Fascination2-闇は光に導かれて- 第3話(最終話)
【人→獣】
この道を走れば走るほど、いよいよ本当に何も無いところなのだと感じさせられた。聞こえる音といえば、 僕が必死にこぐ自転車のペダルとチェーン、ホイールそれぞれの音だけ。あぁ、あとは僕の少し荒くなり始めた呼吸ぐらいだ。
時刻は夜の9時10分を少し回ったぐらい。街路灯も1つ1つ間が長く、頼りになる灯りもまた僕が乗るこの自転車のライトだけだった。 そんな見知らぬ土地の暗闇の中を僕は自転車で全速力で走り抜けている。ただひたすら真っ直ぐな暗い夜道は車さえ通ることが無かった。 走っているのは僕と、僕の少し目の前を走る豹だけだった。豹は、まるで僕をどこかに導こうとするかのように、時々僕のほうを振り返りながら、 僕にペースを合わせるようにして走っていた。それは豹としてはあまりに奇妙な行動だったけど、 既に豹が外を普通に走っている時点で奇妙だったため、僕は深くそのことについて考えはしなかった。
それがどれくらい続いただろうか。豹と僕の奇妙な追いかけっこは、追いつきそうで追いつかない微妙な距離を保っていた。 手が届きそうで届かない、そのもどかしさは僕の心に焦りをかきたてる。だけど、肝心の豹・・・彼女は、まるでそれを楽しんでいるかのように、 時折ライトに照らされて一瞬だけ見えるその表情が明るく見えた。
「何処まで行こうって言うんだ・・・?」
僕は自然とそう口にしていた。額にじわりと滲んだ汗を腕で拭う。夜は肌寒いけど、流石に体が暖まってきたのか、額だけでなく、 手や背中も僅かに汗でぬれ始めていた。その身体が自転車のスピードで風を受けるのは、涼しくて心地は良かった。だけど、 連日の寝不足と空腹で体調は余り良くない。そう長くは走り続けることは難しいだろう。僕は渇いた喉を少しでも潤すために、 一つ唾を飲み込んだ。
しかし、本当に何処に連れて行こうとしているのだろうか。気付けば道は徐々に坂を上り始めている。 既に結構な距離を走らされて疲れている上に、この地味な勾配は僕の足にかなりの負担をかける。それでも僕は、 彼女を見失わないように必死に追いついていく。そもそも道が暗いため、 彼女の姿が見えなくなるとどっちに行ったらいいかわからなくなるほどだった。
しかし、僕のそんな不安は最悪の形で現実のものになる。それまで僕にペースを合わせるようにして走っていた彼女が、 急にスピードを上げて走り抜けてしまったのだ。何とか追いかけようとしたけれど、その辺りから道が舗装されていない悪路になっていた上、 上り坂でカーブである。僕が振り切られるのにそう時間はかからなかった。完全に姿を見失った僕は、一度自転車を止めた。 腕で額の汗を拭い一息つく。どうしたものかと辺りを見渡すが、視界の悪い中で自転車で進むのはかえって危険だろうと思い、 僕は自転車をそこに置き歩くことにした。
しかし、あの豹はこの先何処まで行ったのだろうか。もう足音も聞こえないところをみると、大分離されたかどこかで止まっているか・・・ 。どちらにしても引き返すわけにはいかないし、豹が進んだであろう道を進んでいく。道はすっかり山道になっていて、 暗い中歩くのは怖かったが、自転車で無茶するよりかはマシだろう。だけど既に自転車で結構体力を減らされている僕にとって、 緩やかな坂道は地味にしんどかった。
それから数分ほど歩いただろうか。気付くと道は大分開けてきて、木々の間から月の光が差し込み広場のようになっていた。 僕はその中をゆっくりと歩みながら辺りを見渡した。その時不意に背後に気配を感じて僕は後ろを振り返った。その気配はあの豹に似て、 だけのあの豹のものではなかった。それは・・・。
「待ってたよ、ミド」
「・・・ヒナ」
急に声をかけられたけど、そこにヒナがいるであろうことは予想できていたから、あまり驚きは無かった。 それよりも僕は暗闇の中から彼女の姿を探そうとするけれど、この闇は本当に暗くて中々彼女の姿を確認できなかった。
