Fascination-そしてシリウスはカプリコンと共に旅立つ-
【人間→獣・獣人】
人には誰だって1つぐらい長所というか、神に与えられた才能というものがある。僕にだって勿論それはある。 別に僕は勉強が出来るわけでもないし、スポーツが得意なわけじゃない。絵を書くのが上手いわけじゃないし、 歌なんて他人に聞かせる事が出来るものではなかった。でも僕にだって才能はある。いや、才能というよりも能力といった方が適切かもしれない。
僕には人の本性、つまりその人間の根底に眠るレベルまでの性格や思考を感じ取る力がある。
言ってみれば相手を感じ取る嗅覚、そう書けばやや大袈裟だが、ようは”人を見る眼がある”という、ただそれだけの事だ。 しかしただそれだけの能力が、恐らく普通の人間のそれより何倍も僕の場合は鋭敏なんだ。例えば自分に笑顔で接してくる人間がいたとして、 その笑顔がどの程度の笑顔なのか、つまり感情から笑っているのか、それとも上辺だけの笑顔なのか、僕にはそれを見て一瞬でどちらなのか、 或いはその両方がどの程度の割合で混じっているものなのか判断できる。そしてそこから見え隠れする腹のうちを垣間見える事が出来るから、 まぁ人の心は複雑だから完全に分かる、とは言わないがそれでも相手が考えていることを僕が読み違えた事は無かった。 だから僕は他の才能が無くたって危ない橋を渡ることなく今日まで来る事が出来た。この才能に特化した僕は、 世渡りや人付き合いの才能を併せ持ってはいなかったが、そんなものが無くたって僕はこの才能のお陰でそれらの才能と同等の働きをしてくれる。 だから僕は周りから目立つことなく、そして浮く事も無く、面倒な人間や出来事を上手くかわしてここまで来れた。
その僕の才能が告げている。
学校で僕の隣に座っている転校生の少女は、絶対に普通じゃないと。
「それじゃあ山村、97ページの3行目から読んで」
「はい」
そういうと彼女は立ち上がり、教科書を手に指示された行を読み始める。僕は隣に座り彼女を見上げその一挙一動を見つめていた。 彼女の声は決して高くも低くも無い、平均的な女性の声という印象だが、 その声には不思議とまるで深いそこから響いてくるような凄みを持っていた。もし僕のように、 声からその人間のことが判断できる能力を持っている奴がいれば、きっと彼女の本性が浮き彫りに出来るのだろうが、 生憎僕には先述の通り人の見た目からの判断しか出来ない。その僕がそこまで感じる不思議な声。そしてその僕の能力が告げる、 彼女に対しての警戒。この能力を持ち始めてからここまで不安を感じたのは初めてだった。
「よし、山村そこまででいい。じゃあ次は川上」
「あ、はい」
僕は自分の名を呼ばれ、彼女が着席したのをみると入れ代わるように立ち上がり、彼女が読み終えたその続きから僕は教科書を読み始めた。
僕が彼女に出会ったのは2週間前だった。それは突然の事だった。
「今日から新しく1人クラスメイトが加わる事になりました」
朝礼の後、担任の先生の突然の発言にクラスはどよめいた。勿論それは事前の予告が無く突然転校生がやってくる事への戸惑いもあったが、 それ以上にこんな時期に転校生がやってくる事への驚きの方が多かった。何故なら僕達は中学3年生。そして今は2月。 つまり今まさに高校受験で忙しいこの時期に転校してくるなんて常識から考えればおかしい事だった。
「山村さん、いいわよ。入ってきて」
先生のその言葉を聞くとドアが開き、その向こうにいた人影が教室の中へと入ってきた。その姿を見た瞬間、 僕は背筋が凍るほどの感覚を感じた。入ってきたのは極普通の少女だったが、僕の能力は彼女が極普通の少女じゃない事を教えてくれた。
「山村洋子です。宜しく御願いします」
