【人→獣】 グレーター・ゾディアは、大きく3つの島からなるこの国の、中心にある島の名であり、同時にその島にある12の都市からなる都市群を指す言葉としてもよく用いられている。
12の都市には、この国の他の町村よりもより強い特色が出ており、中でも国の王都であるリオカッスルは、政治、経済の要所とされ、毎日多くの人々が、さまざまな目的のためにこの都市を訪れる。政治家、商人は勿論、活動家や旅人、冒険家、音楽家、芸術家、科学者などなど、そして勿論、占星術師に天文学者。人々は何かに出会うために、この場所を訪れる。
そして、さまざまな者が訪れるこの地には、奇怪な者が現れることも少なくはないのだ。事実、今巷で話題となっているのは、謎の占星術師の話である。
星の加護を受けたこの国において、占星術は当たり前に受け入れられており、それを生業とする占星術師は羨望の対象となる位の高い職であり、しかし、だからこそ高貴な者から、金に汚い悪徳な者、星の理に囚われぬ奔放な者まで、多種多様な占星術師が存在している。
しかし、その占星術師は、他のどんな占星術師とも異なる異質の存在であり、それゆえ人々の興味が噂を呼び、さまざまな話が人々の間で語られることとなる。
「何でも獣を連れて歩いているらしい」
「自身も獣に変身できると聞いた」
「獣の神の化身であるという話だ」
「昔はグレーター・ゾディアに住んでいたらしい」
「いや、出身は辺境の村だと聞いた」
「他の占星術師と雰囲気が異なるし、そもそも外見が異形の存在という話だ」
話している人々も、どれも誰かから聞いた話で、果たして自分でその占星術師を見た訳ではなく、伝わる噂にはそれ自体が矛盾を抱えるものも少なくなかった。しかし、その事がなおさら人々の興味を掻きたて、そしてまた新たな話を生み出していった。
当の占星術師はまさに、自らが話題の中心となっている王都リオカッスルに向けて、馬車に乗っている最中だった。御者(ぎょしゃ・馬車の操縦者)は後ろに座る占星術師を、ちらりと振り返って姿を確認する。フードを深々と被り、うつむき加減のためその表情を伺う事が出来ない。しかし、首筋や、手元が微かに露出しており、そこには普通の人間では考えられないぐらい毛深く、まるで獣の毛皮のようである事が確認できた。
「私の姿が、気になりますかね?」
「失礼しました、まじまじと見ていたつもりではなかったのですが」
「構いはしません。人は皆、私の姿を見ていぶかしむ」
「つかぬ事を聞くのですが」
そう言って御者はパンッと一度手綱を鳴らす。ウマが短くいなないた。そしてまた御者は後ろを振り返り占星術師に問いかける。
「貴方が、今巷で話題の占星術師ですかな?」
「その話題を私が聞いたわけではないので分からないが、恐らくそうでしょう」
「異形、ああいや、"個性的な外見"という噂があり、それが一番信憑性が薄いと思われていたのですが」
「他にどういう噂があるのか存じ上げないが、世界には色々な人間がいるものです。人と獣の両方の姿を持つ者がいても不思議ではないということです」
占星術師はそう言ってわずかに顔を上げる。フードで隠れる顔、その一部分が一瞬だけ業者の目に飛び込んだ。それは黒い鼻先。まさに獣のそれだった。御者はつばを飲み込んだ。すなわち占星術師の言葉通り、世の中には人と獣の姿を持つ者がいるのだという実感であった。
人ならざる者を運んでいるという自覚を再確認した御者はしかし、胸につかえる不安感は考えないこととして、変わらず馬車を走らせた。相手が誰であろうが、乗せた以上客であり、客が乗った以上、御者はプロフェッショナルに徹しなければならなかった。そう、乗せた以上、誰であっても客なのだ。たとえ、獣であっても。
「お連れのソレは、また随分と大人しいですね。躾が大変だったでしょうに」
御者は占星術師の隣に大人しく座る獣を見て、興味本位でそう聞いた。
「えぇ、まぁ。躾、というようなことを私がしたわけではないのですが。この子は私のパートナーですから」
「パートナー、ですか」
「そう、パートナー」