「・・・どう?豹に会った感じは」
「やっぱり・・・すごい綺麗だった」
「私とどっち綺麗だと思う?」
「・・・比較対象がおかしいよ」
僕はようやく暗闇の中に彼女の姿を見つけ、そちらへと近づく。距離を詰めても尚、その姿はおぼろげでよく見えなかったが、 辛うじて顔のラインは確認できた。昼間見た彼女の顔に違いなかった。その自身と誇りに満ち溢れた瞳を見て、僕はもう確信していた。
「おかしい・・・?何で?」
「同一人物を比べる事なんて出来ないよ」
「・・・そんなことないよ。女の子って、服装とかで結構変わるもんだよ。同じ私でも相手には違う風に映ってる・・・ そういう期待しておしゃれをするんだから」
ヒナは少し笑いながらも、呆れたようにそう言い返した。 だけどしばらくしてちょっと落ち込んだような表情で小さくため息つきながら呟いた。
「・・・もっと驚いてくれるかと思ったのに」
「驚いているさ、十分に」
「そんな風に見えないよ」
「・・・ある程度、勘・・・みたいなもんで、何となくそうかもしれない・・・って、そうだね・・・覚悟?していたから」
僕はおぼつかないながらも言葉を繋いで彼女の問に答える。ヒナは、空を見上げながら小さく微笑んだ。
「私も、ちょっと覚悟してたかな?」
「え?」
「昨日、ミドが私の檻の前でじっと私のことを見ていたときから」
ヒナはそう言って僕の方に再び視線を落とした。それは彼女が自ら、僕の中で曖昧だった方程式にイコールを書き足したことになる。 曖昧な言葉を並べていたそれまでの会話を断ち切るように彼女は、自らの正体を告白した。
「・・・覚悟?」
「うん。あぁ、この人にはここの事バレちゃうかなっていうのと、この人にならバラしちゃうかもっていう二つの覚悟」
「・・・どうして?」
「私、意外と人見る目あるし、それにあれだけ真剣に私を見て、辺りの動物を見てれば動物をよく見てる人だなってわかったし。それに、 私口軽くて。仲良くなれそうって思ったら積極的になっちゃうタイプだったりして」
ヒナは照れくさそうにそう答えた。はにかむその表情も可愛いなと思う。
「ねぇ・・・ミドは何時ぐらいから、そうかもって思ったの?」
「・・・確信したのは今、ヒナの瞳を見たとき。だけど、昼間話したとおり違和感はずっとあったよ。・・・その違和感も、 やっと原因が分かったけどね」
「へぇ、じゃあ何だったの?違和感は」
「やっぱり、動物たちから野生動物の気配を感じなかったことだったよ。生き生きした動物から感じられずはずのそれが無かったから、 違和を感じたんだ」
「・・・分かる人にはわかっちゃうもんなんだなぁ・・・ま、私たちの努力不足、ってところかな?」
ヒナの苦笑いに呼応するように僕も微笑み返した。だけど、確信はしてもまだやはりいまだに信じられない気持ちでいる部分もある。
「でも・・・人間が動物になっているなんて・・・こうして自分で理解して、ヒナから教えてもらってもまだ、実感がわかないな」
「まぁ、仕方ないよ。私も初めて知った時、開いた口が閉じなかったもん」
「でも一体どんな仕組みで・・・?」
「タネはこれ。はい、受け取って」
そう言ってヒナは何かを僕に投げ渡した。慌てて僕は視界の悪い中で何とかキャッチをする。柔らかい毛で覆われた、不思議な感触。 僕はそれが何か分からず首をかしげていると、ヒナは闇の奥からこちらへと歩み出てきた。 丁度彼女の身体が月の光に照らされてはっきりと見える。その姿に僕は息と唾を飲んだ。
そのプロポーションは、はっきりとした人間の女性のシルエット。衣服を何も着けていないのだ。だけど、その身体をよく見ると、 人間のものとは少し異なっている。全身毛で覆われていて、黄金に黒の斑点を散りばめたその姿はまさに豹そのものだった。 そして顔だけがヒナの顔そのものなのだ。
「それは・・・?」
「まぁ、一種のスーツというか。これが私を豹に変える力を持ってるの」
「スーツ・・・?」
僕は彼女の姿を見ながら首を傾けた。・・・着ぐるみのようなものだろうか?
