月の魔法で恋して 前編
【人→獣】
ねぇ、神様。もし全ての罪に罰が与えられるなら、私に罰を与えて。
私が彼と出会ったのは半年ほど前。 住んでるマンションから数十メートル離れた空き地で彼が倒れているのを何気なく通りかかった時に見つけたのが、運命の始まり。
「食べ・・・物・・・」
彼の口から、わざと私に聞こえるように呟いたようにもとれるか細い声が漏れた。・・・その瞬間に感じた驚きは、今でも覚えている。 全身にしびれるような寒気が走り、自分の耳を疑った。だって、目の前にいる彼は、シベリアンハスキーだから。
背が黒、腹が白の毛で覆われた、がっしりとした中型犬。ハスキー以外の何者でもない。その犬が、口を利いたとあれば、 大体の人間は驚いて当然だろうと思う。後からその話を彼にしたら、何か癇に障るらしくいい顔しないんだけどね。
「動け・・・ないんだ・・・」
その時の彼の弱りっぷりって言うのも私達の間では語り草。折角の綺麗な毛並みがボサボサに汚れ、身体も痩せ細り、 青い瞳にも力と光が宿っていない・・・言葉は悪いけどみすぼらしかった。そして絶え絶えの言葉を聞いて、 さっきの驚きによる身体の緊張がほぐれた私は、ためらいも無く彼を抱きかかえ自分の部屋へと運び込んだ。その時の彼の身体はとても軽く、 私一人が苦労せずに持ち上げられるほどだった。
部屋に戻るなり、すぐに冷蔵庫の中にある、犬が食べられそうなものを探す・・・けど、 ろくな食生活送っていない私の冷蔵庫には菓子パンとお茶のペットボトル(2リットル)が入ってるだけ。
「・・・チーズ蒸しパンって・・・犬、食べれたっけ・・・?」
中に具が入っていないパンって、その時はそれしかなかった。でも、もう飢えで死にそうな犬を目の前にして、 何も与えないわけにもいかない。有害なものでさえなければ、たとえ後で吐こうが病気になろうが、 このまま目の前で死なれるよりずっとマシだと思い、すっと彼の前にチーズ蒸しパンを差し出した。彼は少し鼻先で匂いをかいだ後、 ものすごい勢いでそれを一瞬で食べつくした。そしてハスキーはまだまだ喰い足りないという表情ながらも、少し空腹が落ち着いたのか、 さっきよりもしっかりとした目で私を見上げた。
「・・・ありがとう・・・本当に助けてくれるなんて思わなかった」
再びハスキーの口から声が聞こえてくる。やっぱりさっきの声もこの犬が喋ってたことを確信する。 私はそのことにまた少し驚きを感じたけど、二度目だし精神的なダメージは対してなかった。むしろ、不思議と彼がそこにいて、その姿で、 その声で喋ることに既に自然と馴染んでしまっていた。
「どういたしまして。喋るワンちゃん」
「・・・ワンちゃんはやめてくれない?僕、こう見えても21なんだよね」
「・・・21歳?あぁ・・・人間に換算して?じゃあ1歳半から2歳ぐらい?」
「じゃなくて。マジで21年生きてきたってこと」
一瞬その場が静まり返る。頭の中で色々と考えをめぐらせる私。
「・・・じゃあ、人間換算だと100歳近いじゃん。若く見えるのに、犬も見かけによらないねー」
「だから、そんなんじゃなくてさ。・・・第一、犬が人間の言葉喋ってる時点で普通じゃないだろ?」
「歳取った猫は、猫又になって人語話すって言うし」
「犬又なんて聞いたこと無いだろ」
ハスキーは呆れるようにため息をつきながらも、少し笑った。・・・犬の顔が笑って見えた、彼の表情が理解できた、 その時点で私はもう彼の魔法にかかっていたのかもしれない。ハスキーは少し間をおいて、気持ちを落ち着けた後、ゆっくりと語り始める。
「僕、元々は人間だったんだ」
彼の話によると、元々は普通の人間だったらしいけど、ちょっとワケアリで魔法をかけられて、犬になっちゃったらしい。
・・・俄かに信じがたい話なんだけど、 犬が普通に人の言葉を喋っている時点で私の常識のボーダーなんかははるかかなたに消えているので、 自分でも驚くほど彼の話を信じることが出来てしまった。結局、それで追い出された格好となり、 点々としているうちにあそこで倒れてしまったらしい。
