パラベラム 中編
【人間→獣】
輸送機に揺られていた感覚が、まだ少し身体に残っている。吐く息の白さに少し驚く。
「ザールブリュッケンなんて、久々に来たな」
タツナミ中尉が、輸送機から降り立ち、大きなドームを見上げながら小さく呟いた。
現地に着いた私たちは、現地の司令部に向かい、ここの連隊長など偉い人達への挨拶を早々と済ませ、すぐさま2番ドームへと向かった。 1番ドームと2番ドームを結ぶ通路は閉鎖されており、前を一個小隊が厳重な警備で守っていた。
「ディルク・リーグル・タツナミ以下、32連隊隷下のパラベラム隊です」
タツナミ中尉は、通路の警備をしていた小隊の隊長に挨拶をし、2番ドームへの入場許可の手続きを進めていた。
「・・・嫌な、感じだな」
ボソッと聞こえてきたのは、マリオンの声だった。
「貴女が弱気なのは、珍しいですね」
「恐怖を前にして恐怖心を無くす事の方が、よほど怖いことだ」
マリオンの言わんとすることは分かった。極普通の人間である私でさえ、形容しがたい緊張感を、ドームの中から感じている。 気配に食われてしまいそうな、言い知れない恐怖感。何度も修羅場は潜り抜けてきたという自負はあるが、それでも尚怖いものは怖い。
「ゲートオープンの許可、貰ってきたよ」
タツナミ中尉が戻ってきて私たち隊員に状況報告を始めた。
「ドーム内に入るまでに、ゲートは3つあって、今はその全てが閉じられている。まずは2番ゲートを閉じたまま1番ゲートを開けて、 僕達がそこに入る。僕達が変身を済ませた後、1番ゲートを閉じて、2番ゲートと3番ゲートを開放し、中に突入する。 ドームの中のガスは既に除去されているらしいから、マスクの必要は無いらしいから、各自携行武器のチェックを行うこと。いいね?」
「分かりました」
私とシュザン曹長が声を合わせてそう答える。・・・が、残りのメンバーの声は聞こえてこない。チェルハ上等兵の声は、 恐らく私たちの声に掻き消されたのだろうし、ケプラー兵長は相変わらず寝ていた。・・・今は、立ったまま寝てるけど。
「何処でも寝れるその才能は羨ましいな」
流石のタツナミ中尉もやや苦笑いでそう言うしかなかった。
「ほら、ヴォルフラム。起きて下さい」
「ん・・・あぁ・・・何処ここ・・・あれ?」
シュザン曹長に名前を呼ばれながら揺すられ、ゆっくりと目を開くケプラー兵長だが、まだ寝ぼけているらしく、焦点も合っていない。
「もうすぐ出撃だから、目を覚まして」
「あぁ・・・何、もう出番?」
ケプラー兵長は大きく欠伸をしながら、眠たそうな目をこする。緊張感の欠片も無い。
「出番ってことは、さっさと変身しちゃってもいいのか?」
「あぁ・・・まぁ、良いですよね?先に変身させちゃっても?」
「いいよ。別に」
シュザン曹長の問いに、タツナミ中尉も軽くそう答えた。
「だそうですよ」
「よっしゃ。じゃあ、一丁やってやるか!」
その答えを聞いて、急にケプラー兵長の目がかっと見開き、俄然やる気を出し始めた。そしておもむろに腕を身体の前で大きく回しながら、 声を張り上げて叫んだ。
「変身!」
ケプラー兵長の大きな声が通路内に響き渡り、警備小隊の人間も何事かとこちらを振り返った。そして、 彼らのその顔がみるみる変わっていくのが、はっきりと分かった。・・・話には聞いていても、初めて見たらやはり衝撃的なのだろう。人間が、 人間でなくなっていく様を見ることは。
そう、ケプラー兵長の姿は人間でなくなり始めた。大きく広げたその腕から、ぶわっと硬く赤い獣の毛が噴出したかと思うと、 身体が一回り大きくなり、着ていた服が破れる。そして瞬く間に全身がその赤い毛で覆われていく。骨格も変化していき、足はかかとが伸び、 彼の指先からは長く黒い爪が伸び、お尻からはフサフサの尻尾が姿を現した。
「グゥゥァアッ!」
猛々しい獣の声が、通路に響く。その声に共鳴するように、彼の顔も大きく歪んでいく。顔全体をあの赤い毛が覆っていき、 彼の鼻は大きく前に突き出してマズルを形成し、鼻先は黒ずんでいく。目は黄金色に輝き、耳は三角形に尖りながら、頭の上へと移動していく。
「・・・フゥーッ・・・!」
あっという間に変身を終え、ケプラー兵長・・・だったその異形は、大きく息を吐き出す。その口の中には、鋭い牙が並んでいた。 人のように二足で立ちながら、人とは異なる容姿。そこにいるのは、古い伝承や映画で見る狼男・・・狼獣人の姿そのものだった。
「よっしゃあ!ケルベロス参上ぉぉぅうっ!」
狼獣人はケプラー兵長の声で、通路全体に大きく響かせるように叫んだ。その様子を見ていたチェルハ上等兵は、耳をふさいで、 露骨に嫌そうな顔をしながら小さく呟いた。
「・・・やられてしまえばいいのに・・・」
それは本当に小さく、隣にいた私だから聞き取れたようなぐらいの声。だけど、言った瞬間にケプラー兵長の大きな耳はピクピクと動き、 素早くチェルハ上等兵の方を振り向いて牙をぎらつかせた。そして、勢いよく彼女に近づき、 ぐわっと手を伸ばして小柄なチェルハ上等兵の胸倉を掴み、持ち上げた。ただでさえ恐ろしい狼の顔を、更に鋭くして、 激しく吠え立てるようにチェルハ上等兵に向かって言葉をぶつけた。
「おい、なんつった!?仲間に向かって言う言葉じゃねぇだろ!」
「・・・聞こえるのね・・・鼻が利く以外、とりえが無いと思ってたのに」
「当たり前だ!お前なんかとは、能力が段ちなんだよ!」
「貴方の方が、下と言う意味でね」
「ちげぇ!俺の方が上に決まってんだろぉが!」
「確かに、声の大きさは認める・・・認めたから、口を開かないで喋らないで息をしないで」
「こ、この猫兎野郎がぁ!」
プツン、とかカチン、とかいう擬音が、ケプラー兵長から聞こえたような気がした。引っ込みの付かなくなったケプラー兵長は、 自慢の鋭い爪を立て、チェルハ上等兵を掴んでいないもう一方の腕を大きく振り上げて、チェルハ上等兵に振り下ろそうとする。
しかし、そこに隙を見つけたチェルハ上等兵の目が、急に紅く輝いた。そして自分を持ち上げているケプラー兵長の腕をしっかりと握り、 身体に反動をつけて思いっきりケプラー兵長の腹を蹴りつける。
