今、花を咲かせて 後編
【人→ポケモン】
花は散る時に何を思うんだろう?
咲いた瞬間のこと?咲いている間のこと?
穏やかな晴れの日のこと?辛かった雨の日のこと?
別れる世界への未練?それとも、又咲くことへの希望?
どれだけ考えても、今のサヤには想像つかないが、しかしサヤは自分にとって、それは他人事ではない事を、薄々感じていた。
「3ヶ月か・・・持つかな・・・?」
夜中、暗くなった自分の部屋のベッドの上で一人ポツリと呟いた。サトルの決意を知って、サヤの気持ちは揺らいでいた。 本当に彼がトレーナーになるのを止めなくていいのか。本当に自分の身体が3ヶ月の間耐えて、再会できるのか。サヤは不安で仕方が無かった。
自分の体のことは自分が一番よく分かっているつもりだし、自分でどうしても分からない部分は医者の先生に診て貰えば分かるが、 その医者の最近の態度が、サヤに不安をかけないように気を使っているのが伝わってきていた。 精一杯気を静めて冷静でいるつもりなのだろうけど、サヤはそういった人の心の動きには人一倍敏感だった。
「約束、守れなかったら・・・サトル、悲しむかな・・・?」
サヤはそっと自分の人差し指を唇に当てた。唇に残るあの感触。サトルとの、最後かもしれないキス。 その熱が逃げないように押さえ込むかのように、強く唇を押さえた。心の中が、すごく温かい。この温かさに包まれていれば、 不思議と何も怖くは無かった。
いつも夜は不安だった。明日も今日と同じように目を覚ますことが出来るのか。もしかするとこれが最後の眠りになるかもしれない。 それは決して過剰な心配ではない。サヤの場合、そういうことだって起きるかもしれないのだ。だけど、今日はそんな不安を感じなかった。 心がとても安らいでいる。瞳を閉じて眠りに落ちていくのも、怖くなかった。サヤが眠りにつけば、彼女の部屋は本当に静かになった。 ただ彼女の寝息が小さく聞こえるだけだった。
しかし、しばらくするとサヤは不意に再び目を覚ました。何かに気付いたのか、上手く動かない身体をゆっくりと起こし、辺りを見渡す。 すると、彼女の部屋の窓が開いており、外から冷たい風が吹き込んでいた。
「・・・何で・・・?」
彼女は首をかしげた。その窓は今まで開くことは無かった。せいぜい掃除をしたり換気をしたりする時に開ける程度で、 サヤが部屋にいるときは開いたことが無かった。彼女の体のことを考えれば当然だった。しかし、その開かないはずの窓が今、あいているのだ。 不思議に思ってみていると、今度は窓から少し離れた部屋の中に、何かの気配を感じた。
「・・・誰?」
サヤは恐る恐る気配に向かってそう問いかけた。その瞬間闇の中で二つの赤い光が輝いたのに気付く。 その光がゆっくりとサヤの方に近づいてきてベッドの傍まで来たときに、サヤはそれがポケモンであることに気付いた。前進白い毛で覆われ、 顔や鎌のような鋭い角、尻尾の皮膚は青い色をしている。4本の足でたたずむその姿は、どこか不気味な雰囲気と、 高貴で気高い雰囲気を併せ持っていて、異様な感じだった。そのポケモンはしばらく静かにサヤを見つめていたが、 やがて小さく息を吸い込み口を開いた。
「・・・起こしてしまったか」
一瞬サヤはあっけに取られた。その声は紛れもなく目の前のポケモンから聞こえているからだ。 ポケモンをこの目で見たことも殆ど無かったが、喋るポケモンがいるとはサトルからも聞いたことが無かった。
「あなた・・・喋れるの?」
「・・・知能の高いポケモンは人語を解し、更に秀でたものは用いることも出来る。・・・私のようにな」
そのポケモンは誇らしげに、しかし淡々とそう答えた。ポケモンが部屋に入ったことも、 ポケモンと会話をしたことも始めのサヤは初め少し気が動転していたが、やがて気分が落ち着くと、少しずつそのポケモンに問いかけ初めた。
「あなたは・・・一体誰?・・・どうして私の部屋に?」
「私の名は・・・人はアブソルと呼んでいる。・・・私はお前を迎えに来たんだ」
「私を・・・迎えに?・・・それにアブソルって・・・聞いたことがある。確か災いを呼ぶポケモン・・・」
そこまで言って、サヤは言葉を止めた。災いを呼ぶポケモンが・・・私を迎えに来た。・・・何となく連想することは、一つだった。
「私を迎えにきたってことは、私は・・・もう・・・」
