パラベラム 前編
【人間→獣】
黒く濁った空が何処までも続いている。途切れることなく、滲むことなく、ただただ一色の黒。見ているだけで息苦しくなるような、 悲しく忌々しいその空を、その人はよく見上げては、ボーっと眺めていた。何が面白いのか、何が彼をそうさせるのか、私には分からなかった。
「・・・タツナミ中尉、何をなさってるのですか?」
口を覆い隠すマスクのせいで、ややくぐもった私の声を聞き、彼は静かに振り返った。ボサボサの髪と、少し伸びた無精ひげ。 軍服に身を包んでいなければ、ただの老け顔の男だ。・・・たしかまだ、29らしいけど。彼は私と違ってマスクをつけていない、 その口を静かに開いた。
「あぁ、リサちゃん。もう来たんだ」
「・・・その呼び方はやめて下さいと、何度言えば分かるんですか」
「はいはい。・・・フクニシ准尉」
私の反論に、彼は適当に相槌を打ちながら、改めて私の名を呼んだ。
「それで?何の用?」
「住民の避難が完了したと、第3中隊より連絡がありました」
「それは、思う存分やってくれて構わない、という合図だって解釈していいのかな?」
「どう捉えるかは、隊長である貴方の権利であり、義務であると私は思いますが」
「責任は僕に有りってことか。・・・まぁ、上も僕らが好き勝手をやって、責任を押し付けるのが理想だろうしね」
「・・・過ぎた発言は、報告いたしますよ?」
「ははっ、怖い怖い」
彼は乾いた声で笑いながら、ボサボサの頭を掻きむしった。
「で、幾つだと思う?」
突然、彼は私に問いかけてきた。あまりにも不意だったため、まずはその質問の意味から少し考え、 しばらくしてから状況とさっきまでの会話の流れを汲み取って、一つ聞き返した。
「敵の数が、ですか?」
彼は静かに頷いた。それを見て、私は言葉を続けた。
「それでしたら3・・・いえ、東南東3キロに1体いるのをカウントすれば、4体かと」
「流石だね。・・・でも、北北西から2体飛行タイプが来ている」
「・・・6、ですか。”彼等”も呼びますか?」
「いや、近場にいる3だけ、僕とリサちゃんだけでやろう。東南東の奴は動かない。無視してもいい。飛行タイプは・・・偵察だろうな」
「・・・なら、後々に仲間を連れて来ませんか?」
「その頃には僕らは撤退している。残る第2中隊にでも対応してもらえばいい」
「かしこまりました。では早速」
私は小さく敬礼をした後、すぐさま懐から拳銃を取り出し、後ろを振り向くと同時に引き金を引いた。銃声と共に、 かすかに何かのうめき声が聞こえた。
「あの小さいのは、私一人でも出来ます。中尉は残りの大物2体を」
「あっさり言ってくれるね」
「私は生身で、少ない武器で”トラウアー”を相手にするんです。大きな力を持つ、貴方とは違うんです」
「・・・自分を客観的に見ることが出来る人の言い方だね」
「ふざけないで下さい」
私は中尉とやり取りをしながらも、自分の獲物となる”トラウアー”の気配を追っていた。相手もこちらを警戒しているのか、 それともさっきの銃弾が思いのほかダメージが大きかったのか、仕掛けてくる気配が無い。
「じゃあ、任せていいね」
「えぇ、ですから中尉は、安心して力を解放して下さい」
「ありがとう。有能な部下がいてくれると、本当に助かるよ」
中尉は笑顔を浮かべながら、私の横に並んで立った。
「どうせなら、あの小物も威嚇してあげよう。・・・逃げるために、嫌でも姿を出してくれるはずだ」
「その必要はない・・・ですが、お言葉には甘えます」
「素直でいいと思うよ」
中尉は私に頼られて嬉しいのか、一層だらしない笑顔を見せたが、すぐにその表情は引き締まり、前をじっと見据えながら、 やがてゆっくりとその場にうずくまり始めた。私は、敵への警戒を続けながらも、視線は自然と中尉の方へと向かっていた。
「・・・見たって面白いものじゃないだろう?」
「目に焼き付けておきたいだけです。力の代償を」
私の視線を感じてか、中尉はかすかにはにかむ様に、自嘲気味に笑った。笑うだけの余裕が、まだあるらしい。だが、 彼の表情はすぐにゆがみ始める。彼を苦痛が襲い始めている。力の代償による、苦痛が。そしてこの間、彼は闘うことの出来ない無防備な状態だ。 それを守るのも私の役目だった。私は中尉の様子に気を配りつつも、周囲への警戒は怠らなかった。
そしてようやく、彼の力が表に現れ始めた。・・・つまり、彼の変化が始まった。
「グゥッ・・・!」
苦痛に歪む顔が、徐々に本当の意味で歪んでいき、私の知るタツナミ中尉のものではなくなっていく。瞬く間に顔の皮膚が硬く変質し、 緑色へと変わっていく。顔も骨格そのものが変化していき、彼の鼻は前へと大きく突き出し、苦しそうに大きく開く口元には、鋭い牙が並ぶ。 彼の茶色い髪の毛も、ふわっと長く伸びたかと思うと、その色が黄金色へと変わり、長くやわからなたてがみへと変化した。 そのたてがみに隠れた耳もまた、すぐに横へと尖り、まるでエルフの耳に獣の毛が生えたようなものへと変化した。その時点で既に、 彼の面影はなくなっていた。
「ガァァッ!」
