パラベラム 後編
【人間→獣】
まずは落ち着いて考えることに努めた。
私がいるのは、ザールブリュッケン2番ドームの通路。私がここに来たのは、”トラウアー”鎮圧のため。ここで”トラウアー” の大量発生が起きたためだ。
”トラウアー”が大量発生するほどのガスが、ドームには蔓延していたはず。そのドームと通路を隔てていたゲートは今壊され、 当然中のガスがこちらに流れ込んでくることなんて、容易に想像できたはず。
なのに、私の腕は今、黒い怪物のものへと変貌を遂げている。
「うっ・・・!」
そもそも、”トラウアー”と戦う前には、何時だって直前にマスクをつけることが習慣になっていたのに。
何故、今日に限ってそれが出来なかった?何故いつも通りに行動できなかった?・・・いや、考えるよりも先に、動かなければ!
「このっ・・・!」
私は、まだトラウアー化していないもう一方の手でナイフを取り出し、瞬間的にトラウアー化した手を切り落とそうとした。 トラウアー化が起きている腕さえ無くなれば、トラウアー化を抑えれると思ったからだ。だが、私がナイフを振り下ろそうとした瞬間、 誰かが私の手を止めた。
「ダメだ、リサちゃん!」
「タツナミ中尉・・・!」
彼は振り上げた私の手を握り締め、とっさにナイフを奪い取った。そして、ぐっと私を抱えるように腕を回してくる。・・・彼の温かさが、 今は怖かった。
「放して下さい!私、私は・・・!」
「自分に絶望しちゃダメだ!自分を、否定しちゃダメだ!」
「いいから、離れてよ!」
私が叫んだ瞬間、ふっと私を抱え込んでいた、タツナミ中尉の体温と重みを感じなくなった。次に、私の黒く大きな腕が、 私自身気付かぬ間に振り上げられていたことに気付き、更にその爪先に・・・赤いものが滴っていることに気付いたのは、遠くの通路の壁から、 大きな衝撃音が聞こえるのと同時だった。
「あ・・・あぁっ・・・!?」
”トラウアー”の感覚が鋭敏だとは、教わってはいない。だが、私は今、自分の黒い腕から滴る赤い液体の匂いから、 それが誰のものであるのか、瞬間的に感じ取ることが出来た。・・・自分に絶望するな、と言うほうが難しかった。 自分のしでかしたことの大きさを、最悪の形で思い知らされた今は。
「私、私が・・・タツナミ中尉を・・・!?」
元々銃まで向けた相手だった。引き金をもっと早く引いていれば、同じことにだってなっていたかもしれない。・・・だが、 きっと私は最後まで、引き金を引かなかった。・・・引けなかっただろう。
自分が始めて信頼した隊長を手にかける等、私に出来るはずが無かった。じゃあ、私は今何をした?何故私にそれが出来た?
答えは簡単だった。私が、私でなくなっていたからだ。
「違う・・・私は人間・・・私は、私だ!・・・”トラウアー”に、なんか・・・!」
口でいくらそう言っても、既に私の身体は私のものでなくなりつつあるから、私の意志には従ってくれない。黒く忌まわしいソレは、 私の身体を包み込んでいく。
「・・・どうだい?自分が今まで”殺してきた”奴等と、同じ姿になる恐怖は?・・・あ、あまり恐怖を感じすぎてもいけないよ? 進行が早くなるだけだから」
耳に聞こえたのは、テオバルト・ケプラーの声だった。彼は変わらず穏やかな表情を浮かべながら、私に近づいてこようとした。だが。
「それ以上動くな!・・・これ以上『パラベラム』に手を出せば、貴様の首を刎ねる!」
テオバルト・ケプラーの前に立ちはだかったのは、ライオン獣人の姿をしたマリオンだった。鋭い爪を首筋に当てて、牙をむき出しにして、 鬼の形相で睨みつけていた。
「・・・マリオン。いいのかい?隊長もカジミールも・・・君にこんな事、命令してはいない」
「黙れ!命令よりも・・・守らなければならないものはある!」
「・・・リサ・フクニシを守るのは君の役目じゃないし、僕は何もしない」
「何を・・・!?」
「僕は彼女に、何もしていないし、何もしないし、何も出来ない。・・・彼女に何か出来るのは・・・ただ一人だけさ」
テオバルト・ケプラーは、”トラウアー”化が進行する私をチラッと見たあと、すぐに振り返り崩れ落ちた通路の壁を見た。 彼につられるように、私も自由が利かなくなりつつある自分の身体を強引にひねり、その壁の方を見た。私の目線の先には、 ゆらりと立つ人影が見えた。自然と、私の口から彼の名がこぼれた。
「タツナミ・・・中尉・・・!」
「・・・リサちゃん」
私とタツナミ中尉の距離は今、かなり離れていた。しかし、彼が小声で私の名を呟いたのが、確かに聞こえた。 普通なら聞こえることの無い距離だ。やはり、感覚が研ぎ澄まされているようだ。
「・・・このくらいの声でも・・・今の君なら、聞こえるかな・・・」
続けてタツナミ中尉の声が聞こえてきた。それは恐らく、私に向けられている言葉だろう。
「僕は、やはり甘いのかもしれない。隊長として、不適格かもしれない。判断が鈍くて、首尾が一貫していないかもしれない。・・・でも、 僕のすべきことは仲間を守ること。その信念に揺らぎは無い」
「中尉・・・!」
「だから・・・君に見てほしい。僕の力の・・・”本当の代償”を」
本当の代償。タツナミ中尉のその言葉が、私の耳に残った。・・・彼の竜人への変身を”力の代償”だとすれば、”本当の代償” とはどういうことなのか。頭を働かせて考えようにも、私の身体は徐々に黒く蝕まれつつある。哀しみや、 嘆きを考えないようにするだけで精一杯だった。変わりゆく、人間ではなくなっていく自分を誰かに・・・ 特にタツナミ中尉に見られるという苦痛で、私の心が絶望してしまわないように。
だからこその発言だったのかもしれない。人間ではなくなっていく私に、人間ではなくなることの意味を、伝えようとしたのかもしれない。
遠くで構えるタツナミ中尉の姿が、グラっと歪み始めた。今まで何度も見てきた、あの変化だ。彼の顔が前へと大きく突き出し、 緑色の皮膚で覆われていき、彼の優しげな顔を恐ろしい怪物の顔へと作り変えていく。
「グウォォォォ!」
大きく開いた口に牙が生え揃い、髪の毛は黄金色へと変色しながら長く伸びていき、たてがみとなっていく。 緑色の硬い皮膚は全身を覆っていき、彼の身体が一回り大きくなる。・・・それはいつも通りの変化のように見えた。だが、徐々に彼の発した” 本当の代償”が現れ始める。・・・私の知らない変化が、始まっていた。
