Good luck! Dog run! 第6話
【人→獣】
「ガイア?」
「そう、地球の女神の事だってさ」
少年は図書館で見つけた分厚い本を少女に開いて見せた。
「ふぅん・・・女神って言うには・・・ちょっと可愛くない名前だね」
「確かに、どっちかって言うとかっこいい系だよな、響きが。結構よくないか?ガイア。ガイア、うん」
「何一人で言ってるのよ」
少女はそんな少年を笑った。少年は少しむすっとして少女から本を取り返し、再びその本を読んでいく。
「・・・で、その女神の名から取ってガイアを地球自体を指すこともあるらしいんだ」
「つまり私達は、ガイアに支えられているって訳ね」
「そゆこと。でもさ、何かそう考えると、地球って凄いよな」
「私たちをずっと守り続けてるんだよね」
「・・・俺も、誰かを守れる人間になれるかな・・・?」
「・・・柄じゃないね」
少女は冷ややかな目で少年を見つめた。少年は自分でも普段とは違うそんなセリフを言ってしまったことを少し驚き戸惑った。
「な、何だよ!いいだろ別に!」
「はは・・・嘘嘘。今のガク、格好よかった」
「・・・」
「じゃあさ、ガクが私のガイアになって」
「・・・はぁ?」
「私に何か有ったらその時私を守ってよ。そしてガクに何かあったら私が守ってあげるから」
「ミオ・・・」
少年と少女はお互いを見つめあい、少し子供じみてはいたがお互いの約束を誓うため小指を差し出し、交え指切りをした。 二人は互いの笑顔を当たり前の幸せだと思っていた。絶対に、この幸せな時間に終わりなど来ないと。
(・・・今更・・・こんな懐かしい思い出を夢で見るなんて・・・)
ミオは目覚めたばかりでぼうっとする頭を少しでも働かせて今の自分の状況を思い出す。たしか、自分に対して車が突っ込んできて、 そしてガクが自分をかばって・・・。
(・・・約束は・・・守ってくれているってこと・・・かな・・・?)
お互いを守る。あの日ガクと交わした約束。あの事故のときも、そして今回も、ガクは命がけでミオの事を守ったのだ。ミオはふと、 左肩の傷を見つめる。
(ガク・・・)
冷静に考えれば分かりそうなものだった。2年前のあの事故、ガクはミオを覆いかぶさるようにしてかばった。 それでも彼女は左肩に傷を負ってしまった。それならそれと同じような傷が、覆いかぶさっていたガクの右肩にも出来て当然だったのだ。 証拠は無いが、ミオの中では全ての点が線でつながり、それに確かな確信があった。ミオは自分の気持ちを整理し、辺りを見渡す。そうだ、 ここは病院の待合室だった。怪我の軽かったミオは簡単な治療を受けたあとすぐ帰ることも出来たが、 やはり自分をかばって怪我をしたガクの事が気になりそのまま病院に泊まったのだった。ミオは自分が眠っていたイスから立ち上がり、 ガクの病室のほうへ歩いていった。そして相楽学と書かれた病室を見つけ、ドアをノックし中に入った。そこにはベッドで横になっているガクと、 彼の母親の姿があった。ミオは二人の姿を見るとまず真っ先に深く頭を下げて謝罪した。
「ごめんなさい・・・!」
「ミオちゃん、いいわよそんなこと。頭を上げて」
「でも・・・!」
「ほら、貴女だって怪我してるでしょ?本当は貴女だって家に帰って寝ていなきゃいけないのに。まぁ、 ユウコさんには私から連絡しておいたから大丈夫だけど、心配してたわよ」
「母さん・・・忙しいから・・・」
ガクの母親が立ち上がりミオのことを抱きしめるように身体を寄せた。しかしガクはそんなミオのほうを見向きもせず窓の方を見ていた。 どうやら命に別状は無いらしい。切り傷と打撲、頭を強打したものの、状況からするといずれも軽いらしく、 大事を取って入院する事にはなったが、なんともなければ数日もすれば退院できるようだ。しかしミオはその姿を見て心が痛くなった。 自分のせいでまたガクが傷ついてしまった。そんな自分が許せなかった。更に彼に近づきもう一度謝った。
「ガク・・・本当にゴメン・・・!」
「・・・謝るんだったら最初からふらふら歩いてるんじゃねぇよ」
「ゴメン・・・ゴメン・・・!」
「うるさいな・・・用が済んだんならさっさと帰れよ。鬱陶しい」
「学!やめなさい!」
ガクのその態度に彼の母親はそれを咎めた。ミオは本当に申し訳ないという気持ちと、彼のその態度を受けてからか、 目から涙がこぼれて止まらなくなっていた。