「グゥッ!?」
文字通りぐうの音を上げてバランスを崩したケプラー兵長に、チェルハ上等兵は更に追い討ちをかける。彼の振り上げた肩を踏み台にして、 高々と宙へと浮かび上がった。そして空中で大きく身体をひねらせながら、チェルハ上等兵は小さな声で呟いた。
「・・・変身・・・」
その声と同時に、チェルハ上等兵は着ていた軍服を、空中で器用に脱ぎ捨てた。周りの兵からは、 ケプラー兵長が変身した時とはまた違ったどよめきが起こった。しかし、軍服の中から現れたその身体は、 兵たちが期待していたものとは大分違っていた。
その全身は、柔らかそうなふわふわの青い毛で覆われており、彼女の脚は既に人間のそれとは程遠い、獣のものへと化していた。 お尻からは、ボール上の小さな尻尾がぴょこんと生えていた。顔も彼女のものではなくなっていき、鼻が少し前へと尖り、 耳は大きく長く伸びていき、空中で身をよじらせるのに合わせて、まるで髪の毛のように耳が風になびいた。
彼女が地面に着地した時には、その姿は人のものではなくなっていた。全身を覆う青く柔らかな毛並み。 人間だったときよりも更に一回り小さい体。獣そのものの手足ながら、二足で立つその姿は・・・形容しづらい。ケプラー兵長の言う通り、 猫や兎っぽいが、唯一ながら決定的な違いが、その姿にはあった。
「・・・私は猫でも兎でも、まして野郎じゃない・・・誇り高きカーバンクル・・・」
彼女が顔を上げると、また兵たちからどよめきが起きる。その顔は確かに、猫に似ている。長い耳を持っているから、兎にも見える。でも、 明らかに猫にも兎にも・・・いや、動物にそもそも存在しないものが、彼女にはある。額に埋め込まれた、紅く輝く宝石だった。
「何が”誇り高き”だ・・・所詮”与えられた力”じゃねぇか!」
さっきチェルハ上等兵に蹴られた腹をまだ押さえながら、ケプラー兵長が鋭い牙を見せながら吠え立てる。
「・・・不完全な与えられ方をしたあなたとは違う・・・私は正しく、カーバンクルだから・・・」
「てめぇ・・・俺がケルベロスとして不適格だって言いたいのかよ!?」
「でも・・・テオバルトは・・・」
「ッ・・・あいつの・・・名を出すな!」
「テオバルトは私に優しくしてくれた!・・・私のことを認めてくれた・・・私よりも強かった・・・同じ血を分けて、 どうしてこんなに違うの・・・!?」
いつも声の小さいチェルハ上等兵が、珍しく声を荒げた。・・・私にとっては始めて見る光景だった。 唖然としながら彼らのやり取りを見ていたが、私はふとタツナミ中尉の方に目を向けた。
「・・・中尉、どうかされましたか?」
「・・・いいや。どうもしてないよ」
「では、一つ・・・聞いてもいいですか?」
「何だい?」
「テオバルト・・・というのは、私の前任、テオバルト・ケプラー少尉のことですよね?」
「あぁ、そうだよ」
「・・・何故その名前を聞くと眉をひそめるんです?」
私がそう問い詰めるとタツナミ中尉は、顔を静かに下に向けて黙り込む。私はなおも問いただそうとするが、 私よりも先にマリオンが声を出した。
「お前・・・何を隠している・・・!?」
「・・・隠すつもりは、ない」
「だがっ・・・!」
「・・・思えば、昨日私が車の中で寝てしまって、起きた後から貴方の様子はおかしかった」
今度は私がマリオンの言葉を遮って、話を続けた。
「急に不自然なまでにやる気を出し、何時にも増して隊員の事を守りたいといい、隊員の事を不慣れな階級付きで呼んだりしていた。 優しすぎる貴方だから、激しく動揺しているのは確かだと思ってました。でもそれが、原因が何なのか分からなかった」
「・・・動揺と言うよりは、決意だと思ってる」
「・・・では、その決意が何のための決意なのか。・・・貴方のさっきの反応を見て気付きました」
「・・・まさかっ!?」
冷静なマリオンが、珍しくかっと目を見開いて驚きの表情を浮かべる。・・・マリオンもまた、一つの答えを導き出したのだ。 恐らく私が出した答えと同じであり、それは真実だ。私とマリオンは、声を揃えてその答えを言おうとした。だが、 言おうとする直前に思いがけないところから、その答えが聞こえてきた。
「・・・テオバルトの、気配がする・・・!?」
それはまた、いつもと同じように小さな声で、だけどいつもよりもはっきりと、感情がこもっていた。大きな驚きと、少しずつの怒り、 悲しみ、喜びが交じり合って、複雑な声色を上げたその主は、カーバンクルの少女だった。その紅く大きな目を潤ませて、 大きな耳を揺らしながら、彼女は閉じられたゲートをじっと見ていた。だが、傍にいた人狼の顔は見る見る強張り、 やがて通路全体に響く大きな声で叫んだ。
「伏せろぉぉぉぉおっ!」
声を聞いた瞬間、私達も、周りにいた兵たちもとっさにその場で伏せた。・・・伏せていたから、 すぐには何が起きたのかは分からなかった。耳をつんざく様な激しい爆音と共に、あたりに瓦礫が飛び交った。 それらが目に入らぬようすぐに目を閉じたため、それから音が静まり始める数秒間は全く状況を把握できなかった。
だが、把握出来ないなりに、予測はついた。おそらく、ゲートは破られた。何者かの手によって。
「”トラウアー”が来る!各員各個応戦態勢を!」
音が止むと共に聞こえたのは、タツナミ中尉のその言葉だった。私は急いで懐から銃を取り出し、さっと立ち上がって臨戦態勢を整える。 ゲートがあったほうを見れば、その先は真っ暗だった。
・・・真っ暗?いや、違う。
真っ黒、なのだ。無数の”トラウアー”が向かってきているのだ。
「カジミール!マリオン!変身を!」
「了解しました。マリオン、行くよ!」
「仰せの通りに!」
タツナミ中尉に名を呼ばれたシュザン曹長とマリオンは、小さく頷いてそれに答えた。 そしてすぐさまシュザン曹長がマリオンの身体を持ち上げて、おもむろに唇を合わせたのだ。
始めてみた時は、戦場で一体何をしているのかと面を喰らった記憶がある。だが、これが1人と1匹にとってのトリガーらしい。 唇を離した瞬間から、彼らの様子に変化が現れる。