「勘違いしないでもらいたい。・・・確かにお前の命、長くは無いだろうが、私はそれを奪いにきたわけではない。死神でもあるまいしな」
アブソルは笑いを含んだ声でそう語った。だが、だとすれば一体何が目的で・・・そうサヤが疑問に思っていたとき、 アブソルは急に真剣な表情で彼女を見つめて語りかけてきた。
「言ったとおり、お前の命は短い。私はそれを感じてここに来た。・・・お前に選択肢を与えるために」
「・・・選択肢?」
「人として死をただ待つのか、全てを失ってでも生にしがみ付くのか」
「・・・それは、私が・・・まだ長く生きていられるってこと?・・・全てを、失いさえすれば」
サヤは唾を飲み込んだ。言い知れない緊張感で喉が渇く。アブソルは表情を変えないまま、 しかしその言葉には少しずつ熱がこもり始めていた。
「・・・私は、災いを呼ぶわけではない。ただ、ポケモンの本能として、災いがあるところへ私を連れて行くのだ。・・・ 今まで多くの命が消えるのを見てきた。・・・だから消えようとしている命を放っては置けないのだ」
アブソルは、俯きながらそう語った。・・・今までこのアブソルが何を見て、何を感じてきたのか、 サヤにそれを推し量ることは無理だった。ただ少なくても、このアブソルがサヤの命を救おうとしていることだけは、間違いない。 そう確信はできた。
「失うものって・・・全てってどういうこと?」
「文字通りだ。お前という存在全て。命以外の全てだ。名も、身体も、絆も。お前の存在を証明する万物を、お前が放棄すれば、命だけ・・ ・心だけつなぎとめることが出来る」
「・・・そんな方法が有るの?」
「・・・私は死神ではないが、悪魔に魂を売った様なものだ。神を冒涜してでも、貫きたい信念があり、守りたい命がある。・・・ たとえそれが救済を謳ったエゴでしかないとしても」
「難しいこというんだね・・・ポケモンとは思えない」
「・・・そうだな。私は昔から物事を難しくしすぎるきらいがある」
アブソルは自虐的な笑いを浮かべながらサヤの言葉に応えた。サヤはそんなアブソルの姿を見て、 語るその言葉に既に疑念は抱いていなかった。不思議と心からアブソルのことを信じることが出来た。
「・・・選択肢ってことは、今まで通り全てを捨てずに死をただ待つこともできるってこと?」
「お前がそれを望めば、私は何も強制しない」
「・・・結論は今すぐ?」
「私は結論を急がない。・・・だがお前は、結論を急いだ方がいいのではないか?」
アブソルはサヤに問い返した。サヤはそう言われて俯き、少し考え込む。やがてゆっくりと頭をあげ、アブソルを力強く見つめた。 その瞳には決意の光が宿っていた。
「わかった。全てを捨てる。今すぐに、ここで」
「今?もうか?」
驚いたのはアブソルだった。てっきり考える猶予を求めるものだと思っていたし、それを与えるつもりでいたのだ。 しかしサヤの決断は早かった。
「・・・未練は無いのか?」
「あるよ。山のように。・・・だけど、きっと気持ちを整理していたら、決断する前に命が消えそうな気がして」
サヤは笑顔を作ってアブソルの問にそう答えた。悲壮な決意だった。別れを告げるべき相手もいるだろうに、 それを自ら断ち切ってアブソルの提案に従うことを決めたのだ。
「全てを捨てる・・・その意味が分かっているのか?もう、家族や大切な人間とは会えないかもしれないぞ?」
「死んでしまえば、どっちにしたって会えないもの。生きてさえいれば、きっといつかめぐり合えるよ」
強がりではないことは、アブソルも分かっていた。本気で、心の底からそう願っていることを。生きたい。 その強い願いをかなえるために自分はここに来たのだと、改めてアブソルは心の中で自分に言い聞かせた。
「・・・分かった。ならば今すぐ行こう。無駄話も、お前の身体に障るだろう」
「ありがとう・・・アブソル」
「さぁ、私につかまれ」
アブソルはそう言って身体を横にしてサヤがつかまりやすいように姿勢を変えた。 サヤはその細い腕でしっかりとアブソルの身体に抱きついた。しかし、あまり体が大きいとはいえないアブソルに、 人間一人かつぐことが出来るのか、サヤは少し不安げに問いかけた。
「ねぇ、大丈夫?重くない?」
「心配は要らない・・・さぁ行くぞ!」