私の知っているタツナミ中尉の変化は、ドラゴンに近い姿に変身するものの、四肢の長さなど全身のバランスは人のそれのままであり、 あくまで”強化”という印象だった。だが、今の彼は違った。全く異なるものに・・・人ではない、真に言葉通りの怪物へなろうとしていた。
「ガァァァッ!」
痛々しい咆哮を上げながら、彼の首が長く伸びていく。まるで腰元から伸びる尻尾のように、長く太い首へと変化していく。 身体全体の変化もいつもと違う。手は物が掴めなくなるほど指が短くなり、指先からは白く鋭い爪が姿を現した。腕や脚もいつもより太くなり、 人のシルエットから遠く離れていく。そしてついには背中から何か生えたかと思うと、見る見る間に長く伸びて大きな膜を張り、 大きな翼へと変化した。そしてタツナミ中尉・・・だった怪物は手と呼べぬ形に変化した前足をゆっくりと地面につけて4本の足でその場に構え、 翼を力強く広げながら体を反らし、大きな口を開いて一つ短めに吼えた。
「グウォウッ!」
大きな翼。大きな尻尾。長い首。そこに私の知る中尉の姿は無かった。いつもの竜人の姿は、まだ彼の人間くささと言うか、 持っている雰囲気から、姿が変わっても彼であることを容易に認識できた。しかしそこにいるのは紛う事の無い一匹の怪物。 鋭い爪を持つ4つの足で地面を掴むそのドラゴンは、変わり果てたその姿で唯一面影を残す、その優しく、厳しく、力強い目で私を見据えた。
「中・・・尉・・・!」
「・・・グルゥ・・・」
完全なドラゴンとなった彼の長い耳には、私の声が聞こえたはずだろう。だが、彼から聞こえた声はまるで獣の唸り声だった。・・・ 人の言葉を発することも出来ないのか。人間の要素が何一つ無いその姿が、彼の言う”本当の代償”なのか。
そして彼は一つ鼻から息を吐き出すと、翼を一つはためかせ、地面を力強く蹴り前へと飛び出した。 私に向かって彼は素早く低空飛行で飛び込んでくる。
「う・・・あぁっ・・・!」
しかし、私の姿ももう・・・人のソレとは程遠いものになっていたはずだ。黒いソレは私の顔以外を覆いつくし、 そして顔を覆い私が完全な”トラウアー”となってしまうのも時間の問題だった。・・・そうなったとしても、ドラゴンと化した彼なら簡単に、 暴走する私を止めて、殺してくれるはずだ。それでよかった。彼に銃を向けた私にはそれぐらいの報いはあって然るべき。頭では、 まだそこまで考えることは出来た。
でも。
嫌だ。
・・・”トラウアー”になんか、なりたくない・・・!
私はまだ、何もしていない。何も出来ていない。何も言えていない。私は彼に、何一つ出来てやしない。このまま終わるなんて・・・嫌だ・ ・・!
気付けば”トラウアー”の鋭い爪を持った禍々しい手は、自分に向かって来るドラゴンへと伸びていた。その瞬間に聞こえた、 ドラゴンの叫び声。
「グウォウッ!」
ただの、猛々しい獣の咆哮だった。だけど私の耳には確かに、私の名を叫ぶ彼の声が聞こえた。気付けば私は、 自分でも意識しないまま自然と叫んでいた。
「ディルク!」
私が叫びきるのが先だったか、私の鋭い爪とドラゴンの爪が触れ合うのが先だったか、 或いは私の視線が黒いものに覆われて視界と意識を失うのが先だったか。私には分からなかった。
ただ一つ分かったこと、それは私が完全にトラウアーと化してしまったことだったが、それもまた、意識を失うのと同時だった。
そして、私は、その場所からいなくなってしまった。
だけど。
気付けば私は意識を取り戻していた。私はゆっくりと目を開き、辺りの様子を確認しようとする。だが、周りは全くの暗闇で何も見えない。 自分が目を開けているかどうかさえ分からないほどだ。ここがどこなのか気になって、辺りを確かめるため歩き出そうとするが、 すぐに何かに足を囚われて止まってしまう。・・・どうやら手足に何か、”かせ”のようなものがついているようだった。
「何・・・何がおきているの・・・ここは・・・一体・・・?」
『ここは君の心の中さ』
うろたえる私の声を遮るように、聞こえてきた声。・・・聞こえたというよりは、頭に響いた・・・と言う感じがしたが、 それは毎日のように聞いていた、あの優しい声だった。私は慌てて声のした方を振り向いた。・・・しかしそこにいたのは、私のよく知る”人” ではなかった。緑色の硬い皮膚。大きな翼に鋭い爪。四本の足で私に歩み寄る、ドラゴンの姿だった。
それが誰なのか、私は理解している。理解しているが、認めるのが少しだけ怖くて、恐る恐る彼に問いかけた。
「・・・タツナミ中尉・・・ですか?」
『さっき僕が変身したところ、見てなかったの?』
「そうではなく・・・こう、質問の仕方が難しいのですが・・・貴方の心が、というか、貴方の自我が、紛れなくタツナミ中尉なのか・・・ と」
『・・・君が僕を見て、どう思った?』
ドラゴンは、その獰猛なかつ荘厳な外見とは裏腹に、穏やかで、優しい声で問いかけてきた。答えは、決まっていた。
「・・・姿も、声も、貴方が変わってしまった時、不安でした。けど・・・」
『けど?』
「・・・だけど、貴方の目だけは・・・私を見る目だけはいつもと変わらないものだったから・・・そこにいるドラゴンが、 タツナミ中尉だと認識はしました。・・・どんな姿でも、貴方は貴方だと」
『君がそう感じてくれたのであれば、僕は僕だ』
「何故・・・それをすぐに断言しなかったんです?」
私がそう切り返すと、ドラゴンは少し俯きながら、呟くように答えた。
『・・・僕自身、僕であるということに・・・自信が無くて』
「どういう・・・ことですか?」
私の声が、彼には聞こえていたはずだが、ドラゴンは答えることなくゆっくりと四本の足で歩き始めながら、何かを語り始めた。
『さっきも言ったけど、ここは君の心の中。・・・正確かつ厳密に言えば、”トラウアー化によって生じた物質世界と精神世界の齟齬” らしいけど、小難しいことは、僕にも正直分からない』
「・・・待ってください。ここは私の心の中なんでしょう?・・・何故、タツナミ中尉がここにいるんですか?」
『・・・僕自身が、”トラウアー化によって生じた物質世界と精神世界の齟齬”だからさ』
「それは・・・つまり、今の中尉は・・・中尉が”トラウアー”化したときに生まれたと?」
