカッ!』

 

エリザは慌てて振り向こうとした瞬間、エリザを優しく包み込んでいた腕のぬくもりはすり抜けるように消え、ようやく振り返った時には、 エリザの視線の先には誰もいなかった。それと同時に、空で鳴り響いていた衝突音が一瞬鳴り止んだ。エリザは目線を空へと移した。 そこには確かに、2匹のミュウツーに割って入るようにしてたたずむミュウの姿があった。

 

「イブ・・・何故我を助けた・・・!」

『・・・私はイブじゃない。あなたの言う・・・宿主、かな。イブにとっての』

「・・・ミヤマ セイカ・・・か」

『知ってるんだ・・・私のこと・・・』

「・・・あぁ、同じ・・・”被験者”だからな」

 

傷だらけのMT4は、絶え絶えな呼吸をしながら目の前に現れたミュウに応えた。

 

「・・・だとしたら、余計に何故、我を助ける・・・我はお前の母親を・・・!」

『・・・貴方にはまだ、母さんのこと謝ってもらってないし・・・罪を償って欲しいの』

「・・・そんなことのために・・・」

『貴方にとっては小さなことかもしれない。・・・けど、私にとっては・・・』

 

セイカがMT4にそう語りかけている最中だったが・・・1匹だけ、その状況を全く意識しないポケモンがいた。 MTVはミュウの存在に構わずMT4に対して攻撃を仕掛けてきた。ミュウは、セイカはMT4を守るようにそれらの攻撃を弾いていった。

 

『私にとっては、大切なことなの!・・・貴方に、人の心を理解して欲しいの!』

「ッ・・・!」

『だから私は・・・、キャアァァッ!?』

「イブッ!?」

 

セイカの意識が、MT4に集中しすぎていた。MTVの攻撃を全て防ぎきることが出来ず、エネルギー弾の一つが直撃してしまった。 MT4の視界からミュウの小さく軽い身体は飛び跳ねるように消え、大きく孤を描いて力なく跳んでいった。

 

「イブ・・・いや、セイカ・・・我は・・・!」

 

MT4は、少しの間だけ、落ちていくミュウの姿を見ていることしか出来なかったが、すぐに意を決した表情でミュウを追いかけた。 そしてミュウの落ちる先に周って、その小さな身体を受け止めた。

 

「・・・セイカ・・・」

『・・・人は、憎しみや悲しみで・・・心や力を・・・誤った方へ導いてしまうことも有るけど・・・けど、負の感情があって初めて、 正の感情が、優しさや、愛おしさが理解できるの・・・』

「・・・我は・・・!」

『貴方への憎しみで、私は・・・自分の中にある恐ろしい自分を知った・・・自分が、自分のまま、自分でなくなる瞬間を知った・・・ そして同時に理解したの。・・・貴方が怯えているものが・・・何だったか』

 

MT4の腕に抱かれながら語るセイカは、不意にその手をすっと高く掲げた。するとMT4の頭上にエネルギーの膜が張られた。 それと同時に、MTVの放ったエネルギー弾が幾つもその膜に衝突してきた。MTVはなおも、攻撃の手を緩めなかった。

 

『貴方は言ってた。”自分が自分として存在したいだけ”って。・・・それは貴方がずっと”自分として存在出来ていなかった”ってこと。 ・・・私はあなたのことは良く知らないけど・・・きっとさっきの私みたいに、望まない憎しみのために戦ってきたんじゃないかって・・・ そう思ったの』

「・・・セイカ」

『貴方は悩み、傷つき、戸惑うことが出来る。貴方は・・・十分に”貴方の心”をもってるの。・・・心を持っている貴方を・・・ 私は見捨てることなんて出来ない』

「セイカ・・・やはり、我には人の心は理解出来ない」

 

ミュウの言葉をしっかりとかみ締めるように瞳を閉じながら、しかし反論したMT4は、 ミュウの濁りの無い目を見つめながら更に言葉を付け加えた。

 