「ゴメン・・・私のせいだよね・・・私が・・・私がガクを苦しめているんだよね・・・?」
泣きながらの乱れた呼吸の中、途切れ途切れになりながらミオは胸に詰まった思いを吐き出す。私の約束のせいで、 私を守るためにガクは傷ついた。私がいるから、ガクは・・・。
「だから・・・私・・・いない方がいいんだよね・・・?」
「・・・!」
ガクはミオのその言葉に反応したが、しかし表情を変えることなく、そして何も語ることなくただ彼女の方を見ないようにしていた。
「ゴメンね・・・ガク・・・私・・・もう貴方の前には現れないようにするから・・・!」
そう告げるとミオは病室を飛び出していった。
「ミオちゃん待って!」
ガクの母親が彼女をとっさに止めようとしたが、自分の息子のせいで心を痛めている彼女を追う事が出来ず、 彼女が廊下を走っていく音を聞く事しか出来なかった。そして彼女はガクの方を振り返り諭すように語り始める。
「学・・・父さんが亡くなってから、母親らしい事して上げれてないのに母親面するのは悪いけどね・・・」
「・・・」
「今のあんた・・・格好悪いわよ。男の子として」
「うるせぇよ・・・母さんも出ていってくれよ。少し・・・1人になりたい・・・」
「・・・分かったわ」
母親はそのガクの言葉を聞くと、荷物を片付けてそれから一言も告げず彼の病室から出て行った。そしてガクは窓の外を再び見つめる。 今日は昨日までよりも少し暖かいらしく、ここ数日振り続けた雪に変わり、まるで梅雨の時期のような雨が降り続いていた。
「・・・クソ・・・何でこうなるんだよ・・・!?」
ガクは一人になった病室で人知れず思いを口からこぼした。
ミオはただガクのそばに居たいだけだった。それは小さい頃からずっと、変わらない関係だって信じていた。だから2年前、 ガクから突き放された時はどうしていいか分からなくなり、寂しさを紛らわすようにシタラと付き合っていたが、 一連の事から恋愛感情に盲目になっていた彼女にはシタラの浮気を見抜く事が出来なかった。そして、支えにしていたシタラとも分かれ、 ガクからは再び突き放され、ミオは自分の居場所が分からなくなり始めていた。自分は何処に行けばいいのか。いや、 自分に居場所なんて始めから無かったのではないか。その答えを探すようにミオは無我夢中で雨の中、雪解けでグチャグチャの道路を走り続けた。 いく宛なんて無い。ただただ無意識で走り続けた、つもりだった。しかし無意識のはずだったのに、 或いは潜在的に今のミオにとっての心の支えが何なのかということに導かれたのかもしれない。彼女は、Good luckの前に来ていた。 その時たまたま店からシタラが出てきた。彼は店の前に雨でびしょびしょに濡れたミオの姿を見つけ思わず駆け寄った。
「何してるんだよ、こんな時に!?」
シタラは彼女の肩を掴み俯いていた彼女の顔を見つめた。シタラに声をかけられてようやくミオは顔を上げると、 突然シタラに抱きついてきた。
「な、何やってるんだよ!?俺はもうお前とは・・・!」
「分かってる!こんな事・・・シタラを困らせるだけだって分かってるの!でも・・・ゴメン・・・少しだけでいいの・・・ このままでいさせて・・・」
「・・・分かったよ・・・」
シタラは自分に抱きつくミオの腰に手を回し、彼女を雨から守るようにしっかりと彼女を抱きしめた。シタラは何も聞かず何も言わず、 ミオが自分の胸の中で泣きやむのを待った。今の二人に恋人と言う昔のようなつながりは無かったが、 だからこそお互いどこかで引き寄せあうのかもしれない。シタラは深くため息をつき、空を見上げた。雨は当分やみそうに無かった。
「すみません・・・突然お邪魔してしまって・・・」
「いいっていいって。しかし、ミオが義弘の元カノだったとはねー。ご近所は狭いね」
リッコはそういいながらコーヒーをカップに注ぎ、それをミオに渡した。ここはGood luckの裏にあるリッコとシタラの家のリビング。シタラの胸の中で全てを吐き出すように泣き続け、 ようやく落ち着いたミオはそのままシタラに連れられてGood luckの店内から奥に進み、 一つながりになっている廊下を進んだ奥から繋がっている、シタラの家で雨宿りをさせてもらっていた。しかし、 店の奥にこんな家があるとは気付かなかった。ミオはそんな事を考えながらリッコから渡されたコーヒーを口に運んだ。 雨に濡れてすっかり体温が下がっていた彼女にはこのコーヒーが身体にしみるようだった。そんなミオの姿を見つめていたリッコだったが、 何となく話を切り出してみた。
