Good luck! Dog run! 第3話
【人間→獣】
「じゃあさ、準備が出来るまでさっきの書類に目を通しておいて。初めてだと色々調べたりすることあるから」
「わかりました」
リッコは色々な液体や薬、そのほか書類や機材を慌しく準備していた。 ミオはその興奮冷めやらぬ震える手で書類を握りその内容に目を通すが、目の前で起きた出来事と、 そしてこれから自分が体験する事への胸の高鳴りで内容が頭に入ってこなかった。ミオは、何気なく横を見ると、 そこには1匹のドーベルマンが待ちかねるようにしてこちらを見ている。・・・やはり今でも信じられない。 そこにいる犬が自分の親友であるチィカであると、さっきその変身の瞬間を見ているのだから疑いようが無いのだが、 それでも普通じゃ考えられないことにある種の戸惑いが隠せないのも事実だった。ミオはそのドーベルマンに小さな声で呼びかける。
「本当に・・・チィカなんだよね・・・?」
ドーベルマンは小さく首を縦に振る。・・・人間の言葉が分かり、元々が人間だからこういう仕草が出来るのだ。 やはり目の前のドーベルマンはチィカで間違いないらしい。しかし、それでも不安の残るミオは念のためにリッコに質問する。
「あの・・・犬の姿になっても、人間の意識・・・そのままなんですよね?」
「そうだよ。だって折角変身できたのに、それを味わえないんじゃ勿体無いでしょ?」
「ですよね・・・でも、それ聞いて安心しました」
ミオはその答えを聞き、フゥっと一息つき心を落ち着かせると、再び書類に目を通す。書類に書かれているのは諸々の注意事項だった。 要約すれば、例えばここには犬に変身した人間だけでなく普通の犬もいるので気をつけることとか、 プライバシーの関係から他の変身した犬に必要以上に関わりあわないなど、一般的なことが誓約として記載されており、他には申込書がある。 自分の名前と犬種、犬の名前、そのほか一般的な個人情報を記入する欄があった。
「・・・犬種・・・」
「あぁ、それね。正直なところ、一度体験してからでいいわ。出してくれるの」
「・・・いいんですか?こんな大事なもの」
「まぁ、本当は先じゃなきゃいけないんだけど、あくまでそれは便宜的なものだし。最初は体験ってことでさ。 まずは一回やってみてから気に入れば会員になってくれる感じでいいよ。・・・それに・・・」
「・・・?」
「犬種ね、これは実際変身してみないと何になるか分からなくてさ」
「選べるわけじゃないんですか?」
「それが唯一の難点かな・・・薬の作用で最も適した犬種になるようになっててさ。 個人個人で実際に服用して試して見なきゃ分からないんだよね」
「そうなんですか・・・」
好きな犬種を選ぶことが出来ない、というのは少し不安で残念だったが、 しかしそれ以上に自分がどんな犬になるのかと言う期待で益々気分は高まっていった。そしてリッコはミオを呼ぶ。 その手には注射器ほどの太さの小さな針が握られていた。薬に対してアレルギー反応などが無いか調べる必要があるとのことだ。 リッコはその針でミオの指先をちくりとさし、出てきた血をなにやら試験紙のようなもので吸い取ると、 その試験紙を更に別の液体につけてしばらく様子を見ていたがやがてミオのを振り向き一言呟いた。
「ん、大丈夫。アレルギー反応無いから」
「よかった・・・」
ミオは肩をなでおろした。折角ここまで期待してダメでした、では悔いが残りすぎる。リッコはその針や試験紙などを片付けると、 ミオの大まかな体重と身長を聞かれた。それを元に錠剤の数と液体の量を決めるようである。 やがてリッコはなにやらカルテのようなものにメモを取り終えると、再びミオを見て話しかける。
「はい、コレが今回の分ね」
ミオはリッコから1回分の錠剤が入った袋と、液体の入ったビンを手渡され、それらをじっと見つめた。そして口に溜まるつばを飲み込む。 ・・・気分の高まりが尋常ではないことが自分でもよく分かる。これほどの興奮、果たして未だ生きてきた中であっただろうか。 変身する前からこの調子である。変身している時は、変身した後は、どうなるのだろうか。ミオの鼓動は加速度的に速くなっていく。
「それと、服も脱いだらロッカーに入れてね・・・たまに興奮しすぎて脱ぎ散らかす人もいるから」
「え・・・あ、はい」
「一応、脱いでから変身するまで身体を隠せるようバスタオルは用意してあるから。・・・ チィカみたいに全裸がはずくないとかなら別だけど」