「だが、イブが・・・お前と共に歩むことを拒否しなかった・・・その理由は理解できた。・・・お前は・・・多分、”何かを変えられる” 存在なのだろうな・・・」

 

そう言うと、MT4は急に目を閉じてなにやら真剣な表情で少しの間考え事をし始めたが、やがて目を開くと、MTVの方を振り向き、 意を決した表情で大きな声で叫んだ。

 

「ソウジュ!・・・我々は・・・貴様等に投降する!」

『ッ・・・何を・・・!?』

「・・・3つだけ、お前に謝ろう」

『・・・?』

 

MTVの方を見つめたまま、MT4は言葉を続けた。

 

「今、お前の意思を無視して、投降を決めたこと。・・・お前の母親を・・・奪ってしまったこと。・・・そして・・・お前の言う”償い” をすることが出来ないことを」

『ちょ、どういうこと!?』

「・・・つかまれば恐らく我の心は消される。・・・奴等に反逆した我は奴等にとって不要なものだからな・・・。だが、お前と、 この身体を守るためには・・・怖くは無い」

『・・・貴方は・・・何を・・・!?』

「傷ついたこの体・・・そしてお前の身体を・・・治療するには奴等が一番信用出来る。お前だって気付いているはずだ。 ミュウの力の大きさ。そして・・・消耗している自分の体力の大きさを』

『・・・』

『仮にもお前は・・・”2つ”の命を背負っている。単純計算で、他の奴等より2倍体力を使う。ましてや、 あれほど大々的に力を使ったのだからな。まずはそれを回復させなければ・・・。それに我は・・・この身体には我のほかに・・・ お前と同じように・・・宿主となった人間の心と、融合させられたミュウ・・・アダムの心が眠っている。我は、それらが目覚めないように・・・ そして、奴等に従順となるために、作られた意識に過ぎない。・・・元々我は存在してはならないものだったのだ・・・」

『でも、だから貴方は!貴方として存在したかったんでしょ!?』

「・・・我と言う存在がいたことは・・・お前が記憶にとどめてくれる。・・・それで・・・我は構わない・・・」

 

哀しげな声で、MT4は応えた。

 

『・・・もし、私が”奴等”につかまったら・・・私はどうなるの・・・?』

「心配するな・・・すぐにお前は助け出されるはずだ」

『・・・誰に?』

 

MT4は無言のまま、片手で自分の胸を指差した。

 

「言っただろう?我には、宿主の心と、アダムの心が眠っている。・・・お前のことを守ってみせる」

『・・・貴方とは・・・本当に、お別れなの・・・?』

「・・・あぁ、すまないな・・・」

『・・・』

 

暗い表情を浮かべるセイカとMT4。その前に、腕を構えたMTVが現れる。背後からはピジョットとオオスバメも現れ、2匹を囲んだ。

 

『CP150-MT4。並びにそこのポケモン。・・・投降の意思に違いは無いな?』

「・・・あぁ・・・」

 

ピジョットの問いに、ミュウツーは静かに応えた。

 

『そっちのお前は?』

『・・・違い・・・ありません』

『・・・MTV。聞こえたか?主任に捕獲成功と、伝えろ』

「・・・目標の捕獲に成功。指示をお願いします。・・・指示受領。・・・実行検証。・・・systemはall greenを返しました。phaseを護衛に切り替えます」

『・・・さてと。2匹とも、私の背中に乗ってくれ。・・・あぁ、先客がいるが気にしなくていい』

『・・・先客?』

 

セイカは、ピジョットの言葉に首をかしげながら、ピジョットの背中を見た。そこには、意識を失った黒いポケモンがいた。 手足の無い黒く小さい身体、首の周りに赤く綺麗な、宝石のようなものを幾つもつけたポケモン。

 

『たまたま見つけたムウマだ。・・・勘違いするなよ?私がやったわけじゃない。初めから意識を失っていただけだ』

 