『人が死んで肉体を失う時、心も居場所を失い解き放たれる。・・・しかし人間が”トラウアー”となる時、肉体を失っても心が” トラウアー”に食い潰されなければ、心の中にその人間が存在し続ける。心に捕らえられたままでね。・・・物質世界と精神世界で、 食い違いが生まれる。それが僕であり・・・今の君だ』
ドラゴンは、鋭い眼光で私を見つめた。力強く前を見据えるその眼力は、変わらず彼のものだった。・・・そう、 目の前にいるタツナミ中尉は、ドラゴンだ。
「じゃあ、何故ドラゴンの姿をしているんです?何故・・・”物質世界と精神世界の齟齬”である貴方が、 普通に人間として暮らしていたんですか?」
『・・・君をここに縛り付けているその”かせ”。・・・今の君の力で打ち破れるかい?』
「え?」
タツナミ中尉に言われて、私は自分の手足を確認した。そして、軽く力を入れて引っ張ってみる。・・・簡単に千切れそうには無かった。 それを見て、タツナミ中尉は言葉を続けた。
『僕の時もそうだった。手足を囚われて、身動き出来ない状態だった。・・・で、どうすればいいか考えたんだ。でも、ここは” トラウアー”になった人間の心の中。・・・嘆き、悲しみ、肉体を失った人間の心の中に、打開策なんて無かった。・・・でも、 僕はどうしてもここから脱出したかった。やり残したことが山ほどあるのに、こんな言葉通りの”死んでも死に切れない”状態。・・・ だから僕はひたすら願い、祈った。ここから脱出する力を。その力で、やり残したことをやり遂げることを』
そう語るタツナミ中尉の語気は強まり、ドラゴンの顔にも力が入っていた。
『・・・願いが叶ったのか、或いは無理な願いの報いなのか・・・いずれにしても、僕の姿は人間のものから崩れていき、 気付いたらこの姿に、ドラゴンになっていた。・・・たとえ精神世界でも、人間よりドラゴンの方が強いみたいでね。僕は”かせ”を千切り、 ここから飛び出した。瞬間に周りの黒い世界が・・・”トラウアー”と化した僕の身体が崩れ、中から一匹のドラゴンが姿を現した』
「・・・軍が、貴方を危険視した理由が理解できました。生還した時点で、貴方は人間ではなかったのですね」
『それに、ドラゴンの姿だと言葉が通じなかったからね。マリオン以外には』
「・・・マリオンには通じたのですか?」
『彼女もまた、”物質世界と精神世界の齟齬”らしい』
「それは・・・マリオンも人間だったということですか?」
『さあね。詳しく聞こうとしたら、カジミールがマリオンに”喋りすぎですよ”って注意しちゃって結局核心は聞けずじまいだった』
「中尉でも、シュザン曹長やマリオンの素性で知らないことが、あるんですね」
『付き合いが長いからって、相手に詳しいわけではないさ』
ドラゴンは鋭い牙を光らせるように、口元で笑って見せた。
『まぁ、その後マリオンに人間への変身方法も教えてもらい、僕は軍に残ることが出来た。・・・後は、君も知る”パラベラム” 設立の経緯に繋がるわけさ』
「・・・人間への”戻り方”ではなく、”変身方法”なんですね」
『・・・あぁ。今の僕にとっては・・・こっちのドラゴンの姿が本当の姿だからね』
「それが”本当の代償”・・・貴方が”トラウアー”化を逃れる代わりに得た力ということですか」
負の感情を断ち切ることで”トラウアー”化を逃れる、などと言う都合のいい話の代償が、簡単なものであるはずが無かった。 人間ではなくなる、と言う事実に差は無いのだから。そして、その”本当の代償”を私に見せた理由。
「私が、ここから出るためにもやはり、”本当の代償”は背負わなければならない、ということですか」
『他に方法が有るなら、話は別だけど』
「・・・何故です」
『え?』
「私は、貴方に銃を向けた女ですよ?貴方の命よりも、信頼よりも・・・私は任務を、軍を選んだ。なのに、貴方は私を助けようとする。・ ・・私が同じ立場なら・・・!」
『見殺しにでもした?』
「・・・私は貴方ほど、優しくなれない」
『ものは捉えようだと思うよ?』
「捉えよう?」
ドラゴンは私の表情につられるように、少し辛そうな顔をしながら、私の周りをゆっくり歩き回りながら言葉を続けた。
『僕は君に”本当の代償”を教え、ここから助かる方法がそれしかない、と伝えた。・・・言い換えれば、僕は君に” 化物になって生き恥を晒せ”って言ってるのと同じだよ』
「・・・中尉は、今の自分が生き恥だとお考えですか?」
『本当に心が優しい人間なら、こんな恐ろしい姿になったりはしない。・・・この姿は僕の心の醜さだ』
「貴方がご自分ではそう思われているかもしれませんが、その姿・・・私は恐ろしくなんて無いと思います。それに・・・」
『・・・それに?』
「古く、ドラゴンは”宝の守護者”として考えられ、紋章にも盛んに取り入れられておりました。・・・もしも、 その姿がタツナミ中尉の信念を具現化したものであれば・・・貴方は貴方の宝を守るために、その姿になったのかもしれません」
『僕の・・・宝?』
「貴方が仰った言葉ですよ?『僕は仲間を守るために闘う』と」
その言葉は、嘘偽りの無いタツナミ中尉の言葉だと私は信じている。タツナミ中尉が”トラウアー”化を振り払ってドラゴンになった時も、 きっと同じ気持ちだったはずだ。そしてきっと、ドラゴンとしての姿はタツナミ中尉自身の象徴なのだ。
『この姿が・・・仲間を守るための、姿だと?』
「貴方の性格を考えれば、そう考えるのが自然かと」
『そんな風に考えたこと、無かったな』
「『ものは捉えよう』だと仰ったのも、貴方です」
『・・・ありがとう』
ドラゴンは少しはにかむ様に口元を緩ませて、小さな声でそう言った。だが、すぐに大きなため息をつきながら、 長い首をだらんとさせてうな垂れた。
『・・・なんか、情け無いなぁ。こんなところでまで、君にこんなこと言われるなんて』
「全くです」
『容赦も無いね』
「当たり前です」
『やっぱり僕には、君が必要だな』
・・・。
「唐突に何を言い出すんですか?」
『僕の率直な気持ち』
「どこまでの意味で、私が必要なんです?副隊長として?仲間として?それとも・・・」
『それ以上だったりして』
・・・。
ぁぁぁぁっ!もうこの人はこのディルク・リーグル・タツナミって男は!