「・・・一体どうしたの?私でよければ相談に乗るよ?」
「え・・・でも・・・」
「大丈夫、義弘は用事があって貴女をここに連れてきた後すぐに出かけていったし。まぁ元カレの姉に相談ってしづらいかもしれないけど、 女同士だから聞ける悩みかもしれないかななんて思ってさ。ミオよりかは私長く生きてるし力になってあげられないかなって」
リッコは優しい笑みを浮かべながら彼女を見つめた。ミオはその言葉を聞いて、すがるように自分の思いをぶつけた。
「分からなくなったんです・・・」
「・・・何が?」
「・・・自分の・・・居場所です。私はただ居場所を求めているだけなのに、周りの人を傷つけてしまって・・・」
「・・・それは辛いね・・・」
「私なんて・・・ミオなんて人間・・・いない方がいいのかな・・・?」
ミオの目には再び涙が溢れ始めていた。自分を自分で否定する。ミオの心はそれほどまでに追い詰められていたのだった。 リッコは彼女を無言でしばらく見つめていたが、ミオの呼吸が少し落ち着くのを待つと、突然一つ提案をした。
「だったらさ・・・実際にいなくなってみるのはどうかな?」
「・・・え?」
「ミオとしての居場所が見つからないんだったら、他の貴女としての居場所を見つけるの」
「他の私・・・?」
「・・・実際貴女はもう見つけてるんじゃない?自分の今居るべき場所を」
ミオはリッコにそう告げられて頭の中で考えをめぐらせた。ミオとして、 人としての居場所を見つける事が出来ないのなら他の居場所を見つければいい。・・・そう、 今のミオにはミオとしているよりもずっと落ち着くことが出来る居場所があったのだ。ミオは無言で考えていたが、 しばらくして無言のままリッコを見つめ返した。その瞳には哀しげな決意が宿っているように見えた。リッコもまた無言で答え、 彼女の決意を受け止めた。
夜の病院は静けさそのものだった。静けさは人の時間を長く感じさせた。ガクはベットに横たわり天井を見つめ続けていた。 何もする事が無い。する気も無い。しかし時間は何時までたっても過ぎていかない。眠くも無い。ただむなしく天井を見つめ続けるだけだった。 見つめながらも色々なことが頭を去来するがそれは彼の心をきつく縛り付けるだけだった。やがてそれも虚しくなり、 何気なく寝返りを打ってみたとき、部屋の入り口に人影があることに気付いた。始めは誰だか分からなかったが目を凝らしそれを見つめ、 やがてその名前を呼んだ。
「・・・ミオ・・・?」
「ガク・・・」
「・・・もう、現れないんじゃなかったのか?」
ミオは彼に名前を呼ばれるとゆっくりと部屋に入ってきた。そして哀しげな瞳でガクを見つめていた。
「ゴメン・・・最後に・・・もう一度だけ会いたくて・・・」
「・・・?」
どこか言葉に力の無いミオに、ガクは急に言い知れない不安を感じた。自分から突き放しているはずなのに、胸を、 心を不安がかげり拭えない。怖い。それが何なのか分からないが、兎に角何かに対して自分がおびえている事に気付いた。 ガクは必死でその事を隠すように、表情を出さないようにしていた。するとミオはゆっくりと小さな声で話し始めた。
「覚えてる・・・?図書館で・・・ガイアって女神の話をしたときのこと・・・」
「・・・あぁ、そんな事も有ったな・・・」
「ガクは私を・・・私はガクを守るって・・・約束したんだよね・・・」
「・・・」
「でもそれが・・・ガクの事を苦しめているなら・・・私・・・居ない方がいいよね・・・?」
そんな事は無い。ガクはその一言がいえなかった。今、それを伝えないと後悔する気がしてならない。しかし、どうしてもその一言が、 彼女を再び受け入れる事が出来ずに居た。ガクが自分の中で葛藤をしていると、突然ミオが雨で濡れた服を脱ぎ始めた。
「な、何してるんだよ!?」
突然の奇怪な行動にガクは焦りを見せたが、やがて目の前には一糸纏わぬ柔らかなラインを持つ女性の身体があらわになった。 ガクは流石に直視できなかったが、その時彼女の手に何かが握られている事に気付く。そしてミオはゆっくりと告げる。
「ガク・・・」
「・・・?」
「・・・私を・・・見つけに来てね・・・」