まるで獣が吠えるかのような、猛々しい叫び声。それに呼応するように、彼の変化は全身を巡っていく。大きく腕を広げると、 その両腕も緑色の硬い皮膚へと変化し、指先からは鋭い爪が伸びる。身体自体も一回り大きくなり、着ていた軍服は窮屈になったのか、 その鋭い爪で軽く切れ目を入れると、身体の肥大に耐えられなくなり破れ始めた。軍服の下から現れた彼の肌も既に、 緑色の皮膚へと変化していて、元々筋肉質だった彼の身体は更に、引き締まり逞しくなっていた。
変化は下半身にも及び、長く太い尻尾が腰元からするっと伸び、足の指先にも手と同じ鋭い爪が生えている。・・・それは、 伝承などに出てくる幻の生物、ドラゴンそのものだった。ただし、腕や脚の長さや、身体のバランスは人のままだし、翼だって生えていないので、 正確に言えば竜人だろうか。一通り変化を終えた彼は、その身に纏わりついた軍服の切れ端をふるい落とすために小さく身震いすると、 すぅっとゆっくり息を吸い、そして精一杯口を開いて喉を振るわせた。
「グウォォォォォオウゥ!」
空を覆う一面の黒い雲さえ、恐れをなして逃げ出してしまいそうな、雄々しく、猛々しい雄叫び。だが、私の意識は既に中尉・・・ が変身した竜人には向けられていなかった。見据える先はただ一つ。私はマスクの中で息を殺し、竜人の雄叫びで震える空気を肌で感じながら、 その空気の”違和感”を探っていた。・・・そして、それは予想通り現れた。かすかに聞こえた、何かが擦れる音。 私はすかさずその音の方に銃口を向けて2度引き金を引いた。竜人の雄叫びと、今の銃声を聞いて溜まらなくなったのか、 瓦礫の影からそいつが姿を現した。
「”トラウアー”確認。対象を攻撃します」
「リサちゃん。分かっていると思うけど、可能であれば捕らえる様にね」
「・・・可能で、あれば」
いかつい外見からはやや想像し難い優しい口調に、私は少しだけ眉を寄せながら、”トラウアー”の傍へと近寄る。おびえているのか、 足を震わせて動こうとしない。
「・・・じゃあ、僕は他の2体をやってくる」
竜人の姿のタツナミ中尉は、私に一言そう伝えると、脚に力を込めて、残り2体の気配のある方へと走っていった。私はそれを確認した後、 一つ小さくため息をつき、再び目の前の”トラウアー”を見つめながら、銃口を突きつける。
「・・・陸軍第32連隊隷下、第2特殊別働部隊『パラベラム』副長代行リサ・フクニシ准尉です。名を名乗りなさい」
”トラウアー”はゆっくりと顔をあげ、私の目線におびえるようにしながら、拙い口調で答えた。
「ヤ、ヤン・・・ヤン・ブリーゲル、ですっ・・・」
そう答えるその表情は、おびえる幼子のようだ。・・・いや、表情と言うよりも、姿が完全に幼い子供のそれだった。しかし、 私は躊躇うことなく引き金に指をかける。
「軍は”トラウアー”を捕獲、もしくは駆除する権限を国より与えられています。意味は理解できる?」
「お、お願いです!殺さないで・・・!僕は、悪くない!僕は・・・僕のせいじゃないんだ・・・!」
「・・・私たちに出くわせば闘うことになると分かっていて、逃げなかった。その理由は何?」
「僕は・・・皆を助ける力が欲しかったんだ・・・なのに、こんな、こんなことになる、なるなんて・・・!」
「・・・最後に一つ。”トラウアー”を何故、”トラウアー”と呼ぶか、知ってる?」
「・・・違う、僕は、化物なんかじゃない!化物なんかじゃ、なんか、ばけも、けものな、違う僕は違うちが、ちがちがうじゃウアァァァ・ ・・!」
私は奇怪な叫びをあげる”ソレ”の額に銃口を向けたまま、躊躇いなく引き金を引く。銃弾は確かに”ソレ”を貫通したが、”ソレ” の様子は変わることなく、耳障りな叫びを続けていた。そして、辛うじて幼い少年の姿を保っていた”ソレ”の姿は、大きく崩れ落ちていく。・・ ・私の銃弾によるダメージじゃない。真の姿に戻ろうとしているだけだった。
全身を、まるで空を多い尽くす雲と同じような黒いモノが覆っていき、その姿を隠していく。 そして黒いモノは徐々に別の姿を形作っていく。鋭い爪、鋭い牙、そして身の丈3メートルはあろうかと言う巨躯。既に人とも獣とも違う、 名実共に化物。
「・・・これを、どう捕らえろとっ・・・!」
マスクの中ではき捨てるように呟いた。しかし、私は怯むことなく残りの銃弾2発を、黒い化物の両肩目掛けて撃つ。狙うなら関節。・・・ 効果が低いのは分かっているが、闇雲に撃つよりはマシである事は確かだった。そして私は弾のなくなった銃を懐にしまうと、 代わりに厚手の手袋と小さなナイフを2本取り出す。
「グゥウ、ガァァァァッ!」
黒い化物は怒りに震える声を上げ私を威嚇している様子だったが、私は表情を変えずに取り出した手袋を両手にはめ、 2本のナイフを手にする。そしてそのナイフに付いたスイッチを静かに押す。
「これが貴方への、せめてもの弔い」
私はマスクの内側で静かにそう呟くと、一歩前に出てナイフを構え、次の瞬間には黒い化物の横を通り抜けていた。・・・ ように見えただろう。この黒い化物には。
「さようなら。人の生んだ”悲嘆”」
私はナイフについたスイッチをもう一度押し、ゆっくりとその場を立ち去る。今度こそ本当に、その身を崩壊させていく黒い化物” トラウアー”を背にして。振り返ることもなく、感傷に浸ることもなく、私はただ前だけを見ていた。振り返ったり、悲しんだりすればそれが、 人の生んだ悲しみや嘆きに対する、冒涜のような気がしたから。
「・・・強いね、リサちゃんは」