「貴方は、馬鹿ですか!?」
『・・・上司に向かって言うセリフじゃないよ、それ』
「貴方の言葉だって、軽々しく女性に言うものじゃないでしょう!」
『でも、素直な気持ちを表現してるだけだし』
「三十路近い男が、軽々しくそんなこと口にしないで下さい!どこまで甘いんですか!」
『30近いとさ、ほら。将来のこととか、考えちゃったりしちゃったりして』
「しょっ・・・!」
『・・・僕もそろそろ、きちんと自分と向き合わなきゃいけないかなって思い始めて』
呆気にとられる私を尻目に、ドラゴンは少しはにかんだように口元から白い牙を光らせた。優しいほどに切ない彼の目は私を見つめていた。
「・・・中尉は、きちんと自分に向き合ってるように見えますが」
『向き合ってるんじゃなくて、従ってきただけ。大切な仲間を守りたい。大切な仲間を信じたい。・・・ただそれだけ。 それに従ってきただけ。もっと考えなきゃいけないことも沢山あるのに、もっとやらなきゃいけないことも沢山あるのに、 全部目を背けてしまっていた。自分の感情に逆らうことを恐れていたんだ』
そうしてドラゴンの表情は曇っていく。・・・考えたことも無かった。この人は、この人で苦しんでいたんだ。 私が自分に素直になれないのと同じで、彼は素直すぎる自分に悩んでいたんだ。自分に素直であるため、一本のぶれない芯があるのに、 すぐに目的を見失い、思いが、願いが、矛盾していく。
『・・・でも、疑うことから逃げたせいで僕は、ハイデマリーにひどいことをしてしまった。皆にも迷惑を掛けて。・・・そして何より・・ ・君を、こんな目に合わせてしまった・・・!』
長い首をうな垂れたドラゴンの姿は、小さく見えた。力強く、猛々しい怪物の姿から漏れる人間臭い弱音。そこにいるのは確かに、 タツナミ中尉だった。弱くて、情けなくて、だけど誰よりも他人を思いやる心を持った、一人の人間だ。
「・・・貴方が謝ってくれれば、私は人間に戻れますか?」
『・・・え?』
「私が貴方に銃を向けたことを謝れば、私に根付いた罪の意識は、消えますか?」
『リサちゃん・・・』
「・・・貴方と出会わなければ、私はこの任務を躊躇わなかった。貴方の優しさに触れなければ、私は人を殺めることを躊躇わなかった。・ ・・貴方の優しさが、私をこんな目に合わせている。・・・でも、それで私が怒ると思いますか?」
『・・・君が心の中で何を思っているか推し量れるほど、僕は人の心を読めない。けど・・・』
ドラゴンは、どこか切ない表情を浮かべながら私にゆっくりと近づき、そっとその前足を私の顔に当てた。私の頬に触れた彼の白い爪が、 濡れた。
『けど、君は今泣いている』
私の目からこぼれ落ちた涙は、頬から彼の手を伝って流れていく。行き場の無い言葉を、行き場の無い感情を押さえつけ、 代わりにあふれ出す涙。
ずっとそうだ。何かが壊れてしまう気がして、ずっと感情も言葉も押さえつけて生きてきた。自分と向き合わずに、 自分を裏切って生きてきた。でも、それじゃ私は何も出来なかった。・・・そして、このまま何も出来ないまま終わってしまう。
気付けば私は、目の前のドラゴンの首筋に手を伸ばし、彼の柔らかなたてがみに触れていた。人間の髪の毛とは異なるその質に、 彼が本当に人間ではないことを感じながら。でも、それでも。
「私は、貴方と一緒にいたい・・・!」
それは多分、私が始めて彼に口にした、本当の気持ちだった。口にした瞬間、私の中で何かがふつりと切れたような気がした。私の言葉を、 心を、せき止めていた何かが崩れ、私の内側からあふれ出してくる。
「・・・こんな場面で使う言葉じゃ、無かったのに・・・!」
『リサちゃん、僕は・・・!』
「ずっと、あのまま変わらない日々が続くと思ってた!貴方は貴方で、私は私のまま、少しギクシャクしていて、少しよそよそしくて・・・ でも、だけどお互いがお互いを理解できていて、心の深いところではしっかり信頼していて、貴方は頼りなくて、私ばかりが仕事を抱え込んで、 私が貴方に苦言を呈して、だけど貴方は笑ってて・・・そんな、そんないつも通りの私たちには・・・もう、戻れない・・・!」
『・・・どうして?』
「ッ・・・貴方はどこまで・・・!」
言いかけた言葉を、私は飲み込んだ。言いたい言葉は出さなきゃいけない。でも、言いたくない言葉は出しちゃいけない。 そんなごく当たり前のことが、今までの私には出来なかったんだ。
黙り込んでしまった私を見たドラゴンは、申し訳無さそうな顔を浮かべながら、すっと両前足を上げて、器用に後足だけで立ち上がる。 そして上げた前足を、今度は私の頭に運んで、優しく、だけど少し強引に自分の身体に引き寄せた。私よりも二回りほど大きい彼の体に、 抱きかかえられる格好になっていた。そして、私の頭上から優しくて弱弱しい声が聞こえてきた。
『・・・ごめん』
「・・・何で謝るんですか・・・?」
『僕は、君にとって頼りない男かもしれない。・・・君のしたくないことを君にさせて、君の言いたくないことを君に言わせてきてた。 でも、それをどうしたらいいか、どうすればそうならないのか考えても分からなかった』
「・・・私は別に・・・」
『でも、きっと、もっと簡単なことだったのかもしれない』
「・・・簡単なこと?」
『・・・リサ。ずっと傍にいて欲しい』
彼のその言葉が聞こえた瞬間、胸の中で何かがはじけたような気がした。耳が熱くて、くすぐったかった。手に変な力が入って、 触れていたドラゴンのたてがみを、更に強く握り締めた。自分の鼓動がうるさくて、周りが一層静かに感じた。聞こえるのは、 私の鼓動とドラゴンの声だけだった。
