Good luck! Dog run! 第7話
【人間→獣】
町は昨夜の雪ですっかり埋もれてしまい、町の機能が麻痺しかかっている状態だった。小さな町のため、特別困るわけではなかったが、 雪に慣れていない町の人々は日が昇っても外出を極力控えていた。普通に考えればこんな日にドッグランに来る人間など居るはず無かったが、 リッコはGood luck入り口のカウンターに座り、彼を待ち続けていた。そして予想通り、彼はやってきたようだ。 入り口のドアが開いたの気付いたリッコはその方を見て声をかける。
「・・・来る頃だと思ったよ」
開いたドアの向こうに立っていたのはガクだった。ここまで走ってきたのか息も絶え絶えに肩で呼吸をしていた。 やがて呼吸を整えると単刀直入に切り出した。
「あの薬を・・・一度にたくさん飲んだ人間はどうなりますか・・・!?」
この寒い中を走ってきたため彼の体からは蒸気が上がっていた。そしてその表情から彼が困惑している事が手に取るように分かった。 リッコは顔色を変えず、淡々とした口調で答えた。
「・・・毎回、サービスの際に出している薬の量が変身の際の適量で、 それを超えて服用した場合は身体に及ぼす影響が強くて人間に戻れなくなるわ」
「・・・そんな・・・!」
ガクは深く肩を落とした。予想はしていたものの、やはり専門家の口からそう言われると衝撃は大きかった。しかし、 あの薬をこの町で扱っているのはこの店、いや今目の前に居るリッコただ1人である。 ミオにそれだけの薬を渡す事が出来る人間はこの町には彼女しか居ない。ガクは相手が女性である事も構わず、 思わず彼女の胸倉を掴み叫びかかった。
「何で・・・ミオに何で薬を渡したんですか!?このままじゃアイツは・・・犬のままってことじゃないですか!」
「・・・彼女が望んだ事よ」
「でも、何で止めなかったんだ!あんたなら説得できたはずじゃないか!」
「・・・ちょっと、アンタ!リッコさんに何やってるの!?」
突然ガクは後ろから自分を止めようとする女性の声が聞こえたため、リッコから手を離し後ろを振り返る。
「・・・邑楽・・・!?」
「相楽!?何でこんなところにいるの?入院してるんじゃなかったの!?」
そこに居たのはミオの親友であるチィカの姿だった。ガクは自分のタイミングの悪さを呪った。だが、 どうやらタイミングは思っていたよりも悪かったらしい。
「それに・・・あいつが犬のままがどうのって・・・あいつってまさか、ミオのこと!?」
・・・そこまで聞こえていたのか。ガクはチィカから目線を反らそうとするが、今度はチィカがガクに食いつくようにかかってきた。
「ねぇ、答えなさいよ!ミオに何かあったの!?」
「・・・ミオがいなくなった・・・」
「・・・何で・・・!?」
「そいつのせいだろ。多分」
今度は店の奥のほうから男の声が聞こえてきた。ガクはそれが誰なのか分からなかったが、チィカはその男の名前を呼んだ。
「シタラ・・・どういうこと?相楽がミオに何をしたの?」
「さぁね・・・俺も本人の口から直接聞きたいところだが」
「・・・」
「・・・コレで皆揃ったわね」
3人がお互いを見合っていると、リッコが間に入るようにして3人に声をかけてきた。そしてそれぞれの瞳を見つめた後、 自分の中で何かの合点がいったのか、小さく頷くと彼ら3人に呼びかけた。
「まずは3人にお互いの事・・・特にミオとの事を話し合ってもらう時間が必要ね。説明はそれからよ」
そういってリッコは3人を自分の家に入るように促した。自分の家であるシタラはさっさと家の中に戻っていったが、 ガクとチィカは少し戸惑うようにお互いの顔を見合わせた。 中々来ない二人をじれったく思ったのかしばらくするとシタラが戻ってきて二人に声をかけた。