彼女はそう自己紹介をすると一礼し、そして再びその顔を上げる。一見するとその容姿はパッとするものではなかった。 今時珍しい黒ぶちの度の厚い眼鏡をかけて、長い髪は後ろで束ねているだけ。表情も暗ければ声の調子も暗い。 しかしそれでも一部の男子から笑顔がこぼれていたのは、彼女の首から下のラインに目が行っての事だった。 その地味な印象を受けた顔とはうって変わって、彼女のボディラインは思春期の男子を興奮させて余りあるものがあった。一言で言えば、そう、 美しい。中学3年生とは思えないほど完成されたプロポーションだった。制服を着ているにもかかわらずはっきりと分かるその曲線美。 胸の豊かな膨らみから腰へと弧を描くそれは、もし僕が能力を持たない、 本当にただ普通の人間だったなら他の男子たちと同じように興奮していたかもしれない。でも、僕にその余裕は無かった。 むしろ僕が魅入られていたのは彼女のその厚く冴えない眼鏡の向こう側で確かに光る、この世のものとは思えない力を宿す不思議な瞳だった。 まるで全てを見通すかのように濁りの無いその瞳に対しては恐怖に似た感情さえ感じていた。
「じゃあ山村さん席は、この列の一番奥に座って」
先生は僕の隣の空いていた席を指差し彼女を誘導した。彼女はゆっくりと机と机の間を、男子からのいやらしい好奇の視線と、 女子からの羨望や嫉妬の混じった視線の中、それをものともしないように僕の隣の席まで来て、ゆっくりとイスを引きそのまま腰をかけた。 隣に来ると彼女のその言い知れないプレッシャーは益々僕の心に今まで感じたことの無い感触を与えていた。 僕は思い切って彼女に話しかけてみる。
「あの、山村さん、」
「何?」
「あ、僕、川上大樹。宜しく」
「・・・こちらこそ」
彼女は僕の方を見向きもせず表情も変えず、淡々とそう答えた。それが僕たちの出会い。初めて交わした言葉。
そして2週間。彼女は僕たちのクラスの一員として学校生活を始めた。しかしその暗い印象と、 残り僅か1ヶ月半程度しか同じクラスで生活しない事もあってか、彼女はなかなかクラスには馴染めていなかった。 僕も彼女とはあれ以降まともに会話をする機会も無かった。僕が一方的に彼女からプレッシャーを感じては彼女の方を見つめるだけで、 しかし彼女は何か変わった事をするとかそういったことも無くただ淡々と毎日を過ごしていた。 僕は彼女の本心を探ろうと何度もその姿や表情を見つめるが、僕を能力を持ってもまるでその本性がつかめずにいた。 何を考えているのかさえ分からない。僕は僕自身の能力が否定されたような感覚になって少し焦っているのかもしれない。 今までこんな事が無かったから。
でも、それを深く悩んでいる時間も僕には無かった。何を言っても僕は受験生だ。 今この時期の努力次第で今後の人生が大きく変わるかもしれない。 その時に自分の能力に疑問を突きつける出来事に出会ってしまったのは非常に惜しい事だが、 今は目の前のことよりも将来を見据えた受験の方が大事だった。勿論それは僕に限った事じゃない。 今全国の中学3年生その殆どが僕と同じことを考え悩んでいる。この中学においてもそれは然るべきことだった。 防火教室移動のため廊下を歩いていたが、すれ違う生徒たちは皆勉強の事で頭が一杯という様子で歩いていく。自分のことで精一杯という表情。 殆どみんな今はそういう様子だった。しかし、中にはそんな事とは無縁の生徒もいた。 生徒用にも関わらずタバコの臭いが強く漂うトイレの前を通りがかったその時である。 トイレの奥から煙と共になにやら男子生徒の話し声が聞こえてきた。
「でよ、今度3組に転校して来た山村って女いるしょ?アレやばくね?」
「あぁ、確かにマジあの暗さとかキモイから。ありえねーよ」
「バカ、そうじゃねぇよ。あの身体、ぜってぇヤったら気持ちイイって」
「何お前身体主義?ヤレりゃそれでいいの?」
「ダー、もうお前見る眼ねぇなぁ。アイツ眼鏡外したらぜってぇ顔もありだぜ。 性格もあんなだしコッチ強く出たら絶対ヤラしてくれると思うんだよね」
「ヤルヤルうっせぇなテメエは。そんなにヤリたきゃヤレばいいじゃねぇか」