『元の関係に戻る必要なんて無い。そもそも、関係なんて小難しい言葉は必要ない。僕は僕で、君は君。僕の傍に君がいる。 君の傍に僕がいる。それだけが願いであり、誓いだ』
「誓い・・・」
『・・・僕は、酷く自分勝手なことを言っていると思う。君をこんなことに巻き込んだのは、僕に責任があるのに・・・君に、 人間を辞めろと言っている』
「・・・お互い様だと思います。私も、貴方に銃を向けたのに、傍にいたいだなんて・・・虫が良すぎますよね。お互いに」
涙はまだ、こぼれている。だけど何だか、彼とのやり取りが嬉しくて、温かくて、心が弾むみたいだった。或いは、 それは勇気だったのかもしれない。この人のそばにいたいと願う勇気。
「・・・ううん。きっと貴方の方が罪が軽いと思う」
『・・・どうして?』
「だって・・・」
私は、彼のたてがみを握っていた手で、そっと彼の身体を押して、彼から距離を少し取った。腕で頬を拭い、一つ深呼吸して、 可能な限り口元を上げて、首を上げて、そっと、彼に微笑んだ。強く、強く、貴方の傍にいたいと願いながら。
「・・・だって、私は貴方の・・・ディルクためなら、人間ぐらい辞められますから」
瞬く間にドラゴンの顔が曇り、一つ唾を飲み込んだあと、両前足を再び地面につけて私と目線を合わせた。 ディルクは何か言いたそうにしていたので、遮るように私は言葉を続けた。自分の肌が、ピリピリと強張る感覚に、少し戸惑いながら。
「そんな顔をしないで下さい。・・・あんまり情けないと、私は益々貴方の傍にいたいと思っちゃいます」
『・・・強いね、リサちゃんは』
「それは、こちらのセリフです」
ディルクは、今の私の状況を自分のせいだと思っている。だけど、だからこそ、彼は私をじっと見つめていた。私の”力の代償” を見守るように。その優しさこそが、彼の弱さであり、強さなのだとようやく認めることが出来た。 彼の温かい視線に守られている事を確認した私には、完全に決心が付いた。
人として死なない。
”トラウアー”としても死なない。
どんな姿になっても、どんな存在になっても、ディルク・リーグル・タツナミと、生きていくことを。
「ッ・・・っ!」
決心と同時に、私はまるで全身に電撃が走ったような痺れを感じた。そしてそのまま立っていられなくなり、膝を付き、 両手を地面に下ろした。するとその手に変化が訪れた。指の皮が黄色くなって硬く変質していき、指が一回り大きくなる。 親指は徐々に短くなっていき、残り4本の指の先には鋭い爪が伸びていく。それはまるで鳥の後足そのものだった。私の変化した手・・・いや、 前足に合わせる様に、私の腕も黄色く硬い鳥の皮膚で覆われていき、太く、逞しく変化した私の前脚が、私を縛っていた”かせ”を容易く破った。
一方、前足の付け根・・・元々の肩の部分からの変化は前脚とは違った。肩から胸の周りには、 柔らかな黄色い羽毛がびっしりと生えていく。そして、私は前脚を踏ん張りながら背筋を伸ばした。すると、 それに呼応したかのように私の軍服を突き破って、背中から羽毛の固まりが伸びていく。それは見る間に大きくなって、横に大きく広がった。・・ ・翼だ。鳥の翼が生えたのだ。
「グゥッ・・・!」
上半身が変化している間には、勿論下半身にも変化がおきていた。上半身とは全く異なる変化だったが。私の手が、 鳥の後足に変化したのに対して、私の足はまるで獣の後足のように変化していく。色は同じ黄色だったが、それは明らかに獣の毛だった。 その毛がびっしりと私の脚に生え、指の先からは白い爪が姿を現す。かかとはぐんと伸びていき、平には肉球が出来ていた。 そして翼が生えたときと同じように、背筋を伸ばすと、今度は腰の辺りに毛が盛り上がっていき、するすると伸びて、 ムチのようにしなる尻尾が生えていた。
「あ・・・ゥ、クワゥ・・・!」
首の周りに生えていた羽毛は、徐々に顔の方まで覆っていき、それにしたがって私の声も、私の声ではなくなっていく。甲高い、 鳥のような鳴き声に。そして顔も、その声に合ったものへと変化を遂げていく。耳の周りにも毛が生えながら、 徐々にピンと尖り後ろに伸びていく。更に口の先が尖っていったかと思うと、鼻も巻き込んで前へと突き出し、硬く変質していく。 それはもう口ではなくて、鳥のくちばしだった。先端が少し曲がっている。まるで、鷲のくちばしそのものだ。
「ゥゥ・・・ピィィィィーーッ!」
そして私は、完全に変化したくちばしを大きく開いて、完全に変化した4本の足で地を捉え、完全に変化した鳴き声を高らかと上げた。・・ ・そう、私の変化は、完全に終わった。
人間としての、リサ・フクニシはもうここにはいなかった。
『・・・リサ、大丈夫・・・?』
私の変化をずっと見守っていた、緑のドラゴンが長い首を伸ばして心配そうな表情で覗き込んでくる。私は、 とっさに大丈夫と答えようとしたが。
「クウァウッ!・・・クァ?・・・クゥゥ・・・」
私はとっさに手を口に当てた。・・・いや、違う。前足を、くちばしに当てた・・・と言わなきゃいけない。もう私には、人間の手も、 口も、声も無いのだから。・・・でも、どうすれば目の前のドラゴンのように、相手とコミュニケーションが取れるのか。早く、 私は大丈夫だと伝えたいのに。
『・・・あ、そうか。・・・えぇと、何て言うか、伝えたい相手をイメージして、心で話しかけるようにしてみて』
「クワァ・・・?」
『声じゃなくて、心。・・・試してみて』
『・・・こう、ですか・・・?どうです?私の心・・・聞こえますか?』
『・・・』
『・・・ディルク?』
『あぁ、ごめん。・・・リサちゃん・・・なんだなって。姿が変わっても、君なんだってわかって・・・ほっとしたって言うか、 何て言うか』