そういって彼女は握っている手を開いた。そこに握られていた物に、ガクは見覚えがあった。
「お前・・・何でそれを・・・!?」
それはGood luckで犬に変身する時に飲む錠剤と液体だった。しかし、錠剤の数が普通の何倍も有った。 そしてミオはそれを一気に口に運んだ。
「おい、何してるんだよ!?やめろ!」
ガクは必死で彼女を止めようとベッドから起き上がろうとしたが、傷が痛み思うように身体が動かせなかった。 そうしているうちにも彼女は全てを飲み込んでしまった。そして哀しげな瞳でガクを見つめ、しかし最後だけ少し笑顔を見せて小さく呟いた。
「ガク・・・ずっと・・・一緒に・・・いたかった・・・!」
「・・・ミオ!?」
そう告げ終えたときにミオの身体に変化が訪れた。ガクの目の前でミオの姿が崩れていく。 突然地面にうずくまったかと思うと全身を小麦色の毛が覆い始め手足が短くなっていき、 やがてそれは4本の脚となりその脚でしっかりと立ち上がる。尻尾は寂しげに垂れ下がり、顔も変化し鼻は前に突き出し、 口元から舌がゆっくりと垂れた。そして変化が終わり、目の前に現れたゴールデンレトリーバーを見てガクは唖然とした。・・・まさか、そんな。 ガクはしばし言葉を失ったが、やがて小さくそのレトリーバーの名を呟いた。
「・・・ルナ・・・!?」
嘘だ。嘘だ、嘘だ。ミオがルナだった。ガクはその事実を受け入れる事ができなかった。一方ルナとなったミオは、 ガクが自分をルナと呼んだことで、自分の考えに間違いが無かった事を確信した。そして犬になってもその瞳には悲しみが浮かんでいた。そして、 全身をゆっくりを震わせた後、伸びをし、体の底から全てを出すように声を上げた。
「ウゥウォーーーーォウン!」
それは深い悲しみを含んだ遠吠えだった。病院中に彼女の遠吠えが響き渡る。やがて遠吠えを終えたレトリーバーはガクの方を振り返る。 驚きと焦りと、後悔の表情を浮かべる彼の姿がルナの心を締め付ける。しかし、もう決めた事。 レトリーバーは彼を背にして病室から飛び出していった。
「待ってくれ!ミオ!?ミオ!」
「相楽さん!何の騒ぎですか!?」
病室を出て彼女を追いかけようとしたガクの前に、さっきの遠吠えを聞きつけた当直の看護婦が立ちはだかった。 ルナの姿は既に廊下には無かった。
「あ、あの・・・いえ・・・」
ガクは口から出るのが言葉にならなかった。ミオがルナ。その事実をどう自分の中で捉えればいいのか分からなかった。 病院はいつの間にかさっきまでの静けさを取り戻していたが、ガクの心は静まり返ることなく、戸惑いと焦りが去来し続けていった。
リッコはミオに説明した。変身に制限時間を設けているのは、それを超えると人間に戻れなくなってしまうからであり、 そのために処方する錠剤の量を調整している。つまり錠剤の量を必要より多く飲めば犬に変身したまま人間に戻れなくなると。しかし、 人間としての居場所を見つけられないミオはそのリッコの説明を受けて決意した。人間として居場所を見つけられないなら、 ミオとしての居場所が無いなら、ルナとして生きようと。
『ガイア・・・ガク、私に会いに来て・・・私を・・・見つけて・・・!』
外は夜になりすっかり冷え込み、雨はいつの間にか雪に変わっていた。病院を飛び出したルナは夜の街を走り抜けていく。 うっすらと積もった雪の道を犬の足跡が続いていく。しかしその足跡も次々と降り続ける雪に消されていった。 その夜はその町でも記録的な大雪となった。
Good luck! Dog run! 第6話 完
第7話に続く
しかし初の1日2作品ですよ。今月は本当に密度濃いですね。既に1ヶ月の作品数を公開していますよ。身体が持つのでしょうか?(弱気
とは言えこの展開…色々予想していたとは言えきびしく、切ないですね。
このまま時間切れで二人が犬として生きると言うのも選択ですが、今回ばかりは絶対に戻って欲しいです。
そうでないと、本当の意味での「再生」にはならない気がして…。
どちらにしても決着、心待ちにしています。
お読みいただき有難う御座います。そうですね、体調管理に気をつけて、自分のペースで公開して行きたいと思います。
果てしてミオ=ルナはこのまま人間に戻れなくなってしまうのか、それはガクの本当の気持ちに答えがあると、今言える限りではそんなところでしょうか。次回全ての二人の関係への答えを出す予定なのでお待ちくださいね。