・・・所謂最底辺にいる奴らだった。学校という枠にとらわれる事を嫌いドロップアウトした人間。それならまだいいが、 その後周りの人間に迷惑を掛けることしか考えられない、絶対に関わっちゃいけない奴らだった。どうやら彼女の話をしているらしい。 彼女をヤルとかヤラないとか・・・物騒な話をしている。でも僕は別に正義感や使命感に燃える人間じゃない。彼女の事は気に成るが、 そもそも得体の知れない彼女と関わるのも危険である上に、更に関わり合いになっちゃいけない奴らが加わったんだ。僕には関係の無い話。 ただ何事も無かったかのように通り過ごせばいい。特にこのことを気にも留めることなく、いつも通り勉強をして、受験して、高校に入って、 そう、僕にだってもうきちんと道筋は立っている。今更面倒を起こしてそれを不意にする必要性なんて無い。そう頭で理解している。
理解していたはずなのに。
僕は何故か放課後、校舎裏にいた。あいつ等が放課後に校舎裏で彼女をヤルという話をしているのを聞いてしまったからだった。 しかし聞いても聞かなかったふりをして無視すればよかったんだ。何もこんなところに来る必要なんて無かったのに。 僕はこんなところに来てしまったことを後悔していた。何故だろう。何故僕は来てしまったんだろう。彼女の事が心配だから? 悪事が行われようとしているのが放っておけなかったから?しかし僕はお世辞にもそんなことに首を突っ込むほど馬鹿じゃないはずだった。 もし万が一コッチに火の粉が降りかかればただじゃあすまない。今までだってそういう現場は避けて通ってきたんだ。今回だって同じこと。 そのはずなのに、僕はここに来ずに入られなかった。
本当は分かっている。僕は彼女の事が気になっていたんだ。もしかすると、本当に彼女に魅入られているのかもしれない。 それは僕の一方的な思い過ごしだとしても、本当にそうではないかと思うほど僕は彼女の事が気に成って仕方が無かったんだ。 だからこうしてここにいる。物音を立てないように、気配を消すように息を潜め、そして校舎の角からチラッと覗いてみる。 そこにはあいつらが数人で彼女を取り囲む様子があった。
「だからさぁ、俺山村さんみたいなのとお友達になりたいんだよね」
「回りくどい言い方してんじゃねぇよ、ヤリたいだけじゃねぇか」
「うっせ!黙っとけ!」
「へいへい」
「だぁらさ、君の大事なもんくれたら金も払ってやるしさぁ、どぉ?1回だけ」
「・・・断ったら?」
彼女は表情を変えず男にそう問いただす。僕は溜まった唾を、音を立てないよう静かに飲み込むとその様子を凝視していた。 すると男の1人の口元がにやっと笑ったかと思うと、周りのほかの男たちが一斉に彼女の手足を掴み身動きを取れなくした。 そして男はいやらしい笑顔のまま彼女に近づき、小さく答えた。
「・・・断れないよ?その選択肢は君には無い」
そう言って他の男たちに指で合図すると壁際に彼女を追い詰める。そしてそいつはそのまま彼女に近づいていく。 彼女を身動き一つとらせず、彼女を犯すつもりなのか。・・・つまりそれってレイプじゃないか!?僕はうろたえる。いや、 元々こういう展開になることだって分かっていたじゃないか。何を今更焦っているんだ。第一初めっからこんな所には来なきゃよかったんだ。 そうだ、今ならまだあいつらにも気付かれていない。今この場を離れて逃げ出す事も、助けを呼びに行く事も出来る。そうだ、 僕自身が直接関わり合いになる必要なんて、無いんだ。・・・でも・・・でも!
「お、お前ら!」
僕は気付いた時には叫んでしまっていた。彼女とあいつ等はその声に気付き一斉に僕の方を振り返った。その視線に僕はたじろぎかけるが、 続けて声を上げる。
「こんな所で・・・な、何をやっているんだ!?」
「・・・3組の・・・川上・・・だったっけか?」