「ぼさっとしてる暇は無いんじゃないのか?ミオのこと、本気で思っているなら」
そう告げると再び奥に入っていく。流石の二人もそう言われたら、今は兎に角入っていくしかなかった。そしてリビングに案内されると、 リッコも含めた4人が向き合う形でイスに座った。そしてリッコが3人の顔を一通り見回すと、おもむろに結論を告げた。
「・・・結論を言えば、ミオは本来変身の際に服用してもいい用量以上の薬を飲んでしまった。 もう彼女はそのままじゃ人間に戻る事は無いわ」
「そんな・・・!」
既に現実を受け止めていたガクと、話を有る程度理解していたシタラは落ち着いていたものの、チィカは親友のみに起きた突然の事に、 言葉を無くしていた。しかし、気持ちを落ち着けるとチィカはすがるようにリッコに問いかける。
「人間に・・・ミオを人間に戻す事は出来ないんですか・・・!?」
「出来るわよ」
「出来るんですか!?」
チィカは大きな声を出して驚きと安堵と不安の入り混じった複雑な表情を浮かべた。しかし、同様にガクも驚いていた。 こんなにあっさり人間に戻れるという回答が得られるとは思っていなかったためだ。だが、リッコの話はそれで終わりではなかった。
「ただし・・・時間がたてばそれは難しくなるけど」
「え・・・?」
「・・・薬が切れると人の姿に戻るのは、動物の身体はより自分にとって自然な形であろうとする仕組みが働くから、 薬によって強制的に変えている姿を元に戻そうとするからなんだけど、長く変身を続けると、 犬の姿の方が安定してしまい自力では戻れなくなってしまうのよ」
「そんな・・・じゃあ・・・!」
「人間に戻すんだったら早くしないといけないのよ。勿論、 私はこういう事態に備えて人間に戻す薬を持っているからそれを飲ませれば大丈夫だけど、時間が立てばたつほど人間に戻りづらくなり、 戻れたとしてもその後からだが拒否反応を起こして苦しむ期間が長引いてしまうわ」
「何で・・・何でそんな危険な事を、アンタは!」
ガクは思わず立ち上がりまたリッコに食って掛かる勢いだったが、その途端シタラにとめられる。
「やめろよ、相楽学。姉さんは関係ない」
「でも・・・!」
「彼女の引き金を引いてしまったのは・・・俺であり・・・お前だろう?姉さんに当たるのは間違いだ」
シタラに諭されたガクは、リッコに向けた思いのエネルギーをぶつけるベクトルを失い、クソ、と大声で叫び発散し再びイスに座った。 その一挙一動から彼のミオへの想いが間接的にでも伝わってくるのはシタラにとって複雑で心地いいものではなった。
「そうだよ・・・こんな事言い争ってる場合じゃない・・・早く、早くミオを探さないと!」
チィカのその言葉に、ガクははっと現実に連れ戻される感じがした。シタラとチィカは立ち上がり外へ出ようとしたのだが、 ガク1人がさっきまでの勢いがどうしたのか、立ち上がらずイスに座ったままだった。その様子を見たチィカがガクのそばに来て呼び叫ぶ。
「何してるの!?こんなことしている間にも・・・ミオは・・・!」
「分かっている!分かっているけど・・・」
ガクは座ったまま叫び返した。その声が僅かながらに震えている。手も、いや体も。何かにおびえるかのようで、呼吸も荒くなっている。
「・・・俺に何が出来るんだ・・・!?俺がミオを・・・追い詰めたんだ・・・ミオは・・・俺を・・・!」
「落ち着け相楽。少しは気持ちを強く持てよ。お前はミオのガイアなんだろ?」
「な・・・何でその話を!?」
ガクはシタラが突然、自分とミオしか知らないはずの話をした事にひどく動揺した。シタラはその様子を気に留めることなく話を続けた。
「・・・ミオはよく話をしてたよ。俺と一緒にいるときも、小さい自分のガイアになってくれた少年の事を。お前なんだろう?相楽学」