私とは対照的に、私が倒した”トラウアー”の方を見つめている姿があった。さっき、他の敵を倒しに行った竜人、タツナミ中尉だった。
「それは、こちらのセリフです」
タツナミ中尉の姿を見つけ少しはっとしたが、だからと言って特別驚くこともなかった。辺りの気配を探れば、 さっきまで感じ取れた2体の敵の気配が消えていた。私が1体を相手していた、その僅かな時間で。
「可能ならば捕らえろ、と仰ったのは中尉では?」
「正確に言えば、僕は上からの御達しを、君の上官として伝えたに過ぎない」
「上層部からの言葉を伝えるのは、貴方から私にではなく、私から貴方にです」
「分かっている。でも、隊長は僕だ」
「そこは承知し、配慮しているつもりです」
竜人の見つめる先にいた”トラウアー”は、既に殆ど砕け散っていたが、彼はなおもその方を見つめ続けた。 いかついドラゴンの顔に似合わぬ、悲しげな顔で。
「どうして、そんな目で彼等を見ることが出来るんですか?」
「・・・彼等よりも、彼等を倒す僕らの方が”トラウアー”じゃないのか、って思えてきて」
「・・・答えに、なってませんね」
「そう、だね」
私は、私が倒した”トラウアー”の気配が完全に消えたことを確認するとその場で振り返り、 タツナミ中尉と同じようにさっきまで化物がいたその先を見つめた。
「・・・全ては、人の罪ですから」
「償うのも、罰せられるのも、人ということだろうけどさ」
「納得いきませんか?」
「彼等自身や、僕等自身に罪は無い」
「中尉は・・・優しすぎるんです」
マスクをしているせいか、自分の声が余計に響いて自分に聞こえてくる。・・・時々、自分の中尉への言葉に恥ずかしさを感じる。
「・・・ありがとう」
また、中尉も素直にお礼なんか言ったりするから、益々恥ずかしくなるが、逆にマスクをしているため中尉に表情を読み取られない分、 助かっている部分も有るのは事実だけど。
「・・・帰還しましょうか。空にいた奴も引き上げたようですし、じきに彼等が仲間を連れてくるでしょうから」
私は、マスクを直す振りをして手で顔を覆い、目元を中尉に見られないようにした。
「あぁ、いくらマスクをしていても、長時間の出撃は君にとって負担がかかりすぎる」
中尉はそっと私の横に並び、私の頭の上にぽんっと手を置いた。
「君が副長で、良かったと思っている」
「正確には、副長代行です」
「”代行”が取れるのは、時間の問題だと思うよ」
「決めるのは上ですから」
私は中尉の冷たくごつごつした竜の手を払い除け、彼の前を歩き始めた。
「車が待機しているはずです。向かいましょう」
タツナミ中尉は「はいはい」と、少しため息をつきながらも、 その竜の顔で出来る精一杯の笑顔を浮かべながら私の後ろをついて歩き始めた。空は変わらず、黒く澱んでいた。
それを”トラウアー”と初めて呼んだのが、いつ、どこの、誰だったのか、今となってははっきりと分からない。ただ、 それが生まれる原因と、そう呼ばれる所以ははっきりと分かっている。
全てはこの空をあの黒い雲が覆い始めてからだった。あの時から人々は二つの恐怖と隣りあわせで生きることとなった。
一つは、永久に晴れることの無い陰鬱な闇の中で生きる恐怖。
もう一つは、その雲の生み出すガスが持つ恐るべき力、人の”嘆き”や”悲しみ”などの人の黒い部分、負の部分を増幅し、 その人間を化物へと変えてしまう力への恐怖。
勿論、あの黒い雲は呪いや魔法の類ではない。人の生み出した、兵器だった。どこの国が、何の目的で作り出したのかは分からない、 と言うことになっている。責任問題を論じる余裕など、当事国にも他国にもなくなっていたのだから。
そして人々は、自らの罪で生み出した化物を、この国の言葉で”悲嘆”を表す”トラウアー”と呼び、贖罪の意思で”トラウアー” の駆逐を主に軍が主導して行うようになっていき、民もこれを歓迎した。
しかし、どれだけの国民が知っているのだろうか。この駆逐が、またどれだけ多くの”悲嘆”を生み出しているのかを。
「・・・フクニシ准尉?」
「え、あ?・・・何ですか?」
不意に声をかけられてびくっとしながら、私は声のした方を見返した。声の主はタツナミ中尉だった。・・・ただし、人間の姿の。
「疲れてたみたいだから寝かせておいたんだけど、流石に寝すぎかなって思って」
どうやら、あの戦いの後車の中で眠ってしまったらしい。
「基地に着いた時点で、起こして下さればよかったのに」
「気持ちよさそうだったから、つい」
「・・・ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いや、気にすることはないさ。・・・身も心もすり減らす任務だから」
私は身を起こし、小さく伸びをしながら首を左右へと動かす。そして中尉のてを借りながら車から降りた。 中尉は既に新しい軍服に身を包んでいた。
「起きてすぐで申し訳ないけど、このまま司令室まで一緒に来てもらっても構わないかな?」
「・・・私と、中尉でですか?」
彼の顔を見上げながら私が聞き返すと、彼は小さく頷いた。私は首をかしげながら問い返す。普段、 私たち隊長と副長が揃って司令室に顔を出すことが無かったからだ。
「でも、今回の戦闘に関するレポートはまだ作ってませんよ?報告だけでしたら、隊長だけで十分では?」
「戦闘報告は僕一人で済ませてきたよ。・・・でも、その時にフクニシ准尉と一緒にもう一度来るように言われてさ」