彼は言葉通り、安堵の表情を浮かべていた。ほっとしたのは私も同じだった。無事こうして変化を終えたのだ。 改めて自分の身体を確認する。・・・体の前側は鳥のように、後ろ側は獣のように変化している。人では勿論ないし、普通の獣でもない。・・・ その姿で自分が何になったのか、理解していた。猛禽の王と百獣の王の身体を併せ持ったその幻獣の名に、心当たりがあった。だがあえて、 聞いてみる。
『ディルク、私は・・・私は、何になってるの?』
『・・・グライフ・・・あぁ、いや。一般的な呼び方すれば・・・グリフィン、かな』
『です、よね。やっぱり』
『それも、飛び切り綺麗な』
『お世辞はいりません』
『・・・男として、気を使ったのに・・・』
『冗談です。・・・本当にお世辞だったとしても、変わり果てたこの姿のことを綺麗って言ってくれて、嬉しいのは事実ですから』
『・・・僕は自分に素直な男だし、素直な感想しか言わないよ』
『・・・ありがとう・・・ございます』
慣れないくちばしを小さく開いて、なるべく笑顔に見えるように表情を作った。するとドラゴンは、 さっきと同じように私の頭に手を回して、私を抱き寄せた。私の身体が大きくなったせいで、さっきよりも彼の顔が近くに見える。
『・・・ディルク?』
『・・・君は、自分を投げ打ってまで僕の傍にいてくれることを選んでくれた。・・・だから僕も誓う。僕の全身全霊を捧げてでも、 君を守り抜く』
戦うために特化した、鋭い爪の生えた彼の指が優しく私の羽毛を撫でていく。それはまるで、 心までなでられているみたいでくすぐったかった。
『・・・でも、頑張りすぎないで下さいよ?私は貴方の傍で生きるために、この道を選んだんです。・・・貴方がいることが、 大前提ですから』
『分かってる。君を一人にはしない』
ドラゴンはそう言って、私を寄り強く抱き寄せた。彼の鼓動の音が聞こえるほど、近くまで。
・・・鼓動の音が・・・聞こえる・・・?
『・・・心の中なのに、脈はあるんですね』
『え?』
『貴方の鼓動が聞こえたし、私自身の鼓動も感じることが出来る』
『・・・考えたこと無かったよ。でも、別に不思議じゃないと思うよ?』
『・・・どうして?』
『物質世界だろうが、精神世界だろうが、その狭間だろうが、僕も君も生きていることに変わりはないんだから』
『答えになってません』
『・・・あれ?』
『でも・・・何となく・・・何となくですよ?納得は、出来そうです』
私はそう言って顔を上げた。優しいドラゴンが、私を見下ろしている。
『確かに、貴方がここにいて、私がここにいる。・・・それを生きているとするなら・・・それ以上の理屈はいらないですから』
『でしょ?』
ドラゴンは、口元を上げて白い牙を見せながら微笑んだ。だけど、すぐにはっとした表情で私に話しかけてくる。
『ずっとこのままこの世界に二人っきりって言うのも悪くないけどさ。・・・そろそろ戻らなきゃ』
『そう、ですね。・・・でも、どうやって?』
私の問いかけを受けて、ドラゴンは私から少し距離を取ってその大きな翼を横へと広げた。
『ここから飛び立てばいい。君がここから飛び立てば・・・君が捕らえられていたこの地を、君が蹴れば、ここは自然と崩れ落ちる』
『飛び立つ・・・私に、出来ますか?』
『大丈夫』
そう言うとドラゴンは、その翼を一度、二度、三度とはためかせて宙へと浮かび上がった。 あっという間に私のはるか上に移ったドラゴンは、優しい目で私を見下ろしていた。私は唾を飲み込んで、恐る恐る自分の翼を横へと広げた。 そして見よう見まねで、一度、二度、そして三度と翼をはためかせた。
『そこで地面を蹴って!』
力強い声が聞こえたと同時に、私は4本の足で力強く地面を蹴った。・・・そして四度目に翼がはためいた時には、 私の足は地面から離れていた。
『飛ん・・・でる・・・私、飛んでる!』
『あぁ。・・・ほら、見てごらん』
ドラゴンは、少しもたつきながら不慣れに翼を動かすグリフィンの横に付け、並ぶようにホバリングを始めると、 私が蹴り飛び立った地面を指差した。黒く、悲しいその地面がひび割れていく。地面だけじゃない、壁が、天井が、ひび割れていく。 そのひび割れから、眩しい光がこぼれ始め、目がくらみそうになった。
『・・・さぁ、君の翼で大きな風を起こして。君の手で、これを崩すんだ』
『はい!』
ドラゴンは私の傍から少し距離を取る。そのことを確認した私は、下半身を少し落とし重心を下にして、翼を大きく何度か振るう。 私の大きな翼は、この黒くすさんだ世界に清清しい風が吹き込んでいく。この暗く澱んだ世界に、眩しいまでの光が包み込んでいく。
”トラウアー”に食われた、私の心に、再び息吹が吹き込まれた。
そして私は、小さな声で呟いた。
『さようなら。私の生んだ”悲嘆”』
眩い光と共に、激しい光と共に、”トラウアー”の身体が崩れていく。翼をはためかせるグリフィンとドラゴンが・・・私とディルクが、 その”トラウアー”の中から姿を現す。2匹の幻獣はあたりを見渡すと、崩れゆく”トラウアー”の足元に、 黒いライオン獣人と一人の青年を見つけた。ライオン獣人は驚いた表情で、一方の青年は落ち着いた笑みを浮かべ2匹の幻獣・・・ 私たちを見ていた。そして私たちは、ゆっくりと彼らの傍へと降りたった。そして少しの間の後に、ライオン獣人が、マリオンが口を開いた。
「・・・お前・・・リサ、なのか・・・?」
『はい。・・・あ、マリオンにはこの声が聞こえるんでしたっけ?』
「あ、ああ。確かに、リサの声だな。・・・そうか、お前も・・・”物質世界と精神世界の齟齬”なのか・・・」