「そう言われても実感無いだろうし、とりあえず百聞は一見にしかずってね」
そう言ってヒナは首の近くへと手をやる。よく見ると、豹の顔を形どったマスクがスーツにくっついており、 それがぶら下がった状態になっていた。ヒナはそれを手に取り、自分の顔にかぶせた。するとその姿は完全に・・・豹人間とでも言えばいいのか、 豹の外見的特長を持つ人間となっていた。
しかし、しばらくすると彼女は小さな声にならないうめきを上げた。それと同時に、辺りの雰囲気が一瞬変わった気がした。僕の心が既に、 変化の訪れを感じ取ったのかもしれない。僕が見ている前で彼女の形はどんどん変化していく。彼女の細く長い手足が徐々に短くなり、 同時に逞しい筋肉が発達していく。手を地面につけると、指が短くなっていき大地を蹴るための前足へと変化する。 全身を覆っていたスーツの毛皮には生気が宿り、それが作り物ではなくなっていく。あっという間に彼女は、もう一人の・・・ もう一匹の彼女へと変化を遂げたのだ。
彼女はその瞳を輝かせながら、気持ちよさそうにグルゥと一つ喉を鳴らした。そして僕の方を振り返る。・・・そう、僕はその瞳に、 その毛並みに、その仕草に、その全てに心を奪われたのだ。僕が彼女をじっと見詰めたまま立ちすくんでいると、 彼女は僕の方にそのしなやかな尻尾を左右に揺らしながら近づいてきた。そしてさっき彼女が僕に手渡したものをじっと見つめ、 また一つ喉を鳴らした。
「・・・ひょっとしてこれって・・・」
そう呟きながら僕は手渡されたものを広げる。先まで伸ばすとそれは人の形をしていた。さっき彼女が着ていたのと同じような、 スーツだった。それを事前に僕に渡して、今彼女がそれをアピールしているということは。
「僕に・・・これを着ろって?」
豹は嬉しそうに喉を鳴らしながら首を縦に振った。僕が手にしてるスーツは、この暗闇の中でなお暗い漆黒の毛で覆われている。・・・ 僕も着れば動物に変身するのか。流石に一瞬ためらったが、最終的には興味と彼女に近づきたいという欲求が勝った。
「これってそのまま着るの?それとも脱いで?」
豹は、初め首を横に、その後縦に振った。後者だという意味だろう。
「・・・じゃあ、あっち向いててもらっていい?・・・一応」
豹は頷くと、僕に背を向けてゆっくりと暗闇の中へと消えていった。だけどそれほど距離が離れていないことはきちんと気配で分かった。 僕は彼女の瞳がこちらを向いていないことを確認すると、着ていた服を脱いだ。そして一糸纏わぬ姿となり夜の風を全身素肌で受け止めた。 さっきかいた汗が一気に乾いていく。流石に肌寒さを感じたので急いで手に持っていたスーツに身を包んでいく。
着た感触は・・・不思議な感じだった。初め見たとき少し小さめかなと思ったそのスーツだけど、なかなかフィットするもので、 まるで僕の身体と完全に引っ付くような錯覚さえ覚える。一応不安なので、本当に引っ付いていないか確認したら、 あっさり剥がれたのですぐに安心したけど。下半身から上半身へとその身を漆黒の毛で覆われた姿へと変じていく僕。 手先足先まですっかり黒い毛で覆われた姿になった。人の体躯に獣の毛を持つその姿は、獣人と呼んでいいだろう。ただし、 顔はまだ僕自身のままだったけど。
しかし、その顔にも意を決してマスクをかぶせた。マスクもまた顔にしっかりフィットして、呼吸用の穴もしっかり開いている。 息苦しさとかは感じなかった。こうして頭の先からつま先まで完全に獣のスーツに身を包んだ僕は、しばしそのままじっとしていた。 とりあえず着てみたものの、これで本当に変身してしまうのかという不安が、正直あった。 また初めてだから変身する時の感覚がどういうものなのかまるで想像がつかない。