はぁ、と御者は気のない声を上げた。占星術師が獣のパートナーを連れているというのは、初めてだった。仕事柄、珍しい人間を乗せた事は少なくないし、獣だって例えば貴族の愛玩動物であったり、農家の家畜であったり、自分のウマであったり、色々な獣を乗せてきた事はある。が、しかしこの1人と1匹は今まで乗せた他の客と、何かが違う。御者は人を乗せる仕事の人間として、何かを本能的に感じていた。
パートナーと言われた獣は、すっと占星術師の顔を見上げた。それに気付き占星術師は優しく獣の頭をなでる。そして獣に問いかける。しかし、声を出さずに。
『どうかしたのか?』
『僕、やっぱりこの姿、嫌だよ』
一人と一匹の間で、音のない会話が始まった。獣をよく見ると、不安そうな顔をしている。
『普段からその姿に慣れ親しむよう、鍛錬してきただろう?』
『でも、人前に出たら、多くの人に僕のこの姿、見られちゃうじゃないか。恥ずかしいよ。僕は、本当は獣じゃない。人間なのに』
『姿は、本質ではない。他人にどう見られ、どう言われても、自分が自分らしくあれば、何の問題もありはしない。それにその姿は、星の力を宿した神聖な姿。何も恥じることはないのだから』
『またそうやって、難しい言い方をする』
『私の悪い癖だ。師のそれがうつったのかもしれない』
そう心の中で答えると、占星術師はフッと微かに笑った。
「何かおかしなことがありましたかね?」
「いえ、ただの思い出し笑いですよ」
占星術師はそう答え、外の景色を見た。外はまだ明るい。夜になる前にリオカッスルには着くのだろう。
「時に御者殿」
「何でしょう?」
「この馬車は、ウマを除いて、一体いくら位するのでしょうかね?」
「こいつですか? そうさね、買った時は、確か、400万程度だったと思うが、だいぶ古い。今は売ろうと思ってももっと安いかもしれませんなぁ」
「新品で買おうとすると?」
「ピンキリですが、まぁ、言った通りやっぱり400万程度が無難でしょう。しかし何故、そのような話を?」
「いえ、ちょっとした興味でして」
占星術師はそれ以上何も言わなかった。御者は首を傾げた後、小さく鞭を振るった。
『言わなくていいの?』
占星術師の頭の中に声が響いた。占星術師は獣の方を見ながら、頭の中で答えた。
『不安を煽っても仕方ないだろう?』
『でも』
『こういう時こそ、平静を保つべきなんだ。心穏やかであれば、万事穏やかに過ごせるというものだ』
『ふぅん?』
獣は疑るようにそう心で答えた。占星術師はその黒い鼻先から小さく息を漏らすと、再び窓の外を見た。心穏やかであれば、などと自分で言っておきながら、実のところ占星術師の心はどこか穏やかではなかった。
占星術師には憂いごとがあった。その事が気にかかり、どこか落ち着きが無い素振りを見せていた。それは顔も見えぬ恰好であるから周りからは気付かれなかったが、しかし占星術師のことをよく知るこの獣は、占星術師の憂いと焦りを見抜いていた。
「御者殿! 右を!」
突然、占星術師が叫んだ。御者は驚いて言われた通り右を見る。するとはるか遠くにウマが走っているのが見える。この近隣で、道があるのは今この馬車が通る道だけであり、道でないところをウマが走っているとすれば、それは野生のウマか、あるいは。
「野盗ですかな?」
「むしろそれならやり過ごしやすいのでしょうが。きっとそうではない」
「何故そう言えるんです?」
「野生の勘、と言う冗句は笑えませんかね?」
「ユーモアのセンスも占星術師に必要な素養でしょうが、時と場所と場合を弁えるのも占星術師に必要な素養じゃあないんでしょうかね?」
「じゃあ、今学ぶことにしましょう」
その会話の間にもウマは一頭、また一頭と増え、馬車を徐々に取り囲む。ウマにはやはり、人が乗っていた。荷台を負って走る馬車は、そうでないウマに勝つことは出来ない。謎のウマに前を取られ、馬車は逃げることもせずに、徐々に減速し、やがてゆっくりと停車した。そして、謎のウマに乗っていた人間の内の一人が御者に問いかける。