僕は叫んだ瞬間に後悔していた。何故飛び出してしまったんだ。関わっちゃいけないって能力はずっと教えてくれていたじゃないか。 今までだってそうして避けてきてたのに、何故今回に限って出来なかったんだ。僕は心の中で自問自答を繰り返していたが、 しかしそんな事は目の前の奴らには関係なかった。むしろ楽しいひと時に水を差されていらだっている様子だった。 さっき彼女を犯そうとしていたあいつが僕の目の前まで歩いてきてぴたっと止まると僕の顔を見つめて小さくゆっくりと語りかけた。
「悪いけど・・・人の楽しみの邪魔してもらっちゃこまるんだよ・・・な!」
「グゥッ!?」
彼のその言葉が終わるか終わらないかの瞬間に僕の腹には衝撃がくわえられていた。彼の拳が僕の腹をえぐるようにして突き出され、 そしてその衝撃のまま僕は吹っ飛んでしまう。
「・・・ク・・・!」
「オイオイ、随分軽いな・・・まぁ折角来たんだ。お前もそこで大人しくしてりゃ俺も何も言わねぇから、黙ってショーを見とけや」
そいつはそういうと再びいやらしい笑顔に表情を戻し彼女の方に歩み戻っていく。僕は彼を止めようとするけれど痛みで身体が動かない。 本当に見ている事しか出来ない。・・・僕は無力だった。そんな事分かっていたんだ。飛び出しさえすればこんな痛い思いしなくて済んだのに。 悔しい思いをせずに済んだのに。僕は目の前で彼女が犯されるのを黙ってみている事しか出来ないのか。
「待たせたな・・・さぁ楽しもうぜ・・・!」
そいつはそう言うと、まず彼女の眼鏡と、髪を結っていた髪留めを外す。ふわっと柔らかな黒髪が重力に負けて垂れ落ちる。 そして現れた彼女の素顔を見たそいつはより一層笑顔になり呟いた。
「思ったとおり・・・上玉じゃねぇか・・・!」
僕もそいつの背中越しで彼女の素顔を見る事が出来た。・・・確かにそれは想像していた以上だった。 彼女の美しさを遮る要素を取り払った今の彼女は、多分僕が見てきたどんな女性よりも、いやどんな美しいといわれているものよりも美しかった。 最早形容の言葉さえ出てこないほど魅入られていたが、次の瞬間にゆっくりと見開いた彼女の瞳を見たとき、 僕は再び初めて出会ったときの背筋が凍る感覚を感じた。そして僕の能力は僕に一つの事を告げる。
彼女は人間じゃない。
それは答えとして普通に考えれば有り得ないものだ。何故なら目の前の彼女が人間でないはずが無い、と誰もが頭から決め付けているから。 現に彼女の姿は人間以外の何者でもない。それを人間じゃないと言い張る根拠は何処にも無いのだ。しかし、 僕はその時点で彼女が人間ではないという感覚を素直に受け入れていた。彼女が人間じゃなければ、彼女の心を読む事が出来なかったのも、 人間離れしたプレッシャーも納得がいく。今の僕には下らない常識なんかよりも自分の感覚の方が信じる事が出来た。しかし、 そんな能力を持たない奴らには彼女が瞳に宿した力のことになんか気付く様子も無く、自分の欲求を満たすためだけの準備を手際よく進めていく。 まず上着を脱がしブレザー、そしてブラウスと一枚一枚丁寧に邪魔なものを取り払っていく。 またその間どういうわけか彼女は全く抵抗をしないのだ。それは決して彼女が諦めているわけではないのは今の僕になら分かる。 彼女は犯されるつもりはさらさら無いのだと。しかしその根拠が見当たらない・・・僕がそう思っていた瞬間だった。
「ぁ、うわぁあ!?何だよ、コレェ!?」
さっきのアイツの奇妙な声が校舎に反響して大きく響いた。僕はその声に驚き、すぐには事態が飲み込めなかったが、 そいつの目の前にいた彼女の姿を見て僕も眼を丸くした。ただし僕は叫び声をあげることは無かった。その次元を通り越して、 まさに絶句してしまったのだ。