「極力、言葉は喋らないように気をつけてたんだけどさ。気味悪がられるし。だけど、もうヤバイと思ったときに君が来て、思わず・・・ ね」
「ね・・・って言われてもねぇ・・・まぁ、無事でよかったけど」
私は自分のコップにお茶を、そして適当な皿に水を入れ、その皿を彼の前に差し出した。彼は長い舌で器用に水を飲み始める。 その動きは犬そのものだった。人の言葉を喋りさえしなければ、誰も彼が人間だったとは思わないだろう。
「ところで、名前は?」
「・・・僕の?」
「他に何の名前を聞くの」
「うーん、人間だったときの名前は、人間の姿と一緒に奪われちゃったからなぁ・・・」
「姿と・・・一緒に?」
「そ。だから・・・そうだな・・・」
彼は少し悩むような表情で考え込む。やがて私のほうを見上げる。その青い瞳は輝いている。
「・・・ガイア。そう呼んで」
「ガイア・・・分かった。覚えるよ」
「じゃあ、ほら。君の名前も」
「私?・・・私はミオ。神岡澪、22歳」
「え・・・僕より上ぇ・・・?」
「・・・何?その”上ぇ”の声の上ずり方は・・・」
「別に・・・」
そう言うハスキーの・・・ガイアの顔が苦笑いしてるように見えた。・・・年下に見られたんだろうか。別に悪いことじゃないけど・・・ 犬の姿の彼に年下に見られた・・・何だか複雑な気分だ。私は一つため息をつきながら、彼に問いかける。
「でも、このご時世に魔法って言われても・・・いまいちピンとこないなぁ・・・」
「まぁ、そりゃあそうだろうね。僕だって、実際自分がこうなるまで信じなかったし。・・・だからこの姿になっちゃったんだけどね」
その説明の時、彼は変わらず笑顔のままだったけど、それまでと違い何処か寂しそうだった。ガイアはそう言いながら窓の外を見上げる。
「・・・丁度、こんな風に満月の綺麗な夜だったよ・・・」
私も言われて空を見る。いつの間にか時間はすっかりたち、空の黒には無数の星が散りばめられていた。その中で大きく輝く美しい満月。
「本当に・・・綺麗・・・」
私も思わず見とれる。都会のマンションで、ここまで綺麗な夜空はそうは見られない。今日はよほど空気が澄んでいるのだろう。
「・・・ねぇ、魔法信じさせてあげようか?」
「え?」
ガイアは急に思い出したように私のほうを振り返り、そう問いかけてきた。
「満月の夜に魔法をかけられたせいなのか、同じような満月の夜にはちょっとだけ魔法が使えるんだ」
「・・・」
「・・・何?その疑った目は」
「いや・・・別に・・・」
そう言われて思わず目をそらしてしまう私。・・・信じないわけじゃないけど、やっぱり魔法が使えるって言うのがピンとこなくて、 あっけに取られてしまったというのが正直なところで。
「でも・・・ちょっとだけの魔法ってどんな?」
「実際かけてみたほうが早いと思う」
「じゃあ、かけてよ」
「じゃあ、キスして」
「・・・」
「・・・」
「・・・さてと、シャワーでも浴びようかなー・・・」
「あぁッ!激しくスルー!?」
バスルームへ足を進めようとした私を、ハスキーはいかにもショックを受けたような表情で見てる。私は振り返り、 彼に詰め寄りながら問いかける。
「だって・・・何処のキス魔よ?いきなりキスして・・・って」
「魔法をかけるには、キスが必要なんだ」
「でも・・・」
「・・・僕の目を見て」
彼に言われて、私の視線をゆっくりと彼の視線とあわせる。目が合う1人と1匹。・・・彼の澄んだブルーの瞳が、私の瞳を捉える。・・・ まるで、もう魔法にかかったみたいに私の身体は動かなくなる。不思議な感じ。
「僕を・・・信じて」
「・・・ガイア・・・」
「僕の魔法・・・君にだからこそ、かけるんだ・・・」
「・・・分かったよ・・・キスすればいいんでしょ!・・・すれば・・・!」
私はまるで自分の気をつけるように大声を出し、彼から視線を外して首を何度か振った。・・・ この時はまだ私達は出会ったばかりだったから、彼に悟られたくなくて必死だったけど、私の鼓動はこのとき凄いドキドキしていた。全身に、 彼に対する感情が血と共に巡っていくのが分かる。・・・そんな彼にキス・・・!
