μの軌跡・幻編 第8話「アルファの意味・灯るイグニス」
【人間→ポケモン】
例えば、右に見える黒く何処までも広がる灰の平原は昨日まで様々な草花が生い茂る原っぱだった。 左に見える黒ずんだ太い丸太はこの島の歴史を何年も見続けてきた相当な樹齢の老木だった。昨日までそこにあったものが今日そこには無い。 ラズはこの山に暮らしてきたポケモンとしてこれほど寂しいものは無かった。 そして今自分の横にもしかするとその火事の原因かもしれない人間が歩いているこの状況。 その人間が自分の旧知の仲である人間の兄だというこの状況。ラズが今彼の心の中で様々な自問自答を繰り返しているか、 彼の表情を見ればタツキにだって想像は難くない。火事のことを彼に問いただすかどうか。要はその一点なのだ。 ラズは度々トウヤの方を見上げて何かを言おうとするが言葉が口から出ずそのまままたうつむいて歩いてしまう。 タツキも彼の気持ちは分かるがだから何が出来るわけでもない。リヒトは話せる人間という存在に夢中で力にならないし、 どうも歯痒さが彼女にも付き纏った。せめて彼女に出来るのは他の話題で、なおかつ彼らの会話を弾ませられそうな話題を振る位だった。
『ねぇ、ラズって元々この島のポケモンじゃなかったの?』
『・・・ん?』
『いや、さっきこの島には長くいるって言ってたのに、この人の弟と知り合いだって言ってたから・・・』
『・・・そうだな、別に話して減るもんではないしな・・・』
ラズはタツキのほうを振り返って、彼女の瞳を見つめながら答えた。
『・・・ビャクヤと出会ったのは俺がまだポチエナだった頃で、出遭ってからあちこちを旅した後、 たまたま立ち寄ったこの島でアイツと分かれて今こうして暮らしているんだ』
『・・・』
『・・・』
『・・・って短!?』
折角の盛り上げチャンスを見事に砕かれたタツキはススっとラズの横に回りこみ彼に巻きつかんかのごとく寄り問い詰める。
『もっと・・・あるでしょ!?出会いのエピソードとか共に乗り越えたトラブルとか淡いあの日の恋物語とか』
『ある・・・がメンドイ』
『・・・イヤイヤイヤイヤ、メンドイって』
タツキは更に彼に近寄り耳元で小さく囁く。
『・・・聞き出さないの?火事の事、そのために彼を探したんでしょ?』
『・・・それは・・・分かっているが・・・しかし、ビャクヤの兄が・・・』
『・・・信用したいのは分かるけど・・・このまま何も聞かないつもり?』
『いずれは聞く・・・が今はまだそのタイミングじゃない・・・だから、ハクリュー・・・』
『・・・ん、分かった。ラズがそれで構わないなら・・・』
タツキは少し不服そうながらも彼の言葉を聞き納得し彼から離れるとふと、横を歩くトウヤを見つめた。・・・ しかし何故だろうか見れば見るほどあの時のポケモンと姿が重なっていく。自分を助けてくれたかもしれないあのポケモン。 一体何と言うポケモンなんだろうか。何故自分を助けたのだろうか。そして・・・今目の前のトウヤと影が重なる理由。 彼の弟でラズの知り合いだというビャクヤという男。アルファと呼ばれる自分の存在。あのポケモンが自分を・・・ もしかするとリヒトをもこの島につれてきた理由。考えれば考えるほど謎はあふれ出し彼女の頭と胸に黒くモヤモヤしたものを形成していく。
『・・・どうしたの?難しい顔して』
『え?』
気付くと自分に添うようにリヒトが駆け寄ってきて彼女を見上げて声をかけてきた。
『・・・別に・・・少し色々急な展開が続いたから整理してた感じかな』
『ん、まぁ、確かに急展開だけどさ、考えても追いつかないなら考えないのも手なんじゃないかな?』
『はは・・・かもね。・・・でも・・・自分のことだからさ、考えないと、必死でも追いつかないとまずいかな?って』