「ウォン!ウォウン!」
ドーベルマンはまるで、その誤解を招く表現を咎める様に激しくリッコに吼えた。
「はは・・・ゴメンゴメン。でも、恥ずかしげも無く裸になれる自分の性格を棚上げするのは無しね?」
「クウゥ・・・」
ドーベルマンは尻尾と耳をたらし、それから大人しくなってしまった。それを見てミオも笑い、 少しは落ち着いたもののやはり興奮は冷めない。やがて意を決してミオは立ち上がり服を脱ぎ始める。Tシャツ、ジーパン、 下着と次々身体から外していき、それが他の1人と1匹に見られないようにバスタオルで隠した。そして、ついに薬を手にする。・・・ 再び鼓動が高まる。・・・コレで本当に犬に変身できる・・・果たしてどんな犬になるのか。期待と不安で胸がはちきれそうになり、 次第にその興奮の糸は張り詰めていく。そしてついにその糸が切れたとき、彼女は覚悟を決めて錠剤と液体を飲んだ。 まるでシロップのような甘い液体を飲み干すとミオは深く息をついた。さっきのチィカのことを考えると、 薬の効果が表れるまでは数分かかるらしい。ミオはたったまま微動だにせずそこに立ち尽くした。・・・時間の経過が何だか凄く長く感じる。 部屋にかけてある時計の秒針が刻む音がコレほどまでにゆっくりに感じたことが過去にあっただろうか。遅く感じる時計の音とは裏腹に、 ミオの鼓動はどんどん速くなっていく。この待つ間の興奮もたまらなく苦しく、しかしある種の恍惚にも似た時間だった。 しかしその時その鼓動の中で明らかに今までと違う脈が自分の体で打たれたのをミオは気付いた。
・・・ドクン・・・
(・・・あれ・・・これ・・・)
・・・ドクン・・・ドクン・・・
・・・先ほどまでの鼓動とは違う。興奮で速くなっているだけの鼓動ではない。 これから訪れる変化に身体が耐えるために普段よりも多い血液を心臓が送り出している、そんな鼓動。 そしてそれが始まりを告げる合図であることはミオにも分かった。
「来たみたいね」
リッコはその様子を見て静かに呟いた。・・・そう、来たようだ。変化の波が。ミオは自分の体温がどんどん上がっていくことに気付く。 そして体中から力が抜けていくような奇妙な感覚。ミオはやがて立っていることも出来なくなり地面に手をついてしまう。・・・ その時自分の手を見て、初めて視覚的に自分の変化に気付く。
「ぁ・・・コレ・・・私・・・手・・・!?」
ミオは荒い呼吸から漏れるように声を発する。彼女の手・・・それはさっきチィカのときと同じだった。 自分の指がどんどん短くなっていく。その骨と肉が引っ張られるような感覚は痛みこそ不思議と無かったが彼女の興奮を更に高めていく。 手だけじゃない。体中の全ての部位が静かな音をたてて確実に変化していく。初めてでまだその感じになれないミオは自然と声が漏れてしまう。
「ぁ・・・ぁう・・・あぁ・・・!」
彼女の声が漏れる間にも身体の変化は進んでいく。彼女の丸みを帯びた艶やかな肌は次第に優しい小麦色の獣毛で覆われていき、 身体はきゅっと引き締まっていく。手足は徐々に短くなるが、 それらには肉球と爪が生じ立派な四足となり大地をしっかりと掴み不安定な彼女の身体を支えた。その不安定さを少しでも安定させるためなのか、 やがて骨と肉は尾てい骨から伸びて尻尾を形作った。
「あ・・・アぅ・・・ゥオウ・・・!」
そしてその変化は目に見えない部分も覆っていく。ミオは気付いた時には自分がまともに言葉を発せられなくなったことに気付いた。 声帯にも変化が現れていたのだ。そして変化は身体を上っていく。首から頭、顔にかけても毛が覆い始め、 彼女の人としても割ときっと高い方だった鼻は更に周りの肉を引っ張りながら前に突き出していき、鼻先は黒く色づく。 耳の付け根は頭の頂上に移動し、耳自体も大きく長くなると、それは重力に負けて静かに前に垂れた。・・・そして徐々に落ち着いていく鼓動。 変化が完全に身体を通り過ぎていったようだ。しかし、彼女のうちに募った興奮はかえって変化の間にも蓄積されており、 ミオはそれを発散させんばかりに腹から思い切って声を上げた。
「ゥウァウーーーーゥン!」
小さな部屋に犬の遠吠えが響き渡った。ミオはその感覚に快感を覚えて息が続く限り延ばしていたが、 やがて胸のうちにあったものを全て吐き出し終えると冷静に今の自分のことを考える。
(今の遠吠え・・・本当に私の声・・・!?)