『自分ではよくわかりませんが・・・そうなんだと、思います』
「そうか・・・」
マリオンは、何故か切なそうな、申し訳無さそうな表情を浮かべて私を見つめていた。
「ね?僕の言ったとおり彼は彼女を救い出した」
ライオン獣人の横にいた青年が満足気な表情でそう口にした。
『・・・テオバルト・ケプラー・・・』
「・・・あれ?何か話そうとしてる?・・・悪いけど、僕には君たちの言葉は分からないよ?」
私が彼に話しかけようとする前に、彼のほうから釘を刺してきた。
「これで、『パラベラム』は晴れて全員人間ではなくなったわけだ」
「ッ・・・貴様!」
『やめてマリオン!』
テオバルト・ケプラーに襲い掛かろうとするマリオンを、私は大きな声を上げて制止した。
「何故止める!?こいつは、お前らに・・・!」
『彼は僕らに対しては、直接は何もしていない。・・・彼に攻撃して許されるのは・・・ハイデマリーだけだ』
「ッ・・・だから、甘いと言っている!」
『君は僕に従う。次にカジミールが解除を告げるまで、僕の命令は絶対。・・・だろ?』
「クッ・・・確かに、主のお言葉はその通りだ・・・だが・・・!」
『隊は1名の重傷、1名の軽傷を出し、1名は治療行為のため戦闘不能。・・・この状況下、僕とマリオン、それに・・・ 新しい身体に慣れていないリサちゃんの3人で戦うことになる。・・・テオバルトと戦えるだけの、戦力かどうか・・・ 僕以上に理解しているのは・・・君じゃないのか?』
「・・・」
マリオンはディルクの言葉を静かに聞きながら俯いていた。そしてまたテオバルト・ケプラーを睨みつけながら吠えるように怒鳴りつけた。
「貴様が何を企み、何を目的としているのか、興味も無い。だが、貴様のような人間に、この世界は守れない!そのこと、 ゆめゆめ忘れるな!」
「それは、お互い様です。あなた達の所属する軍にだって、この世界は守れやしない。・・・だってそうでしょう?僕をおびき出すために、 ドーム一つを”トラウアー”の巣窟としたんだから」
『ッ・・・!』
思いも掛けない形で、今回の軍事行動について、真の目的を知ってしまった。・・・目の前の、たった一人の男を捕まえるためだけに、 何千何万と言う人が、犠牲になったと言うのか。それが、私の信じた軍だと言うのか。
いや、軍とはそういうものだと、理解していたはずだ。平和を守るためなら、手段なんて選ばない。正しいか正しくないかではない。 平和か平和でないかなのだ。
「・・・僕はこの国を守る番人として力を与えられた。でも、この国だけを守ったところで何も変わらない。僕は・・・この世界を守る。 そのためには、罪を犯す必要だって有る」
テオバルト・ケプラーはそこまで言い終えると、急に地面に手をつけて深呼吸を始めた。 マリオンははっとした表情を浮かべて彼に襲い掛かろうとするが、その前に彼が小さく一言呟くのが先だった。
「変身」
彼の声が聞こえると共に、彼から激しい爆風が巻き起こった。まるで彼自身が爆発でもしたかのような。 爆風で飛び散る破片から身を守るように、私は自分の身体を自分の翼で守った。・・・とっさに取った行動だったが、 それを自然に行っていた自分に少しだけ驚いた。だが、それ以上に驚いたのは、目の前にいたはずのテオバルト・ ケプラーがいなくなっていたことだった。
・・・代わりにいたのは、グリフィンである私や、その私よりも一回り大きいドラゴンと、遜色ない大きさの狼だった。 ヴォルフラムとは異なる、完全な狼。だがその毛色は紫で、どこか不気味な感じがした。多分、かすかに浮かべる笑みと、 その内側に秘める確かな強さが、今の私に感じ取ることが出来たからだ。
彼が、正しきケルベロスだということが。
「・・・うん、やっぱりケルベロス名乗るなら、これぐらい変身できなきゃね」
テオバルト・ケプラー・・・だった猛々しき狼は、嬉々とした様子でそう語りながら、自分の前足を見つめた。
「第一、命をかける戦場で変身に時間をかけてちゃ、まずいしね」
テンションが上がっているのか、こちらが話しかけずとも、何か喋り続けていた。
「何故、変身した!?我々と戦うつもりか!?」
マリオンはすぐさま臨戦態勢を整えて、今にも彼に飛びかからんとしていた。
「いいや、逃げるだけさ」
狼がそう告げた瞬間、ふっと彼の気配が消える。・・・目の前から一瞬にして、彼がいなくなった。さっきと同じだ。 私たちの目にも止まらぬ速さで、移動したんだ。
「僕には、やるべきことがある。・・・それを果たすまで、戻るわけにはいかないからね」
どこからともなく、テオバルト・ケプラーの声が聞こえた。・・・そしてそれきり、彼の声も、気配も、感じることが出来なくなった。
「ちぃっ、逃げられたか・・・」
『逃げてくれた・・・と言う方が、正解だろ?』
恐ろしい表情を浮かべるライオン獣人に、ドラゴンは諭すように告げた。
『戦う準備が出来ている・・・そう言いたかっただけだろう。だけど、お互い今はその時じゃないから、逃げたんだ』
「いいのか?奴を野放しにして。お前は・・・あいつを連れ戻したかったんじゃないのか?」
『戻ってきて欲しいのは本当だ。・・・だけど無理強いは出来ない。彼がどうしても僕らと違う道を行くなら・・・ その時は覚悟しなければいけないとは、思ってる』
「違う道・・・か。だが、同じ道を行くことも・・・最良の選択とは限らないとは思うが?」
彼女はそう言って私のほうを振り向いた。・・・私に聞きたかったんだろう。ディルクや、マリオンと同じ道を選んだ私に、 後悔が無いのかを。
『その道の先に、あなた達がいるのなら・・・最良の道でなくても、乗り越えていけると思うから』
