Good luck! Dog run! 第1話
【人間→獣】
どんな人間にでも、調子のいい時と悪い時の波、いわゆるバイオリズムとでも呼べばいいのか、そういう波はやっぱりある。 いい事が怖いほど続く時もあるし何をやっても悪い結果ばかり出てしまう時もある。良いにしろ悪いにしろ、 多くの場合は何か一つきっかけがあって、いい場合はそれをはずみに、 悪い場合はそれを引きずってしまい結果が影響してしまうのがバイオリズムの正体とも言える。事実彼女は先週末から、俗世間的に言う” 人生のどん底”というのの真っ最中だった。
「ほらぁ、またそんな顔してる。それじゃ上がる運だって上がらなくなるよ」
見かねた彼女の親友が机に肘をついて話しかけてきた。彼女は重い顔を上げると親友の顔を見て返事をする。
「ん、わかってるんだけど・・・ね・・・」
しかし彼女はそう言って深くため息をつきまるで解けるかのごとく体を机に延ばす。
「んん・・・重症だね・・・やっぱ私はいつものミオの方が好きだけどね」
「うーん・・・チィカに好きって言われてもあんま嬉しくないかも」
「はは・・・そういう可愛くないところが可愛いねぇ」
「いや、意味わかんないし」
「でもほら、ため息ついたら幸せ逃げちゃうでしょ?」
「んな古臭い説教みたいな言い方やめてよ」
ミオは身体を机から起こすとゆっくり後ろに倒し大きく身体を伸ばした。そしてゆっくりと、静かに天井を仰ぎ一人考える。 確かにチィカの言っていることは尤もだった。悪く考えればいくらでも悪い方に向かっていってしまうものである。しかし、 付き合っていた彼氏の浮気が発覚し勢いで別れてしまって以来、何事にも身が入らず期末は順位急落、部活ではレギュラーを外され、散々である。 あの一件以来自分で気持ちの整理がついていないから他の事にも影響を及ぼしているだけなのだ。だから気持ちを切り替えなければいけない。 分かっている。分かっているけど・・・。天を仰ぐ瞳はどこか虚ろ気だった。
「でも、さ。アンタだって付き合う前から分かってたでしょ?シタラがどういう奴かって」
「そりゃあ・・・でも、アイツ、私だけを愛してるって言ってくれたし・・・」
「だからさ・・・何でそういうところが乙女してるわけ?あの手の男は目の前にいる女の殆どを、 目の前にいるその瞬間だけはその女だけを愛せる人種なのよ、シタラは」
「だから・・・私もそれが分かったから別れたんでしょ」
「でも引きずってるじゃない」
「それは・・・」
ミオの言葉が勢いを失う。そう、引きずっている。何を引きずっている?ふったこと?本当は彼に未練がある? 彼の言葉に聞く耳さえもてなかった自分の心の小ささ?どれも当てはまりそうで当てはまらない。最も、答えなんて無いのかもしれない。 ただただ、戻ってこない日々を懐かしんでいるだけなのかもしれない。女付き合いの多いシタラを好きになり、 彼と付き合い始めた時点でこういう結末になることは分かっていたはずなのに愛し続けた自分への苛立ちもどこかにあるのかもしれない。でも、 やはり答えなんて見つからない。
「あぁ・・・もうダメ。考えれば考えるほど泥沼だよぉ」
「やっぱアンタ重症だわ・・・」
「・・・だね・・・まぁ、明日明後日、土日だしゆっくり休んでくるよ」
「それがいいわ。何かぱぁっと発散できるようなことしてね」
「発散・・・あればだけどね」
そんな話をしているときに始業のチャイムが鳴り、担任が教室に入ってきた。
(・・・発散かぁ・・・)
ミオは担任の話に耳も傾けず窓の外を流れる雲を静かに目で追いかけていた。
彼女の憂鬱は帰り道でも変わらなかった。ここ数日はずっとこの調子で暗い気持ちで生活している、 コレじゃだめだって分かっているけど気分を転換できるようなきっかけが見つからなかった。ぼぅっと考え事をしつつとぼとぼと歩いていると、 いつの間にか家の前についていた。ミオは玄関前の階段を駆け上がり自分の家のドアを開けようとした瞬間、 ほぼ同時に隣の家のドアも開いた音に気付いてその方を見る。開いたドアから出てきた少年の姿を見てミオはその少年の名を小さく呼びかけた。
「・・・ガク・・・!」
ガクと呼ばれた少年もミオのことに気付いたが彼女の方は見向きもせず、 チィと舌を鳴らしそのまま階段を駆け下りて何処かへ行こうとする。はじめはその姿を黙って見ていたミオだったが、 何を思ったかすぐに彼の後を追い、彼の腕を掴んで呼び止めた。
「待って・・・ガク・・・!」
「・・・んだよ・・・放せって」
「ゴメン・・・!5分・・・ううん・・・3分でいいの・・・話がしたい・・・」
「・・・分かったから放せよ、その手」
ガクは彼女の手を振り解き、むっとした表情で彼女を見つめた。しかしミオは顔を上げず、俯いたまま彼に問いかける。
「御願い・・・一つだけ聞かせて・・・」
「・・・なんだよ」
「私のこと避けてるのって・・・やっぱり父さんのせい・・・?」
「またその話か・・・!」
ガクは聞き飽きたと言わんばかりに苛立ちをあらわにする。
「何度も言っているだろ、親父達は関係ないって」
「でも・・・ガクがそうなったのは・・・!」
「だから、何度も言わせるな!関係ない!」
ガクの声が近所の家々に反射し広く響いた。流石にガクもまずいと思ったのか一息ついて心を落ち着かせると小さな声でミオに問いかける。
「お前だって・・・こうして俺と話そうとしているってことは・・・また何かあったからだろ」
「・・・うん・・・だって・・・でも、私は・・・」
「・・・お前さ・・・昔っから困ったら俺のところに来て・・・いくら幼馴染でもお前の都合だけ話して図々しいとか思わないのか?」
「分かってるけど・・・!」
「もうさ、正直・・・ウザいんだよね、お前」
「・・・ガク・・・!」
ガクのその言葉にミオは話す言葉を失ってしまう。・・・どこかで幼馴染だからという、甘えが有ったのは事実だけど、 ガクにそこまで言われるほど自分を疎んでいるのかと思うと、まるで心をえぐられたような気分にさえなった。 ガクはそのまま彼女に背を向けて歩き始めてしまう。彼女は呼びとめようとするが、 不思議と足を動かすことも声を出すことも出来ずただただそこに立ち止まってしまった。 やがて彼の姿が小さくなるとミオは再び玄関のドアを開けて一つ小さく、しかし深くため息をつき自分の家に入った。
(やっぱり・・・あの時からかな・・・?)