ブラウスを脱がされ、上は一枚も纏わない状態となり、本来ならそこには柔らかな女性の身体を晒すはずだったのだ。いや、 確かに彼女はその美しいモノを惜しげもなく僕たちの眼前に見せ付けている。だがその身体は明らかにおかしかった。日本人、 所謂黄色人種の健康的な肌色の皮膚が彼女には無く、彼女の胸元は白く、それも白色人種の白さじゃない、本当に雪のような純白なのだ。 よく見るとそれが柔らかく細かな毛が覆っているためだという事に気付く。 しかも初めはそれは2つの乳房の周りだけだったのがゆっくりと毛が他の部位にもまるで侵食をしていくかのように広がっていくのだ。
「全く・・・人間というのは面白い生き物だな・・・」
いつの間にか彼女はその美しい顔に笑みを浮かべ、そう呟きながらゆっくりと前へと進み出る。男たちは恐怖で逆に後ずさりを始めていた。 そしてその一歩一歩彼女が歩むたびに彼女の姿の変化が進んでいくのだ。 彼女の額に突然何かの紋様が浮かび上がったかと思うとそれは徐々に強い光を放っていく。 彼女は瞳を閉じて少し上を向くと彼女の顔が光に包まれていく。 すると彼女の顔の輪郭がまるでモヤがかかったかのように曖昧になっていきゆっくりと歪んでいくのだ。 それとあわせて白い毛の波は胸元から首に上がっていきそのまま顔へと走っていく。その波が歪んだ輪郭を整えていくように、 彼女の顔は人のそれから大きく形が変わっていく。耳はピンと横に尖り、鼻先も前へと突き出し黒ずみ、 そして上唇は盾に割れ裂け目はその鼻まで続いていく。 そして頭の上は皮膚が硬くなったかと思うとそれは一気に弧を描きながらせり出していき左右一対の立派な角になった。 そして彼女は顔を下ろし閉じていた眼をゆっくりと見開いた。その瞳はまるで鮮血の様な紅に染まり、 人だった時のそれ以上に怪しく魅惑的に輝いていた。その顔を見て僕は思わず呟いてしまう。
「・・・ヤギ・・・!?」
そう、その頭部はまさにヤギそのものだった。額にいまだ残った不可思議な紋様を残しては。 驚き続ける僕やあいつらを尻目に彼女の変化は止まらない。 首の周りには他の部分よりも長い毛がやさしく柔らかに多いまるで襟巻きのように彼女の首を取り巻く。 そして白い変化の波は彼女の腕から手にかけても覆っていた。しかし、それは頭とは違い人の時と大きく外見は違わず、 しかしその長い腕とその先の5本の指が白い毛に覆われ輝く姿は人のそれとは比べ物にならないほど怪しげな美しさを保っていた。 そしてその指をパチン、と一度鳴らす。すると、さっきあいつらにいまだ脱がされずに済んでいた下半身のスカートが、 その瞬間に現れた黒い炎に焼かれ一瞬にして灰と化した。その下から現れた彼女の下半身は、上半身とはまた異なる異様さをかもし出していた。 白い毛は腹部の途中までで途切れており、それよりも下半身はやや黒ずんだ紫色の筋肉質な皮膚で覆われていた。 そして尻から足元までの見事な脚線美は人のものよりも引き締まっているが、形は人のそれそのままだった。 だから足元が蹄の形をしているというアンビバレンツは、しかし彼女の怪しいまでの魅力をより浮き彫りにしていた。 そして彼女はもう一度パチン、と指を鳴らす。 すると今度は彼女の背中から突然黒いものが生えたかと思うとそれはすぐに蝙蝠の様な翼へと姿を変えた。ヤギの頭に蝙蝠の翼。 人間を魅了してやまないその怪しげな瞳や紋様。
悪魔。
僕は頭の中でその単語を浮かべた。自分のクラスに転向してきた少女が、山村さんが、今自分の目の前で人間では無いモノ、 悪魔のような姿へと変貌を遂げたのだ。しかし僕の中の驚きは、かえってあまりに突飛すぎる展開に対して何時しか麻痺してしまい、 むしろ今は僕の例の能力が教えてくれた、彼女が人間ではないということが的中していた事が、 おかしな話だがある種の自信というか誇らしげにさえ感じていた。悪魔の姿になった彼女はさっき自分を犯そうとしたあいつらの方を見ると、 あの時あいつらが見せたいやらしい笑顔とは違う、むしろその魅惑的なヤギの顔で、 子供が虫を潰して遊ぶような無邪気で残酷な笑顔を浮かべながらその赤い瞳を輝かせて語りかける。 あいつ等はすっかり腰をぬかしてまともに動く事さえ出来なくなっていた。