「そう、ですか」
私は今ひとつ納得しないまま、彼の後ろについて基地内を歩き始める。
「・・・そう言えば、今は、”フクニシ准尉”と呼んでくださるんですね」
「一応、僕は隊長だからね。色々と手前もあるし」
「そういうこと、気にされない方だと思ってましたが」
「だから、色々あるのさ。・・・色々」
「上に何か言われましたか?」
「色々は、色々だってば」
タツナミ中尉は頭をかきながら、もう一方の手で私の頭に手を乗せた。
「あんまり、背負いすぎちゃだめだよ?身体が持たないから」
「・・・中尉が、もう少ししっかりしてくだされば、私の負担が減るはずですが」
「・・・耳が痛いよ」
そう呟くと、今度は私が払い除ける前に、自分から手を下ろし、そのまま私の肩を軽く叩いた。
「さぁ、行こう」
「はい」
私たちは車から離れて基地内へと入る。ガスを基地内に持ち込まないための除菌室を通り、新しい軍服に着替えた後、 すぐさま司令室に向かった。
司令室に入ってすぐに、なにやらいつもよりもあわただしいことに気がついた。浮き足立つ、と言うほどではなかったが、 どうも皆落ち着きが無い。
「・・・何となく、だけどさ」
「何でしょう?」
「覚悟は、しておいた方がいいかもね」
「・・・そう、ですね」
覚悟。
中尉が私の耳元で小さく囁いたその言葉が私の頭を駆け巡った。軍の司令室が慌しいという場合、 良からぬ事が起きているとみて間違い無いだろう。そこに、特殊部隊の隊長と副長代行が呼ばれたのだ。下る司令は、想像できる。
「単刀直入に言おう。『パラベラム』に動いてもらいたい」
私たちが司令室の奥、連隊長の前に立つなり、私たちの挨拶もそこそこに、烈火の勢いで連隊長が切り出した。
「状況を詳しくお話願えませんか」
私は、いきなり指示を出そうとする連隊長の言葉を制止して、そう聞いた。普段から、結論ばかり喋ろうとする人だが、 今日は一段と切羽詰っている印象だ。軍人として・・・というより、前線の兵士としては勇猛かつ優秀な英雄だったらしいが、 今では退役を間近に控える歳となっても大佐に甘んじている。功績から言えば、既に将官に就いていてもおかしくないはずだが。
「あ、あぁ。すまない。何分切羽詰っててな」
この人が自らの口で置かれた状況を”切羽詰った”と言うほどだ。余程の事なのだと、この時確信した。
話は長かったが、要約すればどうやら、”トラウアー”の大量発生が起きてしまったらしい。
軍は”トラウアー”の発生が起きた地域の人々は、安全を確保するためにガスの危険の無い地下や居住ドームへ非難させているが、 今回はそのドームに何らかの形でガスが入り込み、家族や仲間など大切な存在を失った人々の”悲嘆”に反応し、そこの人々は恐るべき勢いで” トラウアー”へと変貌を遂げた、らしい。
「・・・状況は理解しました。ですが、腑に落ちない点が」
「言ってみろ」
私は資料から顔を上げて、再び連隊長の方を見た。
「ザールブリュッケンの2番ドームは、隣国のすぐ傍だということで、特に警備が厳重に・・・」
「わかっている、だがそれ以上は喋るな」
連隊長は私のセリフを遮るために大きな声を上げた。私が口を止めたことを確認すると、今度は小さな声で話し始めた。
「私は別に保身に走るつもりは無い。だが、自分の身を自分で守ることが出来てこその軍人だと、私は思うのだが、どうかな? フクニシ准尉」
「どういった意図の質問でしょうか?」
「君ほどの優秀な人間が、それを私に言わせるのか?」
「いえ・・・その言葉だけで、理解しました。私も、同感です」
「それでいい。フクニシ准尉」
理解はした。連隊長が言いたかったのは二つ。厳重な警備をしていたはずのザールブリュッケン2番ドームで軍が不祥事を起こした、 その理由が「自分の身を自分で守る」ためであることが一つ。そしてもう一つは「自分の身を自分で守る」ために、 その件に深入りしてはならないという忠告だ。
癖のある性格と口の足りなさが災いして、歳と功績に合わぬ連隊長という地位に甘んじているこの大佐だが、頭が切れるのは確かだ。 そうでなければ、過去の話とはいえ、英雄と呼ばれたりなどしない。
「・・・話が逸れたな。本題に移ろう」
連隊長は懐から葉巻を取り出し火をつけながら話を続ける。
「すでに第2連隊隷下の複数中隊が、1番ドームに対策室を設けている。『パラベラム』にはそこに加わってもらう」
「第2連隊の指揮下に入るのですか?」
「いや、あくまで君たちは『特殊別働部隊』だ。君たちの行動は、君たちに委ねられるのは変わらない」
「たとえ、他の連隊との合同任務であったとしても?」
「無論だ」
私は顔を上げて、タツナミ中尉の方を見上げた。ここまで一言も発さず、黙って私たちのやり取りを聞いていた中尉の顔は、 どこか悲しげだった。
「・・・分かりました。つまり我々『パラベラム』が、作戦戦略レベルで権限と責任を負うということでよろしいですね?」
「あぁ、任せる」
「かしこまりました」
私は連隊長のその言葉を聞いて、改めて背筋を伸ばし、敬礼をしながら言葉を続けた。
「ではこれより、ディルク・リーグル・タツナミ中尉以下、第2特別別働部隊『パラベラム』 所属5名はザールブリュッケン1番ドームにて第2連隊と合流し、2番ドームの” トラウアー”鎮圧に出撃いたします」