シュザン曹長の身体はみるみるうちに小さくなり、その全身には白い毛が覆われていく。一方のマリオンは黒い毛並みはそのままだが、 手足が伸びていき、その体躯が人のそれに近づいていく。・・・つまり、2人の体型が入れ代わりつつあるのだ。
シュザン曹長は気付けば軍服の中にすっぽり身体が埋まってしまい、直後に勢いよく飛び出し、私の肩に乗ってきた。・・・だが、 その姿はどう見ても一匹の白猫そのものだった。一方のマリオンは、手足も背格好も人に近づいたが、手足は獣のもののままだ。 言うなれば猫獣人・・・と言うよりは、メスのライオン獣人、といったところだろうか。黒く妖艶な毛並みとボディーラインが、 彼女の美しさを際立てていた。
・・・って、緊迫した状況で何を考えてるんだ、私は。
「副長。大丈夫ですか?」
「・・・えぇ、大丈夫よ」
私の肩に乗っかった白猫・・・に変身したシュザン曹長が、人のときよりもやや高く、綺麗な声で私に声をかけてきた。
「いつも通り、僕は貴方につきます。ですから、思う存分闘ってください」
「言われるまでもなく」
「マリオンは、タツナミ中尉に従って!今から、次に僕が解除を告げるまで、タツナミ中尉の命令は絶対だ。いいね?」
「主の仰せの通りに」
黒いライオン獣人となったマリオンは、私のほうを見て・・・正確には私の肩の白猫、シュザン曹長を見て、 膝を付き胸に手を当てて忠誠の意を表した。そしてマリオンは、まだ人間の姿のままのタツナミ中尉を見て問いかける。
「どうする?私が前に出るか?」
「理想は僕とマリオンの2トップ。ヴォルフラムとハイデマリーがサポート。カジミールとリサちゃんで後方支援と兵の避難を任せたい所・ ・・だが」
タツナミ中尉は、トラウアーの方をちらっと見た後、すぐにチェルハ上等兵の方を見る。その愛らしい姿とは裏腹な、 険しい剣幕でトラウアーの方を見つめながらブツブツと何かを呟いている。
「・・・ハイデマリーにスイッチが入ってる。多分、あの様子だと何もかえりみず突っ込んじゃうだろうから、 マリオンは彼女のサポートを。ヴォルフラムが更にそのサポートをする」
「分かった。下っ端がやられないように、暴走しすぎないように、制御すればいいんだな?」
「あぁ。頼む」
「任せろ」
マリオンはそう短く答えると、チェルハ上等兵の傍により耳元で小さく何かを呟いた。
「リサちゃん」
「・・・はい」
「状況は厳しいが、力を温存したい。僕は変身せずに中盤からみんなの支援に廻ろうと思う」
「温存する必要が、有ると?」
「・・・言ったろう?僕は、皆を守りたい。そのためには、今はまだ力を出すのは早すぎる」
「・・・では、聞き方を変えましょう。・・・テオバルト・ケプラー少尉の記録が、軍から全て消された理由は何です?」
「今話すことじゃない」
「私だけ、理解をしていないんですよ。この隊のメンバーが、テオバルト・ケプラー少尉に抱いている感情を」
「後で話す。・・・今は、こいつ等の相手が先だ!」
「・・・分かりました」
タツナミ中尉も銃を手にして、私と並んでトラウアーの迫る通路の奥を睨みつける。そして、 やや前に陣取った3人の獣人たちに指示を飛ばす。
「僕の合図で全員飛びかかれ!タイミングを外すな!」
「任せとけって!」
「了解だ」
狼とライオンの獣人からは返答があった。だが、一人だけ答えなかった彼女は、ブツブツとまだ何かを呟いていた。
「テオバルトがいる・・・テオバルトに会える・・・テオバルトに聞かなきゃ・・・聞かなきゃ・・・聞かなきゃ・・・聞かなきゃ!」
突然、チェルハ上等兵の声が大きくなって響いたかと思うと、彼女の身体が急に光りだす。正確には、彼女の手と額から、 光が放たれ始めていた。
「ッ!マリオン、ヴォルフラム!すぐに飛び出す準備を!」
タツナミ中尉が慌てて二人にそう呼びかけたが、言い終える直前にチェルハ上等兵は前へと飛び出し始めた。
「追随してサポートをぉ!」
「チィっ!」
「大丈夫だ!追いつける!」
先を走るカーバンクルを、ケルベロスとライオン獣人が追いかける。当のカーバンクルは、 周りの声など聞こえていない様子で通路を駆け抜け、あっという間にトラウアー達の群れに飛び込み、普段の彼女からは想像出来ないような、 粗暴かつ大きな声を上げながら光を乱射し始めた。
「どけぇぇ!テオバルトに、テオバルトに会わせろぉ!」
彼女の指先と額から放たれる赤い光は、トラウアーの身体を貫通してその体組織を崩壊させていく。・・・彼女がトラウアーと闘うために” 造られた”能力だ。
「猫兎野郎・・・頭に血ぃ上らせてんじゃねぇよ!」
ケプラー兵長はチェルハ上等兵に明らかな苛立ちを口にしながらも、彼は彼女の周りに気を配り、 彼女に襲い掛かろうとするトラウアーを瞬時に見極めて対応していく。彼が手に力を込めると、あっという間に彼の手から炎が燃え上がり、 トラウアーを焼き払っていく。チェルハ上等兵同様、闘うために”造られた”能力。上層部が造ろうとした『都合の良い玩具』だ。
ケプラー兵長もチェルハ上等兵も、タツナミ中尉と違って戦場でトラウアー化しかけて、たまたま能力を手にしたわけではない。 トラウアーと言う未知の恐怖と戦うために、ガスの下でも十分な力を発揮できるように、この国は様々な兵器を生み出したいったが、 その極端な例が、彼らだ。
人の頭脳を持ちながら、人を超越した圧倒的な力を人工的に作り出す技術。それを手にした軍はすぐさま”量産”を始め、 多くの少年少女が”兵器”となった。
そして、兵器なのだから、使用者の思い通りにならなければすぐに捨てられてしまう。その兵器自体が”未知の驚異”である以上、 従わなければ手元に置くのさえ恐るべきことなのだ。そうして部隊を転々として、たどり着くのが特殊部隊や実験部隊、或いは局地などの、 軍の中でも見捨てられた部隊というわけだ。
「ほら、リサちゃん。僕らもやるよ」
「・・・はい」