頭の中で色々変身している時の想像をしていた時、急に全身を電撃のような痺れが襲った。全身の筋肉が引きつるようなそれは、 痛みというよりも痺れというべきだろう。僕は自分の身体を2本の足で支えることが出来なくなり、その場で地面に両手をつく。 そしてそれを待っていたかのように変化が始まった。地面に就いた僕の手の指が、徐々に短くなっていく。指の先から鋭い爪が生え、 その平には柔らかい肉球が衝撃を吸収するように生じ、それは完全な獣の前足と化した。足も同じように変化し、つま先とかかとの間が伸び、 筋肉は発達し繊細でシャープな身体を形作っていく。そして変化が進むと共に、スーツに包まれているはずなのに、 自分の肌で空気を感じていることに気付く。
顔もマスクで包まれているはずなのに、同じように風が直接肌に触れるような感触。 僕は自分の身体を確認するためにゆっくりと瞳を開いた。そして視点を下へと落とす。見えたのは自分の手・・・だった前足。全身を見渡しても、 人間だった僕の面影は無い。思わず驚いて声を上げるが・・・。
「ガルゥ・・・!?」
その声ももう僕の声じゃなかった。獣が喉を鳴らした鳴き声、さっき聞いた彼女のものと同じような声だった。どうやら、 本当に僕も獣に変身してしまったらしい。戸惑いながら前後の足を動かし、自分の身体の各部位を触っていく。黒い毛で覆われた全身、長い尻尾、 横に伸びたヒゲと、上に尖った耳。どれも自分の感覚として確かに感じている。それがまぎれも無い自分の身体であることを再認識させられた。
慣れない身体に戸惑う僕の傍に、1匹の豹が近づいてきた。勿論彼女だ。・・・今ならはっきり認識できる。匂いで、空気で、 目の前の豹があのヒナであるということが。僕があの瞳に見せられた理由も、何となく自分で理解できた。すると突然耳に声が聞こえてきた。
『どう?自分でなってみた気分は?』
それはヒナの声だった。人の言葉を互いに話せないはずなのに、ヒナのいっていることが言葉として聞こえてきたのだ。 動物同士だから通じる言葉なのかもしれない。僕はそのことに少し驚いたけど、改めて自分の身体を見渡してその姿を確認し、 彼女の方に向き直って答えた。
『・・・何だか、僕じゃないみたいだよ。面影、全然無いし』
『自分で見るとそう思うでしょ?でも、周りから見たら、結構案外あ、この人だ、って分かるもんだよ』
『そう・・・いうもん?』
『そういうもん。だって、ミドだってこの豹の姿が私だって、信じられなくても薄々感じてたんでしょ?』
『あぁ・・・まぁ、そうか。・・・そういうもん・・・なのかもね』
僕は彼女の言葉の妙な説得力に、そのまま納得してしまった。確かに、彼女の口から彼女が豹であることを告げられる前に、 僕は既にヒナがあの豹だと結論付けていた。その逆で、今の僕の姿は人間だった僕の面影なんて無いはずだけど、 多分気配とかちょっとした仕草とか、そういう全体的な雰囲気はヒナから見れば、姿はどうあれ僕は僕なのだろう。それを聞いて少し安心もした。 例え姿が変わっても、御堂やまとは御堂やまと。そして、狩野ひなたは狩野ひなただということに。
『ねぇ、何時までもそうやってぼうっと突っ立ってないで、ついて来て。いいもの見せてあげる』
『え?』