「健闘を祈る」
連隊長は、葉巻を灰皿の上に置き、座したままゆっくりと私たちに敬礼をした。この人の癖なのか階級が下の者に対してでも、 敬礼をしてしまうらしい。
「最後に、もう一つだけ質問してもよろしいでしょうか?」
「何だね?」
敬礼を終え、葉巻に手を伸ばそうとしていた連隊長に私は問いかけた。彼は手を止めて恨めしそうに私のほうを仰ぎ見る。
「何故、隊長と副長が揃って話を聞く必要が有ったのでしょうか?」
「急を要する事案である以上、手を省きたいだけだ」
「・・・理解しました。では」
私は中尉に目を向けると、中尉も私のほうを見下ろしながら、首をドアの方へと2、3回振った。私は小さく頷くと、 改めて連隊長の方を向いて敬礼をした。
「失礼しました」
そして私たち二人は、なおも慌しい司令室をそそくさと後にした。司令室から僅かに離れると、 逆に手薄になっている他の会議室や待機室は静かそのもので、閑散としていた。
「・・・そういうわけですが、タツナミ中尉。状況はご理解いただけましたか?」
「子供じゃないんだから」
タツナミ中尉はまた頭をかきながら、私の後ろを面倒臭そうに歩く。
「で、今回のことはどう考えているの?フクニシ准尉としては」
「・・・周りに他の兵もいます」
「そう、だね。でも君のその反応で、大体予測はつく」
彼はそう言った後から、しばらく何も口に出さなかった。・・・多分、私も、中尉も、そしてあの連隊長も、考えていることは同じはずだ。
経済に、外交に重要な拠点で、厳重な警備を行っている都市で起きた不祥事。本来起こり得ないはずのことが起きたのだ。 ある程度冷静かつ、軍に対して妄信的ではない兵士の多くは、自然と一つの可能性を頭にめぐらせる。
それが、”起きた”のではなく、”起こした”のではないかと。
だから連隊長は私の言葉を止めにかかった。もしその可能性が真実だとすれば、それはたとえ仲間だとしても・・・いや、 むしろ仲間にこそ知られてはならない事柄のはず。
だとすれば、その事実に触れれば例え仲間であってもどうなるのか、想像に難くない。
任務遂行のため、追及したいことは幾つもある。何故今回のことが起きたのか、管轄である第2連隊はその時何をしていたのか、 そもそも第2連隊は信用していいのか、というよりも、何故”トラウアー”被害者などという、二次的”トラウアー” 発生の危険が高い人間の避難施設を、外交の重要な拠点に置いたりしたのか。
考えればいくらでも疑問や矛盾は出てくる。だがそれを口にしてはいけないし、可能ならそれ以上考えてもいけない。それが、 軍人である以上の務めと見つけるしかない。
「でも、仮の話をしていい?」
「何でしょう?」
沈黙を破るように、タツナミ中尉が柄に無い真剣な口調で聞いてきた。
「仮に、フクニシ准尉の考えていることが本当だとしたら、何故僕等をそこに向かわせるんだ?」
中尉のその疑問に、私もはっと足を止めて考えた。状況が状況だから、私たちのような特別部隊は駆り出されて当たり前だと思っていたが、 若干不自然だ。手に負えない状況だから、別の部隊に応援を要請する。ここまでは合点がいく。だが、 私たち特殊別働部隊は独断での行動が許可されている。
裏を返せば、上は作戦戦略レベルで指示を出すことが出来ず、出撃要請程度にとどまる。そんな扱いづらい部隊を派遣するのは大体、 何かの後始末程度だったはず。今までもそうだったように。今回のような、国際問題に発展しかけない重要な任務に、私たちのような扱いづらい、 かつ胡散臭い部隊を派遣する意味が、あるとすれば。
「・・・中尉、それも私たちが考えてはいけない事項です」
「いや、これは考えるべきことだ」
「何故そう言い切れます?」
「さっき大佐も言っていただろ?『自分の身を自分で守ることが出来てこその軍人』って」
「そうは言っても、所詮私たち兵は、駒ですから」
「・・・君は駒ではなく、駒を動かす側の人間じゃないか?」
「隊長は貴方。私は副長代行です。・・・肩書き通りに動くだけという事実に、変わりはありません」
「・・・答えになっていないね」
「それを・・・貴方から言われるとは、思ってませんでした」
私は、無理に笑顔を作って中尉を見上げた。
駒を動かす側の人間。
中尉のその言葉が、私の心に刺さらないように刺さらないようにと、心を静めるので精一杯だったからかもしれないが、 私の笑顔は中尉が見て痛々しいものだったんだろう。中尉はいつものように私の頭にぽんと手を置いて呟いた。
「君の言う通り、僕がこの部隊の隊長で、君は隊員。僕の部下だ」
「・・・はい」
「だから・・・僕は君の事を精一杯守るつもりでいる。隊員の事を守れなくて、隊長は務まらないしね」
「・・・だから、中尉は優しすぎるんですよ。貴方は・・・軍人として余りに・・・優しすぎる」
私は、頭に乗せられた中尉の手に自分の手を重ね合わせた。さっきの竜の手とは違い、今は人の肌をしている。 温かく柔らかなその手からは、多くの戦争を潜り抜けてきた男の質感は感じなかった。
「Si Vis Pacem, Para Bellum」
突然、中尉は流暢にこの国の言葉ではない、ある一つの格言を口にした。
「意味は、知っているね?」
「『平和を望むなら、戦いに備えよ。』・・・古い格言です」
「そして、僕らの部隊名の由来だ」