「・・・」
ガクは無言で答えた。その無言が肯定の意味である事を感じ取ったガクは更に話す。
「結局アイツは・・・俺と居てもずっとその少年の事ばかりをどこかで考えていたらしい。俺と居てもうわの空だったよ。俺を、 好きでいてくれてたのは本当だろうけど、結局俺はそいつの代わりでしかないのなら、それは俺にとってだけでなく、 アイツにとっても辛い事だと俺は思ったよ。・・・だから決意したんだよ。俺と彼女は一緒に居ない方がいいって」
「チョット待って!貴方たちが別れたのは、シタラの浮気じゃなかったの!?」
チィカが間に入り、逆にシタラに問いただす形で掴みかかってくる。シタラはその手を振り解き、彼女の問に答える。
「・・・別れるのに理由が必要だろ?アイツが俺を幻滅してくれるようなきっかけが」
「じゃあ・・・浮気は別れるために・・・!?」
「ぶっちゃけ、丁稚あげだよ。完全に」
「そんな、シタラはミオのこと愛してなかったの!?ミオは、確かにガクの事を想ってたかも知れないけど、 それでも貴方への気持ちだって・・・!」
「俺は今でも彼女を愛している」
「え・・・!?」
「・・・愛しているから、でも自分では彼女を幸せに出来ないと感じたから、 本当に一緒にいるべき人間の元に行くべきだと思ったから別れたんだよ、俺は」
「シタラ・・・貴方は・・・!」
「・・・最も、それがこんな男だと分かってたら別れなどしなかったが」
シタラは侮蔑のきつい視線で見つめた。・・・このシタラという男は、自分のことよりも、本気でミオのことを思っていたんだ。 ガクはその事に気付くと自分が酷く弱い人間に思えて仕方が無かった。余計に自分にミオを探す資格などないように思えてきた。
「やっぱり俺は・・・」
「・・・まだそんなこといってるのか」
シタラは呆れたようにガクの方を見つめ腕を組む。そしてしばらく無言で何かを考えた後、一つガクに質問をしてみる。
「・・・相楽、お前はミオが犬の姿になるところを見たんだよな?」
「・・・あぁ・・・」
「その時ミオはお前になんて告げたんだ?別れの言葉か?それとも、他の言葉じゃなかったのか?」
シタラにそういわれ、ガクはそのときのことを思い出す。そして彼の胸に響くミオの言葉。
・・・私を・・・見つけに来てね・・・
「自分を・・・見つけに来いって・・・」
「・・・つまり、ミオはお前を待っているんだ。俺でも、邑楽でもなく、お前なんだ。今のミオには、お前じゃなきゃダメなんだ」
シタラは諭すように、そしてどこか悔しそうにそう告げた。ガクはその言葉を聞き自問自答する。 ミオを追い詰めた自分が果たしてこのまま彼女にあってもいいのか、しかしミオは自分を待っているのだ。・・・そうだ・・・俺は・・・。
俺はミオの、ガイアなんだ。
ガクはついに決意を決めた。確かに追い詰めてしまったのは自分だ。だからこそ、自分の手でミオを救い出さなきゃいけない。 伝えたいことがたくさんあるんだ。
「・・・行こう、探しに」
ようやくガクが立ち上がると、そんな彼を待ちわびた残りの3人と揃ってシタラの家を出てGood luckの店内に入ってくる。 その時リッコから提案があった。
「探すといっても、手がかりが無いと探せないだろうからね」
そう言ってリッコは何処からか首輪を取り出してきた。それは普段ルナとなったミオがここにきたときにつけていたものだった。
「犬の姿になって、この臭いを追えば、きっと見つける事が出来るはずよ。少しでも長く変身を維持するために、 薬の量いつもよりも多くしておいたわ。人間に戻れるギリギリの量よ」