「・・・じゃあ、ちょっと首上げてよ・・・私の唇、当てづらいじゃない」
「わかった・・・」
ハスキーはそう答えて顔をクッと上に向ける。再び彼と私の目線が重なる。かつて人間だったと自称するシベリアンハスキー。 シベリアンハスキーだけど中身は人間。・・・つまり、普通に21歳の男とキスするのとなんら変わらない行為なわけで・・・だけど、 頭でいくらあれこれ考えても、私の身体は自然と彼に近づいていく。
・・・恥ずかしいけどこの時、彼の魅力に私の本能は勝つことが出来なかった。吸い寄せられるように重なる唇。その瞬間、 私は目をつぶり彼の長い毛に指を通していく。・・・彼の体温が、手を通じて伝わってくる。そして唇も、温かい。 その彼の暖かさを上回る勢いで私の身体、特に顔が熱を帯びていく。辺りが静かなのとは裏腹に、私の心臓は激しく高鳴る。・・・ ようやく恥ずかしさが身体全体に満ちた私は、まだ唇を重ねたままゆっくりと瞳を開く。・・・その瞳に飛び込んだのは・・・。
「ッ!?」
それは光。私と彼の唇の重なりから発せられる光。ありえない発光のし方に私は思わず重ねていた唇を離しすぐに後ずさりをし、 彼から距離をとる。・・・だけど、その光は更に広がると、私の全身を包み込んでいく。
「何・・・これ・・・!?」
「それが僕の魔法・・・大丈夫怖がらないで」
怖がらないで・・・そう言われても、得体の知れない光に包まれているこの状況に不安を感じずにいられるはずはない。・・・ それに何だか、体が熱い・・・いや、寒い・・・?よく分からない不思議な感覚。 私はまるで内側から湧き上がる不安が外へ飛び出すのを恐れるかのように、自分の身体をぎゅっと抱きしめた。・・・けど、 その時私の手は自分の腕に触れたのに、何だか変な感じだった。ふわふわしてる。まるでガイアの・・・ううんガイアに限らず、 犬を触ってるみたいな・・・犬みたい・・・!?私の胸に再び不安が広がる。・・・もしかして・・・そう思って腕を見ると。
「ッ・・・!」
声が出なかった。そこに有るのは、健康的な肌色の見慣れた私の腕ではなく、小麦色の長い毛で覆われた何か。思えば、 掴んだ自分の手の感触もおかしい・・・それもそのはず、手の形も変化してしまっている。指は、 そうして見ている間にもどんどん短くなってその先には爪が鋭く伸び、手の平はプクッと肉が盛り上がり肉球へと変わりつつあった。 それは完全に犬の手・・・いや、前足にしか見えない。・・・これって・・・ひょっとして・・・!?