ミオは自分がどうやら本当に犬になれたらしいことにようやく実感が湧き始めるが、 自分の姿をしっかり見ないとどうも安心が出来なかった。
「どうやら終わったみたいだね・・・ほら、何時までもそんなもの付けてないで」
リッコはミオの変化の一部始終を見終えたあと、満足げに笑みを浮かべながら、ミオの身体に未だかぶさっていたバスタオルを取る。
「ほら・・・鏡ならあっちにあるから、自分の目で確かめたら?」
リッコはそう言って指を差したその先には確かに鏡があった。ミオは鏡の前まで四つ足で器用に駆けていき、鏡の前に立つ。 そして一度瞳を閉じて気持ちを落ち着かせる。そして、ゆっくりと、恐る恐る瞳を開ける。
「・・・クゥン・・・!」
思わず様々な感情が篭った声が喉から出た。・・・ その彼女の瞳に映ったのは美しい毛並みを持つ1匹のゴールデンレトリーバーが自分を見つめている姿だった。 そしてミオが身体を動かすとそのレトリーバーもミオと全く同じを見せる。目の前にあるのは鏡であり、 そこに映ったのは自分が知っている人間の姿ではなく1匹の犬。つまりそれが、答えだった。
『凄い綺麗だよ、ミオ!』
『え・・・?』
ミオは突然話しかけられて思わず振り返った。するとそこには自分とほぼ同じ目線でドーベルマンが話しかけてきたのだ。
『・・・あ、チィカ?』
『もしかして一瞬分からなかった?』
『え、うん・・・だって・・・さっきの変化は見てたけど・・・なんていうか・・・犬の視点で見るとまた別人みたいで』
『まぁ、それはあるかもね』
そういってドーベルマンのチィカは小さく笑った。・・・笑ったように見えたのだろう。元々人間だった犬同士だからこそ、 相手の仕草に人間臭さを感じるのだと思う。しかし、人としての目線と犬としての目線はこうも違うものだろうか。 ミオは改めて目の前にいるメスのドーベルマン、つまりチィカを見つめてみる。 引き締まったスリムな身体は体毛が黒だからか余計にスマートな印象を与えていた。
『チィカも・・・凄く綺麗』
『サンキュ。でもホラ、私はいいから自分の姿をもっと見たら?』
『え・・・うん・・・』
ミオは言われるまま鏡を再び見つめる。・・・そして鏡の向こうのレトリーバーと目線が合う。確かにチィカの言うとおり、 自分で思うのもなんであったが、しかしミオ自身が認めるほどそのレトリーバーは美しかった。 小麦色の体毛は光を受けると黄金色に輝くほど優しく滑らかで、均整の取れた身体に、 端整ながらも女性的な印象を与えるしっかりと伸びたマズル。そして普通の犬よりも瞳は大きく、そこだけが人の時の自分の名残を残していた。・ ・・そうだ、この綺麗な犬が今の自分の姿なんだ・・・! ミオは改めてそのことを確信すると落ち着いていた鼓動が再び速くなっていくのに気付いた。
「ミオ、楽しんでいるところ悪いけど、チョットこっち来て」
リッコは鏡の前ですっかり自分の姿に見とれているミオに呼びかける。ミオはふと我に返りリッコのところに駆けて行った。
「今度から変化の前、特に1人の時にはコレをつけてね」
そう言ったリッコが持っていたものは首輪だった。よく見るとその首輪には何かタグのようなものがついている。
「このタグが、変身の制限時間が来ると音で教えてくれるようになっているの。あと、他の本物の犬が近寄れないような効果もあってね・・ ・あ、勿論原理は企業秘密ね」
リッコは微笑みながらしゃがむと、両手でその首輪を持ち、ミオの首の前に持ってくる。ミオは恥ずかしながらも首を差し出し、 リッコに首輪を巻いてもらう。そのきつくも無く緩くも無く、締められる感じがなんともいえないものだった。
「じゃああっちの人間が変身した犬専用の出入り口から勝手に出入りできるようになっているから、タグがなったり、 制限時間前でもやめたいと思ったら戻ってきてね」
リッコはそう告げると小さなこの部屋に入ってきた時のドアを開け部屋の外に出て行った。
『さ、ミオ!早く行こうよ!』
レトリーバーは自分を呼ぶ声に振り返り、そして声の主であるドーベルマンのそばに駆け寄った。 そして彼女に続いて専用の小さな出入り口から外に駆け出していった。 彼女の胸の高まりはこれから体験する未知の快感への期待で頂点に達していた。
Good luck! Dog run! 第3話 完
第4話に続く
変身薬の配合シーンの丁寧さやミオの変身までの心理や過程、そしてなにげにわくわくさせるティカとの会話や外出までのシーン…見事です。
次回は運命の出会いとの事ですが…何げに楽しみですね。
余談ながら、わたくしめにとっての「ジークフリートの背中」はどうなるやら…。(冷や汗)
コメント有難う御座います。ダメージご愁傷様です(返事がオカシイ
>次回は運命の出会い
現在まだ構想中のためどのような展開になるかは未定の部分も多いのですが、この出会いがミオの運命を大きく変える(かもしれない)出会いに出来ればと思っています。