『アルファの意味は考えなくても、いずれ教えてやるよ』
2匹の話に割り込むようにトウヤが言葉を挟んだ。タツキが彼の方を見つめるとトウヤは笑顔を作り無言で答えた。・・・ まだニ三度しか見ていないが・・・何故だろうか、彼の笑顔を見ていると切なさに似た感情がこみ上げてくる。・・・あったばかりの人間なのに、 この感覚は何だろうか。タツキはそのまま目をそらし目の前をふと見た瞬間、前を見ていたはずのラズにぶつかってしまいバランスを崩した。
『ちょ・・・ラズ?どうしたの?』
『・・・何故だ・・・!?』
ラズはまたトウヤを見たときのような驚きの表情を浮かべる。タツキたちはその視線の先を追った。いつの間にか坂は緩やかになり、 道はひらけ、アスファルトの道路が面するところまで下ってきていた。更に先を見るとそこにはすらっとした女性の姿が視界に入ってきた。 そして彼女もまたこちらを見返している。タツキは始め、 その彼女の表情は山から病院の患者服を着た男が3匹のポケモンを連れて降りてきたという異様な光景に対してのものだと思ったが、 しかしやがて彼女の顔が何かを確信したかのようなものに変わっていくにつれて直感的にそうではないことに気付いた。ラズのあの反応、 トウヤを見た時のような彼の反応。つまりそれは、そういうことだった。
『・・・ラズ、彼女も知り合い?』
『・・・知り合いなんて優しいものじゃないさ・・・!』
いつの間にかラズの表情は驚きのものから、まるで火事の時のように険しいものになっていた。・・・彼だけじゃなかった。トウヤも、 表情こそ穏やかだが、目には見えない緊張感が彼の周りにも張り詰めていた。そしてトウヤは彼女に問いかける。
「やっぱり・・・来たか」
「・・・確かビャクヤの兄・・・トウヤだったか・・・そうか、この島の火事は貴方の仕業か」
ラズは女のその言葉を聞き、慌ててトウヤのほうを見る。彼は表情一つ変えず女の方を見つめていた。・・・ まさか聞きたかった話を彼女の口から聞くことになるとは思っていなかったラズは複雑な表情を浮かべていた。
「・・・だったらどうする?」
「貴方だったら・・・彼の行方を知っているのでは?」
「答える理由は無いね」
「・・・だったら、例え神の血をひく人間でも・・・容赦はしない」
「血は・・・関係ない・・・が、容赦されるつもりも無い!」
相変わらず彼の表情に変化は無いが、血と言う言葉を聞いてから彼の周りで張り詰める何かがいっそう強くなっていった。 そして女は何処からか取り出したモンスターボールを手に取り、臨戦態勢を整えていた。トウヤはふとタツキのほうを振り返り小さく語りかけた。
「・・・思ったよりも早くアルファの意味教えることになったな」
『え・・・?』
「よく見てろよ・・・アルファの意味を・・・!」
そういって彼は数歩前に出て女の前に立ち彼女とにらみ合う形になった。
『まさか・・・戦うつもり!?あの人ポケモン出してくるつもりなのに・・・!?』
『・・・いいから黙って見てろ・・・』
『でも・・・!』
『もし・・・トウヤが・・・本当にビャクヤの兄なら・・・彼もアルファなんだろう』
『え・・・!?』
トウヤが・・・アルファ?彼を見ることがアルファの意味?タツキの頭の中で様々な言葉が飛び交うが、 やがて目の前のトウヤの姿を見て頭に痞えていたもやもやが一瞬で吹き飛んだ。
『そんな・・・アレは・・・!?』
彼の身体の周りを彼の髪のように鮮やかで淡いオレンジ色の光が輝いていた。それはまるで自分が雨を呼んだときのような、 彼自信の体から発せられる光。そして直感的に気付く。アルファの意味。
『・・・まさか・・・!?』