そう言って彼女は、そのしなやかな身体でバネのように僕の傍から暗闇の更に奥へと走り出した。 僕は置いてかれないように慣れない4本の足で彼女の後を追いかけた。初めは前足と後足を動かす順番がピンと来なくてぎこちなかったけど、 すぐに身体が慣れてきた。すると、走るスピードも一気に増していく。ぐんぐんと景色が後ろに流れていくのはすごく気持ちがいい。 さっきまでの自転車の疲れももうまるで感じていなかった。
彼女はどんどん山の中へと入っていく。僕も彼女を追いかけて木々が生い茂る道なき道を突き進む。人間じゃまず通れないような悪路。 だけど、低くなったけど広くなった視野と、鋭くなった感覚が辺りの様子を捉え、安定感のある4本の足でしっかり大地を蹴ることが出来るから、 自分でも信じられないほど苦労せずに駆け抜けることが出来た。僕の前を行く彼女も、僕を導くように、そして慣れた足取りで駆けて行く。 彼女の身体は月の光で黄金色に輝いていて、美しかった。
更にしばらく走っていると、遠くから水の音が聞こえてきた。僕は先を走る豹に声をかけた。
『・・・ねぇ、この音は?』
『もうすぐ、つけば分かるよ』
そう言って彼女はスピードを少し落とし、僕と横並びになる。2匹は並びながら森の中を走った。すると、 急に木が生えていない開けた場所に出た。さっきの水の音が、より大きく聞こえる。
『こっちだよ』
豹はそう言って僕をある方向へ誘った。言われるままついていくと、そこには池と呼べるほど大きい泉があった。 さっきの音は泉から水が沸く音だったのだ。その水面には星空が映し出され、まるでその泉に星を散りばめたような幻想的な光景だった。
『・・・すごい・・・』
『でしょ?・・・何年か前に大きな台風が来てね、それが木をたくさん倒しちゃったんだけど、 そのお陰でそれまで木で隠れていた空が見えるようになって、この泉には星が映るようになったの。人間の手ではなく、 自然がこの美しさをここに与えたの』
彼女は空を見上げながら嬉しそうに語った。そしてこう付け足した。
『だから、ここは人間が訪れるところじゃない。訪れることが出来るところでもない。私はそう思ったの。だけど、この姿でなら・・・ 自然と共に生きる動物の姿なら、許されると思って』
『・・・そうだね。この景色には人よりも獣の気高い姿の方が似合うよ』
僕はそう答える。彼女は僕の方を振り返って、その豹の顔で嬉しそうに微笑んだ。そして更に泉に近づいて僕のことを呼んだ。
『ほら、そろそろ喉渇いたでしょ?ここの水すごく美味しいんだ。飲みなよ』
そう言った彼女の方がどうやら喉が渇いていたようだ。言い終えると同時に、 顔を泉に近づけて舐めるように舌を動かしながら水を飲み始めた。その仕草は猫が水を飲む仕草そのものだった。 その可愛らしさに一瞬見とれてしまったが、すぐに僕も自分の喉の渇きを感じて泉の上に顔を出した。すると泉には僕の顔が映った。 その顔は彼女と同じ豹のものだった。黒い毛並みだから、夜の闇ではっきりとは映らないけど、輝く瞳が僕を見返していた。
『・・・黒豹・・・だね』
『あれ?今まで気付かなかったの?自分で』
『いや、分かってたけど、自分の姿が見えるわけじゃないから、実際本当はどんな姿なのか分からないし』
『あぁ、そうだよね』
豹は明るく笑って見せた。そして改まったように問いかける。
『・・・どう?ミドのその姿・・・新しい自分は』
『・・・何だか、今までの自分よりも、ずっと僕らしい気がするよ。すごく気分がいいんだ』
『よかった。ミドならきっとそう思うって信じてたよ』