「さて・・・人というのは中々精力が旺盛だな・・・特にさっき私に迫ったお前は、特に黒い欲求を持っているみたいだ」
彼女はそういうと、あいつの方を見つめながら、何かよく分からない言葉を呟いている。そしてその言葉を唱え終えた瞬間、 彼女の瞳は一瞬強く光り輝いた。そして更にその次の瞬間からあいつ等は突然もがき苦しみ始めた。
「ァウ、アァァッ!?」
それは異様な光景だった。さっきまで彼女を襲おうとしていた屈強な男たちが、苦悶の表情を浮かべながらあるものは身体が大きく、 あるものは小さく、いずれもそれぞれ毛で覆われながら人の姿を失っていく。僕はただその光景を黙って見せつけられるだけだった。 あいつらの変化は彼女の変化のそれと比べるとあっという間だった。彼女を犯そうとしたあいつは、小さな兎となり、 他のやつらも馬や鼠などにすっかり変わっていた。
「ふふ・・・その兎の姿・・・お前にはぴったりだ・・・!」
彼女は小さく含み笑いを浮かべながらその様子を見ていた。 しかしやがて彼らはまるで何かに引き寄せられるかのように彼女の周りに集まりだしたのだ。その光景はさながらキルケーや、 或いはアルテミスを連想させた。ただし、その中央にいる彼女もまた人とはおよそ呼べない姿なのだが。
「山村さん・・・君は・・・一体・・・!?」
「・・・確か、川上大樹と言ったな・・・」
彼女は僕の方を振り返ると、ゆっくりと自分の周りに集まった動物たちを払うと、一歩一歩僕に近づいてきた。
「全く人は面白い・・・こいつらのように私の身体のことしか考えていない者もいれば、 お前のように何も考えずに飛び出してくるものもいる・・・」
「山村さん、一体君は誰なんだ!?」
「じきにお前もそんな事考えなくて済む・・・」
彼女はその言葉に続けてまたさっきのような呪文を唱え始めた。・・・そうだ、目撃した僕もあいつらと同じように動物に変える気なんだ。 僕は怖くなってその場から逃げ出そうとしたが、すっかり彼女の瞳に魅入られた僕には身動きをとる事は出来なかった。 後はただ自分の身体が変貌を遂げるのを待つだけなんだ。
「大丈夫・・・お前も私のものになれば・・・獣となって私に従えば苦しみも悲しみも考えなくて済むようになる」
彼女はそう僕に説明した。あいつらにはそれをせず、僕にだけ説明したのは、 多分少なくとも自分を守ろうとしてくれた僕に対しての彼女なりの礼儀であり、それは同時に別れの挨拶でもあったんだろう。だって、 獣になれば考えなくなるという事は、僕は僕でなくなるということなんだ。 説明する意味がそもそもないことは当事者である彼女が最も理解しているのにそうしたのは、そういくことだろう。・・・でも・・・僕は・・・!
「・・・イヤだ・・・!」
「大丈夫・・・怖がる必要は無い、私がいるのだ・・・!」
彼女が僕にそう告げた瞬間、彼女の瞳が再び激しく光り輝いた。その瞳を見た瞬間、僕は全身の血流が一気に加速し始めるのに気付いた。・ ・・変化が始まったんだ・・・!イヤだ、僕は人間でいたい。こんな・・・動物になっていくなんてイヤだ・・・! 僕は心で強くそれを拒むが身体の変化は止まってくれない。僕は怖くなり両手で頭をかきむしるようにするが、 その時腕に普段では感じない感触があった。それは長く尖った僕の耳が腕にぶつかる感触だったんだ。
「うわぁぁあっ!」
僕は恐怖のあまり絶叫した。確実に僕の身体を変化が蝕んでいく。そしてその尖った耳にはやがて力強い獣毛が覆っていく。 そしてその獣毛は僕の顔にどんどん生えていく。そのうちに何か鼻がむずむずすると思っていたら、 僕の鼻も彼女のように前に突き出し始めたのだ。しかしそれは草食動物のそれとは違い、口元にはがっしりとした牙が生え揃っていき、 肉食動物のものへと変化をしたのだ。そう、僕の顔はもう僕の顔でなくなりかけていた。
止まれ、止まれ!