「・・・そう、か」
マリオンは少し俯きながら小さく息を吐き捨てると、私にそっと触れながら、私と目線を合わせながら語りかけてきた。
「だが、お前の選択は・・・多分一番辛い現実を目の当たりにするタイプの選択だ。・・・軍人として、 信頼する仲間と同じ道を歩むことは・・・もっとも、悲しい出来事にぶち当たりやすいパターンだ。・・・それをも、覚悟できているのか?」
『・・・まるで、自分のことのように話されますね』
「あくまで、一般論の話だ」
『少なくても・・・今の私に迷いは無いです。誰かの傍にいたい、と願うことが確かな力になるというのは、 あなたの方が理解できているはずでは?』
「私と主は、そんな関係ではない」
『じゃあ、どういう関係?』
「いいか、我々は・・・!」
「マリオン。喋りすぎはいけませんよ?」
マリオンが意気込んで語り始めようとした瞬間、聞こえてきたのは若い青年の声だった。声の方を見ると、 一匹の猫がとことことこちらに近づいてきていた。少し後ろからは狼の獣人が、青いカーバンクルを背負ってついてきていた。
「主。怪我は無いか?」
「僕は大丈夫。・・・マリオンも無事でよかった」
「当たり前だ。私が負けるはずなど無い」
「油断は禁物ですよ、マリオン。・・・言わなくても、理解していると思うけど」
「・・・当たり前だ」
「・・・まぁ、ともあれ。ひとまずご苦労様。僕のマリオン」
彼はそう言って、ぴょんとマリオンの肩に飛び乗り彼女の頬に唇をつけた。マリオンはあまり表情こそ変えなかったが、少しだけ俯いて、 やや小さな声で答えた。
「光栄に尽きる。この身、この魂は主のためにあるのだから」
「あぁ・・・ありがとう」
シュザン曹長の声もまた、少し小さかった。不器用なまでに愚直な信頼関係を見せ付けられると・・・ 今の私には何だか燃えるものが有った。
「・・・ところで、そっちのグライフ・・・ひょっとして、フクニシ准尉?」
マリオンの肩にちょこんと乗っかった白猫が、私の方を振り返りながら問いかけてきた。私は、答えるように口を開いて一つ鳴いた。
「ピィィッ!」
「・・・知的な人間は、変身しても知的なんですね」
「主が思っているほど、賢い女ではないぞ」
「鳥・・・かわいい・・・」
「なんだよ、これでウチの部隊全員化物じゃん。制御する人間いなくなっちまっていいのかよ?」
口を利ける4人のメンバーは口々に好き勝手喋り始めた。その様子を見た私はふっとドラゴンの振り向き、 そして二人揃って笑顔を浮かべた。
変わらない。
ここにいる6人とも、姿が変わっても、いつも通りの私たちだ。
こんな戦争の中にいるのに、どうしてか、平和だなって感じる。仲間達との時間が、何よりも、何よりも。
だからこそ、私たちは戦いに備えなければならない。この平和が長く続くことを願うのなら。
それが私たちの名、『パラベラム』だから。
『で、幾つだと思う?』
突然、彼は私に問いかけてきた。あまりにも不意だったため、まずはその質問の意味から少し考え、 しばらくしてからあの時のことを思い出して、少し笑いながら一つ聞き返した。
『敵の数が、ですか?』
彼もやや笑顔を浮かべながら静かに頷いた。それを見て、私は言葉を続けた。
『それでしたら5体、飛行タイプが南東から来ていますね』
『流石だね』
『飛行タイプは、無視しますか?』
『いや・・・偵察だろうけど。折角だしね』
『かしこまりました。では早速』
そして、ドラゴンとグリフォンはその大きな翼を広げ、呼吸を合わせるように何度か翼をはためかせて、その場から飛び立つ。 少し浮かび上がったところで、ドラゴンが地上の仲間達に呼びかけた。
『マリオン。今地上でまともな戦力は君だけだけど、任せられるね?』
「勿論だ。彼らは私が守る」
黒いライオンの獣人は、真っ直ぐと私たちを見据えながら、ゆっくりと地上から離れていく私たちを見守っていた。
黒く濁った空が何処までも続いている。途切れることなく、滲むことなく、ただただ一色の黒。見ているだけで息苦しくなるような、 悲しく忌々しいその空を、2匹の幻獣が寄り添うように飛び立った。
悲しみばかりが広がるこの空を飛ぶのは、息が詰まりそうになるけれど、私の傍には心優しいドラゴンが居てくれた。 戻るべき地上には仲間もいる。今の自分がどれほどまで恵まれているのか、考えるほど嬉しくなった。
だから、改めて守りたいと誓った。この平和を。仲間達を。
『リサちゃん』
『はい』
『・・・ありがとう』
『・・・何でそれを今、言うんですか』
『何となく』
『・・・ディルク』
『え?』
・・・私の想いを、彼に伝える勇気が、あればよかったのだけれど。まだ、ちょっとだけ、足りなくて、ムードも無くて。
だからせめて。
「クワァ」
『・・・え?何で鳴き声?何言ってるか分からないし』
『何て言ったか、当ててみてください』
『・・・』
『・・・』
「ガゥッ」
『・・・え?鳴き声返し?』
『目には目をって言うでしょ?』
『ふざけないで下さい』
『ふざけてないさ』
ドラゴンは少しだけ意地悪そうな笑顔を浮かべたあと、ぶわっと翼を一気にはためかせて急上昇した。下で飛んでいた私に呼びかけてくる。
『・・・さぁ、行こう。君の・・・いや、僕らの新しい戦いだ』
『はいっ!』
グリフィンは翼で力強く風を押し、貴方の後を追っていく。グリフィンは、貴方と共に戦うために、貴方と共にこの空を飛ぶために、 この姿を選んだ。
私は、貴方がいたから、この空にいる。
そして、これからもずっと、私は貴方と共に空を飛ぶ。
悲しみや嘆きともう一度向き合うその日まで。
パラベラム 後編 完