ミオは自分の部屋で制服を脱ぎながら、ガクとのことを考えていた。 元々2人は幼稚園からの幼馴染で家が隣同士でそれぞれの親も仲が良かった為、2人もまた自然とその距離を縮めていったのだが、2年前、 事件は突然おきた。ミオの家族とガクの家族とで車で旅行に出かけることになった時、2人の家族は同じ車に乗り、 ミオの父親が運転することになった。それは昔からよくやっていたこと。二家族合同の旅行は毎年のことだった。そう、いつも通りのこと。 それがほんの一瞬でもう二度と訪れない日々になってしまった。
(何か・・・思い出しちゃったな・・・)
彼女は右肩の傷を見て、呟いた。あの時の感覚は今でも残っている。後部座席に居て話に夢中だったミオ達は、 見通しの悪いカーブに差し掛かったことにも気付かなかった。突然鳴り響いたブレーキ音。 とっさに隣に座っていたガクがミオを身体でおおいかばった。そしてその後に走る衝撃と、 全ての時がとまったのではないかと錯覚するほど大きく長い爆発音。ここで気を失わなかったのがミオにとって幸か不幸か。 はじめは何が起きたか分からなかった。気付いた時には視界は真っ暗だった。 やがて辺りが静かになるとガクと共に何とか体の力を振り絞り身体を動かし、光のあるところから這い出た。 そして自分たちが今までいた車を見る。そこにはひしゃげたフロントが炎と赤い液体で紅に染まった自分たちの車の変わり果てた姿だった。 後に2人の母親たちも後からの救急隊によって助け出され一命は取り留めたが、 運転していたミオの父親と助手席に居たガクの父親はほぼ即死だったという。原因は対向車だったトラックが無茶な運転をして、 彼女たちの車がそれに突っ込んでしまったのだった。
(やっぱり・・・父さんの事恨んでるのかな・・・?)
過失がトラックの運転手にあったとしても、ミオの父親の運転でガクの父親が命を失ったことに変わりは無かった。 もしもっと父親が気をつけて運転をしていればこんな事故にはならなかったかもしれない。 あの日以来ガクとの距離はどんどん離れていってしまった。この2年間、まともに口を利いてさえいない。そしてさっきのあの態度。 2人の関係を分かつ決定的な言い草だった。
(もう戻れないのかな・・・?)
ミオは薄いTシャツと短パンに着替えベッドに横たわった。そしてまたうつろな瞳で天井を見つめて考え事をしていた。ガクとの関係・・・ また一つ泥沼にはまっている自分に重い鎖がつながれた。
気がつくと窓から日が射していた。考え事をしているうちにいつの間にか眠ってしまったらしい。
(はぁ・・・朝か・・・気分転換・・・って言っても何もあてないし・・・)
ミオは窓をぼぉっと眺めながら静かに考えていたがその時静寂を破り彼女の携帯電話が鳴り響いた。 まだ寝ぼけた頭でゆっくりと携帯を手に取る。かけてきたのはチィカだった。
「チィカ・・・どうしたの?こんな朝早く」
「いやね、思い出したんだよね」
「何を?」
「いい気分転換できるところ。私もよく行ってるんだけどすっかり忘れてて」
「どんなところ?」
「んん・・・まぁ口で説明するよりもさ、行ってみた方が早いし。どうせ暇なんでしょ?」
「まぁね・・・分かった支度していくね」
ミオはそういって電話を切った。そしてクローゼットを開けて適当な服を選びすぐさま家を飛び出した。その時チィカからメールが届き、 目的地の位置情報が送られてきた。
「まぁ・・・じっとしてても仕方ないしね」
そして玄関先にたったとき、隣のガクの家をふと見てみた。ガクの部屋はカーテンが閉まっている。まだ寝ているのだろうか。・・・ ミオは頭に浮かんだ彼のことを振り払い、車庫から自転車を出しチィカのメールを元に目的地へと急いだ。
Good luck! Dog run! 第1話 完
続く