豹はそう言うと、また水を飲み始める。僕も泉に顔を近づけて、みようみまねで舌を使って水を飲む。乾いた身体に水が流れ込んでいって、 すごくすがすがしい気分だ。そして僕たち2匹はしばらくの間、水を飲み続けた。ようやく気分が落ち着いたのか、 ヒナは膝を折り曲げその場に伏せて僕が水を飲み終わるのを待っていた。僕も飲み終えると、ヒナのそばへと駆け寄り、 その横で同じように身体を伏せた。2匹は並んでしばらく黙って空を見上げていたけど、不意にヒナが僕の方を見ながら小さく語り始めた。
『・・・私ね、3年前受験に失敗してさ。気分転換に初めてここに来た時・・・ここの動物に魅力と違和感を感じてね。後先考えずに、 頭を下げて頼み込んで強引にここの職員にしてもらったの。・・・勿論、その時はまさか自分が豹になるなんて思ってなかったけどね』
そう言ってヒゲと耳を揺らしながらヒナは笑った。近くで見ると改めて彼女は豹としてもすごく魅力的であることに気付く。多分、 僕も豹になったから気付く魅力も有るのかもしれない。
『だけど、今は自分が豹になることを私は誇りに思ってる。・・・本当の姿じゃないけど、人間の姿でいるときよりもずっと私の中にある” 本当の姿”に・・・素直になれる気がして』
『・・・わかる、その気分。僕も・・・今まで自分の中にあった雲が一気に晴れた感じ。・・・ 自分の中の自分を見つけることが出来たと思う』
『ねぇ、だったらさ・・・話は決まりじゃない?』
『え?』
驚く僕をよそに、彼女はすっと4本の足で立ち上がる。そして僕達が走ってきた道を戻るようにゆっくりと歩き始める。 そして僕の方を振り返り、問いかける。
『ミドがその姿に自分の中の自分を見つけたなら・・・ミドのやるべきことは一つじゃない?』
『・・・僕、人にものを頼み込んだりするの苦手なんだけど・・・』
『大丈夫!私から推薦してあげるから!さぁ、行こう!』
彼女は尻尾で僕を誘った。僕は少し考えていたけど、すぐに頭を上げて、四本の足ですっと立ち上がり、笑顔で小さく頷いた。 そして二匹の豹は泉を後にして、来た道を戻っていく。
僕は君に導かれて、この道を進んでいく。
僕は君に導かれて、自分の居場所にたどり着く。
暗い闇夜を照らす月は、何時だって彷徨う人々の道しるべになってきた。何も分からないその闇の中で、 月はただその場所にいるだけなのに、人の行く道を照らしてくれる。だから僕は、君に出会ったのかもしれない。
それからしばらくして、動物園には新たな動物が加わった。人気のメスの豹と同じ檻に、オスの黒豹が一緒に入ることになったのだ。 雌雄揃って同じ檻の中で、楽しそうに、だけど誇り高く美しく振舞うその姿は、たちまち動物園の目玉となっていった。
『余り人気が出すぎても、気が抜けなくて困るなぁ。僕、まだこの身体に慣れてないし・・・ミスってばれたらどうしよう?』
『大丈夫だよ。あれだけ練習したんだし。私が見ても十分豹そのものに見えるよ。それに、万が一ばれたら誘えばいいんだし』
メスの豹がそう言って笑ったが、檻の外から離れた距離で見ている客はそのことには気付かない。まして、 2匹の豹が会話をしているとは思いもしないだろう。
『でも、余りたくさん動物増えても困るんじゃない?それに儲かっていたって、人件費に限度あるでしょ?』
『またそうやってミドはすぐお金の話するんだから』
『あ・・・ごめん。くせで・・・』
『謝るんだったら、何かして欲しいなぁ〜』
『え・・・?』
メスの豹は意地悪そうにすっと立ち上がり、オスの黒豹を置いて1匹で檻の中をグルグル歩き回り始めた。 黒豹は少し考え込んだようにしていたけど、すぐにメスの豹に問いかけた。
『・・・じゃあさ、今晩また、あの泉に行こうよ。一緒に』
『それって、デートのお誘い?』
『そうだよ』
『え?』