「単刀直入に言おう。乗せている占星術師を引き渡してもらおう」
「乗せているのは大切な客なんでね、引き渡せと言われておいそれと引き渡すわけにはいかないねぇ」
「引き渡さなければタダではすまさんぞ」
御者は少し怯えた様子ではあるが、それほど慌てた様子はなかった。髭を蓄えた体格のいい中年である彼は、御者と言うさまざまな苦難を経験してきたのであろうことは想像に難くない。怯えはしても、驚きはしない。落ち着きさえ感じた。
微かに眉をゆがめながら御者は後ろを振り返り、占星術師に問いかけた。
「タダではすまさんそうです」
「先に馬車の値を聞いていてよかった。馬車に何かあったら、さすがに払えませんからね」
「馬車は代えが効きますが、お客さんに代えは無いんじゃあないですかね?」
「あらゆるものにおいて、代えが効くものなんてものなんてありはしませんよ」
占星術師は馬車から降り立つと、ウマに乗った男たちの前に歩み出た。聞こえるのは微かな風の音と、ウマのいななく声だけ。張り詰めた空気があたりを包み込む。
「問うが、貴様が巷で噂されている占星術師か?」
「さて、どう噂されているか分かりかねますが、恐らくそうなのでしょう」
「そうやって俯いたまま喋るつもりか? 人と話すときは相手の目を見よと教わらなかったのか? 所詮、獣は獣か?」
「失礼した。確かに仰る通り」
占星術師はそう言って、ゆっくりとローブのフードに手をかけておろし、顔を上げた。ウマに乗った男たちも、御者も、初めて見るその姿に息を呑んだ。
「何という。噂には聞いていたが」
男はぽつりと言葉を漏らす。占星術師の顔は顔中を獣の毛が覆い、マズルが前へと突き出し、鼻先が黒ずみ、耳はピンと立っている。それはまさしくオオカミのそれそのものであった。
人の身体にオオカミの頭。異形とも言えるその姿に、その場にいる全員が言葉を失っていた。しかし、占星術師本人だけはその反応を見てさえひどく落ち着いていた。フードを被っていたせいなのか、耳の裏を痒そうに、同じく毛で覆われた手で何度か掻いた。
「面妖な。ウェアウルフの占星術師など」
「占星術師になれるのが人間だけであると、誰が定めたのです?」
「理(ことわり)だ! 人ならざる者が人のなすことをなすべきではない!」
「ではどうすると?」
占星術師の、ウェアウルフの問いに、ウマに乗った男は背負っていた長剣を抜き、占星術師の黒い鼻先に突きつけた。占星術師はしかし、微動だにしない。
「一方的に理屈を押し付けて力でねじ伏せることが、理であると?」
「違う! だが、誰かが貴様を、除かねばならんのだ! 貴様の様な占星術師は居てはならぬのだ!」
乾いた荒野に、男の声は抜けていった。占星術師は切先に目を向けることもなく、男をじっと見つめていたが、そのまま不意に御者に問いかけた。
「御者殿、しっかりとウマを抑えて」
突然の言葉に御者とウマに乗った男たちは首をひねった。が、次の瞬間。男はぞわっと”何か嫌な感じ”を全身に浴びたような、心がにわかにざわつき、今すぐにでもこの場から逃げ出したくなる様な言い知れない不安感を覚えた。同時に、馬車を曳いてたウマも、男たちが乗っていたウマも、一斉に怯えたような悲鳴をあげ、暴れ出し、多くのウマたちは男たちを乗せたままその場から逃げ出し始めた。一体何が起きたのか、中心核の男には分からなかった。男はやがて暴れるウマを御しきれず落ちてしまい、彼の乗っていたウマもまたその場から逃げ出してしまった。
「何を、何をした人外!」
「何をしたということは御座いません。ただ、見ての通り、私はオオカミですから。オオカミと言うのは、群れをなし、獲物を追いまわして、追いまわして、そして追いまわして。ようやく疲れた獲物を喰らうのです。つまり、まぁ、獲物には逃げていただかなければいけないわけですよ。だから、逃げてもらうために、感じてもらわなければならないのですよ、オオカミは、殺気をね」
占星術師は、ウェアウルフは、不敵に笑う。再び、男の身に”何か嫌な感じ”、もとい殺気がまとわりつく。逃げなくてはいけない。男は本能的にそう感じた。ここにいてはいけない。この距離にいてはいけない。この怪物の視界にいてはいけない。