タツナミ中尉の呼びかけに、私も銃を構える。気付けば私の目の前には、前で闘う獣人達が倒し損ねたトラウアーが迫っていた。だが、 私もタツナミ中尉も慌てることなく銃を構えたまま引き金を引かない。トラウアーは鋭く尖った触手を伸ばして、私を貫こうとしてきた。その時、 私の耳元で声が聞こえる。
「大丈夫。この程度ならかすりもしないですから」
「分かってます」
聞こえてきたのはシュザン曹長の声。白猫に変身して私の肩に乗っている彼は、私たちに迫ってくるトラウアーをキッと睨みつける。 するとその瞬間、トラウアーの触手が突然何かに弾かれたように私たちから逸れていく。そのタイミングを見つけて、 私とタツナミ中尉はトラウアーに銃弾を撃ち込む。そして私は懐から手袋とナイフを取り出し、それらを装備する。
「これが貴方への、せめてもの弔い」
私は静かにナイフのスイッチを押し、ゆっくりとトラウアーに近づく。だが、トラウアーは近づく私に気付くことは無い。今の私の気配を、 トラウアーは捉えることが出来ないのだから。私はそのまま手に持ったナイフでトラウアーを何回も切りつけて、 その横をゆっくりと通り過ぎた後、スイッチをもう一度押す。
「さようなら。人の生んだ”悲嘆”」
私は振り返らずに、また前を見て襲い掛かろうとするトラウアーに対峙する。その繰り返しが、ずっと、ずっと続いた。
気付けば、一般の兵の避難も大分完了し、トラウアーもあらかた片付いて落ち着いてきていた。『パラベラム』のメンバーは、 多少息が上がってはいるものの、大きなダメージを受けた者はいないようだ。
「通路側は一通り片付いたみたいだけど・・・ドームの中にはまだうじゃうじゃいるんだろうね・・・」
タツナミ中尉は、額に滲んだ汗を拭いながら、やや疲れた声でそう言った。
「皆、体力を消耗しています。一旦引いて態勢を立て直した方がよろしいかと」
私はタツナミ中尉を見上げてそう言ったが、タツナミ中尉は私のほうを見ずにじっと通路の先を見ていた。彼の視線を更に詳しく追うと、 それがカーバンクルの少女に向けられていることに気付く。
「ハイデマリーは、テオバルトに会うまで止まらないだろう」
「それを止めるのが、隊長である貴方の仕事です」
「分かってるけど、そんな簡単な問題じゃあないんだ」
渋るタツナミ中尉に対して、私は更にチェルハ上等兵の制止を促そうと声を出そうとした、まさにその瞬間だった。 急に背中がしびれるような、味わったことの無い緊張感を後ろから感じたのだ。それと同時に、私たちの傍で声が聞こえてきた。
「へぇ、あのハイデマリーが僕に会いに来たんだ」
「・・・テオバルト・・・!」
振り返り、声の主を確認したタツナミ中尉が、その男の名を呼んだ。・・・初めて見る。私の知らない頃のパラベラムにいた男。 私の前任者。
「テオバルト・ケプラー少尉・・・ですね?」
「へぇ、君が僕の後任か」
「リサ・フクニシ准尉です」
私は震えの止まらない手を必死で押さえ込んで、ナイフを落とさないようにぎゅっと力を込めた。敬礼さえ出来ない。ただ、 この男の威圧感に気圧されないように気をつけるばかりだった。
「テオバルト!」
不意に後ろから声が迫ってくるのに気付いた。それは間違いなく、チェルハ上等兵のものだった。
「ハイデマリー。久しぶりだね」
自分に近寄ってくるカーバンクルの少女を見て、テオバルト・ケプラーは微笑んだ。・・・そして次の瞬間、 ふと私たちの前から姿を消した。まるで本当に消えてしまったかのように。勿論、人が突然消えたりしない。 私の目で終えないスピードで移動したのだ。私は慌てて後ろを振り向く。見れば、チェルハ上等兵とテオバルト・ ケプラーはすっかり接近していた。
「チェルハ上等兵!離れなさい!」
私は大声で呼びかけるが、チェルハ上等兵には何も聞こえていなかった。
「ずっと、ずっと会いたかった!・・・テオバルトが裏切ったなんて、嘘だよね!?」
「勿論、僕は裏切ったつもりなんて無いよ」
「本当!?」
「本当さ。だってね・・・」
彼が言葉を続けようとした瞬間、何か鈍い音が聞こえた。私からはテオバルト・ケプラーが影になって見えなかったが、 彼の腕がかすかに動き、こちらに向かっているカーバンクルの顔が笑顔から徐々に驚きと苦痛の顔に変わっていくのが見えた。
「テオ・・・バル、ト・・・!?」
「だって僕は初めから、君たちの事を仲間だと思ってなかったから」
ゆっくりと、テオバルト・ケプラーがカーバンクルの少女から離れ、私の視界にもはっきりとその姿を確認することが出来るようになった。 見た瞬間に、何かが私の中ではじけそうだった。彼女の美しく青い毛並みが、徐々に赤く染まっていくのを、見た瞬間に。
「テオバルトォォッ!」
私の頭が真っ白になっていく中、聞こえたのはケプラー兵長の声だった。
「・・・あぁ、その声はヴォルフラムか」
テオバルト・ケプラーは落ち着いた様子でそう呟き、自分に襲い掛かろうとする狼獣人の方を見た。
「全身毛むくじゃらになって、鼻や耳まで伸びちゃってさ。・・・人間捨ててまで、兄である僕を殺したいか?」
「黙れ!ハイデマリーが、どんな想いでお前を信じたか・・・思い知らせてやる!」
「久々の兄弟対面ってことで遊んであげたいけどさ。僕が興味あるのは君でもないんだ」
テオバルト・ケプラーはゆっくりと腕を立てに振り、空気を切り裂く。するとそこから衝撃波のようなものが発生し、 襲いかかろうとしたケプラー兵長を逆に吹き飛ばしてしまった。
ますます私の頭の回転が鈍っていく。目の前で、こんな風に仲間が相次いでやられるのを見たのは初めてだった。ここは戦場だから、 必ずそういう場面に出くわすことは、初めから覚悟していたはずだった。なのに、私の考えは何も生み出さなくなっていく。ただただ、 目の前で身体を紅く染めてうずくまる2人の獣人・・・大切な仲間を見ることしか出来なかった。
「隊長!指示を出して隊長!副長も気をしっかり持って!」
シュザン曹長の声が、耳元で響く。動きと思考が鈍っているのは、私だけじゃなかった。横にいたタツナミ中尉も、 目の前で部下を倒されたことに怒りの表情を浮かべつつも、何もせずに立ち尽くしていた。