他の3人は彼女の提案に賛同し、そのまま薬を受け取ると店の奥の更衣室に入っていく。勿論男女分かれてだが。 リッコはここで薬の準備をするために待つ事になるため残り3人が犬に変身して探す事になった。そして、 ガクはシタラとともに服を脱ぎ片付け始めた。その時、ガクがシタラに話しかけた。
「・・・アンタはいいのか?」
「何がだ?」
「アンタもミオのこと・・・好きなのに・・・」
「・・・好きな女に幸せになって欲しいと考えるのが男じゃないのか?」
シタラは淡々と準備を進めながらそう答えた。自分と同じ年のはずなのに、彼のほうがずっと大人びて見えた。
「・・・よし、と」
やがて二人とも準備を終えると、薬と液体を口に運んだ。そして効果が現れるまでしばらく待つ。 いつもならこの待つ時間が変化までのプロセスの一つとしての楽しみなのだが、 今はただ急いでいる彼らにとっては不要でとてつもなく長く感じる時間だった。
ドクン・・・。
そしてようやくガクの身体に変化の合図が訪れた。彼は自らの鼓動の高鳴りに気付くと、 慣れたように手を地面につけて四つんばいになった。あらかじめこの姿勢になっていたほうが変身が落ち着いてできるというのは、 常連だから分かる事だった。
「ぐ・・・うぅ・・・」
何度も変身していても、この時の感覚から声が漏れてしまうのは仕方が無い事だった。 自らのうちに溜まるものがあふれ出るようにガクの口から声が漏れるそのたびに、変化が進んでいく。 元々がっちりしていた身体は更に引き締まり、全身を獣毛が覆っていく。毛の波は背中から首を駆け抜けて一気に顔に訪れる。 そしてその毛の波の勢いのまま顔の骨格が作りかえられていく。耳は頭頂部に移動しピンとたち、 鼻先は黒く変色しつつ顎を含めて伸びていき立派なマズルを形成する。
「ゥ・・・ガゥア・・・!」
開いた口にはすっかり尖った牙が並び、その中から長い舌が前に垂れ、漏れる声も徐々に人のものから獣の鳴き声に変化していく。 そして身体も完全に四足歩行に適したものになり、全ての変化を終えた時、そこにいたのは人間のガクではなかった。 それはウチに溜まったもの全てを吐き出すように、そして自分から離れていってしまった、 自分が突き放してしまった大切な彼女への思いを歌うように、力強く遠吠えをした。
「グゥウォーーーーォゥン!」
その遠吠えの主は1匹のシベリアンハスキー。彼は自らをガイアと名乗っていた。・・・ 人間のときも犬の姿でも惹かれあっていたのはやはり運命かもしれないと、ガイアの身体でガクは思っていた。 その運命を自分は一度拒んでしまった。そんな自分がミオに・・・ルナにあっていいのか未だに迷いもある。しかし、今はガクとして、 そしてガイアとして自分を待っている彼女に会わなければいけない。ガイアは一度身震いをすると、さっきまでシタラが居た所を振り返った。 しかしそこにはやはりシタラの姿はなく、代わりに1頭の犬の姿があった。
『・・・この姿では何度か会ってるな・・・確か』
『アンタだったのか・・・グスタフ・・・!』
ガイアは目の前に現れた犬の名前を呼んだ。 グスタフはガイアが犬の姿でここで走っていたときに何度か会っていたジャーマンシェパードだった。ガイアと同じく上下で毛色が異なり、 背は黒く、腹部は茶色のたくましい獣毛が力強く覆っていた。彼とは挨拶を交わす程度で親しかったわけではなかったが、 しかしまさかあの犬がオーナーの弟であり、自分の恋敵だったとは思っても見なかった。
『ほら、さっさと行くぞ。挨拶している余裕は無い』
『あ、あぁ』
2匹は、普段だったらそのままフィールドに出るところを、カウンターの方に戻っていった。 そこには1匹のメスのドーベルマンが待ちくたびれたようにして2匹を迎えた。
『そうか・・・邑楽がリルだったのか』
『ガク・・・ガイア・・・なるほどね』