アブソルはそう言ってアブソルは勢いよく足を蹴りだし、窓から飛び出した。静かな町の中を、風を切りながら音もなく突き進んでいく。 サヤはあまりの速さに始め目を閉じていたが、やがて静かに瞳を開けると、見慣れた景色がぐんぐんと後ろに流れているのを目にした。 不思議な感じだった。こんなに早く走ったことはおろか、外で空気を感じることすらなかったサヤにとって全てが新鮮だった。しかし、 他の人間にはなんとも無い普通の空気でも、サヤにとっては危険な存在となりうる。次第に呼吸が乱れ始めてきた。
「我慢してくれ・・・もうすぐだ!」
アブソルは背中のサヤにそう言い聞かせた。サヤは咳き込みながら小さく頷いた。するとアブソルは街を抜けて、 町外れの小さな建物の前で足を止めた。
「・・・ここは?」
アブソルの背の上で、サヤは呼吸を整えながら問いかけた。アブソルはすぐに答えず、何か考えにふけったように建物を見つめていたが、 やがてゆっくりと建物の方へ歩きながら答えた。
「・・・この地区のポケモンの研究所だ。本来はポケモンの研究をする場所だが、ポケモントレーナーの出発地点でもある」
そう言われ、サヤはサトルのことを頭に思い浮かべた。サトルもここでポケモンを貰って、トレーナーとして旅立つのだろう。・・・ もっとも、彼と交わした約束は果たせそうに無いが。
(いつか・・・謝る機会があればいいな・・・)
サヤはふと今アブソルにつれられてきた道を振り返った。街が、自分の家が遠く小さく見える。・・・全てを捨てるのであれば、 あそこに戻ることも多分無いんだろう。
「さぁ、中を紹介する」
アブソルはそう言ってサヤを乗せたまま研究所の中へと入っていった。 そしてその中の幾つかの自動ドアを通り抜けた奥の部屋にたどり着くと、アブソルはその部屋の奥に座っていた男性に声をかけた。
「戻ったぞ」
「あ、おかえりなさい!博士!」
「だから、博士と呼ぶなといってるだろう。もう、その肩書きは無いんだ」
「でも、僕にとって博士は博士ですから」
青年は笑顔でアブソルとサヤを出迎えた。そして青年はサヤにそっと手を差し伸べた。
「さ、降りて」
「あ・・・はい・・・」
サヤは何だかいろいろな情報が一気に入りすぎて少し整理がつかなくなっていたが、 とりあえず何時までもアブソルの上に乗っていてはアブソルに失礼だろうと、青年の手を駆りながらゆっくりと降りた。
「あの・・・博士・・・ってどういうことですか?ポケモンが博士だなんて・・・」
「あぁ、それはね・・・」
「語る必要は無い」
「無い分けないでしょ、博士。いっつもそうやってろくすっぽ説明なさらないんですから。・・・でも、こういうことは、 しっかり彼女にも知ってもらわないといけないことだと僕は思いますよ」
「だったら、好きにしろ」
アブソルはそう言って研究所の中を歩き回り始めた。ただ歩き回るだけでなく、様々な機械をいったりきたりしているようで、 どうやら何かを準備しているらしい。
「・・・で、どういうことなんです?アブソルが・・・博士って・・・?」
「・・・今から何年か前、ここはある女性の研究所だった。所長であるその女性は、理知的で、聡明で、若くて綺麗で、 だけど研究意欲の固まりのような人だった。まぁ、頑固者でね」
「聞こえているぞ」
青年の話を遮るようにアブソルは強い口調で叫んだ。
「駄目ですよ博士。そこでそんなこといっちゃ、話の先が見えちゃうじゃないですか」
「まどろっこしく話すお前が悪い」
「全く・・・。で、その所長の研究分野は主にポケモンの遺伝子研究や医学での活用だった。・・・ ポケモンの高い生命力が人にも備われば、万病の治療や予防に役立つと考えた」
青年は話しながら、サヤをゆったりとしたソファーまで連れて行き、身体を休めるため、横になるように勧めた。 サヤは頷きそのまま姿勢を楽にした。青年は話を続ける。
「その所長は、行動力も人一倍で危険を顧みない性格だった。研究のためなら自分を犠牲にすることさえ厭わなかった。・・・ 僕達が止めるのも聞かず、完成した試作段階の装置を、自らで実験したんだ」
青年はそう言ってアブソルのほうを振り返った。アブソルはまだ何か準備に忙しそうだった。
「本来その機械はポケモンの遺伝子を参考にして、人間の遺伝子的な強度を高めることで基礎体力の向上と、 病気の治療を目指したものだった。・・・それは成功といえば成功だったし、失敗といえば失敗だった。・・・ 人をポケモンのように強くするのではなく、ポケモンに変えてしまったのだから」