ピジョットは何処か、言い訳がましく説明するが、囚われの身であるセイカたちにとってはそれほど深く考える余裕は無かった。

 

『さて・・・じゃあ、頑張ってひとっ飛びするか!』

 

ピジョットは大きな鳴き声をあげると、3匹ものポケモンが乗っていることをものともしないような、 力強い羽ばたきで颯爽と空を滑り始めた。そして、すぐに森から遠ざかっていく。

 

(待っててエリザ・・・必ず・・・戻ってくるから)

 

遠く離れていく森を、そして既に姿が捉えられないほど小さくなったチコリータを見つめながら、セイカは心の中で小さく呟いた。

 

『そんな・・・セイカが・・・待って!行かないで!』

 

そして、その姿を地上にいたエリザは、ただ黙って見ていることしか出来なかった。今すぐにでも飛んでいきたいのに、 チコリータには空を飛ぶことも、あそこまでたどり着く跳躍力も無かった。ただ、 黙ってセイカが連れ去れるのを見ていることしか出来なかったのだ。

 

『守るって・・・約束したのに・・・何も、私は・・・何も出来なかった・・・!』

 

エリザは、そのチコリータの小さな身体を振るわせた。ただ、悔しさだけが彼女の身体を支配していた。

 

その時、身体を震わせたポケモンがもう1匹いた。それまで意識を失って倒れていたバシャーモが、ようやく意識を取り戻し、 その指を僅かに動かしたのだ。

 

『ッ!マスター!?気がついたか!』

 

ロウトの傍にずっと寄り添っていたカイリキーは嬉しそうな声でロウトに声をかけた。ロウトはゆっくりと目を開けるが、 その目はまだ虚ろだった。・・・しかし徐々に意識が戻るにつれ、目の焦点も合ってくる。 そして目の前にいるカイリキーの存在に気がついたとき、ロウトは声をかけようとした。・・・しかし。

 

「・・・バ・・・バシャ・・・」

 

ロウトは、はじめそれが何の音だか分からなかった。少しして、それがポケモンの鳴き声であることに気付き、更にしばらくして・・・ その声を発しているのが自分であることに気付いた。

 

「バ、バシャ・・・シャモ・・・!?」

 

『な、何だ・・・この声・・・!?』

 

ロウトは慌てて、痛みの走る腕を上げて自分の喉元へと運んだ。・・・しかし、その感触がいつもと違う。 喉元はふわふわの羽毛で覆われているし、自分の手が人間のものではなく、鳥のような3本指の黒いものになっていたのだ。

 

『どう・・・なってる、俺は・・・!?』

『マスター、落ち着いてくれ!』

『ッ・・・カイリキーが・・・喋った!?・・・いや、俺が、言葉を理解しているのか・・・!?』

 

気が動転しているロウトを鎮めるように、カイリキーはその腕でロウトを押さえつけながら、何かをかみ殺すように微妙な間の後に、 ゆっくりと告げた。

 

『マスターは今・・・バシャーモになっている』

『バ・・・!?』

 

あまりに突然告げられた言葉に、ロウトは絶句した。そして身体を起こして、改めて自分の身体を確認した。・・・成る程、 カイリキーの言葉に偽りなど無かった。変化は手や喉元だけではない。脚は黄色い羽毛で覆われ、足先からは白い爪が伸びていた。 慌てて口元に手をやろうとすると、自分が思っているより先に、手が口元に触れた感触を覚えた。・・・口先が尖っているのだ。鳥のように。 眉間から伸びた角に、長髪のように長く伸びた羽毛。・・・誰が見てもそれは、バシャーモに違いなかった。

 

『どういう・・・ことだよ・・・何で俺が・・・バシャーモに・・・!?』

『・・・マスター・・・』

『・・・ひょっとして・・・お前、イル・・・なのか?』

『あぁ・・・マスター。貴方が育てた・・・あのイルだ』

 