「カジミール。君は変わらず冷静だね」
「・・・経験だけは、積んでますからね」
「裏切った敵と再会する経験がかい?」
「裏切りではないといったのは、貴方ですよ」
白猫は毛を逆立てながらも、落ち着いた口調でそう答える。それを聞いたテオバルト・ケプラーは何かを言い返そうとするが、 それを遮るようにタツナミ中尉が言葉を発した。
「テオバルト。僕も君と同じ気持ちでいる」
「同じ?何がです、隊長殿」
「僕も、君のしたことは裏切りだと思ってない」
「・・・何故、そうお思いで?」
「僕がまだ、君の事を仲間だと思っているからだ」
「変わってないですね。その甘さ・・・」
テオバルト・ケプラーはどこか呆れたように、乾いたため息をつきながらかすかに笑顔を浮かべた。しかし、 すぐにはっとした表情を浮かべてタツナミ中尉のほうを見直すと、やや皮肉めいた口調で質問を投げかけた。
「・・・まさか、僕を殺すのでなく、説得して連れ戻すつもりですか?」
「罪は償えるものだ。君なら出来る」
「僕が軍を抜けたことが罪だというのに、貴方の甘さは罪にならないので?」
「相応の物を背負っているつもりだし、それで足りないと言われた時の覚悟も出来ている」
「部下を二人も失おうとしているのに?」
「失いはしない」
タツナミ中尉はそう反論した後、私の肩に乗っている白猫、シュザン曹長に声をかけた。
「ハイデマリーとヴォルフラムの治療を頼む」
「了解です。・・・副長、急いでハイデマリーとヴォルフラムの所に」
「え・・・えぇ」
シュザン曹長に声をかけられて、ようやく私は少しだけ、思考が廻り始めた。ひとまずはチェルハ上等兵とケプラー兵長の救助が最優先だ。 聞かなければいけないことは、後からでも聞ける。私は自分にそう言い聞かせて、チェルハ上等兵の下へと駆け寄った。 私がその場から離れてから、タツナミ中尉はテオバルト・ケプラーに対して説得を始めたが、わざと意識しないように気をつけた。 聞こえてしまうと、私のタツナミ中尉への信頼がぶれてしまうかもしれなかった。
優しい人だと思っていた。だからこそ、甘い人だと分かっていた。他人に対してだけでなく、自分に対しても、優しく甘い人間なのだ。
さっきの反応からして間違いなく、テオバルト・ケプラーがこの戦場にいることをタツナミ中尉は知っていた。勿論、 チェルハ上等兵がテオバルト・ケプラーに抱いている感情も知っている。テオバルト・ケプラーとヴォルフラム・ ケプラーが兄弟であることも知っている。
それらを知っていたのであれば当然、こういう結果を招くことは容易に予想できたはずだ。ならば、様々な対策をとることが出来たはずだ。 だが、彼は具体策を取らずに、正面からテオバルト・ケプラーと対峙した。全く策が無いわけじゃないようだが、限りなく無策に近い行動は、 やはり指揮官としての能力に疑問を感じることしか出来なかった。
そしてそれは、そのまま私の自己嫌悪に繋がる。・・・仮にも上層部からタツナミ中尉の監視と制御を名目として派遣されている以上、 彼に対して一定の距離感を保ち、深い信頼など寄せず、彼の小さな異変に対しても、もっと注意深く掘り下げるべきだったのだ。何故、 自分にそれが出来なかったのか。自問自答を繰り返しても答えが出るはずも無かった。そしてそれと同じだけ繰り返される、 出撃前のタツナミ中尉の言葉。
”僕は仲間を守るために闘う”
それが彼の信念だとすれば、彼が守りたい仲間とは誰のことなのか。私たち”パラベラム”メンバーのことなのか、 彼の目の前の裏切り者のことなのか。
「・・・致命傷じゃないけど、出血が多い。早くしないと・・・!」
私がチェルハ上等兵の傍まで駆け寄ると、肩に乗っていた白猫姿のシュザン曹長が飛び降り、彼女の様子を見ながらそう言った。
「僕は先にハイデマリーの治療をします。副長はヴォルフラムを探してきて・・・」
「俺なら、ここにいる」
シュザン曹長の言葉を遮って聞こえてきたのは、ケプラー兵長の声だった。声のした方を見れば、赤い毛並みの狼獣人が、 一方の手でもう一方の腕を押さえながら立っていた。
「腕、やったのか?」
「少し痛むけど、動かせないわけじゃねぇ」
ケプラー兵長はそう告げると私たちの横を通り過ぎようとした。慌てて私は彼を呼び止める。
「どこに行くつもり!?」
「あいつは俺が倒さなきゃいけねぇ相手だ」
「テオバルト・ケプラー少尉については、タツナミ中尉に任せるべきです」
「関係ねぇな。これはケプラー家の問題だ」
「ヴォルフラム・ケプラー兵長もテオバルト・ケプラー少尉も、軍に籍を置く以上、両者間の揉め事は軍の問題です」
「・・・あんたは、いつもそうだな」
「え?」
狼獣人は私のことを、悲しい目つきで睨みながら言葉を続けた。
「いつもあんたは、冷静で正しくあろうとする。でも、 自分の中のどうしようもねぇ感情をどうにかしなきゃいけねぇ時ってのもあるんだよ」
「軍人は、感情になんて流されてはいけない」
「感情に向き合わなきゃ、目的だって見失っちまう。俺は、ハイデマリーが・・・!」
「・・・うるさい・・・黙って・・・」
ケプラー兵長の言葉を遮って、か細く弱弱しい声が聞こえてきた。 ふと声の方を見ればカーバンクルが口から血を流しながらこちらを見ていた。ヴォルフラムは振り返ることなく、 何時になく真剣な表情でテオバルト・ケプラーの方を見ながら応えた。
「黙るのはお前の方だ。傷が、開く」
「喋らないで・・・私の目の前にいないで・・・どっか行ってしまえば、いい。私のためになんか・・・戦わなくていい・・・」
「お前のためになんか戦いはしない。俺の、俺の感情のために戦うだけだ」
「そんなことを、私は望んでいない・・・!」
「お前の望みなんか、聞いてねぇ」
狼獣人はそう言いながら、恐らく自分でも無意識のうちに口元を拭っていた。よく見れば、口の周りの毛は、 彼本来の毛とは紅さが違っていた。
「・・・見たくない、貴方の事なんか・・・」
「心配しなくたって、あいつと戦って、刺し違えて、死んでやるよ」