確かに第2特殊別働部隊『パラベラム』の名は、この格言の後半”Para Bellum”をそのまま使っている。
「つまり、僕等は”平和への望み”ではなく”戦いへの備え”というわけだ」
「”戦いへの備え”こそ”平和への望み”だと、私は解釈しています」
「”トラウアー”との戦いが、新たな悲しみを生んで、そして新たな”トラウアー”を生むという構造が既に出来上がっている。・・・ 人が哀しみの感情を持つ以上、この連鎖は止まることなどない」
「そうは言っても、私たちは軍人です。闘うための人間です」
「だから、僕は仲間を守るために闘うつもりでいる。平和のために闘うつもりはない」
「・・・貴方は隊長です。隊の名の重さは、理解してください」
「隊員がいてこその、隊だ。隊員を失えば、隊は意味をも失う」
「その隊の意味を成すのが、『パラベラム』なのです。私たちこそ”平和への望み”であると、上が考えている事実に変わりはありません。 ・・・隊長として、そのことは肝に銘じて下さいます様お願い致します」
「僕はっ・・・いや、わかった・・・わかったよ・・・」
中尉はまだ何か言いたそうだったが、口をつぐんでそれを奥へと押し返した。再び沈黙が二人の間を包み込んだ。
私も中尉も、”隊長”と”副長代行”という肩書きを強調する理由はある。私たち自身が、 置かれている立場を履き違えないようにするためだ。そうしなければ、自分が行使できる本来の権限を見誤りかねない状況だった。 この隊に対して、上層部からの司令を受け、報告し、方針の最終決定を認められているのは、隊長ではなく、副長代行である私だったから。
それにも理由はある。本来”隊長”の立場にあるタツナミ中尉が、人ならざるモノであるという事実。・・・勿論彼は人間だ。しかし、 同時に”トラウアー”に近い存在でもある。
極稀に起こるらしい。ガスに侵されてしまい、その身が”トラウアー”になりかける瞬間に、負の感情を断ち切り、 人間側に戻ってくるということが。その場合、人智を・・・そして”トラウアー”をも超える圧倒的な力を、 人の心と知能を持ったまま手にすることが出来るのだとか。
その一つの例として上げられるのが、”トラウアー”との戦いで、自らが所属した部隊が壊滅的なダメージを受け、 自らも瀕死の重傷を負った上に”トラウアー”化しかけながらも、奇跡的に人間として生還し、竜人への変身能力と言う超常的な力を身につけた、 ディルク・リーグル・タツナミという軍人、つまりこの中尉だ。
ただし、中尉は力を得る代わりに、軍人として重要なものを二つ失った。上層部からの信頼と、”トラウアー”に対する敵対心だ。しかも、 軍にとっては不可解かつ未知の力を持つタツナミ中尉は、得体の知れない存在となってしまった。
結果的に、タツナミ中尉には『特殊部隊隊長への着任』を名目に、中心部隊からの事実上の左遷を銘じた。 特殊部隊にはタツナミ中尉のほかにも、軍にとって『得体が知れないが、戦力として有効活用できる兵士』を選別、配置し、 そこに上層部が送り込んで信頼できる人間が副長の名目で、実際に隊を統括する人間を配置することで、この特殊な部隊を制御しようとした。
もっとも、最初に着任した副長はすぐにいなくなってしまい、その後に副長代行として私が送り込まれた、と言うのが現行の『パラベラム』 の成り立ちだ。
心優しき化物を、力の象徴として隊長に祭り上げ、実際に隊を動かすのは現場から遠く離れた老人たち。副長として駆り出された私もまた、 彼等の傀儡であることには違いなかった。面倒ごとや実験的作戦など、他の部隊がやらないことをやらされるのが私たち。そこに「平和への望み」 など無いことは、私だって理解していた。
「どうした?考え事か?」
「・・・いらしたのですか。マリオン」
不意に声をかけられて私はびくっとしながらも、声のした方を振り返った。見れば、 隣の席のデスクに1匹のスマートな黒猫が退屈そうに座っていた。黒猫は後足を器用に首元まで運び、その足で首筋をかきながら小さく口を開く。
「作戦会議ほど、詰まらんものはそう無いな」
「こちらに来ているのなら、きちんと聞いてください。仮にも貴方はうちの主力なんですから」
不真面目な態度で喋る黒猫、マリオンを見ながら、私はそう言葉を呈したが、すぐさまマリオンは反論する。
「勘違いをするなよ。私はこの部隊に所属していない。あくまで、主の命に従ってこの隊に協力しているだけだ」
「分かっています。でも、実際戦うのは貴方ですから」
「全く、主が異国の軍になど志願しなければ、今頃は・・・」
マリオンは、元々細い猫の目を更に細めて、何かをぶつくさ呟いていた。
「そういえば、ザールブリュッケンといえば貴方たちの国のすぐ傍でしたね。どう思われます?」
「どう思うとは、何についてだ?」
「貴方の国で、どの程度の問題になるか、という話です」
「それは軍人であるお前の気にかけることか?」
「この国の一国民として、興味があるだけです」
「なら答えはこうだ。国民が思うほど、外交は簡単な話じゃない。良いも悪いも、複雑に絡み合って作用し合っている。それが、 国を動かすということだ」
この猫と話すときに、度々思うことがある。