いてはいけないいてはいけないいてはいけないいてはいけない。
「このままここにいたら殺されてしまう。分かっているのに、どうして身体が動かないのか。不思議だとお思いになりませんか。どうも、普通の人間はそう言う時にどうしたらいいのか、身体が野生を覚えていなくて、行動に移せないようです。心の臓が命じても、その血が、全身に正しく行き渡りはしないのかもしれません」
そう言って、占星術師は男に近づく。男は悲鳴を上げながらも、ウマから落ちた時に思わず手放した剣をとっさに見つけ、拾い直し、震える手で占星術師に向ける。
「特に殺気に対する警戒心や恐怖が鈍っていると、逃げ出さずに、殺気を向けた相手に向かっていこうとしてしまうそうです。しかし、それは、勇敢でしょうか?」
「無謀、だとでも言いたいのか!?」
「正解です。しかし、この場合、より正解なのは、逃げ出すことではなく、無謀にも私に立ち向かうことです。見ての通り、私はオオカミ。そう、私の頭は。しかし、その体躯は人間そのもの。オオカミの毛は生えちゃあいますが、爪も伸びちゃあいますが、ね。私に逃げるウマを追いかけるほどの俊足も、持久力も御座いません。剣を向けられて、返り討ちに出来るほどの、力も御座いません。見かけ倒しとお思いかもしれませんが、それが私です。ウェアウルフと仰いましたが、そんな大層な者では御座いませんよ。オオカミの様な姿をしただけの、ただの、人なのですよ」
そう語る占星術師の、オオカミの顔は、しかし嬉々として、饒舌にもなる彼の今の感情がよく現れていた。ここに来て男は、占星術師と自分の違いをようやく気付いた。容姿などと言うことではない。種族でもない。人生経験、徳、価値観、世界観、確かにそれらは明らかに違うのだろうがそれらは決定的な差ではない。格が違う、という表現も、近いとは思ったが、正解だとは思わなかった。そう言う次元ではないのだ。そんな言葉では言い表せない、何かなのだ。
「ちなみに、気づいておられるかわかりませんが、剣だけではないようですよ。落としたもの」
男はそう言われ、恐る恐る自身のあたりを見渡した。そして、周囲の状況に気付き、自分の懐に手を入れ、自分の犯した失態に気が付いた。
あたりに散乱していたのは、カード。占星術師が使う、48の星の名と絵が描かれたカードだった。そんなものを持っているのは、どんな仕事の人間か、想像に難くない。
「なるほど合点が行きました。つまり、私が王都に向かうと、不都合がある偉い占星術師様が、王都にいらっしゃる。その方が、私に、お弟子さんである貴方を、差し向けた。違いますか?」
「あ、ぅ、ぅぅっ」
「肯定の意思表示と捉えて構いませんかね?」
「ぁ、じ、人外が、ぉ、王都に来るなど、まして、それが占星術師など、あり得ない。あり得ない! かような星の定め、あるはずがない!」
「それを定めるのは星です。貴方ではない」
男は、若い占星術師は、オオカミの占星術師にそう言われ、それ以上言葉を無くした。オオカミの占星術師は若い占星術師に更に問いかけた。
「人を定めるのは、星です。しかし、人を裁くのは人。貴方は私に剣を向けた。そこの御者殿も証言してくれるでしょう。私が何を言いたいか、分かりますね?」
「け、警吏に突き出すのか!? 困る、困る!」
「私も、こんなところで足止めされて困っているので、お互いさまと言うことで。御者殿。彼も連れてまいります。乗せれますかね?」
オオカミの占星術師は御者に問いかけるために若い占星術師に背を向けた。瞬間、若い占星術師の剣を握る手に力が入った。警吏に突き出されること。そんなこと、ここに来る前から覚悟していたはずだった。得体の知れぬ人外の言葉に惑わされて、するべきことを見失うところだった。
自ら語っていた。オオカミの姿をしただけの、ただの人なのだと。だとすれば、背後から、一突きにすれば。こんな異形を、異質な存在を、王都に入れてなどいけない。あのお方に会わせてはいけない。そう感じた彼がゆらりと立ちあがり、まるで獲物を狩る獣のように呼気吸気を断ち、気配を消して、目の前の背に向けて剣を突き出そうとした瞬間だった。