ガイアとリルはお互いの顔を見合わせた。それでガイアとルナは惹かれあったのか、ルナとリルは仲がよかったのか、 とお互い納得していた。・・・いざこうして3匹揃ってみると変な感じだった。お互いの人間の姿を知っている分、 犬の姿になっている相手をみると、言われてみれば確かに、と思える部分も有ったが、しかしやはり人間のときとは全く異なる姿、 ギャップの方が強く感じられた。そして3匹がお互いを見つめ合っているところにリッコが現れた。 そしてまずは3匹にいつものように制限時間用のタグのついた首輪をつける。そして4つ目の首輪を取り出す。さっき見たミオの首輪だった。 3匹はそれに鼻を近づけてその匂いを記憶する。・・・ガイアの姿のときはよくそばに居てくれた彼女の匂い。 基本的に犬と人間では匂いが異なるので、匂いではルナがミオだというのは分からなかった。・・・もっと早く気付ければ・・・。 ガイアはいっそう彼女を見つけなければという想いが強くなっていた。
「いつもどおりタグがなったら戻ってこなきゃダメよ。街中で人間に戻るなんて危険だからね」
リッコは3匹に念をおした。そして3匹は玄関から飛び出し坂道を駆け下りていく。雪の積もった道に犬の足跡が3つ並んでついていく。 先頭を走り抜けていくグスタフが他の2匹に声をかける。
『折角3匹いるんだ。手分けして探した方がいい。小さな町だから、きちんと分けて絞り込んでいけば見つけられるはずだ』
2匹はウォン、と肯定の意味で一吼えする。そして坂の下の交差点で3匹はそれぞれ別れた。ガイアは白く染まった道を駆けていく。・・・ ミオなら何処に行く?どこで自分を待っている?リズミカルに4本の脚を動かし鼻を効かせるが、 コレだけの雪のせいでまともに探していたのでは見つかりそうも無かった。兎に角彼女の行きそうな場所を探すしかない。 1箇所1箇所順々に回っていく。ミオの家、学校、河川敷と足を運んだが、彼女の姿はおろか、匂いさえ見つからない。 しかし止まってなどいられない。急がなければ。ガイアは疲れなど忘れたかのように走り続ける。しかし、走れば走るほど彼の身体を寒さと、 傷の痛みが彼の体を蝕んでいく。無理をしているせいか、傷口は徐々に広がり、少しずつ、時々ではあるが白い道を赤く染めていく。でも、 止まる事なんてできない。自分の傷みに代えて、ミオを救うことができるなら。しかし、ルナは何処に居るのか。ガイアを、 ガクを待っているなら彼にもわかりやすいところに居るはずだった。もう一度思い出せ、彼女は、何処で待っているといっていたのか。 あの時の彼女が何と言っていたのか・・・。
覚えてる・・・?図書館で・・・ガイアって女神の話をしたときのこと・・・
『・・・図書館・・・!』
ガイアはその事に気付くと落ち始めたスピードを再び加速させる。・・・居てくれ、図書館に。ガイアは図書館を目指して走り続ける。 広がっていく傷口。途中の氷で切れた肉球。しかしそんな事など構わない。会いたい。ルナに、ミオに会いたい。会って言いたい事があるんだ。 やがてガイアは図書館に近づいていくにつれ、自分の鼻が記憶のある匂いを感じ取っている事に気付く。・・・ルナの匂い。やはり、 彼女は図書館の方にいるようだ。近づくにつれ強くなっていく彼女の匂い、そしてガイアの鼓動。ガイアの目にはもう何も映っていない。 彼女の匂いだけを頼りに走り始めていた。そしてついに図書館にたどり着いたガイアはその前に立つが、当然犬は図書館の中には入れない。 居るとすればこの近く。ガイアは鼻を頼りに彼女の姿を探した。そして図書館の裏手に回る。そこは小さな公園のようになっていて、 昔二人は図書館で本を読み終えた後はよくそこで時間を潰していた。ガイアはその公園の中を目を凝らしてよく探す。・・・そして、 太陽で銀色に反射する一面の雪の向こう側に、更にその光を受けて黄金色に毛を輝かせる1匹のゴールデンレトリーバーが居た。 初めガイアは思わずその美しさに見とれてしまったが、やがて心を落ち着かせると1歩1歩ゆっくりと公園の中に入っていった。 直後に音と匂いで気付いたのかレトリーバーがこちらを振り返る。やはりそれはルナだった。ルナは笑顔で彼を出迎えたが、 しかしその笑顔はどこか疲れきったような愁いを含んでいた。