「大丈夫」
「・・・ガイア・・・私に・・・何を・・・!?」
「怖がらないで・・・僕を信じて・・・」
シベリアンハスキーが、怯える私にそっとそう呟く。その声を聞くと、何故か不思議と体中こわばっていた筋肉がほぐれ、 私の胸を縛り付けていた言い様の無いモヤモヤが取り払われていく。・・・だけど、その間も私の変化は止まらない。 小麦色は勢いを増して私の身体を包み込んでいく。服とズボンで見えないけど、もう私の身体の半分以上は毛で覆われているみたいだった。 しかも、身体がだんだん小さくなっているのも、着ている服とズボンが緩くなってることからも分かる。更に足も手と同じように変化すると、 かかとがグッと伸びて二足歩行に適さない体型に変わる。
「ゥウ・・・!?」
変化に痛みは無いけれど、気味の悪さに思わず唸り声が漏れてしまう。だけど、言葉を発するだけの余裕も無い。 いよいよ身体のバランスが保てなくなった私は両手・・・じゃなくて、両前足を地面につけしっかりと四本の足で床に立つ。 この時にはずみで履いてたズボンがずり落ちてしまい、私は恥ずかしくなって思わず後ろを振り返った時・・・改めて自分の身に起きたことを、 信じられない現実を目の当たりにする。小麦色の毛で覆われた、犬そのものの腰元と後足。そしてその後ろで垂れているフサフサの尻尾。
・・・私・・・私は・・・私も犬に!?
そう頭の中で思った瞬間、顔にも変化は訪れる。やはり小麦色の毛が覆われ始めたかと思うと、 耳の位置は上へ上へと上がっていきながら長くなっていき、やがてだらんと垂れ下がる。鼻先が黒ずみ、 湿りながらグッと何かに引っ張られるように尖っていき、それにつられるように下あごも含めて口が大きくなり、 イヌ科独特のマズルを形作っていく。そして開いた口から舌がだらしなく伸びてしまい、上下には鋭い牙が生えていた。 そして何時しか光は収まり、静まり返った部屋の中にいるのは・・・2匹の犬。 怯えたように身体をガクガク振るわせるメスを見守るようにオスは黙っていた。・・・ガイアのほうは後からよくこの時の事を口にする。内心は、 ガイアも私に怖い目にあわせて本当に良かったのか不安だったって。・・・そしてこの時は、 しばらくしてからガイアのほうから沈黙を破るように話しかけてきた。
「・・・どう?気分は・・・落ち着いた?」
そう言いながら、ハスキーは私に近づいてくる。でも、すっかり自分の身に起きたことに怯えてしまった私は大声を張り上げて「イヤ、 近寄らないで!」と、叫ぼうとした。・・・だけど。
「ウォン、グウォウ!・・・ウォッ・・・ワゥゥ!?」
私の口から飛び出したのは、獣の唸り声。思わず耳を疑い、はっとして手・・・じゃなくて前足で口元を押さえる。・・・嘘・・・ 喋れない・・・!?そんな・・・これじゃあ・・・まるっきり本当の犬じゃない・・・!
「クゥゥン・・・」
「あれ・・・?魔法が弱かったかな?」
突然のことに呆然と立ち尽くす小麦色の犬・・・私を見ながら、シベリアンハスキーは少し首をかしげながら、 すっと私の目の前に歩み出ると、今度はいきなり、また私の唇に自分の唇を重ねた。また少し、二人・・・いや、二匹の間がぽぅっと光る。 急なことで気が動転した私は、彼の唇を払うように首を大きく振って叫んだ。
「ちょっ・・・いきなり何するの!?」
「ほら、ちゃんと喋れた」
「・・・ぁ・・・!」
そう言って再び口元に前足を当てる私。人の言葉を喋れる・・・だけど、その姿は間違いなく犬。 私は自分の姿がどうなっているのか気になり、辺りをきょろきょろ見渡す。・・・と、目に飛び込んできたのが、テレビ。 電源の入っていないそれは、まるで鏡のように部屋の様子を反射している。そこに写りこんでいる2匹の犬。黒いブラウン管に映る姿は、 色ははっきりと分からないけど、私の目に、心に、現実を焼き付けるには十分すぎるものだった。