異変に気付いた御者が「危ない!」と声をかけたが、遅かった。彼の声が届く前に、剣は既に、宙を舞っていた。
若い占星術師と、御者には一瞬何が起きたのか分からなかった。が、すぐに若い占星術師は手首に痛みを感じ、剣に何か大きな力が加わって吹き飛ばされたのだと理解し、次に何かの気配を足元に感じて下を見た。居たのは、小さな獣。茶色く柔らかな毛で覆われた、幼い獣。子グマであった。御者もまたその獣の存在に気付き、そしてオオカミの占星術師と共に馬車に乗っていたあの獣であることに気づく。いつの間にか馬車から下りていたようだ。
「一つ、言い忘れておりましたが」
オオカミの占星術師は振り返る。
「私はただの人ですから、逃げるウマを追いかけるほどの俊足も、持久力も御座いません。剣を向けられて、返り討ちに出来るほどの、力も御座いません。が、それを持つ仲間を持ち合わせてはいないとは言っていなかったですね」
「あ、ぁぁ」
「幼く愛らしい獣だからと言って侮ってはいけませんよ。何なら、私の様な殺気をこの子に出してもらいましょうか? 今度こそ、貴方は立ちあがれない」
そう言われ、遂に若い占星術師はその場に崩れ落ちるように、膝を折った。オオカミの占星術師は子グマを呼び寄せ頭をなでる。
『ありがとう。命を助けて貰った』
『よけれたくせに。どうしてよけなかったの』
『信じてたからさ』
『僕が助けるって?』
『そう』
『僕が助けなかったら?』
『或いはそれが、星の定めだったのだろうと、納得するだけさ』
『嘘。本当はここまで占ってたんでしょう?』
オオカミの占星術師はにこりとほほ笑んだが、返事はしなかった。子グマは不満そうな表情を浮かべまだ何か言いたげだったが、オオカミの占星術師は子グマから手を離すと、うなだれたままの襲ってきた若い占星術師に向かって手を差し伸べた。
「立ちあがって、カードを拾いなさい。占星術師にとって、カードは命と同等」
しかし、若い占星術師は完全に放心しており応答はなかった。カードには占星術師の気が込められている。他人がそのカードに触れれば、互いに気が乱れてしまう。それを気にかけ、オオカミの占星術師はこの男のカードを拾うことはなかった。本人がカードを破棄するのであれば、それは、仕方のないことだと割り切った。
「さぁ、参りましょうか。王都リオカッスルへ」
オオカミの占星術師は、彼の腕を強引に引き、馬車へと連れ込んだ。彼の乗っていたウマは、もうあたりには見えない。オオカミの占星術師は鼻をひくつかせ、ウマの行方を探ろうとしたが、些末なことだと捨て置いた。そして、再びフードをふかぶかと被り、子グマと共に馬車に乗り込む。
「狭くはないですかな?」
”乗客”が一人増えたことを案じて御者がそう問いかけた。
「ええ、問題はありません。それより、御者殿。妙なことに巻き込んでしまい申し訳なかった」
「貴方が悪いのではないですから」
続けて「飛ばしますよ」と言い、御者は馬車を再び走らせ始めた。鼻先に風が当たり、オオカミの占星術師はまた鼻をひくつかせた。
「その男を警吏に突き出したとして、話を色々聞かれますかな?」
御者の問いかけにオオカミの占星術師はすかさず「でしょうな」と答え、更に言葉を続けた。
「まぁ、あまり長く拘束されると困りはするのですが」
「王都には、仕事で?」
「えぇ。仕事で行くから、こういう者に襲われたのでしょう」
「占星術師も、大変な仕事ですな。襲ったり、襲われたり。占星術だけしていればいいというものではないのですな」
「それが一番の、理想ですが」
オオカミの占星術師はそう言って少しフードを上げた。荒野も端に至り、若い緑の優しい香りが鼻に飛び込んできた。
「リオカッスルは、南よりは四季がはっきりしてますかね?」
「えぇ。もうすぐ鮮やかな花が咲くころです。開発が進んで、街中では見る機会は少し減りましたがね」