『ガイア・・・来てくれたんだね・・・』
その言葉がガイアを、いやその中のガクの部分を強く締め付ける。ガイアは彼女に1歩ずつ近づいていく。 そして近くで再びお互いを見つめ合う。まさか、こんな形で向かい合わなければいけなくなるとは、出会った頃は思ってもみなかった。 ルナは笑みを崩さず話し続けた。
『・・・リッコさんから聞いたかな・・・私ね、ルナとして生きてく事決めたの。この姿の方が私にあってるかなって』
『・・・ミオ・・・』
『ガクがね、私が・・・ミオがそばに居ると辛くても・・・ルナとしてなら一緒にいられるかなって』
『ミオ・・・俺は・・・』
『だからさ、私を飼ってよ。そうすればガクの時はペットとして、ガイアの時は・・・』
『・・・ミオ!』
ルナの話を遮るようにガイアは彼女の中のミオに向かって叫んだ。ルナはその声を聞き、少し顔を下げると僅かに笑顔が崩れ始める。 そしてその声も震え始める。
『・・・どうして・・・その名前で呼ぶの・・・?』
『ミオ、もう・・・いいんだ・・・』
『ルナって呼んでよ・・・私はルナだよ、ミオじゃない・・・!』
『ミオ、戻ろう。リッコさんが薬を用意した。今ならまだ人間に戻る事ができる。だから・・・』
『・・・何で・・・ルナとしても・・・貴方のそばに居ちゃいけないの・・・!?』
『違う!俺は・・・ミオに戻ってきて欲しいんだ!』
『私に・・・ミオに居場所なんて無いじゃない!』
そう言ってルナは後ろを振り返りその場を走り去ろうとした。が、その時ガイアが力を振り絞り彼女に飛び掛り、そのまま押さえ込んだ。 ルナがそれから逃れようとするうちにルナは仰向けになり、その上にガイアが覆いかぶさる形になった。それでもルナは必死でもがく。
『放してよ!もう・・・私に居場所なんて・・・!』
『・・・絶対に放さない・・・!』
『何でよ、私はもう・・・!』
『俺はもう・・・お前を失って・・・後悔したくないんだ・・・!』
ガイアは呼吸を荒げて息も絶え絶えにそう答える。その時ルナは自分の柔らかな小麦色の毛の一部が赤く染まっている事に気付く。 それは目の前のガイアから流れているものだった。その事に気付いた瞬間、ガイアは力なく膝を折り、 ルナの上に重なるように覆いかぶさってしまう。ルナはとっさにうまく前足を動かし彼を支えるようにする。
『・・・ガク!?・・・傷口開いてるじゃない!』
『・・・少し・・・無理しすぎたか・・・』
『どうして・・・どうして・・・!?』
『言っただろう・・・後悔したくなかったんだ・・・』
ガイアはルナの耳元でそう囁いた。倒れこんだ事で2匹の顔はかなり接近していた。ガイアは途切れ途切れになりながら話を続ける。
『・・・あの2年前の事故・・・俺は、お前を守ろうとした・・・けど、お前は身体と心に傷を負ってしまった・・・』
『でも・・・あれは仕方が無かったよ・・・?』
『あぁ・・・仕方が無かった・・・だが、その時気付いたんだ・・・どんなに守ろうとしても守れない時がある・・・』
『・・・ガク・・・』
『だから怖かった・・・俺がお前を守りきれずに、お前を守ろうとした俺の目の前からお前が居なくなるのが』
『・・・』