僕は心の中で何度も何度もそう繰り返し叫んだが、僕の願いは何にも届く事は無かった。 やがて獣毛は全身をどんどん覆っていくのとあわせて、僕の身体は徐々に筋肉質で引き締まったものへと変化をしていく。 長い毛で覆われるため外見的には分かりづらいが、 元々男としては華奢だった僕からしてみればそのがっしりした体格はやはり僕のものとは思えなかった。全身の筋肉や骨が融けては固まり、 また融けては固まるの繰り返しをするこの感覚は痛みを通り越して最早人の知っている感情での表現は困難なレベルだった。 そしてその感覚の一つ一つが僕が人間でなくなっていくプロセスなのだと思うと僕は気がどうにかなりそうだった。 やがて僕の手は形こそ人のままだったが、その先からは黒く鋭い爪が輝く。一方の足は人のものから大きく変わり、 指は一層短くなり足元には柔らかな黒い肉球が形作られていた。そして更に背中や尻にも何か違和感が生じていた。 しかし何時しか僕は自分の身体から痛みがすっかり消えている事に気付いた。 恐怖で身体が硬直していたためずっとまだ変化が続いているものだと思っていたが、どうやら変化は収まっていたらしい。 僕は恐怖と痛みからつぶっていた眼を開いた。そして自分の体を確認する。
「・・・何だよコレ・・・!?」
まず視線に入ったのは腕、その後脚、腹と視線を移していく。身体の何処を見ても薄い蒼の長くしなやかな獣毛が覆われているのだ。 僕は自分の体がどうなってしまったのか気になり、すっと立ち上がり後者の窓ガラスを鏡代わりにして見つめた。 本来だったらそこには僕が映るはずだった。しかし僕は映らない。いや、仮に映っているのが僕だとしても、それは僕が知ってる僕じゃなかった。
「・・・人狼・・・!?」
僕の代わりに鏡に映っていたのは狼の顔と人の身体を持つ、所謂ワーウルフと呼ばれるものの姿だった。すっと伸びたマズル、 その上に輝く金色に輝く瞳、ピンと立ち上がった耳、どれをとっても人だった僕の面影なんて無かった。身体も、人のそれのままだけど、 ずっと筋肉質で、全身を獣毛で覆われている。人に近い手と、獣に近い足。そしてその後ろでゆっくりと左右に揺れる尻尾。 狼と人間を融合させたその姿はまさにワーウルフだった。ただ1つ、背中にあるものを除いては。
「・・・翼・・・!?」
そう、本来の伝説上のワーウルフには有り得ない、翼が僕の背中から生えていたんだ。蝙蝠のに似た彼女のものとは違い、 僕は鳥のように羽毛で覆われた翼だった。蝙蝠の翼が悪魔をイメージさせるなら、鳥のものは天使を連想させる。尤も、 その羽を生やしているのが狼なのだから、あえて造語すればワーマルコキアスとでも呼べばいいのか。兎に角、それが僕の今の姿なんだ。 僕は自分の身に起きた事に戸惑いを隠せなかったが、今は何故こうなってしまったのか、彼女に問いただすのが先立った。 僕は狼の鋭い瞳を輝かせて彼女の方を振り返り話しかける。
「山村さん、一体君は、」
一体君は何者なんだ、何故こんな事を、僕はそう問いただすつもりだったが、僕の言葉を遮るように彼女の言葉が先に響いた。
「一体お前は何者なのだ?」
「え!?」
僕は自分が聞こうとしたことを彼女に先に言われてしまい動揺をしていた。しかしそれはどうやら彼女も同じようだった。 彼女の表情は相変わらず冷静そのものだったが、僕の能力は告げている。今の彼女は僕以上に動揺している事を。そう、 今まで読めなかった彼女の心が、僅かながら読み取れるようになったのだ。恐らくそれは僕が変化した事で感覚が鋭敏になった事と、 彼女が動揺によって隙が生まれていたためかもしれない。・・・確かに彼女がさっき言っていた言葉と、今の僕の姿は大きく違っていた。 彼女は僕もあいつらと同じただの獣にして自我も失くすつもりだったはずだ。しかし僕の姿は完全な獣とも人とも程遠く、 むしろ彼女と同じような異形のものの姿だった。彼女は自分のした行為が予想外の事態を引き起こした事に戸惑いもあったが、 むしろそんな僕への興味を丸出しにしていた。彼女はゆっくりと僕の方に近づいてくると、 そのまま後ろから腕を僕のわきの下に通しいきなり抱きつく形になった。そして彼女の豊満で柔らかな乳房が僕の背中に当たる。 お互いの身体が毛で覆われているためその感触は柔らかさだけが確実に伝わってくる。 勿論今まで15年生きてきた中でそんな経験の無い僕は戸惑いを隠せなかった。狼の顔は金の瞳の瞳孔が極限まで開き、 どうしたらいいか分からないもどかしさを映し出していた。しかも彼女はそのまま僕の首筋を、そのヤギの舌でゆっくりと嘗め回し始める。 僕はそれと同時に全身が凍りつくぐらいの寒気と、燃え上がりそうな火照りを同時に感じていたのだった。
「や、山村さん、何を!?」
「・・・ふふふ・・・はは、そうか、お前がそうか!」
彼女は急に僕の身体からはなれ、大きな笑い声を上げる。ヤギの表情は再びさっきのような、 まるで玩具を与えられた子供のように無邪気な笑顔で僕を見つめてくる。
「どうやら私は運がいい・・・クク、ははは!」
「一体・・・一体何なんだ!?僕はどうなってしまったんだ!ただの獣になるんじゃなかったのか!?」
「私もそのつもりだったよ・・・だが、コレは思わぬ誤算だったよ」
「だから、何だって言うんです!?」
「分からないか・・・?それがお前の本当の姿だよ」
・・・
・・・え?