「死ぬなら、私の知らないところで死んでよ!」
「ッ・・・!ハイデマリー・・・!?」
チェルハ上等兵の大声に、流石のケプラー兵長も驚いて振り向く。彼の目に、涙を浮かべるカーバンクルの姿が映った。
「・・・ずっとそうだった・・・ヴォルフラムを見るたびに、私はテオバルトを思い出してしまう・・・同じ顔で、同じ声で、 同じ空気を漂わせて。なのに、テオバルトよりずっと粗暴で、弱くて、馬鹿で・・・」
「てめぇ、こんな時に・・・!」
「・・・貴方と時を過ごすことが、テオバルトとの時間と被ってしまう事が、貴方を否定することになるのが、怖かった・・・」
「ハイデマリー・・・?」
「・・・今まで、ごめんなさい・・・」
「何、謝ってるんだよ・・・!何でそんな・・・そんな、最期みたいな言い方するんだよ!」
ケプラー兵長は慌てて彼女の傍に駆け寄る。ようやく彼の心が、テオバルト・ケプラーへの憎しみから、ハイデマリー・ チェルハへの想いに向いた。カーバンクルは少し笑いながら、痛む腕をゆっくりと伸ばしながら自分を心配そうに見つめる狼獣人に向けた。
「・・・やっぱり、貴方は馬鹿ね。これくらいで私が死ぬわけないじゃない・・・」
「なっ・・・!?そ、そうなのか、カジミール!?」
「聞いてなかったの?致命傷じゃない、と。・・・もっとも、出血が多い。僕が止血を続けなければ、大事に至る可能性もある。 絶対安静ですけどね」
白猫はハイデマリーの腹部に前足を当てながらそう応えた。彼の前足からは幽かな光が放たれていて、その部分の傷がゆっくり、 ゆっくりとではあるが癒されているのが分かる。
「・・・本当に、大丈夫、なんだな?」
「僕の力を、信頼して欲しい」
「・・・分かった。じゃあ、俺は・・・」
「・・・テオバルトを倒しにいく・・・つもり?」
振り返って再びテオバルト・ケプラーのところへ向かおうとしたケプラー兵長を呼び止めたのは、チェルハ上等兵だった。
「何だよ。身体、大丈夫なんだろ?だったら、尚更お前にかまってる場合じゃねぇ」
「・・・カジミールは、私の治療に力を全て使ってる・・・いつもの結界が使えない状態・・・誰かに守ってもらわないと・・・今の” カジミール”じゃ雑魚相手でも・・・すぐにやられてしまう・・・」
「・・・それで?」
「”カジミール”は大事な戦力だから・・・守らないといけないと思う・・・」
「・・・そう、だな。”カジミール”を守らなきゃ、いけないな」
そう言いながら、2人の獣人は白猫の方をチラッと見た。当の白猫は呆れたような表情を浮かべてため息を一つついた。
「そう、だね。副長、ご指示を」
「・・・えぇ。シュザン曹長はチェルハ上等兵の治療を継続。ケプラー兵長は、2人の護衛・・・その腕で大丈夫なら、だけど」
「了解です」
「任せておけ」
私の指示に、二人は軽く敬礼をした。しかし、ケプラー兵長はすぐに手を下げると、私に問いかけてきた。
「・・・で、あんたはどうするんだ?」
「シュザン曹長の護衛はケプラー兵長がいれば十分。私にはすべきことがある」
「それは、あんたの感情に適うことなのか?」
「・・・さっきも言ったでしょう?軍人は感情に流されてはいけないと」
「だが、感情から目をそむけたって、何も出来ねぇんだよ・・・!」
「私は、私のすべき仕事をするだけ」
私はそう告げて、ケプラー兵長に背を向けて歩き出した。ケプラー兵長はまだ何か言っていたようだったが、私の耳には届かなかった。 私はゆっくりと歩きながら、その手に銃を握り締める。気持ちの震えで、手が振るえ、銃を落としてしまうことの無いようにしっかりと。 真っ直ぐ前を見据えて歩く。
「・・・リサちゃん」
やがて、私はタツナミ中尉とテオバルト・ケプラーが対峙している場所にたどり着く。2人とも緊迫した面持ちのまま、 まだタツナミ中尉はテオバルト・ケプラーのことを説得しようとしていたようだ。タツナミ中尉の横には、ライオン獣人の姿をしたマリオンが、 今にもテオバルト・ケプラーに襲いかかろうとするかのような剣幕で構えていた。タツナミ中尉は、テオバルト・ ケプラーに対して注意を払いつつ、私に声をかけた。
「ハイデマリーと、ヴォルフラムの状況は?」
「チェルハ上等兵は、腹部の傷が深刻ですが、シュザン曹長の見解では致命傷ではないようです。ヴォルフラムは、 腕を軽く痛めた以外は特に問題ないようです」
「そうか。よかった」
「本当に、良かったと思ってます。・・・なので、私は私の仕事をさせていただきます」
そう言って、私は大きく息を吐き出しながら、ゆっくりと腕を上げ、銃を構える。
ディルク・リーグル・タツナミに対して。
「貴様!何をしている!?」
叫んだのは、マリオンだった。ライオンの鋭い牙をむき出しにして光らせている。しかし、 私もタツナミ中尉も表情を変えることなく向かい合っていた。・・・タツナミ中尉の真っ直ぐな瞳が、私の胸を掻き乱そうとするが、 それを表情に出さないように必死に押さえ込んだ。
「・・・つまり、僕は君に”仕事”をさせてしまうようなことを、しでかした訳だ」
「はい。残念ながら」
「こういう日が来るのは、分かっていたけど・・・出来ればこのタイミングで無いほうが良かったな」
「私が”仕事”をするとすれば、何か大きな事件のタイミング以外には考えられませんけどね」
「何だ・・・何の話をしている!?」
私とタツナミ中尉の話が飛躍していたのかもしれない。マリオンは困惑の表情を浮かべて、私に怒鳴りつけてくる。 私はライオン獣人の方を向きながら答えた。
「私は、上層部よりタツナミ中尉の監視、制御を申し付けられています。監視には、タツナミ中尉の行動に対する評価も含まれており、 制御にはタツナミ中尉に対しての・・・処分が含まれています」
「しょっ・・・!?馬鹿なことを言うな!コイツが何を・・・!」
「マリオン。貴方の言う通りでした。タツナミ中尉のやる気は・・・良くない方へ向かっていました」
「何だと・・・!?」
私は目を白黒させるマリオンを尻目に、テオバルト・ケプラーに目を向けた。彼もまた冷静な表情で、 やや口元に笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