結論から言うと、画面に映っていたのは窮屈そうに私の服を着たゴールデンレトリーバーだった。不安そうな表情で、 舌を垂らしながら私のほうを見返している。・・・今のテレビは鏡そのもの。そのゴールデンレトリーバーが誰なのか、 混乱した頭でも理解できる。
「・・・すごく綺麗だよ、ミオ」
横からガイアが私の耳元でそう囁いた。私ははっとして彼のほうを振り向く。・・・視界に飛び込んでくるシベリアンハスキーの顔。 その顔は笑っているようにも見える。・・・けど、私は鋭く彼を睨みつけ、静かに、まるで犬が本当に唸るようにガイアに問いかける。
「・・・何で・・・?」
「・・・ぇ?」
「何でこんなことするの!?自分が犬に変えられたからって・・・道連れみたいに私まで巻き込んだの!?」
「ちょ、ちょっと落ち着いてよ。僕は・・・」
「犬になっちゃったのに!・・・人間じゃなくなっちゃったのに・・・落ち着いて・・・なんて・・・!」
そう言葉を絞り出せば出そうとするほど、私の視界が滲んで、目の周りの毛が濡れていく。その様子を、 ガイアは複雑な表情で見つめていたけど、やがて静かに、俯きながらつぶやいた。
「・・・ごめん・・・」
「・・・私・・・私は・・・!」
「そんなに・・・怖い思いをさせるつもりは無かったんだ・・・けど、安心して。君は、人間じゃなくなったわけじゃない」
「・・・ぇ・・・それって・・・?」
ガイアは、自分の気持ちを落ち着けるかのように一つ小さくため息をつく。そして再び私の目を見て喋り始める。
「言っただろ?僕はちょっとだけ魔法が使えるって・・・僕は君を犬に変えたわけじゃなくて、犬の姿に変えたんだ」
「・・・それ・・・何が違うの?」
「違うさ・・・犬になるってことは、人間であることを失い、完全な犬になってしまうことだ。・・・僕みたいに」
「・・・」
「まぁ・・・僕の場合でも、人間としての心と言葉を残されたから完全な犬とはいえないけどね。・・・だけど君の場合は違う。あくまで、 君は人間だ。その外見と、身体的特徴を魔法で犬のものに変えただけ。魔法が効いている間だけの変身なんだ」
「よく・・・分からないけど・・・それって、私は人間に戻れるってこと?」
ガイアは無言で小さく頷いた。
「じゃあ・・・どうすれば戻れるの・・・?」
「僕の魔法が切れたら、自動的に戻る。今は、1時間ぐらい持続させるつもりでかけた。最長は・・・3時間ぐらいまでかな?」
「・・・1時間・・・」
「・・・思慮が足りなかったよ。僕だって・・・犬になった時、凄く怖かったのに、君に同じ目をあわせちゃって・・・」
「ガイア・・・」
「くどくど説明してからだったら、魔法かけさせてもらえないかも・・・なんて思って。・・・軽率だった。ごめん」
「そ、そんなに謝らないでよ・・・私が悪者みたいじゃない・・・」
頭を深々と下げるシベリアンハスキーを見て、ゴールデンレトリーバーは・・・つまり私は複雑な表情を浮かべた。 詳しい事情はあまり話したがらないけど、今と同じ思いをガイアも経験したんだ。だけど、私と違うのは、 私には人間に戻れるという救済があったけど、その時のガイアにはきっと、一生犬の姿のままという追い討ちだったんだろう。しかも、 人間の心と言葉を持ったまま。生物としては完全な犬なのに、犬になりきれない辛さ。それをずっと背負って逃げてきたんだろう。・・・ 私にはこの時、いや今でもその苦しみを想像することは出来ない。
私はしばらく無言になったガイアの様子を見ていたが、いたたまれなくなり目線を反らした。・・・その時、 偶然再びテレビが視界の中に入った。ゴールデンレトリーバーがまだ私の服を着ている。もう見た目は完全な犬なのに、 そこだけ人間としての私が残ってしまっている。それって・・・中途半端だなぁ・・・そう思った私は、 何とか服を脱ごうと思いっきり身体を振るわせる。サイズが緩くなった服は簡単にずれていってくれるけど、 身体の構造が人と違うからすぐに関節に引っ掛かったりしてしまう。ますます中途半端な格好になっちゃった私は、ガイアに呼びかける。