コレが・・・この人間離れした・・・怪物の姿が・・・僕の本当の姿・・・!?
「・・・な、何を言ってるんだ、山村さん、僕は人間だ、この姿にしたのは君で、」
「私はお前をそこに転がっている奴らと同じようにただの動物に変えようとしたのだ。だがそうならなかったのは、 私の魔力を受けてお前の中の本当のお前が目覚めたからだよ」
「僕の中の・・・僕・・・!?」
「そう、お前は私のために生まれ、私のために目覚めた。私のものとなる運命の元に」
「僕が・・・山村さんのもの!?何を馬鹿な話を・・・!」
「拒んでも無理だ・・・お前は私のものであり、私もまた、お前のものだよ・・・!」
彼女はそういって再び僕の身体を掴みかかろうとするが、その時校舎の向こう側から声が聞こえてきた。
「・・・感づかれたらしいな・・・話は後だ。行くぞ」
「え、行くって、何処へ!?」
「私の世界だ」
彼女はそう言うと、白くしなやかな指で縦に空を切った。するとまるでファスナーをおろしたかのように突然空間に裂け目が出来たのだ。 その中はまるで混沌へと続いているかのような、彼女自身から伝わってくるものとは更に比にならないほどのプレッシャーを感じさせた。 そして彼女はすっとその手を僕に差し伸べる。
「ほら、行くぞ」
「・・・え・・・!?」
「お前も私と共に来るのだ」
「何で僕が!?僕はただ・・・!」
「その姿を他人に見られてもいいのか?その姿で、この世界で暮らしていくつもりか?」
僕はそう言われて再び窓ガラスを見る。・・・確かに僕の姿は最早どう見たって人間じゃなかった。 僕が彼女のせいで人間じゃなくなったのか、それとも彼女の言うとおり元々人間じゃなかったのか、今の僕には判断できないが、 ただ少なくても今確実に言えること。
僕は、今は人間じゃない。
人でも獣でもない、言わば彼女側の人間。
人間じゃない以上、人間の世界にい続ける意味も無いかも知れない。それに僕には何故こうなってしまったのか、 彼女に問いただす必要がある。そのためには、今は彼女と共にいるしかない。僕は自分の蒼い手をすっと上げると、ぎゅっと彼女の手を掴んだ。 その重ねた手は彼女の威圧的な容姿や言動とは違い、不思議と優しさを感じる柔らかさを持っていた。
「では行くぞ」
「待って!もう一つ!」
「何だ?」
「こいつらは・・・どうするの?」
僕はそう言って動物の姿になっているあいつらの方を見た。
「大丈夫だ。私がこの世界からいなくなれば私の魔力は途絶え、すぐに人間の姿に戻る。私にされたことの記憶を全て失ってな・・・ せいぜい、その自慢のモノを面前に晒せばいいさ」
彼女はそういうと含み笑いを浮かべあいつらを見ていた。
「・・・そろそろ本当に行くぞ、お互い、これ以上多くの人間にこの姿を晒すわけには行かない」
「・・・うん」
僕はゆっくりと首を縦に振った。そして彼女はゆっくりとその黒い翼を羽ばたかせると宙に浮かび上がる。 僕もみようみまねで翼をはためかせると、僕の身体もふわっと浮かび上がった。・・・翼の使い方がまるで知っていたかのように自然に出来る。・ ・・僕は・・・やはり・・・。
「さぁ、出発だ。私と、お前の本当の世界に」
「・・・うん・・・!」
僕達は手をつなぎながら、彼女の開いた空間の裂け目へと飛び込んでいった。僕達が飛び込んだ後、空間の裂け目はゆっくりと閉じ、 騒ぎを聞きつけた人間たちが目撃したのは不自然に脱ぎ散らかされ全裸になっていたあいつらの姿だけだった。
ある日突然人間でなくなった僕は、人間ではない彼女に手を引かれるまま見知らぬ世界へと翼をはためかせていた。 自分が誰なのか分からない不安の中、握られた彼女の手だけが唯一僕が知っているものだった。
戸惑いと混乱の中、そして僕は彼女と共に旅立つ。
Fascination-そしてシリウスはカプリコンと共に旅立つ- 完
※冬風書館投稿作品
しかし、久々に長い作品書いた・・・。執筆時間も短いし、いつもの自分とは少し違う感じの作品になった気が。。。