それからオオカミの占星術師は道中、御者に街のことをいくつか訪ねた。勿論、自分の噂に関する話や、王都の占星術事情についてもより深く掘り下げて聞いてみたりした。自分が襲われた理由がそこに何か見出せるのではないかと思ってのことだった。その間、襲ってきた若い占星術師は口を開くことなくずっとうつむいたままだった。
やがて小さな森を抜け、グレーター・ゾディアへ続く橋を渡ると大きな城が遠くに見えてきた。
「あれが?」
「そうです。あれが、リオカッスル。この国48の都市を束ねる、全ての中心。名の通り、シシの城であり、街そのものが城、城そのものが街なのです。さぁ、もうすぐだ」
御者が鞭を振るう手にも力が入った。リオカッスルに辿り着いた頃にはあたりが暗くなり始めたころだった。城門をくぐり、城壁の内側に入って広がっていたのは、多くの人と、建物であった。
オオカミの占星術師は感心した素振りで、まるで子供のように感嘆の声を上げながらあたりの様子を見た。本当に、城の中に街があるのだと、ただその単純な事実に不思議な感動を覚えた。
「リオカッスルは初めてですかな?」
「実は二度ほど来た事があるのですがね。一度目は幼いころでしたし、覚えていないのです。二度目は7年ほど前のことだったと思いますが、事情があって、辺りを見る余裕などなかったのです」
そう言ってオオカミの占星術師ははっと思いだしたように、隣の子グマを見た。そして頭を撫でて、心で問いかける。
『どうかな? その目で見る、世界で一番大きい都市は』
『人間の姿で来たかったし、人間の目で見たかった。この街にクマの、僕の居場所なんて』
『私も最初はそう思った。7年前似たような状況で、私もこの街に来たからね。でも、大丈夫。この街は、私たちが思う以上に大きく、何もかもを包み込んでくれる』
『何もかもを呑みこむ、の間違いじゃないの? シシが、さ』
やさぐれたような子グマの物言いに、オオカミの占星術師は一つ鼻から短く息を吐いた。子グマの言い草はともかく、その表現に大きな誤りは無いと、彼は思ったのだ。
リオカッスルが城壁で囲われた城郭都市となったのには勿論、戦の歴史が絡んでくる。かつて、この国の3つの島をそれぞれ別の国が支配していた時代があった。しかし、隣接する三国はやがて争いを始めるようになり、長い動乱の時代をへて、グレーター・ゾディアが他の二国に勝利し、やがて3つの島は1つの国となった。
その出来事は今から遥か昔の話であり、今を生きる人々にとってみれば、遥か遠い先祖の話。今は3つの島の人々それぞれに戦争の遺恨などは残ってはいないが、しかしそれを契機に発展を遂げたグレーター・ゾディア、更にその中心であるリオカッスルには、地方の人間はあまりいい感情を持っていないのが現状であった。
全てを呑みこむ、シシの城。権力、財力、支配力、政治力、技術力。あらゆる力の象徴。中央集権の歪みが地方の不満を少なからず生んでいて、その矛先がこの城郭都市であるのは事実であった。
「このまま城に向かいますが、いいですかな?」
御者が不意にそう問いかけてきた。既に城の中であるが、とオオカミの占星術師は思ったが、恐らくそう言うことでなく、本当の意味での、建造物としての城へ向かうということなのだろう。
「警吏にこの者を突き出すはずでは?」
「だから行くのです。ご存じ無いかもしれませんが、この都市の公的な機関は全て中央の城へと集約されているのです。勿論、警吏も」
御者の説明に、オオカミの占星術師はそうなのかと腕を汲んだ。
「以前から、城壁の中にあらゆる施設は揃っておりましたが、それらが城に集約された始めたのはものの半世紀前のことと聞きます。先の王が、より効率のよい、密な行政を目指し、国家事業の一つとしてなされたのです」
「近代史として、記憶はしてます。リオカッスルの再開発に努めた先王。アウグストゥス七世。或いは、確か」
「敬意を込めて、獅城公(レクス・リオカッスル)と呼ぶ者も多いですねぇ。都市に住む者はみな陛下の偉大なご功績に強い尊敬や感謝の念を感じています。だから、今の人々の喪失感も測り知れません」