「ちょっとぉ、黙ってないで手伝ってよ!」
「え・・・?」
「首後ろの襟のところ、引っ張ってよ」
「あ・・・うん、わかった」
ガイアはそう言って私の服の襟首を咥えて思いっきり引っ張った。私はそのタイミングにあわせて身体に力を入れて身体を振るう。 ようやくすっぽりと首が抜けきると、あとは左右の前足を袖から抜くだけ。そして完全に一糸纏わぬ姿になった私は、再び全身を振るわせ、 テレビのほうを見た。もう、そこにいるのは完全なゴールデンレトリーバー。人間、神岡澪の面影は一切無い、1匹の犬がそこにいた。・・・ その途端こみ上げてきた、言い様の無い開放感。私を縛っていた何かから解き放たれたすがすがしい気持ち。私は犬なんだという微かな羞恥心が、 不思議と心地いい。
「・・・ミオ」
「ガイア・・・」
「改めて聞くけど・・・気分はどう?」
「・・・不思議な感じ。さっきは・・・不安で仕方が無かったけど、人間に戻れるって分かったら・・・なんていうか・・・その・・・ 気持ちいい。・・・あ、イヤ、変な意味じゃなくてね・・・」
「・・・よかった。君なら受け入れてもらえると思ったんだ」
「・・・どういう意味?」
私はガイアの方を振り返り問いかける。
「・・・喋る犬なんてさ、気味悪がって普通誰も近づかない。いや、多くの場合空耳や幻聴だって決め付けて取り合ってさえくれない。 だけど・・・君はたとえ疑いながらでも、僕を信じようとしてくれていたのが分かったから」
そう言って彼は私に微笑みかけてきた。・・・彼には悪いけど、それはいろいろな意味で痛々しかった。喋る犬、 ただそれだけで周りから自分の存在を否定されるような扱いを受けてきたのだろう。それでもなお、彼はそれを語る上で笑顔になれる。 孤独であるがゆえに、強くなった心。寂しさも悲しさも、全て覆い隠す優しい微笑み。だけど、そんな彼が私には、孤独の影を見せてくれた。
・・・で、私は昔っからクラスのいじめられっ子とか捨てられたペットとか放っておけない性分で。
「ねぇ・・・ガイア?」
「ん?何?」
「・・・ウチに住む?」
「・・・え?」
「どうせ行くあて無いでしょ?」
「まぁ・・・でも・・・いいの?」
「・・・計算どおりって顔してる」
「え!?そ、そんなこと・・・!」
「・・・嘘。もし仮にガイアが・・・そういうつもりだったとしても、私、あなたなら受け入れていいと思ってる」
自分で言ってて恥ずかしくなるようなセリフだけど、この時はものすごく自然に言うことが出来た。私達は、互いに微笑み合った。 そして月を見上げる。
「本当に・・・綺麗だ・・・」
「・・・今、さ。ガイアと同じ目線で月を見てるんだよね・・・私」
「ん?あぁ、そうだな」
「綺麗だね・・・魔法みたいに・・・」
私は彼にぴったりと寄り添いながら、そう呟いた。この時はもう、彼に私の鼓動が、体温が伝わっても構わない、いや伝えたい。 そう思い始めていたから、少しでも距離を縮めたかったんだと思う。少しでも、近くにいたいから。犬の姿とか人間と犬とか、 そういうこと抜きで、私の心は彼の心の引力に捕らえられ、その心を締め付けられる感じが、苦しく、暖かく、心地よかった。その時の私には、 もう怖いものなんて何も無かった。
ねぇ、神様。罰を与えて。叶わぬ恋を願うことが罪だとしたら。ねぇ、神様。私に罰を与えて。
月の魔法で恋して 前編 完
後編に続く
Good luck! Dog run! の別バージョン的な感じですか?(違ってたらすいません)
これはこれでストーリーが全く違っていていいと思います。
★宮尾レス
コメント有難う御座います。
確かに、アレのキャラでスターシステムをしたパラレル作品です。ストーリーを書いているうちにあの時演じさせたキャラがぴったりはまったので、使ってみました。アレとは違った形でアプローチすることを目指してます。
★宮尾レス
コメント有難う御座います。今執筆中ですのでしばらくお待ち下さい。