その青年の口調が何処か寂しそうだった。ここまで聞いてようやく、サヤはあのアブソルが博士と呼ばれている意味に気がついた。・・・ あのアブソルこそ、自ら実験体になり、ポケモンになってしまった女性所長だということに。
「・・・以来所長はいろいろ葛藤したみたいだよ。研究できなくなったその身体で、何が出来るのか・・・だけど、 今も昔も博士の願いは1つ。それは、消えようとする命を救うこと」
「・・・私のように・・・?」
「そう、治らない病気を乗り越えるには、人間には無い力が必要。その手段が、ポケモンの力を借りるだけなのか、 ポケモンそのものになることなのか。違いは、極論そこだけだった」
「ポケモンに・・・ポケモンになれば、今より長く生きれるってこと?」
「ポケモンは人間より丈夫に出来ている。人間で耐えられない病気でも、ポケモンなら耐えられる。・・・ならば、 博士は少しでも多くの命を救いたいと願った。例えその方法が、倫理から外れていたとしても」
青年は一通り喋り終えると、用意しておいたコーヒーを口に運び一息ついた。
「全くクレイジーな話でね。当時の研究員は殆ど辞めちゃった。・・・僕以外はね」
「貴方は、何故辞めなかったんです?」
「博士の理論と信念を信じて僕はここで研究をしてきたんだし、それに僕は約束を破らない男でね」
そう言って青年はおもむろに左手をサヤに見せた。よく見ると、薬指には指輪がしてある。
「博士はもうしてくれなくなっちゃったけどね」
「そんなもの、アブソルの指にはまるわけ無いだろう」
アブソルはいつの間にか青年の傍まで接近し、また強い口調で言った。
「あ、博士、準備できたんですか?」
「あぁ。・・・後はサヤ。お前の心の準備だけだ」
「私の・・・。私も・・・ポケモンになるってことですよね・・・全てを捨てるって言うことは」
サヤは、半分自分に言い聞かせるように呟いた。・・・ポケモンになれば差し迫った死の恐怖から逃れられる。だけど、それと同時に家族、 生活、ひいてはアイデンティティーをも失うことになる。・・・そうまでして、生に固執すべきだろうか。サヤは自問自答を繰り返した。そして、 結論が出たのかアブソルのほうを見て問いかけた。
「一つだけ・・・わがまま聞いてもらっていいですか?」
「・・・私に出来ることなら、聞かないことも無いが・・・」
「多分・・・後数日でサトルって言う男の子が、トレーナーになるためにここに来ます。・・・ポケモンになった私を、 彼に渡してください」
「・・・その少年の傍にいたいということか?」
「・・・私にも果たしたい約束があるんです。だけど、それを果たせないことは自分が一番よく分かっています。・・・だからせめて、 サトルと一緒に旅に出たいんです。サトルは、私に旅の話をしてくれるって約束したけど、それを聞いて上げられないから・・・なら、 一緒に見て回りたいんです。サトルと同じ景色を、見たいんです」
アブソルは黙ってその言葉を聞いていた。彼女の言うことはいたいほど分かる。だが、それは決して楽なことじゃないことだった。
「・・・そのサトルという少年の事は知らないが、もし想い人か何かなら、一緒にいることは相当辛いことだ。どんなに願っても、 もうその願いは叶わないのだから」
アブソルは悲しそうな目で青年の方を見上げた。・・・2人の間にも、叶えたくても叶えられない願いが有るのだろう。 その辛さを誰よりも理解しているからこその忠告だった。でも、アブソルも青年も知っている。 人の信念は決してそんな障害では揺るがないことを。それを証明しているのも自分たちだから。
「辛いことは分かってます・・・だけど、だからこそ私は彼の傍にいなきゃいけない。・・・理屈じゃないんです」
サヤの力のこもった言葉に、アブソルはもう何も言わなかった。決心がついている以上、何言ったって聞かないだろう。
「分かった。そこまで言うなら仕方ないだろう・・・。ただ、後悔だけはするなよ?」
「はい」
サヤは細々とした声で、だけど力強くそう答えた。アブソルはサヤのその返事に小さく頷いて、 すぐに彼女に背を向けて奥にある装置の方へを歩いていく。
「さぁ、それでどうする?すぐにでもやるか?」
「・・・ポケモンになった後の姿って、どうなるんです?」
「ウチで管理しているポケモンなら、大体選べるが・・・なりたいポケモンがあるのか?」