「二年、経ちますかね」
華やかに見える街並み。賑やかに見える人々。しかしこの国最大の都市に生きる人々としては、どこか活気に欠けるようにも見えるのは、人々がまだ喪に服している証拠のようにも思えた。
二年前、リオカッスルの再開発と言う一大事業を成功させた先王アウグストゥス七世が、突然この世を去った。人々から敬愛されたその王の死は街を悲しませたが、同時に、何故彼が亡くなったのか、その詳しい話は国から公表されることは無かった。そのことが人々の心の中で、王の死を切り離せない過去のしこりへと変えていた。
「さぁ、着きました。ただ、貴方がいきなり城に入れば騒ぎになりかねません。私が先に警吏に話をしてきましょう」
「感謝します」
御者の言葉に甘え、オオカミの占星術師は馬車の中で末ことにした。彼は横に座り、相変わらず口を閉ざしたままの若い占星術師に問いかけた。
「どこの誰かも分からない異形のウェアウルフと、一介の御者の話と、偉大な占星術師に仕えている、と思われる、貴方の話と、警吏はどちらを聞きますかね?」
問いに、男は答えない。
「質問を変えましょう。しかも単刀直入の質問に。貴方の師は誰です?」
やはり、男は答えない。
「先ほど、御者殿との話を貴方も聞いていたとは思いますが。有名な占星術師様の名なら、私の様な野良の占星術師でもある程度、存じ上げてます。さて、誰でしょうなぁ。例えば、そう。サリエリ卿とか」
男は答えない。が、サリエリ卿というその名を出した瞬間、男の呼吸が微かに乱れたことを、またその瞬間の後から男の発汗が著しいことを、オオカミの占星術師の、目と鼻は見逃さなかった。
「私の問いは、これで十分です。後は、お互い警吏に話をしましょうか」
程なくして事情を説明したのか御者が警吏数名を連れて馬車に近づいてきた。オオカミの占星術師は男を連れて馬車から降りる。そして、フードをおろし軽く二度ほど頭を振った。オオカミの占星術師の顔を見た警吏たちは一様に驚き、場内を歩くたびに周囲がどよめいたが、仕事上、その容姿をとやかく問う者は現れなかった。
やがてオオカミの占星術師は子グマを連れ、御者、若い占星術師の男とはそれぞれ別の部屋へと通された。
『警吏は、話をきちんと聞いてくれるかな?』
『聞くよ。私の話を聞きたがっている警吏が、ここに来るのだから』
『それ、どういう意味?』
子グマは不思議そうにオオカミの占星術師に問いかけたが、それ以上彼は答えなかった。そしてしばらくすると部屋の扉が開き、一人の警吏が入ってきた。
入ってきた瞬間、子グマは不思議な感覚に襲われた。入ってきたのは、一人の青年。警吏の軽鎧を身に付けた青年だった。しかし、青年からは、子グマには上手く理解しきれず、表現しきれないような何か特別な気配を感じた。全く異質のものではあるが、それはオオカミの占星術師が放ったあの殺気に、系統としては似ているなと感じた。
表現のしようが無い気配に、まとわりつかれる感覚。この若い警吏からはそれを感じたのだ。
オオカミの占星術師と青年警吏は向かい合うと、互いに手を差し出して握手を交わした。
「警吏のトニー・オーガスタスだ。道中の災難、お見舞い申し上げる。旅の疲れが言えぬところ申し訳ないが、話を聞かせて貰う」
「こちらこそお手数を煩わせ申し訳ありません。協力できること、お話しできることは全てさせていただきます」
「では、まずは座ってくれ」
青年警吏、トニーに促され、オオカミの占星術師は椅子に腰をかける。子グマはその横に大人しくちょこんと座った。
「そのクマは?」
「私のパートナーに御座います。名はアルカ。まだ幼く、愛らしい容姿ですが、賢く、強い子です」
「お前の名より、先に聞いてしまったな。失礼した。では、聞こう。名と、身分を」
トニーの問いに、オオカミの占星術師は、スッと彼の目を見据えながら、よく澄んだ目と声で答える。
「私の名は、ルーカス。ルーカス・ルーパス。星の声を聞き、星の声に従い、星の声を広めるために旅をする、”おおかみ星の宣星師”に御座います」
続く