驚きの表情を浮かべるタツキを背に彼の身体は静かな鼓動を繰り返していた。 そしてにわかに彼の体が大きく震えたかと思うと彼の体が大きく変化していく。 彼の太ももが大きく太くなったかと思うと彼の皮膚が健康的な肌色から見る見るうちに彼の髪の毛や今彼の体から発している光と同系統のオレンジ色に変色をしていく。 そして履いていた、病院から拝借した貧相な靴は簡単に破かれそこから姿を現したのは、人間のものとはまるで異なる3本の鋭いつめを生やした、 やはり同じオレンジの平たい足だった。
「ぐ・・・!」
彼は体の変化に耐えるように小さく声を漏らす。そして薄い服もまた続けて悲鳴を上げて敗れ去っていく。人間だったときよりも、 太くなった分相対的に短くなった両足の付け根から腹にかけては他とは異なる薄いイエローの皮膚がその両足の間を通り、 そしてやがて後ろから長く太いものが伸びていき、それが尻尾となりその先端には力強く炎が宿った。一方で両腕は細くなったものの、 その先にある手は、5本有った指は3本に減り、足と同じようにその先には鋭い爪が輝いていた。そして首から先は長く伸びていき、 顔も鼻先が下あごと共に伸び髪や眉などの毛はいつの間にか消え去り、頭からは後ろに向かって2本の角が生えていた。 そして背中からも同じように角のようなものが生えたがそれはどんどん長くなり、やがて青い皮膚の膜が張り大きな翼となった。
「グルゥ・・・」
さっきまで人間だったそれは、最早人の言葉を話せない喉を鳴らし小さく身震いをして体に残った服の切れ端をふるい落とした。 全身をオレンジ色の皮膚で覆われた、伝説に出てくるような火竜の姿を持つポケモン。
『リザードン・・・!』
タツキはそのポケモンの名を口にした。その声が聞こえたのか、リザードンはタツキのほうを振り返り彼女を見つめ、 タツキもまたリザードンのことを見つめた。・・・いくら見つめてもそこにいるのは1匹のリザードンだった。 しかしその瞳は人間のトウヤの時と変わらず何よりも深い蒼を携えていた。タツキは思わず彼の名を呼ぶ。
『・・・本当に・・・トウヤ・・・!?』
『・・・あぁ』
リザードンは小さく鳴いただけだったが、その鳴き声がタツキの耳には意味を持つものとして聞こえてくる。 そしてその声はさっきまで聞いていた人間のトウヤのものと同じだった。人間だったトウヤが目の前でリザードンに変身した。 そしてその彼がアルファであり、ハクリューに変身した自分もまた、彼に言わせればアルファであるということ。 タツキはアルファの意味に確信を持った。そしてリザードンとなったトウヤの瞳を見つめ返した。 その瞳に答えるようにトウヤは静かに彼女に語りかける。
『・・・見ての通りだ。コレが・・・アルファの意味だ。分かるか?』
『ポケモンに変身できる人間・・・』
『そういうことだ』
『・・・待って!じゃあ・・・私がアルファってことは・・・貴方はリザードンから人間に戻れるの!?私は!?』
『勿論ポケモンに変身できるだけでなく戻ることだって出来なきゃ困るだろう』
『私は・・・私は人間に戻れるの・・・!?』
『あぁ・・・だが、詳しい話は後だ』
そういってトウヤは再び女の方を振り返る。 彼の変身を待ちくたびれたようにモンスターボールを放り投げると数体のポケモンが姿を現した。 そしてトウヤはそれに向かって飛び掛っていった。
(私は・・・戻れる・・・!?)
タツキは突然与えられた人間に戻ることが出来る活路に、存在しない、感覚さえ失ったはずの手が何かを掴んでいるようだった。しかし、 ポケモンとして生きていく覚悟さえ決めていた彼女には喜び半分、戸惑いさえ感じていた。 今の彼女の耳に目の前の激しい戦闘の音は聞こえてさえいなかった。
μの軌跡・幻編 第8話「アルファの意味・灯るイグニス」 完
第9話に続く