「できれば・・・チコリータがいいです。サトル、小さい頃からチコリータ好きだったから」
「チコリータか・・・わかった。いいだろう」
アブソルはそう言って装置を何か操作し始めた。サヤは黙ってその様子を見ていたが、しばらくすると青年がサヤのことを呼んだ。
「ほら、こっちだよ」
言われるがままに青年の方へ行くと、大きなカプセルのようなものが横になっておいてあった。
「ここに入ってもらうんだ」
彼がそう言った瞬間、いかにもメカニカルなそのカプセルがゆっくりと口を開いた。サヤは完全にカプセルが開ききったのを見て、 すぐにその中へと足を入れた。青年はしばらく黙って様子を見ていたが、やがて心配そうな表情でサヤに問いかけた。
「・・・本当にいいのかい?君は・・・人間でなくなることの怖さを知らない・・・ポケモンとして生きてくことの辛さを知らない・・・ なのに・・・」
「もうよせ。この子がそうしたいって言ってるんだ。私達が口を出すのは野暮だろう」
「・・・そうだね、僕は約束を守る男だ。・・・必ず、君をそのサトルって子に渡してあげる」
青年はアブソルの言葉に小さく頷くと、サヤに微笑みかけた。サヤも微笑み返し、そして小さく呟いた。
「・・・ありがとうございます」
青年はその声を聞くとゆっくりとカプセルのふたを閉めた。 ゆっくりと動作を始める機械の外で青年とアブソルはカプセルを見つめながら互いに言葉を交わした。
「僕は博士の研究を信じてるし、貴方を心から愛している。・・・だけど、時々自分のやっていることが何なのか分からなくなりますよ・・ ・」
「・・・所詮これは私の自己満足でしかない。救えるはずだった命を救えなかった罪滅ぼしに、消えるはずの命を無理につなぎとめる・・・ 結局私自身が、人間への未練を捨てられないから行う・・・エゴだよ」
「・・・いつかここの研究所の後継者が決まり、この機械を必要としなくなる穏やかな時が来たら・・・ 僕がこの機械の最後の利用者になります」
「・・・好きにしろ。どんな姿になっても、お前はお前だ」
2人の視線はカプセルに向いたままだったが、お互いの心はしっかりと重なり合っていた。
カプセルの中は、それこそ夜のように静かだった。機械的な音などもせず、時折小さな空気が抜けるような音が聞こえるくらいで、 そこにサヤはゆったりと横たわっていた。さっきまで苦しかった呼吸は既に落ち着いていて、気分も穏やかだった。
しかし、そんな静寂を破るかのように突然ピーッという機械音が聞こえると、なにやら光が上下し始めた。 サヤはまぶしさの余り目をつぶった。そして光が止むと、今度はスチームのようなものがカプセルの中に蔓延し始める。狭いカプセルの中、 かわしようが無いためサヤは自然とそのスチームのようなものを吸い込んだ。身体にも付着していく。
そしてしばらくすると、サヤは身体に火照りを感じ始めた。呼吸は再び荒くなってくる。初めは発作かと思ったが、 いつものような苦しさは無かった。ただ何か、内側からこみ上げてくる何か、それを押さえきれなくなっているのは確かだった。
そう思っていると、彼女の身体に変化が訪れ始めた。皮膚の色が徐々に薄い黄緑色へと変色を初め、身体の形も大きさも変わっていく。 手足が徐々に短くなっていき、指は完全にくっつき指先が白く変色していた。 手も足も同じぐらいの長さになり形状も殆ど同じ状態となったそれは、もう前足と後足と呼ぶべき形に変化していた。 全身もどんどん縮んで形が変わっていく。仰向けで寝ていることが姿勢として辛くなり、身体を横にした。着ていた服はもう脱げてしまっており、 ただ彼女の身体を包んでいるだけに等しかった。
その包まれた身体も徐々に人間の面影を失っていく。お尻の辺りからは小さな尻尾が姿を現し、首や胴の太さがほぼ均一となり、 首周りには深い緑色の膨らみが首を囲むように幾つも並ぶ。鼻や耳、髪の毛もいつの間にか消えてなくなり、 頭の上からは大きな一枚の葉っぱが生えてきた。やがてカプセルに充満していたスチームが晴れて、視界が開けてくると、 サヤはゆっくりと瞳を開けた。その瞳の色は赤く宝石のように輝いている。変化したばかりだからか、体が上手く動かないが、何とか自分の手・・ ・いや、前足だけは確認することが出来た。それは紛れもなくチコリータのものだった。
(本当に・・・チコリータだ・・・!)