「タツナミ中尉にとって、これは絶好のチャンスだった。テオバルト・ケプラー少尉を説得し、連れ戻すための。・・・そして、 あくまで推測ですが・・・テオバルト・ケプラー少尉の意思を確認するために、わざとチェルハ上等兵の感情を昂らせたまま放った。・・・ 違いますか?」
「ふざけるな!」
答えたのは、やはりタツナミ中尉ではなくマリオンだった。・・・どうやら彼女の”癖”が出てきたらしく、なおも彼女は言葉を続けた。
「お前に何が分かる!?お前はこいつ等のことを何も知らないだろうに!」
「えぇ。私には分からないことばかりです。・・・貴方はご存知なのでしょう?彼らが入隊した頃から知っているのでしょうから」
「当たり前だ!隊長と下っ端、そしてこの裏切り者は階級こそ違うが、同期入隊だった。下っ端にとって、 こいつ等は兄のような存在だった!2人を慕う下っ端の姿を、私と主はずっと見てきた!」
「・・・それは裏を返せば、タツナミ中尉も、テオバルト・ケプラー少尉もチェルハ上等兵を可愛がっていた。そういうことですね?」
「そうだ!そして・・・」
「いえ、そこまでが聞ければ十分です。・・・答えが分かりましたから」
私はまだ喋ろうとするマリオンの声を掻き消すように喋り、そのままタツナミ中尉に問いかける。
「テオバルト・ケプラー少尉とチェルハ上等兵が寄り添った時に、タツナミ中尉はそれを制止すべきだったし、制止できたはずだった。・・ ・しかし貴方はただ黙って2人を見ているだけで、結果としてチェルハ上等兵に大怪我を負わせた。テオバルト・ ケプラー少尉の性格を理解している貴方なら、そういう結果は容易に想像できたはずでは?」
「・・・テオバルトからは殺意を感じなかった。・・・テオバルトは、ハイデマリーに対して卑劣になることは出来ない」
「それを、テオバルト・ケプラーの説得に利用したかっただけでしょう?」
「ッ・・・確かに、隊長はそのことを理由に、テオバルトを説得していたが・・・!」
「マリオン。・・・タツナミ中尉は言ってました。”仲間を守るために闘う”と。・・・テオバルト・ケプラーは、 仲間2人を負傷させてまで、守りたい”仲間”なのですか?」
「・・・リサちゃん。出撃前に、僕が言った言葉が全てだ。”隊員を失えば、隊は意味をも失う”と」
「つまりそれは、テオバルト・ケプラーを仲間としてみていると・・・いうことですね?」
「・・・それが、ハイデマリーの意思だから・・・」
「甘いんですよ、貴方は!」
タツナミ中尉の言葉が遮られた。・・・でも、最後の言葉は私じゃない。私も同じことを言おうとしたが、それは私の声じゃない。 ヴォルフラム・ケプラー兵長によく似た、だけど少し高い声。・・・テオバルト・ケプラーのものだった。
「言ったでしょう?僕は貴方達を仲間だと思ったことなど無いって。”連れ戻す”という概念自体が、間違っているんですよ」
「だが、君はハイデマリーを殺せなかった。あの瞬間、君はハイデマリーの首を刎ねることだって出来た」
「情は勿論移ってますよ。でもね、目的のためには感情に流されてなんていられないんです。・・・貴方達と一緒でね」
「僕達と・・・同じ・・・?」
「えぇ。僕を説得するために、大切なハイデマリーを傷つけることも厭わなかった貴方と、信念と正義を守るために、 自らが慕う隊長に銃を突きつける・・・そこの新しい副長さんもね」
そう言って、テオバルト・ケプラーは私の方をチラッと見た。・・・表情から、笑みは消えている。
「”平和を望むなら戦いに備えよ”・・・僕もね、パラベラムと言う言葉は好きなんです。全ての物事において、 戦いを経なければ平和は得られないわけですから」
「何が、言いたい?」
「つまり、大切なものを守るためには、自分の感情と戦わなければいけないわけですよ。大切なものだけを守ろうとしても、 戦う準備をしなければ、自分の弱さに負けてしまうんですよ」
テオバルト・ケプラーは、しきりに私のことを意識しながら言葉を続けた。
耳が痛いのは事実だ。私が握った銃口は、以前タツナミ中尉に向けられている。この任務を課せられたときから、 いずれこういう時が来ることは分かっていた。上層部は、タツナミ中尉が戦力となるうちは特殊部隊の隊長としてこき使い、使い物にならない・・ ・例えば、致命傷を負うだとか、逆に謀反を起こすだとか、軍人として価値を失えば、真っ先に切り捨てるつもりだった。
その判断と、実行を託されて私はこの部隊に入ってきた。任務を課せられてから、部隊に入ってからも、ともに戦いながらも、 仲間として同じときを過ごしながらも、私はずっとずっと、何度も何度も想像してきたのだ。
ディルク・リーグル・タツナミに対して、引き金を引くことを。
何度もシミュレーションを繰り返してきた。それをただ実践するだけ。頭では理解している。でも、私の手と心は、 彼に銃を向けただけで震えてしまっている。狙いと呼吸が定まらないのは、私の心が、感情が定まっていないからだ。・・・私が続けてきた” 戦いへの備え”が、本当に私にとっての”平和”なのか、分からなくなっていた。肝心の”自分の心との戦い”に・・・備えていなかった。
やはり、私とタツナミ中尉は一定の距離を保たなければいけなかったのだ。彼が優しかろうと、彼が強かろうと、 私は淡々と自分の仕事をこなす準備をすればよかったのだ。
「自分のすべきことを・・・すればよかったんですよ・・・貴方も・・・!」
「リサ・・・ちゃん・・・?」
「貴方は、貴方の信念は、”全力で仲間を守ること”でしょう!?貴方が、あの時チェルハ上等兵を助けに行けば、 或いはチェルハ上等兵をそもそも出撃から外していれば・・・こんなことにはならなかった!」
「リサちゃん、僕は・・・」
「だから、忠告してきたんです!貴方は優しすぎると!・・・優しすぎたんですよ・・・軍人として、貴方は・・・!」
喉と胸に、何かがつかえている感じだった。あふれ出しそうで、出てこない何かが、私の中で渦を巻いていた。