バシャーモの問いに、カイリキーは何処か嬉しげに、そして何処か申し訳なさげに応えた。バシャーモはその目を丸くして、 息を一つ飲み込んだ。

 

『・・・お前、俺のことマスターって呼んでたのか?』

『俺にとって・・・マスターはマスターだからな』

『何か・・・お前とこうして話が出来るのも・・・変な感じだな・・・』

『・・・俺より・・・もっと話したい相手が・・・いるんじゃないのか?』

 

カイリキーは少しだけ寂しそうに言いながら、目線をバシャーモから反らした。バシャーモは首を傾げたが、 その時その視界に一匹のポケモンの姿を捉えた。緑色の小さなポケモン。・・・自分が追っていたあのミュウの傍に寄り添っていた・・・そして、 自分がどうしても気になっていた、あのチコリータだった。そして確かに、自分の記憶の中の幼馴染の少女の姿が重なって見えた。

 

その姿を見た瞬間、ロウトは背筋がしびれるような感覚に陥った。息を一つの見込み、自分の鼓動の高鳴りを感じていた。・・・ 聞きたいことがあった。色々と沢山、聞きたいことがあった。しかし、上手い言葉が思いつかず、何度も喉まで登った言葉を奥へと返していた。 そしてようやく一言、小さな声で・・・バシャーモの声で、言うことが出来た。

 

『・・・エリ・・・ザ・・・?』

 

聞き落としてしまいそうなほど、自信なさ気で小さな声。だけど・・・確かにその声は、彼女の名を呼んでいた。

 

そして呼ばれたエリザはゆっくりと振り向いた。頭の大きな葉っぱを揺らし、目に涙を浮かべながら。その姿を見たバシャーモは、 もう一度だけ呟いた。

 

『エリザ・・・なんだな・・・?』

『・・・ロウト・・・ロウトォッ!』

 

まるで糸が切れたように、チコリータは泣き声をあげながら、バシャーモに寄り添って大粒の涙をこぼし始めた。そしてただ、 ただ悔しさで大きな泣き声をあげるだけだった。

 

『エリザ・・・!?』

 

自分に寄る直前に聞いたチコリータの声。確かにそれはチコリータの鳴き声だったが・・・同時に、懐かしい幼馴染の少女の声でもあった。 そして、バシャーモは黒く変わり果てた自分の手で、そっと優しくチコリータを撫でた。

 

・・・聞きたいことがあった。色々と沢山、聞きたいことがあった。だが、 今はただ泣き崩れる彼女の身体をそっと優しく包み込むことだけが、ロウトに出来る精一杯の思いやりだった。互いに姿が変わってしまい、 ようやく再会した矢先に泣き崩れた彼女の姿を見ながら、ロウトは戸惑いながらも心を押し殺して彼女が泣き止むのを待つことにした。日は、 傾き始めていた。

 

昇った日は、必ず落ちる。しかし、落ちた日もまた、必ず昇る。再び暗闇に包まれる世界の中で、 それぞれがそれぞれの思いを秘めて時を過ごす。やがて明ける夜を、新たな幕の始まりを待ちわびながら。

 

 

μの軌跡・逆襲編 第16話「序幕」 完

第17話に続く

posted by 宮尾 at 22:38| Comment(1) | μの軌跡(ポケモン・→) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
μの軌跡・逆襲編お疲れ様でした

MTVの登場、意識の戻ったロウト
そしてμプロジェクトの謎
続きが気になりますww
何はともあれ1部完と言う事ですねw

本当にお疲れ様でした

★宮尾レス
コメント有難う御座います!
今回で一応小さな伏線の回収と、第2部に向けた伏線張りが上手く出来ていれば良いなと思います!
2部のスタートは少し間が開いてしまいますが、それまで楽しみにお待ちくださいませ!
Posted by ゼル at 2008年01月05日 00:19
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