彼女は小さくそう呟いたつもりだったが、彼女の耳に聞こえたのは聞きなれた自分の声じゃなかった。
「チコ・・・チコリ・・・!・・・チィ・・・チコォ・・・!?」
(・・・声も・・・変わってる・・・!?)
それは完全にチコリータの鳴き声だった。カプセルの中で自分が完全に人間ではなくなったことを悟った瞬間、 カプセルがゆっくりと開き始めた。外から声が聞こえてきた。
「どう?気分は」
聞こえてきた声は青年のものだった。サヤはゆっくりと首を縦に動かした。
「質問とかがあったら博士に聞いてね。人語喋ってるけど、ポケモンの言葉もきちんと分かるから」
サヤはもう一度首を縦に動かした。そして何とか4本の足に力を入れて、立ち上がろうとするが、 慣れないせいか上手く立ち上がることが出来なかった。
「無理をするな。まだお前は生まれたての赤子のようなものなんだ」
『・・・わかりました・・・でも、サトルがくるまでには、最低限のことが出来るようになってないと・・・』
「まだ数日有るのだろう?身体を慣らすには十分だ」
アブソルが諭すように語りかけた。そう、サトルがトレーナーになるまで数日ある。それまでの間に、 サヤはより内面や動きもポケモンらしくなる必要があった。サトルと一緒にいるためには、人間だったことを忘れるぐらいの気持ちで、 ポケモンに徹しなければならない。だけど、サヤには乗り越える自身が有った。サトルがそこにいてくれるなら、サヤに怖いものなんて無かった。
それから数日たったある日のこと。サヤの家の前でサトルとサヤの母親が話をしていた。
「・・・じゃあ、しばらく安静なんですね?」
「えぇ・・・ごめんなさいね。今は部屋で眠ってるの。こんな大切な時に貴方を見送ることが出来ないなんて」
「・・・いえ、俺はサヤ・・・さんが、待っていてくれると信じるだけですから」
サトルはサヤの母親にそう言って深々と頭を下げると、彼女の家を後にした。サヤはサトルの姿が小さく見えなくなっていくと、 手元から一枚の紙を取り出した。そこには研究所の名前と、サヤが突然いなくなったことの説明が書かれていた。 それを呼んだのはサヤの母親だけだった。もっとも自分の娘がポケモンになったなど、誰に言えるだろうか。彼女は小さくため息をつくと、 遠く小さく見える研究所を見つめながら小さく呟いた。
「・・・それがあなたの選んだ道なら貫き通しなさい。あなたが頑張る姿は、例えあなたがどんな姿でも、 きっと誰かに勇気を与えるはずだから」
そしてふぅ、と一つため息をつき家の中へと戻っていった。誰もいない、自分ひとりとなった静かな家の中へと。 そしてしばらくは頬をつたう涙が止まらないんだろうなと、自分で自分を呆れるように笑いながら。
研究所にたどり着いたサトルを出迎えたのは一人の青年だった。この地方の新人トレーナーの輩出をしている研究者らしい。
「君がサトル君だね?」
「はい。先日トレーナー希望を出しましたサトルです」
青年は彼が悟る本人であることを確認すると、彼を研究所の奥へと招いた。
「で、早速君の手持ちポケモンなんだけどね。・・・実は君の知り合いのサヤって女の子から、君がチコリータが好きだって聞いてね」
「サヤが?・・・そうですね、確かにチコリータは好きです」
「それを聞いてね、是非この子を君に使ってもらおうと思って」
そう言って青年は一つのモンスターボールを手にしてボールを放り投げた。中から光に包まれながら出てきたのは、 言葉通りチコリータだった。緑色の身体によく映える赤い瞳が輝いていた。その輝きにサトルは思わず見とれてしまう。
「で、どうだい?この子」
「え、あ・・・はい。このチコリータでお願いします」
「そうか、よかった」