今度はメスの豹が歩くのを止めて、黒豹を振り返って驚きの表情を浮かべた。黒豹は小さく笑みを浮かべながら立ち上がり、 彼女のそばに駆け寄って声をかけた。
『・・・あの時、ヒナが言ったこと。・・・この姿なら、素直になれるって。僕も・・・僕もそう思う』
『そう・・・だよね。自分の気持ちに素直・・・じゃあ、私も素直にその誘い、受けるよ』
『本当?』
『うん、じゃあ二匹分の外出許可、後でとっておかないとね』
そして2匹の豹は時に寄り添い、時にはなれながら檻の中で時を過ごし、閉園時間が訪れて、闇が辺りを包むのを待ち焦がれた。 太陽が沈みながら連れてくる、僕達を包み込むあの美しく優しい闇を。
Fascination2-闇は光に導かれて- 第3話 完
Fascination2-闇は光に導かれて- 完結
きっかけは多くの獣化作品を書いてきたにもかかわらず、動物園ネタが一つも無かったことに気付いたことでした。
「無けりゃ書きゃいいじゃん」
といつものテンションで筆を走らせましたが、案の定遅筆癖が再発。1話完結レベルの話を半年に渡って書く羽目になりました(およよ
でも、その分”考えること”がたくさん出来たので自分の筆の力を伸ばすことは出来たんじゃないかなぁと思います。
大切な居場所って、意外なキッカケで見つかるもの。その時の自分に素直になれば、きっと道は拓けてくる。人生ってそういうものだと、僕は思います。
この小説が、誰かの道を切り開くキッカケになることを夢見て
WWP 宮尾
しかし一方で、気になることもいくつか……。この動物園、舞台裏を誰かが見たら、すぐ「何かある」ことに勘づかれてしまうんじゃないかとか、この「変身スーツ」は、いったい誰が、どのような目的で造ったのだろうとか、世間にバレたらどうなるんだろうとか……。
ま、バレたらバレたで、動物園を廃業して、「バイオスーツ・パーク」に改装するだけなんでしょうけどね。
あと、つがいの豹たちを見て、「早く可愛い赤ちゃんを見せてね」と言うお客さん、結構多いんじゃないかなあ?
★宮尾レス
コメント有難う御座います。
まぁ、半分思い付きで書いたのでそこら辺のフォローちょっと弱いですね(汗
でも、ばれたら仲間に引き込む、それでも追いつかなきゃいつかばらす、みたいな事になるんだと思います。
・・・豹の子供かぁ。子供用のスーツを用意しなきゃいけませんね!(マテ
実を言うと、私も似たような話を考えたことがあって、その時詳しい設定も考えてありました。
その設定、おそらくこの話でも使えるんじゃないかと思います。
あと、あのスーツは実は、肉体的には完全に動物になれる。つまり、動物の子を産むこともできるというのはどうでしょう?
ヒナが、自分から、「豹の母親になりたい」と言い出すというのは?
★宮尾レス
コメント有難う御座います。
確かにそういった設定やストーリーも面白そうですね。今後の創作の参考にしたいと思います。また、機会があればDr.J様が新作として書かれるのも面白いかもしれませんね。
私としては、一度ヒナにこういう科白を言わせてみたいですね。
「私、もう豹になるのをやめられないし、本心を言えば、もう一生豹のままでもいい。でも……もし人間としての自分を捨ててしまったら、逆に、豹であることの誇りも、喜びも、無くしてしまうんじゃないかって、そんな気がして……。どちらか一方を選べと言われたら、豹を選ぶしかないと思うけど……。」
★宮尾レス
コメント有難う御座います。
確かに、中々使いがいのあるセリフですね。ただちょっと脚本側としてはヒナのイメージとは合わない感じもしますけどねw