それは、この猫があまりにも達観した視点の持ち主だということだ。普段はとぼけて猫らしく、 しかしながら人っぽく高圧的な態度を取ってはいるが、素直な性格なのか、逆にひねくれているのか知らないが、こちらが少しかまをかければ、 自分の価値観をベラベラと喋ってくれる。
「マリオン。喋りすぎはいけませんよ?」
不意に、か細いながらも綺麗な声が聞こえてきた。私は隣の席に座った少年を見た。穏やかで、常に微笑を絶やさない、物静かな少年。 軍服に身を包んでいなければ、中学生ぐらいにしか見えない。・・・もっとも、自称では18歳らしいけど。
「・・・シュザン曹長。流石に貴方には作戦を聞いてもらわないと困ります。貴方こそ、うちの心臓部なんですから」
「分かってます、副長。ちょっとマリオンに注意しただけですから」
そう小声で呟くと、シュザン曹長は私に微笑みかけた後、再び作戦の説明を続ける中尉の方を振り返り、その話に耳を傾け始めた。
「・・・つまり、マリオンは何かを喋りすぎようとしていたんですね」
「作戦会議中の無駄話はやめろ、と言う意味だけだ。主に他意は無い」
黒猫は何事も無かったかのように毛づくろいをはじめ、私は改めて隣にいるシュザン曹長を眺めた。
そもそもが胡散臭かった。何故、他国の人間がこの国の軍にいるのか。そして何故特殊部隊になど身を置いているのか。 問い詰めてはみても、「禁則事項です」などと、未来から来たかのような口ぶりでいってはぐらかす。この主にしてこの猫ありといったところか。 まぁ、真面目に軍務についてくれているようだし、警戒はするものの、危険視する必要はなさそうだ。第一、 彼の存在なくしてパラベラムは存在し得ないと言っても過言じゃないほど、ウチにとって彼の存在は大きかった。実際、若く階級も低いが、 この軍の所属年数で言えば、私やタツナミ中尉よりも若いはずだ。
「しかし、久々に自らの作戦説明だって言うのに・・・聞いてるのが主と下っ端だけとは、報われないね」
「私は既に作戦を把握してますし、話を聞いていない貴方にそれを言う筋合いは無いと思いますが」
と、マリオンの言葉に釘を刺しつつも、私は残る2人の隊員を見た。隊長席に近くに座り、無表情で中尉の話を聞き続ける少女と、 話を聞くどころか机に突っ伏して、いびきを上げて寝てしまっている少年。タツナミ中尉が同意や意見を求めても、 反応するのはシュザン曹長だけ。少女の方は時々、ものすごく分かりづらいぐらいに小さく頷くが、少年の方にいたっては起きる気配すらない。
「・・・所詮は”失敗作”か」
マリオンは2人の若すぎる兵士を見ながら、小さく呟いた。猫の顔では分からないが、何処か哀れむような目で彼らを見ていた。
「戦果は挙げてますし、任務は確実にこなしています」
「わかっている。が、お前がそれを言っていいのか?”失敗作”のレッテルを貼ったのは、自分に都合の良い玩具を求めた、 この軍の上層部だろう?」
「一度付けられたラベルも、はがすことは出来ます」
「だが、彼等はそれをしたがらない」
「はがす人間が、彼らである必要はありませんから」
私はマリオンにそう言いながら、タツナミ中尉をチラッと見た。聞いてもらえているのかよく分からないにも関わらず、 熱心に作戦説明を続けていた。
「・・・発破でもかけたのか?珍しく熱心だが」
マリオンもまた、タツナミ中尉のほうを見ながら私に聞いてきた。確かに、普段はやる気ない態度を取るタツナミ中尉と違い、 今日は真面目に指示をしている。私は彼の様子を少しの間じっと見つめ、やや間を空けてマリオンの問いに答えた。
「ただ、私の考えをぶつけただけです」
「・・・隊が結成された頃の奴を見ているみたいだ」
そう言えば、マリオンとその飼い主であるシュザン曹長は、パラベラム結成当初から所属しているメンバーだ。 私の知らないタツナミ中尉を知っている、ということになる。
「根拠の無いジンクスだが・・・奴がこういう時は、良くないことが起きるぞ」
「え?」
マリオンは、タツナミ中尉の方をじっと見つめながらそう呟いた。・・・もしかすると、過去に似たようなケースがあったのだろうか。 タツナミ中尉がやる気を出して、裏目に出てしまったことが。私の知らない、まだ私じゃない副長がいた時代に。
「・・・以上で作戦説明を終了する!質問は?」
マリオンにそのことについて話を聞こうとしたときに、部屋にタツナミ中尉の声が響いた。どうやら一通りの説明を終えたらしい。 タツナミ中尉が隊員たちの様子を確認しながら部屋を見渡していると、シュザン曹長が静かにその手を上げた。
「一つだけ、確認しておきたいことが」
「何だい?」
「タツナミ中尉は、この作戦の最終的な目標を、何と考えてらっしゃいます?」
「どの作戦も、どの任務も、生きて帰るこそが最大の目標だと、僕はそう考える」
「分かりました。・・・それだけです」
シュザン曹長はその答えを聞いて、いつにも増して意味深な含み笑いを浮かべながらその手を下ろした。
「よし、じゃあチェルハ上等兵」
タツナミ中尉は視線をシュザン曹長から、自分の近くの席に座る少女の方に移しながら、彼女に問いかける。
「この後、ケプラー兵長が起きたら、今の作戦内容をさ、かいつまんででいいから説明してくれる?」
「・・・嫌」
その少女、チェルハ上等兵は俯きながら、か細く小さな声で、しかしながらはっきりとそう言い切った。
・・・って、軽度とはいえ、これって命令無視に当たるのでは?