青年は嬉しそうに微笑んだ。そしてチコリータも喜んだ表情を見せ、擦り寄るようにサトルに身体を寄せてきた。 サトルはすぐにそのチコリータのボールを青年から受け取り、旅立つ準備を整えた。そしてチコリータをすぐにはボールに入れず、 そのまま一緒に行動した。チコリータの行動をチェックして、少しでも馴染んでおきたかったからだ。
「この街ともしばらくはお別れか」
サトルは街の外へと出て後ろを振り返りながら小さく呟いた。目標は3ヶ月。 サヤがそれまでに元気になっていることを信じてサトルは歩き始めた。・・・その決意が分かったからこそ、 横にいるチコリータの表情は複雑だった。もう既にいない自分のことを信じてサトルはこれからトレーナーとして生きていくんだ・・・ だからこそ、自分が支えなければならない。チコリータの決意も固かった。そしてサトルについて歩いていく途中、 不意にサトルがチコリータのほうを振り返ってじっと見つめてきた。そして一言言い放った。
「お前のこと・・・サヤって呼んでいい?」
「チ、チコォッ!?」
チコリータは驚いたような表情を見せた。まさか・・・早速ばれたの!?・・・しかしサトルのほうはそういった様子ではないようだ。
「何となくお前を見てたら、俺の好きな奴のこと思い出してきて。あいつのこと忘れないために、あいつの名前でよんで・・・いいか?」
チコリータはまた複雑な表情を浮かべたが、すぐに笑顔を見せて元気よく返事をした。
「チコォ!」
たとえ姿が変わっても、自分の面影をチコリータの自分に見つけてくれたことがサヤにとってすごく嬉しかった。
「よし、じゃあサヤ。これからもよろしくな!」
「チコ!」
そして1人と1匹はゆっくりとまた歩き始めた。トレーナーとして、ポケモンとして共に新しい道を歩き出した少年と少女。 きっと様々な出来事がこの先待ち構えているだろう。だけど、お互いにこのパートナーなら、きっとどんな事だって乗り越えていける、 そう確信していた。彼等の進む道はまだ果てしなく続いている。
ねぇ、見ていて。今、貴方のために花を咲かせるから。大切なあなたの傍で私は花となって貴方を見守るから。
だから貴方も見ていて。その花の行方を。散りゆく未来への不安を感じさせずに、誇らしげに咲くその姿を。
今、花を咲かせて 後編 完
今、花を咲かせて 完結
コレも行き詰っていたので当初の予定を大幅に話を変更して書きました。でも、思うまま筆を走らせてごらんになるもんですね。きっと何かが起こるもんです(大神か
「又チコリータかよ」って声が世界中から聞こえてきますが、実はチコリータの直接TFシーンを書いたのははじめてだったりします。前回はPBEのスーツ変身だったので。
きっと誰にだって、全てをなげうってでも守りたい人、事、物があるはず。何かを大切に思う気持ちがあれば、きっと貴方の心にも花は咲く筈です。
その花がいつまでも綺麗に咲き続けることを願って
WWP 宮尾
★宮尾レス
コメント有難う御座います。
例え姿が変わっても、この2人は見えない信頼と愛で結ばれているんだと思います。
もしかすると本編のキャラたちと何処か出会う可能性もあるかもしれませんね。でも2人ならきっと頑張っていけると思いますw
凄い感動しました…
サヤの一途さとか、それ故の大きくて強く…そして少なからず辛いであろうと言う決意…
「貴方の側で花となって見守るから、だから…」
この辺で思わず目が潤んでしまいました…
このコンビならどんな事でも乗り超えられる気がしますねd(^-^)
★宮尾レス
ランパード様コメントありがとうございます。
感動していただけたようで光栄です。
これは自分が書いてきた小説の中でも特に切ない1編ですね。2人は例えどんな事があっても途切れる事のない強い絆で結ばれているはず、だから2人には越えられない困難はないと思います。これからの2人に幸あれですw