『だったら・・・お前が・・・俺の前から居なくなれば・・・そういう関係でなくなれば・・・ お互いに辛くないのかもしれないって思った・・・自分の無力でお前を失うのが怖かった・・・』
『ガク・・・私は・・・!』
ルナは言葉が詰まった。ガクは自分を思っているから、自分を突き放したのだと気付き、その事で胸が一杯になる。でも、それでも。
『私は・・・それでもガクのそばにいたかったの・・・!貴方を失うという事自体が・・・考えられない事だった・・・』
『・・・そうだな・・・やっと分かったよ・・・』
『・・・ガク・・・?』
『目の前でお前が・・・ミオがルナになって、リッコさんからお前が人間に戻れないって聞いた時・・・頭の中が真っ白になった。 その時分かったんだ。お前が居ないってことは、俺にとって全てを失うのと・・・同じだったってことが』
『・・・』
『・・・ルナ、戻ろう。俺にはまだ・・・いやこれからこそ、ルナも・・・ミオも必要なんだ。』
『・・・いても・・・いいの・・・?』
『ミオ、一緒に探しに行こう。俺とお前の居場所を。二人で・・・二人のために』
『ガク・・・!』
ガイアは再び脚に力をいれゆっくりと立ち上がる。その彼をルナが前足で助けた。 そして完全に立ち上がるとガイアは下を向きルナの顔を見つめる。そしてゆっくりと問いかける。
『・・・さぁ、早く行こう。本当に長引くと人間に戻れなくなる』
『・・・ゴメン』
『・・・え?』
『ゴメン・・・少しだけ・・・待って』
『何言ってるんだこんなときに!?』
『分かってる・・・人間に戻るのが辛くなるのも、貴方の傷をほうっておくわけには行かないのも・・・だけど・・・』
『・・・?』
『もう少しだけ・・・今の貴方を感じていたいの・・・このまま・・・少しだけでいいの・・・』
『・・・辛くなるのは・・・お前だぞ・・・?』
『分かってるけど・・・もう少しだけ一緒に居させて・・・私も怖いの・・・だけど・・・だから・・・!』
『・・・分かった・・・少しだけだぞ・・・』
そう言ってガイアは首をゆっくりと下げルナの顔に近づいていく。ルナもその事に気付き、自分の首を少し上げ、瞳を閉じる。 そして首を少し横に傾けてお互いの鼻がぶつからないようにして、ゆっくりと、静かに、優しく、お互いの唇を重ね合わせた。 それは全ての時が止まり、また止まっていた時が再び動き始めた瞬間だった。相手の鼓動が、ぬくもりが、心が唇を通して伝わってくる。 そしてガイアはそのまま再び膝を折り曲げ、ルナの身体に覆いかぶさるように自分の体を重ねた。近くに居たはずなのに、 ずっと離れ離れになっていた2匹のの心は身体と共に、今再び1つになった。2匹はこの幸福な時間が何時までも続く事を願っていた。・・・ 永遠でない事は分かっている。長く居ればお互いの身体への負担が大きい事も分かっている。でもせめて、ガイアのタグが鳴るまで、 絶対的な制限時間を越えるまではこのままで居続けようと考えていた。白く冷たい雪の公園の中、 光を受けて金と銀に輝く2匹は重なり合うお互いの体温を強く感じていた。2匹は雪の冷たさなど感じては居なかった。
Good luck! Dog run! 第7話 完
第8話に続く
さぁ!コレでμに戻れる・・・あ、PBE後編が残ってるかw
シタラもまた見事と言いますか。
そして、己を悔い、そして行動しようとしたガクも。
補足と後日譚…もう早々つらい話はないと思いますが、良いシメを期待します。
コメント有難う御座います。相変わらず自分はTFの皮を被った恋愛をコレでもかといわんばかりにストレートに書いてますね。書いてて恥ずかしいぐらいが丁度いいみたいですw
>良いシメを期待します
ご期待にそえるか分かりませんが、いよいよ最終回です。お待ちくださいね