「でも、誰かがケプラー兵長に説明してあげなきゃ、また暴走しちゃうでしょ?」
「だったら、ディルクがやればいい・・・隊長なんだから・・・」
命令違反の上に、隊長であるタツナミ中尉のことを呼び捨て。規律にうるさい人間なら、それだけで反省文ものだ。だが、 タツナミ中尉はとがめることも無く、チェルハ上等兵に話しかける。
「僕には現地へ向かうための準備や、関係各所への連絡をしなきゃいけない。フクニシ准尉もその手伝いをしてもらわなきゃいけないし、 シュザン曹長はマリオンに指示を伝えなきゃいけない。出来るのは、君だけなんだ」
「・・・私だって、作戦前に集中したい・・・無駄な時間費やしたくない・・・」
そう呟くと、チェルハ上等兵はすっと立ち上がってそのまま部屋の外に出ようとする。しかし、出ようとした瞬間足を止めて、 ふとタツナミ中尉のほうを振り返りながら問いかけた。
「・・・どうして・・・今日は、名前で呼んでくれないの・・・?」
「まぁ、色々有ってね」
「調子が・・・狂うから、いつも通り名前で呼んで・・・」
「・・・わかった。任務頑張ろうね、ハイデマリー」
「・・・うん」
それを聞いたチェルハ上等兵の口元が、僅かに緩んだ。そしてそのまま彼女は部屋を飛び出していった。
「・・・いくつになるんだったっけ?」
いつの間にか、タツナミ中尉は私の横に立ち、ボソッと聞いてきた。
「え、チェルハ上等兵ですか?」
「うん」
「確か、記録上は14になったばかりだったかと。もっとも正確な生年月日は分からないので推定だと、聞いてますが」
「思春期、なのかな」
「まぁ、年齢的にはそうでしょうね」
タツナミ中尉はふぅっと小さく息を吐き出し、未だに寝続けている少年の方を振り向いた。
「さて、と。ケプラー兵長にも一応説明しなきゃね」
「あぁ、それは僕がやっておきますよ」
少年を起こそうとしたタツナミ中尉を制止したのはシュザン曹長だった。
「いいのかい?」
「どうせ、マリオンにも作戦を説明しますし。ですから隊長と副長は準備の方を進めてください」
「・・・分かった。任せるよ、シュザン曹長」
「はい」
シュザン曹長は軽く敬礼をしたあと、マリオンを呼びケプラー兵長を起こし始めた。
「じゃあ、僕等は出撃の準備を進めようか」
「そうですね」
そうして私とタツナミ中尉は、部屋を後にして作戦の準備と手配をするために再び司令室に向かった。
この日はその後、ザールブリュッケンへの移動用の輸送機を確保したり、前の戦闘のレポートを急いで提出したりなど、 慌しく過ぎていき結局ザールブリュッケン行きの輸送機で私たちが現地に向かったのは、時計が0を過ぎてからだった。もっとも、 輸送機に乗ってザールブリュッケンに向かうのは私たちだけでなく、他の小隊30人ほども同乗する事になったため、 お互いの隊の都合上この時間しか出せなかったのも一員だったが。
輸送機の中では、私たち5人と1匹はどうも浮いた存在だった。と言うより、同乗した小隊からは、やや避けられていた印象もあった。 無理もないとは思う。隊長を除けば他の隊員は全員若く、たった5人と班レベルの人数構成なのに、中隊規模の戦力があるとされ、 権限を持たされている得体の知れない特殊部隊だ。疎みたくなるのは仕方ないことだ。
幸いにして、お互いそのことに触れる事がなかったため、輸送機内での隊のトラブルはなかった。・・・いや、幸いなのかは分からない。 こちらのメンバーは全員緊張感なくマイペースに過ごし、対して同乗した小隊のメンバーの中には、 緊張のあまり震えていたり落ち着かなかったりするものも多かった。どうやら、この小隊は実戦経験に乏しい者が多いらしい。そんな部隊まで、 投入せざるを得ないほど、戦局が切羽詰っているのだろう。
その時ふと、さっき聞いたタツナミ中尉の言葉が頭に浮かんだ。
”僕は仲間を守るために闘うつもりでいる。平和のために闘うつもりはない”
私だって、平和のために闘っているつもりは無い。でも大義名分は必要だ。目的無く闘おうとしても、ここにいる小隊の兵のように、 嫌々闘って、やられてしまうだけだ。
厳しい戦いになる。
この輸送機の中で誰もが考えているであろう言葉を頭の中で何度も出しては消し、出しては消しを繰り返しながら、 輸送機の中で黙っていた。1時間にも満たない短いフライトのはずなのに、何時までたっても終わらないような、錯覚を感じながら過ごしていた。
パラベラム 前編 完
後編に続く