分かっている。タツナミ中尉に、仲間であるチェルハ上等兵を利用するような、姑息な考えや、戦術論など持ち合わせていないことなど。
分かっている。タツナミ中尉に、仲間であるテオバルト・ケプラーと敵対できるだけの、冷静さと冷酷さなど持ち合わせていないことも。
だが、結果は結果なのだ。
「・・・リサちゃん。君の言葉の全てが正しいわけじゃない。・・・でも、結果は結果、事実は事実。君の推測や、 判断を否定するだけの根拠が、僕の言動には無いと思う。僕の行動で・・・ハイデマリーを危険な目にあわせてしまったのは・・・事実だ。 僕の考えの甘さが・・・ハイデマリーを傷つけた」
「どうして・・・そんな風に落ち着いていられるんですか!?貴方は、どうして!」
「覚悟、していた。・・・いや、覚悟と言うより、信じていたって感じかな?」
「・・・何をですか・・・?」
「君が、僕を止めてくれる。君が僕を裁いてくれる。・・・君ならば、皆を守ってくれる。僕がいなくなっても、大丈夫。 そう信じていたから」
「どうして・・・!」
どうしてこの人はこうまで、人を信じるのだろう。
どうしてこの人はこうまで、真っ直ぐを見つめているんだろう。
「どうして、それならチェルハ上等兵を助けなかったんです!?何故テオバルト・ケプラーの説得を最優先させたんですか!?何故、 その甘さに気付いていたのに、自重してくださらなかったんですか!?貴方のせいで、私は・・・どうして、どうして・・・私は・・・!」
「・・・リサ、ちゃん・・・?」
「どうして・・・私は貴方に銃を向けなければならないんですか・・・!?」
喉と胸に渦巻いて、私を掻き乱している何かが、本当は何なのか・・・分かっている。伝えるべき言葉と伝えるべき心だ。それが、 私の中でただただ大きくなって、行き場所が無くて、私の胸を締め付けていく。・・・そして、もうどうにも出来なくなったそれは、 気付けば私の頬をつたい落ちていた。タツナミ中尉は、今の私をどんな気持ちで見ているのだろう。どんな顔をしてるんだろう。視界がぼやけて、 上手く見えない。
何か、言ってほしい。
タツナミ中尉の声が聞きたかった。
「・・・君は、やっぱり僕に似ているのかもしれないね」
だけど、聞こえてきたのは、タツナミ中尉の声じゃなかった。もっと若くて高い声。テオバルト・ケプラーのものだった。 私の気持ちをよそにして、彼は言葉を続けた。
「僕は君の前任だからね。君のおかれた立場も、君の気持ちもよく分かるんだ。・・・軍に対する忠誠や、 仕事に真っ直ぐ向き合おうとするところとかさ」
彼はそう言って私に近づこうとした。だが、彼が一歩踏み込んだ瞬間に、私とテオバルト・ケプラーの間にタツナミ中尉が立ちはだかった。
「・・・何故、彼女をかばうんです?貴方を、撃とうとしたのに」
「僕は、仲間を守る。・・・それが僕の信念だから」
「じゃあ、何故ハイデマリーを守らなかったんです?・・・僕を、信じてしまっていたから?」
「信じてしまっていた、じゃない。今でも僕は、君が仲間だと信じている。・・・でも、その信頼があの時、僕をためらわせた」
「・・・逆の話をしましょうか?」
「逆の・・・話?」
「僕も、貴方が止めてくれると信じていたら・・・どうしますか?」
「・・・説得の、余地があるんだって、思う」
「・・・結局、貴方は視点がずれているんです。いつだって」
テオバルト・ケプラーは呆れたようにため息をついて、タツナミ中尉の横をかわして私に近づいてきた。それを、タツナミ中尉は止めない。
「僕は、貴方は隊長に向かないとずっと思ってました。隊員を守りたいという理想ばかり口にして、全てのモノを守ろうとして、 全て失ってしまう。”二兎追うものは一兎も得ず”って・・・貴方のふるさとの言葉です。ご存知でしょう?」
「僕は・・・」
「全て、貴方の責任ですよ。僕が軍を抜けたのも、ヴォルフラムが軍に入隊したのも、僕がハイデマリーを傷つけたのも。・・・そして・・ ・」
テオバルト・ケプラーは何かを言おうとして、言葉を止めた。そして顔を私のほうに向けて、銃を握る私の手にそっと触れながら、 今度は私に向かって話しかけてくる。
「さっきも言ったとおり、僕は君の気持ちがよく分かる。・・・でも、そういう考えを、今は持っちゃあいけない」
「・・・どういうこと・・・?」
「・・・冷静で、頭のいい人間ほどさ、いざっていう時に頭の回転が鈍ってさ。 信じられないような間抜けなミスを犯したりするもんなんだよ」
「・・・ミス?」
「だって、そうだろう?君は今どこにいるのか?何故君はここにいるのか?ここで何が起きたのか?・・・普段の君なら、 考えるまでも無く気付くことのはず」
私がどこにいるのか?私が何故ここにいるのか?ここで何が起きたのか?私は頭の中でとっさに考える。・・・そしてすぐさまはっとして、 片手で口元に手を当てる。・・・瞬間私の顔が青ざめていく。
「ましてそんな状況で悲しんだり、嘆いたりすれば・・・どうなるか。・・・いい機会かもしれないね。自分で体験してみるのも」
そう私に告げた、テオバルト・ケプラーの表情には笑みが浮かんでいた。私はとっさに、 考えるよりも先に手で握り締めていた銃を彼に向けようとした。しかし、その瞬間銃は私の手から離れて落ちていった。 手を滑らせたわけではない。・・・私の手が、銃を握れなくなっただけだった。・・・手の形が、変わってしまったために。
「これ・・・こんな、私・・・が・・・!?」
「リサちゃん!」
「私が・・・”トラウアー”に・・・!?」
何度も見てきた光景だ。人の身体に黒いモノが覆っていき、人でなくなっていく。何度も何度も、嫌と言うほど見てきた光景が、 私の身体に起きている。
私が銃を握っていた手には、黒いモノが覆い始めており、人の手の形を崩していった。
この国の言葉で”悲嘆”を意味する、”トラウアー”。人の悲しみや嘆きに反応して、その人間と取って代わる怪物。私が倒すべき怪物。
だから考えてもいなかった。自分がその怪物になることなど。